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お盆の事(ウランボン)

*「お盆は、御先祖様はお家に帰っておられるんですから、お墓に行っても留守じゃないんですか?」と尋ねられました。

昔の人は、「留守のお墓は私達が掃除をしてちゃんと様子を見に行ってお守りしますから、安心してお家に帰っていて下さいね」という気持ちでお墓に行っていました。ですから、お盆のお墓参りには留守番の思いが込められていたという事です。

外出して家を空けた時の事を、「留守にする」と言います。自分たちは外出して家には誰もいないように見えるけど、姿こそ見えませんが「留まって守って下さっている方がいる」という意味です。普段お留守番をして頂いている御先祖様に、お盆の間くらいは、私達がお墓をお留守番させて頂きますからねという事です。

*御先祖様をお迎えに行く時は、ちょうちん(盆提灯)を持ってお墓に行き、お墓のロウソクの火をちょうちんに移し、私達が道案内しますからお家に帰りましょうねと火を消さないように家に帰り、家に祀った精霊棚のロウソクに、ちょうちんで持ち帰った火を移し、「どうぞお帰り下さい」と御先祖様を迎えました。送る時は、逆の事をして送りました。それが、家とお墓が離れ、提灯を持って歩けなくなった為、玄関先で迎え火、送り火を燈し、御先祖様にその灯を目印に帰って来て頂くようになりました。迎える時は、早く帰って来てほしいので馬に見たてたキュウリに乗って、帰る時は名残惜しいので、牛に見たてたナスに乗ってゆっくり帰って下さいねという気持ちを込めキュウリとナスに足をつけてお供えしました。

我々日本人は、姿が見えない方に対して気持ちを込めやすくする為に、具体的な状況を設定してお盆行事を営んできたという事です。

*盂蘭盆は、インドの言葉「ウランボン」を音写したもので、略して「お盆」となりました。「ウランボン」とは、自分勝手な振る舞いは、やがて自分に帰ってきて大変な苦しみを受ける事になりますよという戒めの言葉です。

*盂蘭盆とはお釈迦様の弟子目連(もくれん)さんが、自分勝手な行為(自分さえ良ければ)により餓鬼道に落ち大変な苦しみを受ける母を、施しをする良行により救った事に由来します。餓鬼界に堕ち苦しむ人に施すという事で『施餓鬼』です。

*近年の異常な暑さも我々人間の身勝手な行いが要因の一つといえ、まさに我々人間は「ウランボン」の状態だと言えます。お盆の本来の意味を考えるとお墓にお参りし「お盆が終わりました」などと呑気な事を言っている場合ではありません。

 お盆の機会に、命を繋いで頂いた御先祖に感謝し、身勝手な振る舞いを省みて、

「ウランボン」にならないような毎日の生活をちょっと考えてみましょう。

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もくれんさんに関するお話は下記の通りです。

お盆とは、インドの古い言葉「ウランボン」を音写したもので、「ウランボン」漢字があてはめられ盂蘭盆となり、略して「お盆」となりました。「ウランボン」とは、逆さまに吊るされたような苦しみを受けているという意味の言葉です。

釈尊の弟子である目連(もくれん)さんがお母さんを亡くした事が発端となって『お盆』は成り立ってきました。

優しかったお母さんを亡くした目連さんはたいへん悲しみ、優しかったお母さんが何処へいるのか気になり、神通力というほかの人にはない能力を持ってお母さんを探します。

目連さんにとっては優しくいいお母さんだったので、きっと仏様のところで穏やかにしておられるに違いないと思い、仏様の世界を探しますがおられません。あれっおかしいなぁと思いながら、下の世界、菩薩様の世界を探しますがおられません。人間界にももちろんおられません。段々下の世界に下がって来て、まさかこんな所にいるはずがないと思って恐る恐るのぞいた餓鬼の世界に、なんとお母さんは、水も飲めず食べ物も食べれず、逆さまに吊るされたような苦しみを受けもがいている姿が見えてしまいました。

そんな馬鹿な事はないと、目連さんはお釈迦様のところへ飛んでいき、「私の優しかった母が、餓鬼界に堕ちてエライ事になってます。いったいどういうわけなんですか」と尋ねます。するとお釈迦さまが、「これは、すべての人に言える事だけれども、自分さえよければという自分勝手な行動、人の物をなんでもかんでも取り込んでしまう愚かな行動が積み重なると、そのような事になってしまうんだよ」と諭されます。

納得がいかない目連さんでしたが、「では、どのような事をしたら、母を救う事が出来るのでしょうか」と尋ねると、お釈迦様は、「逆の事をするんです。自分だけでなく皆の幸せを願い、多くの人に施しをするんです」と答えられます。

さらに目連さんが、「では、いつその事をしたらいいんですか」と尋ねると、お釈迦様は、「7月15日に、雨安居(うあんご)というお坊さんたちの修行期間が終わります。その時にそこへ行き、修行を終えていくお坊さんたちに、食べ物でも着る物でもなんでもいいから施しをしてあげなさい」と。

目連さんはお母さんを救いたいという必死の思いでその通りの事を実行されます。そしてその後お母さんを探されると、餓鬼界から救われ、仏様のところで穏やかにおられる姿が見えたという事です。

目連さんが7月15日にお母様を救われた事にちなんで、私達も父や母そして餓鬼界に堕ちて苦しむ人を施しをする事により救い、餓鬼道に落ちない為にはどうしたら良いかを考える機会として、お盆行事が成り立ってきました。

姿が見えない方々に気持をこめる為にはある程度具体的な状況が必要だという事で、13日にお迎えし、15日にお送りしましょうというような状況設定ををつくり、気持をこめやすくして、今日のお盆行事が営まれるようになりました。

ということは、ただ、先祖供養として、お墓に参るだけがお盆ではありません。命を繋いで頂いたご先祖に感謝し、どうすれば逆さまに吊るされたような苦しみを受けることなく正しく生きられるか。つまり、ウランボンにならない生き方を考えるとき、それが本当のお盆です。

7月15日の頃は農繁期だったので、ひと月遅れの旧暦の頃に営まれるようになり、8月にお盆行事が営まれるようになりました。関東地方では今でも8月にお盆行事が営まれています。

南無妙法蓮華経(お題目)ってなに!

南無=== サンスクリット(古いインドの言葉)のマーマス・ナーモが中国を経て
日本に伝わり「ナーム」となり「ナム」となり、それに当てられて、
『南無』となりました。
ナムの大まかな意味は、「~に従います」という意味です。ですから、
「南無 妙法蓮華経」とは、釈迦の説かれた「妙法蓮華経」という教えに従い
ます。と言う事です。
永 六輔さんは、「南無」とは I LOVE YOU だと言われました
~に従うという事は、必ず相手があるわけです。その相手の事をしっか
りと理解して分かり合っていないと、従えません。なるほどある意味
I LOVE YOU です。なるほどと思います。

妙法=== みょうな事がある。の「みょう」の元になったのがこの「妙」です。私達は
は自分達の知恵では、はかり知る事の出来ない不思議な繋がり(縁)により
なりたっています。
例えば、宇宙の中に細かいチリが漂っていて、その細かいチリが、くっつき
合い星が出来、原子や分子などの細かい物質が、つながり合い物質や私達
の命が生まれています。その宇宙のチリや原子や分子が、なぜくっつき繋が
るかは科学でも説明は難しいものです。それを釈迦は「縁」だと言われまし
た。その不思議な「縁」の法則で私達は生かされ、すべてのものは成り立っ
ています。その不思議な法則が「妙法」です。

蓮華=== ハスの華の事です。ハスの華でよく言われるのは、ハスの華は、汚いドロ沼
の中から清らかな華を咲かす為、私達の世の中をドロ沼に例え、その世の中
で清らかに生きましょう。と言う事が言われますが、なかなか、清らかには
生きられるものではありません。
釈迦が自分の一番大切な教えに「蓮華」と名付けられたのはほかにも理由が
あります。

今から30数年前、千葉県のある遺跡を発掘していたところ、2000年前の
地層から、植物の種が発掘されました。その種を発見者である「大賀博士」
という方が培養したところ、2000年の時を越えて、見事に発芽し、綺麗
な華を咲かせたのは「ハスの華」でした。
2000年もの気の遠くなるような長い間、土の中に埋もれていたにもかかわ
らず、その間ずっとハスの種は「命」を永らえていたのです。もの凄い想像
を絶する生命力、生きる力です。
釈迦は、この生きる力、を私達に伝えたくて、「蓮華」を使われ、名づけら
れたのです。

経===  経とは、サンスクリット(古いインドの言葉)でスートラと言います。スー
トラとは、「縦糸」の事です。布を織り上げるとき、横糸をつむぎ、それを
縦糸で繋ぐ事により、一枚の布は織り上がります。ですから、縦糸はとても
重要で大切なものです。私達も生きるうえで、一本の縦糸となるようなしっ
かりとした教えが必要です。ですから、釈迦はこの教えは、私達が生きる上
で、1本の縦糸となる大切な教えですよ。ということで「経」と名づけられ
ました。

「南無妙法蓮華経」と言う事は、釈迦の、イキイキと力強く生きやすく生きる為の教えである
「妙法蓮華経」という教えに従って生きて行きますという事です。

ちなみに、「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏様の教えに従います。と言うことです。

お彼岸ってなに!

お彼岸ってなに!

川が真ん中にある状態を設定し、こちら側の岸を私達が暮らしている迷いの多い場所で此の岸と書いて『此岸』(しがん)。川を渡った向こう岸に、私達が、明るくイキイキと生きている理想の場所があると仮定し彼方の岸と書いて『彼岸』(ひがん)といいます。

川を渡って行く事を日々の暮らしに譬え、川を渡って彼方の岸『彼岸』に到達する方法をインドの言葉で『パラミータ』(波羅蜜)といい、川を渡り彼方の岸に到るという事から「パラミータ」が『到彼岸』と訳され『彼岸』となりました。

彼方の岸に到る為の行い(生き易い生き方)が六つあり、六つのパラミータで『六波羅蜜』と言います。

①みんなと物を分け合いましょう!       布施行

②ルールや決まりを守りましょう!       持戒行

③ちょっと我慢してみましょう!        忍辱行

④なんでも一生懸命なってみましょう!     精進行

⑤慌てないで、ゆっくり考えてみましょう!   禅定行

⑥何が良い事が悪い事かよく考えてみましょう! 智慧行

この六つを実践して普段のバランスの乱れを修正しましょうというのが『お彼岸』です。

春分の日と秋分の日は、昼と夜との長さが同じで、どちらにも片寄らない日です。この事を、お釈迦様の教え「片寄らないものの考え方や行動をすれば、生きやすく生きられますよ」という『中道』の教えに重ねて、さらに、この時期は気候が爽やかで、人間の頭が一番冴える時期だそうです。このすばらしい時に、中日をはさんで、これも片寄らないよう、前後3日間、全部で1週間。片寄った考えや行動を反省し、バランスの乱れを修正して、生きやすい生き方を考え実行しようとしたのが、お彼岸です。

仏様の物差しは、いつも、一定です。ところが、私達の物差しは、自分の都合のいいように、いつも伸びたり縮んだりします。この機会に、伸び縮みを少し、加減してみてはどうでしょう。少し、楽に生きられると思います。

一人の人間は、必ず父と母がいてこの世に生まれます。その父と母にも必ず父と母がいます。その父と母にも・・・一人の人間をこのようにさかのぼり,10代さかのぼると1024人の命があります。

20代さかのぼると200万を超える命の数があります。そのたった一つが欠けても今の自分の命はありません。このように思うと一言に先祖代々といっても気の遠くなるような沢山の命です。

生きやすい生き方を考えるとき、まず、今ある私の命をつないで下さった方々(御先祖様)に感謝し、命ある歓びに手を合わせることが出発点です。その為のお墓参りです。

お墓に参って、彼岸が終りではありません。お墓に参ることで、お彼岸が始まります。生きかたを考える強化週間。それがお彼岸です。

お彼岸は、片寄らないようバランスを考える時です。自然界も人間関係もすっかりバランスの崩れてしまったと思える事の多い昨今、「お彼岸が来て、お墓に参り、おはぎを食べて、お彼岸が終わりました」などと言っている場合ではありません。お彼岸はとても大切な時です

 

布施とは、サンスクリット、「ダーナ」danaの訳。むさぼりのない心で、自分の所有物を施すこと。喜捨(よろこびさえも捨てる事)。
執着(こだわり)を捨てる布施行という行です。旦那さんの旦那はダーナから転化したも のです。

無財の七施 (財がなくても出来る、七つのほどこし)

1、眼 施  やさしい、まなざしで接すること。

2、和顔施  おだやかな顔、笑顔で接すること。

3、言辞施  やさしい言葉を使う。叱る時はきびしく、愛情こもった厳しい言葉で接す   る事。

4、捨身施  自分の体で人の為にしてあげること。

模範的な行動を身を持って実践する事。

5、心 施  心くばりをすること。

他人の喜びや悲しみをその人の身になって、感じること。

6、壮座施  席をゆずること。

8、房舎施  雨や風をしのぐ所を与えること。

大袈裟な話

大袈裟

お坊さんが、衣の上から身にまとう、きらびやかな衣装を「袈裟」(けさ)と言います。

元々は、出家者(修行者)が、布施として施して頂いた物を包む為の布でした。その布は、使いふるした布を頂き、それを繋ぎ合わせて一枚の布として使った物で、再利用したリサイクル用品の質素なものでした。袈裟にはツギハギの名残としての模様が付いています。

本来、質素で粗末な物であるはずの袈裟なのに、お坊さんが段々と金襴で飾られたキラビヤかな袈裟を着用するようになってきた。その事を「大袈裟」(おおげさ)と言うようになりました。これが、「大袈裟」の語源です。

四十九日のお餅の話

『四十九日のお餅』

満中陰忌四十九日の忌明け法要の時にお供えするお餅の事です。

生前に積まれた徳分を頂き、四十九日の間、七日ずつ七回釈迦のお使いの方とやり取りを交される時の、罪障消滅の手助けをする為の風習です。

お米の一升を人間の一生に重ね、命日から満中陰までの四十九日をお餅の49個に重ね、お餅全体を、体にもたとえたものです。

昔は、各家にキネとウスがあり、お餅は家でついていました。そんな生活の中、満中陰忌の法要を勤めるとき、親戚が集まって家で餅をつきます。みんなが、あんな事があったなぁ、こんな事もあったなぁ、などと思いで話しを語り合いながら、御餅を「こねる」と気持ちを「こめる」を重ね、亡き人への思いを「こめた」49個の御餅をこしらえます。体にも例えてますから、一つ少し大きめな御餅を造り、それを頭に見たてます。

そして、法要を勤める時にお供えして、みんなで気持ちを「こめて」、法要後みんなに「徳分を頂いてくださいね」とくばって、それぞれがいろんな思いを重ねながら、ちぎって食べ亡き人に思いをめぐらしました。亡き人を偲ぶ、心やさしい風習だと思います。

お餅をお供えされても、お餅はお寺さんにお供えするもののように思われているふしがありますが、まちがいです。みんなにくばりみんなで食べることによって、意味が通じる事になります。

だんだんと、このような意味が忘れ去られ、お餅がお米に変わったり、もっと別の物に変わったりしている話を聞きますが、やはりこれは、お餅であってこその風習だと思います。

十界の話

十界の話(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人・声聞・縁覚・菩薩・仏)

仏 界  執着から解き放たれた、生き生きと、穏やかな状態。

菩薩界  自分も穏やかに、ほかの人をも導く状態。

縁覚界  人は、いろんな御縁やお陰によって、生かされている事を理解した状態。

声聞界  まず、人の話をちゃんと聞きましょう。そしてそれを理解していく状態。

天人界  サンスクリット(インドの言葉)でデーバァといい仏教の守護神としての「神」を

意味します。
天人界の一番上を「有頂天」といいます。しかし、
調子に乗りすぎると、一気に奈落(地獄)の底に落ちてしまう事もあります。

人間界  御存知私達人間の欲望うずまく世界(状態)。

修羅界  争いごとをしている状態。

畜生界  本能の赴くかって気ままな、自分勝手な事をしている状態。

餓鬼界  人の物をうばったり、むさぼりの心が充満した状態。

地獄界  最悪の状態。奈落(ならく)とも言います。

これらは、お釈迦さまが、私達の生きている時の「心」の様子を10の段階で表されたものです。それが、仏教以前からある「輪廻転生」などの考えとつながり、死んでから地獄界に行くとか、餓鬼界に落ちるとか言われるようになりましたが、本来は死んでから行くところではなく、今、生きている時の心の有様を表したものです。

私達は、人間界にいると思っていますが、姿は人間でも、争いごとをしている時は心の中は「修羅界」です。本能の赴くまま、他人の迷惑顧みず、勝手気ままな自分勝手な行動をしている時は、姿は人間でも、心の中は「畜生界」です。人の物を奪ったり、むさぼりの気持ち多いときは、姿は人間でも、心の中は「餓鬼界」です。そんな事が重なり合ってくると、姿は人間でも、心の中は最悪の「地獄界」になってしまいます。

最近は大変なペットブームですが、犬や猫は姿は「畜生界」です。しかし、その犬や猫たちのお陰で、「人間界」の私たちの心がどれだけ癒される事でしょう。そんな時、「畜生界」の犬や猫たちの中身は、ずっと上の「仏界」に近いところまで上がっていると言う事です。

心コロコロなどと言いますが、私達の生きている時の心は、この10の世界(十界)をコロコロと動いています。「刹那の如く」と云う言葉がありまが、刹那とは、インドの時間の単位です。諸説ありますが、1/75秒(75分の1秒)を一刹那というそうです。と云うことは、私達の生きている時の心は、なんと1秒間に75回もコロコロと変わり、10の世界を行ったり来たりしていると言う事です。 思い当たるふしがあります・・・。

ですから、同じところにいつまでも留まって居れないと言う事です。良い所にに留まっておれないけれど、いつまでも悪い事ばかりじゃありませんよ。と言う事です。そう思うと、少し、ほっとする事もある事でしょう。

「天人界」から下の世界を「六道」(ろくどう)といいます。そこから上の心になるのは難しいという事で、そこで線が引かれ、六つの世界を行ったり来たりする。状態を「六道輪廻」といいます。いろんなしがらみから解き放たれて(解脱)その上の穏やかな状態(声聞界から仏界)で生きていく事を、実践していく為の教えが、釈迦の教えです。

天人界から上の状態をキープする事は難しく、地獄界から天人界までを行ったり来たり。(どうどうめぐり)。ようやく「声聞界」と「縁覚界」になっても。油断していると、またすぐに、六道の世界へ下がってしまいます。「菩薩界」まで上がると、めったな事では落ちませんが、あまりひどいと「声聞界」と「縁覚界」へ落ちてしまいます。「仏界」まで上がると、ここはもう下の世界へ落ちる事はありません。この状態を「「不退転」(ふたたび転じる事はない)といいます。政治家さんがよく「不退転の決意で」などというのがこれです。しかし、政治家さんの場合は・・・なんともいえません。

面白い事に相撲の番付が、この事にあてはまります。横綱は落ちることありませんから「仏界」。大関は、ふた場所負けこすと、落とされますから「菩薩界」。関脇と小結は一回負け越すと、落とされて前頭ですから、「声聞界」と「縁覚界」です。前頭は、行ったり来たりの繰り返しですから「天人界」からしたの六道輪廻です。

とにかく、片寄ったものの考え方に陥っている時は、天人界より下。片寄らずバランスの取れた考え方が出来ている時は、声聞界より上。穏やかでいる時、喜んでいる時、笑っている時、怒っている時、泣いている時など、それぞれを十界に当てはめると現実味が感じられます。

花祭りってなに!

花祭りってなに!

4月8日の釈迦の誕生日を祝う行事です。

釈迦の誕生については、よく、釈迦は、ルンビニー園という花が咲く綺麗な公園で、母の左のわきの下から生まれ、天から甘露の甘い雨が降り生まれて誕生を祝い、生まれてすぐに立ち上がり7歩歩いて、「この世の中に私という命は、たった一つしかない。だから一つ一つの命は皆尊い」(天上天下唯我独尊」)と言いった。と語られています。

しかし、その現実は大変厳しいものでした。

釈迦は、シャカ族の王子としてこの世に生まれます。釈迦の母マーヤ夫人は、シャカ国と敵対するコーサラ国から政略結婚として、シャカ国の王に嫁いできます。そして、釈迦を身ごもり、里帰り出産をする為にコーサラ国へ向けて旅立ちます。ところが、旅の途中急に産気づかれ、慌てて近くにあったルンビニー園という公園で休まれます。そしてそこで、大変な難産の末、今であれば、帝王切開のようなかたちで釈迦を出産されます。マーヤ婦人は、お産の設備もない公園で、しかも、難産であったにもかかわらず十分な手当ても出来ず、休養する間もなくシャカ国へ引き返すという無理があり、産後の経過が悪く、一週間後に亡くなられます。このようにして釈迦は生まれてまもなく母を失い。母の妹マハーパジャパティに養育される事になります。

釈迦は、生まれてすぐ7歩歩いて、「この世の中に私という命は、たった一つしかない。だから一つ一つの命は皆尊い」(天上天下唯我独尊」)と言った。と伝えられますが、生まれてすぐに人間が立って歩きしゃべるわけがありません。これは、七日後に母が無くなった事と、命というのは誰にも替わりが出来るものではなく、一人一人の命の尊さを表したものです。
釈迦は左のわきの下から生まれたなどと言いますが、これも人間がわきの下から生まれるわけがありません。おそらく通常分娩ではなく今の帝王切開のようなかたちで生まれられた事を表すものでしょう。釈迦の誕生の時に、天から甘い雨が降ったなどと言いますが、これも、天から甘い雨が降るわけがありません。難産で生まれた釈迦を薬湯である甘茶(産湯)につけたのが、現実です。

「花祭り」は、釈迦の誕生を祝うと同時に、命の有り難さ尊さを考える時でもあります。

追善供養ってなに!

追善供養ってなに

「追善」とは、「善を追う」。と書きます。亡き方の事を思い出しながら、あんな事があったなぁ。こんな事もあったなぁ~と語り合う。そんな思い出の中から「善い事をひろいあげましょう」と言うのが「追善」という文字に込められた思いです。そして、それを踏まえて、じゃあこれからはこうしていけたらいいなぁと、現実に結び付けていく事が追善供養です。

「供養」とは、「共に養う」と書きます。とかく「供養」と言うと、じっと祈る姿が思い浮かびますが、じっとして何もしないのでは「供養」になりません。「共に養う」と書くわけですから、「私達も一生懸命生きてしっかりと身を養って頑張りますから、亡き方も、お釈迦さまの懐で、穏やかに身を養って私達を見守ってください」と、まず手を合わせる私達がしっかりと生きる事が、何よりの「供養」と言う事です。

四苦八苦(しくはっく)ってなに!

四苦八苦(しくはっく)ってなに!

釈迦の教えで、生・老・病・死の基本的な苦しみに、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四つを加えて四苦八苦といいます。 四苦八苦の毎日です・・・。

生(しょう)生まれることも苦しみ。生まれて出たとき、せっかくこの世に生まれたのだか

ら笑って生まれてきてもいいものをみんながオギャーオギャー!と
泣きながら生まれてくる。

老(ろう) すべての物は無常(常ではない)。ゆえに人間も齢を重ね、いつまでもおなじ

姿ではいられない苦しみ。

病(びょう)いつまでも同じ姿でいられないゆえに、体調をくずす病気の苦しみ。

死(し)  人間この世に生まれた以上は、必ず最後にむかえる苦しみ。

むしろそうなる以前に「死ぬ事」を意識する事が苦しみ。

愛別離苦(あいべつりく) いとしい、会いたい人に会えない苦しみ。人と別れる苦しみ。

怨憎会苦(おんぞうえく) 会いたくない人、自分にとって嫌な人と会ってしまう苦しみ。

求不得苦(ぐふとっく)  ほしい物が手に入らない苦しみ。

手に入っても次から次にほしがることも苦しみ。

五陰盛苦(ごうんじょうく)熱い、寒い、痛い、冷たいなど、身体で感じる苦しみ。

お会式ってなに!(おえしき)

お会式ってなに!(おえしき)

日蓮聖人の御命日に営む法要で、日蓮聖人に”お会いする式”と言う事で「お会式」と言います。今年は第728年忌になります。

晩年の9年間を山梨県の身延山にて、心安く法華経を読み、法華経の教えを弘められていた日蓮聖人ですが、頑強そのものであった体も長年の御苦労が重なり、56歳の頃から自ら「やせ病」(今で言うと胃潰瘍か)といわれた慢性の病気に悩まされます。

病状を案じる弟子たちの「気候厳しい身延山での生活は無理ですから養生のため、一度身延の山を下りて常陸の国(今の茨城県)によい湯治湯の場所がありますから、そこで病を癒しましょう」という勧めに、頑として首を縦に振られなかった日蓮聖人ですが、弘安5年の秋、「房州(今の千葉県)に立ちより、父上母上のお墓にも御参りしましょう」という弟子たちの言葉にようやく首を縦に振られます。

弘安5年9月8日、栗鹿毛の馬に乗せられ身延山を下りられた日蓮聖人は、当時普通の足なら7日間の道のりを10日間かけて、ようやく武州(今の東京)多摩川のほとり御信者の池上宗仲公の屋敷に到着されます。そこでいよいよ容態が悪くなられた日蓮聖人は、自らこの場所を最後の場所(入滅の地)と覚悟を定められます。

その理由の一つは、御自分の容態。そして今ひとつは、今の御自分の置かれている状況でした 多摩川を渡り池上宗長公の屋敷に着かれた日蓮聖人は、あることに気付かれます。『かって釈迦はインドの霊鷲山で8年間法華経の教えを説かれ、東北の方角に山を下りられバツダイ川という川を渡り、チュンダという大工さんの家で教えを説いた後「腹の病気」で入滅された。今、自分も9年間釈迦の教え法華経を説いた身延山を東北の方角に下り、多摩川を渡ったところで幕府の建築関係の役職にあった池上宗中公の屋敷で「腹の病」に臥せっている。そう思えば、この場所は釈迦のお使いとして教えを弘めるさきがけをした自分の最後の地にふさわしいと思う・・・」と。

9月25日諸方から集まって来られた人々に最後の御講話。10月8日には後を託す6人の弟子を定められ、10月13日朝、時ならぬ桜が花開く中、波瀾万丈の61年のご生涯を終えられました。後にこの地に一宇が建てられ「池上本門寺」となずけられました。

日蓮聖人にお会いする日と言う思いを込めて御命日法要を「お会式」法要と名づけました。