今月の言葉

おかげさま

2009年12月01日コメントをどうぞ

Kotoba_2112

平成21年12月 「おかげさま」

今年も早いもので師走をむかえました。12月8日は、パールハーバー第二次世界大戦が開戦した日。元ビートルズのジョンレノンが凶弾に倒れた日。そしてお釈迦様が悟りを開かれた日です。

苦行を終えて、村の娘スジャータの差し出したヨーグルトを飲み元気を取り戻されたお釈迦様は、「自分が、一人で生きていると思ったら大間違いだった。すべての物はお互いに関係しあって存在し、縁によって成り立っている」という事を悟られました。

ちょっと考えてみると、何気なく吸っている空気や水も、食べ物も、みんな自分の物ではありません。けれども、それによって私達は生きていけるわけです。

さも当たり前のように思い、見過ごしている事も、自分の物ではない沢山のお陰によって世の中は成り立っています。そして、持ちつ持たれつ、いろんなお陰により私達は生きていける。という事です。

お釈迦さまが、悟られたという素晴らしい日に、戦争を起こしたり、人に凶弾を向けたり、つくづく人間の愚かさを考えさせられます。

神さま 仏さま ご先祖さま 見えないさまを “お陰さま”と言います。

何はともあれ、今年一年の沢山の“お陰さま”に感謝し元気に新しい年をむかえましょう。

あやまちすな、こころして・・・

2009年11月01日1件のコメント

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平成21年11月 「あやまちすな、こころして・・・」

読売新聞の『編集手帳』の欄に、「事故は大抵、もう大丈夫という油断で起きる事が多いから注意しましょう」と書かれていました。

目がくらむほど高い木の上で作業を終えた植木職人が、軒先ほどの高さまで降りてきた時、黙って見ていた親方がにわかに声を上げ、「あやまちすな。心しておりよ」と声をかける話や、長時間の運転中に起きた事故の半数は、目的地から8割以上を走り終えた、目的地に近い所で発生している事をあげ、「あと少し」の気の緩みを指摘し、戒めていました。

さらに、スポーツに目を向け、相撲の土俵際や、野球の9回裏に起きた大逆転劇などを取り上げ、これは「心のスキ」という名の演出家が観客を楽しませたものでしょう。油断は時に、楽しめない逆転劇をも演出する事があるので、くれぐれも、「あやまちすな。心して・・・」と結ばれていました。

最近は、いろんな意味で“平和ぼけ”し、緊張感のない毎日を送っているように思えます。今年もあと2ヶ月、平成21年も8割以上が過ぎました。「あと少し」の気の緩みの無いよう、「あやまちすな。心して・・・」で、元気に過ごしたいものです。

シルバー川柳

2009年10月01日コメントをどうぞ

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平成21年10月 「シルバー川柳」

全国有料老人ホーム協会が公募していた「シルバー川柳」の入選作品が発表されました。

*定年で 田舎戻れば まだ若手

*マイケルの 真似を発作と 間違われ

*万歩計 つけて帰りに 車呼び

*バラに似て 妻も花散り トゲ残し

*その昔 恐竜見たかと 問う曾孫

*注目を 一身に受け 餅食べる

*妬ましや 妻の犬への 言葉かけ

いずれも負い目を笑い飛ばしつつも、なんとか前向きに頑張ろうという思いが伝わってくる作品の数々です。

誰もが、子供の頃の事を忘れ、自分は歳をとらないように思っていますが「子供叱るな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ」が現実です。

お経を読む時、必ず「謹み敬って・・・」という言葉から始まります。お互いが敬い合って、上手に歳を重ねていきたいものです。

私も自分の事を振り返り一句

忘れ物 忘れた事さえ 忘れてる

ボルト選手

2009年09月01日コメントをどうぞ

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平成21年9月 「ボルト選手」

ベルリンで行われた「世界陸上」で、100メートルと200メートルを世界新記録で優勝を飾ったボルト選手の活躍には感動しました。

ボルト選手は、普通の選手であれば緊張するであろうスタート前に、リラックスし、おどけたような仕草で笑顔を振りまいていました。そんな姿を見たある解説者が「あのくらいゆるんでいないと記録は出せません」と言っているのを見てなるほどと思いました。

人間は緊張すると筋肉が固まり良い動きが出来ないそうです。それがスタート前に笑顔を見せ、時にはふざけたりする事によってリラックスし、筋肉がゆるみ自分の持っている力が存分に出せるとの事でした。

レース後の「自分自身を制限せず、努力を続ければなんでも可能だと信じている」というボルト選手の話も素晴らしく印象に残りました。

これは、普段の生活にも応用できる話だと思いました。緊張を解いて、リラックスし体も心も柔らかくほぐれていると、物事が良い方向へ向かう事でしょう。反対に緊張し固まっていると思うにならない事が多くなると思います。

お経にも、「質直にして、意(こころ)柔軟に一心に仏を見たてまつらんと欲して・・・」とあり、「心柔らかく素直な気持ちになれば、今まで見えなかった、いろんなものが見えてきますよ」と書かれています。

9月はお彼岸の月ですが、お彼岸は心や体のバランスを考える時です。自然界も人間界もバランスが崩れてしまったと思えるような事が多いこの頃。ボルト選手にならって、リラックスし、体も心も柔らかくしてバランスのとれた毎日を送りたいものです。

お盆

2009年08月01日コメントをどうぞ

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平成21年8月 「お盆」

子供の姿が親に似てくるのはあたり前の事です。よく「変な所ばかり似てくる」などと言いますが、良い所もちゃんと似ているのに変な所ばかり目につくので、そんな言い方になってしまうようです。親の状態が子供に伝わる事を遺伝といいます。この遺伝の情報を伝えるのが遺伝子でDNA(デオキシリボ核酸)という物質です。

このDNAは、重さ2千億分の1グラム、幅は50万分の1ミリという想像もつかない細長い糸のようなものです。そしてこのDNAが細胞の中に折り畳まれていて、この上に生物の設計図の情報が書き込まれ、私達の体はこの設計図に基づいたDNAを持つ60兆個の細胞から出来ています。

私達はこのような人間の知恵では想像も及ばないような、不思議で奇跡的な体を御先祖様から受け継いで今を生きていると云う事になります。

この御先祖様から受け継いだDNAの情報に、私達が生まれてから経験した情報が新たに入力され、次の世代へと受け継がれていくわけです。そう思うと、より良い情報を伝達して子々孫々が賑やかに栄えていけるように考え行動するのも 今を生きる私達の役目だと思います。

盂蘭盆とは、インドの古い言葉「ウランボン」を音写し漢字をあてはめたもので、略して「お盆」となりました。「ウランボン」とは、自分勝手な振る舞いは、廻り廻ってやがて自分に返り、大変な苦しみを受ける事になりますよ。という戒めの言葉です。温暖化の影響を受けている私達人間は、まさに「ウランボン」の状況にあると言えます。

命を繋いで頂いた御先祖や大切な方々に感謝し、今までの事を顧みて、今の現実をしっかりと受け止め、これからの事も考えて、自分勝手な行動を戒め、「ウランボン」にならないような「生き方」を考えましょう。

おっくう

2009年07月01日コメントをどうぞ

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平成21年7月1日  「おっくう」

初夏をむかえますが、梅雨のさなか蒸し暑い日が続きます。こんな時期は体もだるく何をするにも「おっくう」な気持ちになるものです。

なにげなく使う「おっくう」という言葉ですが、この言葉、実は仏教用語です。

「おっくう」とは数の単位「億」に、「劫」という古代インドの時間の単位が繋がった言葉です。

「劫」とはどのくらいの時間かといいますと、「1劫」の長さは、羽衣をまとった天女が100年に1度舞い降りてきて、一里四方はあろうかという大きな岩山の頂上を羽衣で撫でている状況を想像してみて下さい。そして、その撫でた摩擦で岩山が擦り切れ全部無くなり消滅してしまう時間を「1劫」といいます。

その「1劫」に「億」が付くわけですから、これはもう無限で気が遠くなるような長い時間の事を「億劫」(おくこう)と言います。

元の言葉は「おくこう」でしたが、それが「おっこう」となり、さらに変化して「おっくう」となり、余りにも長い時間の事なので、気が遠くなりやりきれないので、「面倒くさい」というような意味で使われるようになりました。

確かに「おっくう」になる事の多い毎日ですが、平成21年も早いもので半分が過ぎました。この調子で後の半分も過ぎていくかと思うと、「おっくう」になっている暇はありません。

「おっくう」な気持ちになっていると、心も体もネガティブ、マイナス思考になってしまいます。暑さに負けず、「おっくう」な気持ちにも負けず、体も心も元気にポジティブ、プラス思考に毎日を過ごしましょう。

ココロの学校

2009年06月01日コメントをどうぞ

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平成21年6月1日  「ココロの学校」

谷村新司さんのトーク&ライブ『ココロの学校』を見に行きました。

心地よい音楽にふれながら皆でココロを豊にしていこうという趣旨で、音楽と人間の体と宇宙は全部繋がっているという話が印象に残りました。

ドレミファソラシドはイタリア語で、その中心になる「ソ」の音はSOL(ソーラ)太陽の事。「ラ」は宇宙。「ド」は土(つち)。「レ」は火。「ミ」は水。「ファ」は空。「シ」は死。1オクターブ上の「ド」は頭の上13センチで揺れている天使のワッカ。なので、みんな繋がっているとの事でした。

太陽と宇宙のあるところを太陽はソ宇宙はラなので「ソラ」、ゴルフボールが人のいる危ない方向に飛んで行った時に叫ぶ言葉が、空を意味する「ファ~」。「シ」は形が消え死を乗り越えると一つ音階が上がって「ド」土に戻る。

さらに、火を意味する「レ」と宇宙を意味する「ラ」がないのが沖縄の音階なので火と宇宙を求めているのが沖縄音楽。

空を意味する「ファ」と死を意味する「シ」のない音階は無常観を現し、それを奏でるとドレミソラドとなり「昴」のイントロです。などは特に面白い話でした。

「幾つになっても発展途上。自分と違った生き方をしてきた人の話を聞くのは良い勉強です。歌を歌うと元気になり若返ります。何かあったら鼻歌を歌ってください体に良いですから。その時々の出会いを大切にしましょう」と、私達にメッセージを伝え『ココロの学校』が閉校しました。

私達に元気をくれる音楽ってほんとに良いものだと思いました。

そんなココロを豊にしてくれる音楽にふれる学成寺の『花まつりライブ』は6月14日(日)です。どうぞお気軽においで下さい。

骨壷の話

2009年05月01日1件のコメント

平成21年5月1日  「骨壷の話」

水上勉さんの書かれた『骨壷の話し』を読みました。「人は焼かれて骨になる、骨壷こそ終の棲家。なぜに人はオリジナルな骨壷に入って楽しまないのだろうか」という水上さんは生前、「最後に納まる所を自分で作っておけば、安心して毎日を元気で生きられる」と自分の骨壷を自分で作り、知人にも盛んに進めておられたとの事でした。

なるほど。と思いながら、以前行ったある陶芸教室の事を思い出しました。その陶芸教室は「最後に納まる所ぐらい自分の手で責任を持って作りましょう」といううたい文句で、5回行くと自分の骨壷が作れるというものでした。

残念ながら私は1回きりだったので、1回目で作った湯飲みとも花瓶とも言えないような中途半端な作品が一つ残っているだけですが、その作品が窯からあがり手元に送られてきた時は、とても嬉しく、その作品はビールジョッキと化し仲間と乾杯した事を思い出します。

この作品が骨壷だったらと思いながら眺めて見ましたが、ちょっと小さすぎました・・・。

『骨壷の話し』の本を読み終えると、一番厳しい時の事をしっかり年頭に置く事によって、そこに行くまではどう在るべきか、どう生きるべきかを考えましょうという水上さんの前向きなメッセージが伝わって来る思いがしました。

水上さんに習って、五月晴れの元さわやかな気持ちで、毎日を「どうあるべきか」を考えてみたいものです。

ユリの花

2009年04月01日コメントをどうぞ

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平成21年4月1日  「ユリの花」

綺麗な花を咲かせるユリの花を頂き玄関に飾っていました。

すると来られた方々が「なんちゅ~綺麗な花ですだ~」と口々に言われ、そこまでは良かったのですが、続く言葉は「これって本物ですか~」と・・・。

「本物ですよ」と答えると、今度は、ほとんどの方が「ほ~、そ~かな~」と言いながらユリの花に顔を近づけて、確かめるかのように匂いをかいでおられました。

確かに近頃の造花は本物より綺麗ではないかと思うほどの出来栄えの物が多くあります。しかし、本物の花が造花かと疑われる様子を見ていると、綺麗過ぎるのも良し悪しだと思いため息が出てきました。

「威厳・純潔・無垢」が花言葉のユリの花が造花かと疑われたのでは気の毒だなぁと思いながら、しばらくユリの花を眺めていると、大きな花弁が「あなたは本物の人間ですか、偽者ではありませんか~」と語りかけているような気がしてドキッとしました。

どうやら気の毒なのは、ユリの花ではなく、綺麗な花を「純潔・無垢」な気持ちで素直に楽しめない人間の方なのかもしれません。

物事を疑ってかかる事の多い昨今ですが、疑ってばかりいないで素直な気持ちで本物を見る目を養いたいものです。

わたし

2009年03月01日コメントをどうぞ

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平成21年3月1日  「わたし」

ひょんな事から、谷川俊太郎さんが文を書いた絵本『わたし』を読み、思わず見入ってしまいました。「わたし・・・ おとこのこから みると おんなのこ。おにいちゃんからみると いもうと」。「わたし・・・ おかあさんから みると むすめのみちこ。おとうさんから みてもむすめのみちこ」。「わたし・・・ さっちゃんから みると おともだち。せんせいから みると せいと」。「わたし・・・ となりのおばさんから みると やまぐちさんちの したのおこさん。ごろう(犬 )から みると にんげん」。「わたし・・・ しらないひとから みると だれ?。 ほこうしゃてんごく では おおぜいのひとり」。・・・

なるほど「わたし」の目線で周りを見ていると「わたし」は一人なのに、見る人によって、「わたし」は変わり、呼び方がいっぱいあると言う事です。

子供向けの絵本ですが、目線を変えるたびに新しい「わたし」に気付くようで、とても面白く勉強になりました。

「わたし・・・ きんじょのひとから みると ちょっとかわったおぼうさん・・・」

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