*学成寺の『お会式法要』が無事終了した。
「昨日が736年前の昨日が日蓮聖人の御命日です。身延山にて9ヶ年間穏やかに釈迦様の教えを勉強し沢山の人々に教えを説かれた日蓮聖人は、自ら『痩せ病』を言われていたお腹の病を癒す為と、生まれ故郷の房総半島にあるご両親のお墓参りをする為に弘安5年9月の中旬栗影色の馬に乗せられ身延山を降りられました。そして10日ほどかかり、ようやく多摩川を越え御信者の池上宗中公の屋敷にたどり着かれた時にいよいよ様態が悪くなられてしまいました。そしてその時日蓮聖人はこの地は私が最後を向かえるにふさわしい所でああると覚悟を定められました。
その理由は、今の自分の状況が、お釈迦様が最後を迎えられた時と重なる事でした。お釈迦様は晩年の8年間鷲霊山にて教えを説かれ、東北の方角に山を降りられバツダイ川という大きな川を渡ったほとりに住んでいたチュンダという大工さんの家でお腹の病が元で亡くなられたのですが、日蓮聖人も9年間教えを広められた身延山から東北の方角に山を降りられ、多摩川という大きな川を渡った池上宗中公という当時の幕府の建築方面の役職についていた方の屋敷でお腹の病に臥せっている。このことから、覚悟を定められ最後の教えを話され、「たとえ、いずくにて死にそうろうとも、9ヶ年が間心安く法華経を読みし山なれば、墓をば身延山に建てさせたまえ。日蓮が魂は未来歳までもこの山に住むべく候。日蓮を元とする者はこの山を元として参るべし」とご遺言を残され10月13日の朝61歳の波乱万丈の人生を締めくくりお釈迦様の身元へと旅立たれました」云々
などと、日蓮聖人の簡単な御一代記その他諸々お話させて頂き無事終了!
ん〜!
勉強になりました❗️
都住職です!
僕もです・・・。