今月の言葉

しゃべれて歩けて食べられる

2016年12月01日コメントをどうぞ

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先日ある住職さんから、「何でも『あたりまえ』になってしまうと、ひとつも『ありがたく』なくなってしまうんですよね、だから『ありがたい』の反対の言葉は『あたりまえ』なんです」という話しを聞きました。なるほど確かにその通りだと思いました。

『しゃべれて あるけて 食べられる こんな幸せな事はない』

しゃべれる事も、歩ける事も、食べられる事も 普段何の意識もせずに過ごしていますが、どれ一つ出来なくなっても大変な事になります。

今年一年、『あたりまえ』だと思い過ごしてしまった沢山の『ありがたい』事を振り返り。心も体も元気に、新しい歳を迎えましょう。

風に吹かれて

2016年11月01日コメントをどうぞ

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アメリカのミュージシャン『ボブ・ディラン』さんがノーベル文化賞を受賞しました。

その代表曲に『風にふかれて』という曲があります。

その歌詞は、 

人が人間らしく生きていくには、何処まで歩けばいいんだろう                      人が自由になれるまで、どれだけの時が流れるんだろう                            戦争を永久に無くするには、どれだけ争えばいいんだろう♪                     鳩が静かに眠るには、いくつの海を越えればいいいんだろう                                         ♪人はどれくらいの人が死んだら、自分も死ぬんだと気付くのだろう       

などといくつもの物問いかけが続きますが、その答えはすべて  答えは、ただ風にふかれて、風に吹かれているだけ と繰り返されます。

つまり、いくら考えても答えは出ないという事です。確かにそうかもしれません。風に吹かれるが如く自然に振舞うと、気持ちが楽になるというメッセージでもあると思います。

ノーベル賞を受賞したのに、しばらく連絡が取れなかったボブディランさん、きっと『風に吹かれて』いるのでしょう。

 どうにかなるさ

2016年10月14日コメントをどうぞ

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『過ぎにし事を悲しまず 来たらぬ事にあこがれず 今ある事に身をおけば その顔色やほがらかならん』

これはお釈迦様が説かれた法句経というお経の中に出てくる言葉で、「すんでしまった事にいつまでもくよくよしたり、将来の事を心配してばかりいないで、先ずは足元をしっかりみつめて先ずは今日一日をイキイキと朗らかに過ごしましょう」というお釈迦様からのメッセージです。

松岡修造さんの日めくりカレンダーに『後ろを見るな! 前も見るな! 今を見ろ!』というのがありました。松岡修造さんは「過去を振り返ると後悔したくなり、未来を考えると不安になる。だから今、この瞬間に全精力を傾けるのです」と言っています。なるほどなぁと思いながら日めくりを見ていると松岡修造さんの姿がお釈迦様のお姿と重なりました。

季節は実りの秋をむかえますが、先ずは今日をしっかり生きて、人間も実り多い秋をむかえたましょう。

カブトムシ

2016年09月11日コメントをどうぞ

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夏休みのNHKラジオ番組『夏休み子供科学相談室』での、子供たちの素朴な質問は何かと勉強になります。

東京に住む小学4年生の女の子が質問します、「うちでカブトムシを3匹飼っていたんですけど1匹逃げちゃったんです。カブトムシは餌とか食べれて生きていけるのか心配です」と。

先生が答えます、「心配しなくても大丈夫ですよ。元々カブトムシは自然の中で生きていく方法をちゃんと知っているんですよ」と。

女の子が、「でも、中には食べ物のある所を見つけられないカブトムシもいるんじゃないですか」。先生が「そうですね。でもそれが自然の中で生きていく厳しさなのですよ。人間も同じ事が言えるんですけどね」

さらに女の子が「そうなんですか、うちにはまだ2匹のカブトムシがいるんですけど、逃げていったカブトムシと、まだうちで飼っているカブトムシとどっちが幸せなのでしょうか」と。

先生が「う~ん、どちらも幸せなんどと思いますよ。大事に飼ってあげてね」。女の子が「分かりました、有難うございました~」と。

本当の幸せ、何が幸せなのかちょっと考えさせられました。

母がいて(8月分)

2016年09月09日コメントをどうぞ

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「お盆って御先祖さまはお墓から家に帰ってるんですからお墓は留守ですよね」と尋ねられました。

お盆はご先祖さまを家にお迎えしますからそういうことになります。昔の人は留守のお墓は私達がお守りしますから安心して家に帰っていて下さいねという思いでお墓に参っていました。

ですからお盆のお墓参りには留守番という意味がありました。家に誰も居ないことを留まって守ると書いて留守と言います。これは姿こそ見えませんが家には留まって守って下さるご先祖さまがおられるということです。普段家を留守番して頂いているのでお盆くらいは私達がお墓を留守番しますということです。

盂蘭盆の語源はインドの古い言葉『ウランボン』で、その意味は自分勝手な行いはやがて自分に帰って来るという戒めの言葉です。温暖化など環境の変化に苦しむ私達はまさに盂蘭盆の状態にあると言えます。命を繋いで下さったご先祖様に感謝し自分勝手な行い反省し、盂蘭盆にならない生き方を考える時。それが本当のお盆です。

おっくう

2016年07月01日コメントをどうぞ

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初夏を迎えますが、梅雨の蒸し暑い日が続きます。こんな時期は体もだるく何をするにも「おっくう」な気分になります。

何気なく使う「おっくう」という事場ですが、この言葉実は仏教用語から出た言葉です。

「おっくう」とは数の単位の「億」と、「劫」という古代インドでの時間の単位が繋がった言葉です。

「劫」とは時間の長さを表しますが、「1劫」の長さは、なんと、羽衣をまとった天女が1年に1度舞い降りてきて、一里四方の岩を羽衣でなでて、それを繰り返す事によってその岩が磨り減って消滅する時間を表します。その「劫」に「億」が付くわけですから、これはもう気の遠くなるような長い長い時間の事を「億劫」と言います。

「おくこう」が「おっこう」さらに「おっくう」となり、あまりにも長い時間の事なので、面倒くさいというような意味で使われるようになりました。

「おっくう」になる事も多い毎日かもしれませんが、そんな気持ちでいると、マイナス思考になり気持ちもしぼんできます。「おっくう」にならないように、体も心も元気に前向きに毎日を過ごしましょう。

成仏

2016年06月01日コメントをどうぞ

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一般的に『成仏』という言葉は亡くなられた時に使われます。

『成仏』という字は、仏に成ると書きます。なので仏の状態になる事が『成仏』という事です。

では、仏に成るとはどういう状態のことでしょうか。本来『仏』とはお釈迦様の事です。なのでお釈迦様の状態になる事が『成仏』です。

お釈迦様は、この世は決して自分ひとりでは生きる事は出来ない。すべての事柄は『縁』によって生じ、『縁』によって成り立つという事を悟られ、イキイキと生きる為の情報を発信し、自らもイキイキと生きられた方です。

ですから、その状態になる事が『成仏』です。なので『成仏』とは、本来「良かった、嬉しかった~」と、イキイキと生きる喜びを感じた時の事になります。

日々の生活の中で、そんな事をなかなか感じる事が出来ないので、せめて亡くなったらそんな状態になりたいという事から、亡くなった時の事を『成仏』というようになってしまいました。だかしかし、死んでから『成仏』したのでは遅いです。

自分の気持ちひとつで、どのような時でも幸せを感じる事は出来るはずです。イキイキと生きて毎日『成仏』しましょう。

れんげ草(僧)

2016年05月01日コメントをどうぞ

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田植えを前に、田畑に『れんげ草』が綺麗に咲いています。れんげ草を見るたび、師匠僧多聞さまの話を思い出します。

「私が子供の頃母が“お前はれんげ草におなり。れんげ草は田んぼの肥やし、家畜の餌です。お前も、世間様の肥やしとなり餌となって人様のお役に立つように努力すれば、お前のような人間でも、この世に生まれてきた甲斐を見つける事が出来るというものです」と。それで、僧侶の『僧』とれんげ草の『草』をかけて「以来私は心して『れんげ草』の人生を歩んできました」と語っておられたました。

そんな『れんげ草』の花言葉は、『実り多い幸せ』。田んぼの肥やし、家畜の餌である『れんげ草』が『実り多い幸せ』・・・。なるほどと思います。

私達も『れんげ草』のような人間になりたいものです。

桜の木

2016年04月01日コメントをどうぞ

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桜の花が咲きいよいよ春をむかえました。

この綺麗な桜の花をフィリピンの人達にも楽しんでもらいたいと、フィリピンに桜の木を持ち込んだ方がおられたそうです。最初の年は花が咲いたそうですが、次の年から花が咲かなくなり、それ以降花が咲く事はなかったそうです。

気候の良いフィリピンで何故咲かなかったというと、フィリピンには冬がないからです。桜の木は寒い冬をじっと耐える事によって、綺麗な花を咲かせる事が出来るのだそうです。

人間も同じ事がいえるような気がします。私達も桜に負けないように綺麗な花を咲かせましょう。

バランス

2016年03月01日コメントをどうぞ

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交通安全週間があるように、昔の人が「生き方を考える心の週間」としたのが、『お彼岸』です。

お彼岸の中日は昼と夜の長さが同じで片寄らないバランスの良い日です。この事をお釈迦様の教え、片寄らないバランスの取れた考え方や行動は生き易く生きる為の一番の方法ですという『中道』に重ねたのが『お彼岸』です。

先日車を運転していたら、左のウインカーが故障して付かなくなってしまいました。しばらく窓から右手を出して折り曲げて左折の合図を出していましたが、段々怖くなってきたので、右折のみでお寺へ帰ろうと覚悟を決めて車を走らせました。その時に、「右往左往しているうちは、まだ良い。右往だけになったら大変だ」と思いました。真ん中にいるからこそ、左右が見渡せて正しい判断が下せるというわけです。これこそ『中道』の教えだと感じました。

気候のバランスも良くなり、人間の頭も冴えるといわれるお彼岸の頃、日々の生活や心のバランスを修正し生き易く生き方考えたいものです。

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