お寺はそもそも「寺子屋」であり、「役場」だった
お寺は、お葬儀や法事をする所、お墓のある所などと思われています。もちろんそれも大切な事ですが本来はそれだけではありません。お釈迦様の教えは、イキイキと、生きやすく生きる為の教えです。その教えを広める所がお寺です。実は、お釈迦様はお葬儀儀礼には積極的には関わっておられません。「死んだらどうなるのですか」と質問する弟子にお釈迦様は、「死んだ先の事は、いくら考えても結論が出るものではない。考えても分からない事の悩むより今日一日どうしたら、明るく元気に明るく生き生きと生きられるかを考え実行しなさい」と答えておられます。
しかし、いくら生きる為の教えであっても、あまりにも実行出来ない事が多すぎるので、それならば亡くなられた時に、もう一度お釈迦様の教えを聞かせてあげますから、今度どこかで生まれ変われるとしたら、この教えを忘れないようにして、良い所へ生まれ変わってください。という思いを込めて亡くなられた時に、お釈迦様の教えを今一度聞かせてあげる(お経を読む)というスタイルが出来上がり、お葬儀儀礼と仏教(お釈迦様の教え)がつながり、今日に至っています。
「葬式仏教」という言葉は、お寺(お坊さん)が、お葬式や法事ばかりで、生きる為の教えを説いたり、情報を伝えなくなった状況を揶揄した言葉です。もちろんお葬式や法事も大切な勤めで、亡くなられた大切な人を通して、バーチャルではなく現実としての「命」の尊さ、大切さ、厳しさを学ぶ機会でもあります。
お寺は昔「寺子屋」といい、お寺が今の学校の役も担っていました。さらに今の檀家制度は、江戸幕府がキリシタンの弾圧の為に、寺受け制度としてお寺に役場の役割を担わせたのが始まりです。お盆のお経回りの折には、各家にキリストさんが祀ってないかを確認させ報告をさせたそうです。各家は必ずどこかのお寺の檀家でなくてはならず。関所を通る時も檀家の証明書がないと通れませんでした。そういう檀家制度の名残が残っているというのが現実です。なので、今はお寺を変わる事も宗旨を変わる事も自由な事で、これからのお寺は選ばれるという状況になっていきます。
お医者さんと、お坊さん(お寺)はかかりつけをもちましょう!
最後は仏教徒であればお寺に来られる事になるわけですが、亡くなってからでは遅すぎます。元気な時に気楽にお寺に来て頂き共に人生を謳歌し、最後は良く頑張られましたねと人生の卒業式である“お葬儀”を勤め、そしてその後のフォローもさせて頂く。そんな繋がりがお寺の本来の姿です。という事で、お医者さんとお坊さん(お寺)はかかりつけをもちましょう。
学成寺は、宗派は日蓮宗ですが、沢山の人が気楽にお寺に来られるよう。という思いを込めて「皆の宗」(みなのしゅう)臨機応変派とも名乗っています。
学成寺には、24時間いつでも電話でお話が聞ける。『テレホン法話』0857ー22-3451 (毎月内容を変更)もあります。御利用下さい。
毎年6月には、本堂で、『花まつりライブ』と題してバンドを招き・コンサートを行っています。