*午前10時から市内の上味野にある清照寺さんの『お盆施餓鬼法要』に出仕しました。いよいよお盆関連行事が始まりました。
清照寺さんの本堂にはエアコンはありませんが、心地よい風が入り自然の風も良いものだなぁと思いながらお経を読ませて頂きました 🙂
*今回が最後となります。素朴な疑問にお答えする、『お盆の事第4話 お盆は7月15日が由来となった日というお話し』です 🙂
『お盆(盂蘭盆)行事とは、お釈迦様の弟子目連(もくれん)さんが自分の都合ばかり考えた自分勝手な行為により亡くなったのちに餓鬼道に落ち苦しみを受ける母を、お釈迦様の教えに従い7月15日に、沢山の人に施し(良い行い)をする行為によって救った事に由来します。
目連さんは普通の人が見る事の出来ない世界を見る事が出来るという能力を持った人だったそうです。その目連さんがお母さまを亡くされ、母は何処へ行ったのかなぁと普通の人にはない能力を使いお母さまの姿を探されます。
優しかった母なのできっと仏様の世界で穏やかにしておられると思い仏様の世界を覗かれますがそこにお母さまの姿は見えませんでした。あれおかしいなぁと思いながら菩薩様の世界を覗きますがここにもお姿は見る事が出来ず、もちろん人間界にもおられません。まさかこんなところにおられるはずがないと思いながら恐る恐る覗いた餓鬼の世界に”逆さまに吊り下げられたような苦しみを受けているお母さまの姿が見えてしまいました。
びっくりした目連さんは、お釈迦様のところへとんで行き「私の母が餓鬼道に堕ちて苦しむ姿が見えてしましました。これはいったいどういう事なのでしょう」と尋ねられます。するとお釈迦様が「自分の都合ばかり考えた行動が積み重なると、そういう事になってしまうんですよ」と諭されました。
お母さまを救いたい目連さんは「では、いつ何処でどのような事をしたら母を救う事が出来るのでしょうか」と尋ねます。するとお釈迦様が「なんでも自分が自分が、と物を取り込む事も餓鬼道に堕ちる原因です。なので、私ががの”が”(我)を、あなたがにする行動をする事です。沢山の修行者(お坊さん)が集まって修行する雨安吾(うあんご)という修行期間があります。その雨安吾があける(終わる)のが7月15日です。その日にその場所に行って沢山のお坊さんたちに食べるものでもいいし着る物でもいいから沢山の施しをしてあげなさい」と言われました。
母を救いたいが一心の目連さんは、7月15日にその場所に行って言われた通りの事をされました。そして後日母はどうなったかなぁと思いながら仏様の世界を覗くと、仏様のそばで穏やかに自分たちを見守っている姿が見えました。
という話が元になり今日のお盆行事の元となりました。ですが私たちは目連さんのようにそういう世界を見る事が出来ません。見えない事に気持ちを込めようとした時にはある程度具体的な状況設定がないと気持ちが込めにくいものです。それで7月15日に救うのでしたら13日に帰ってきて頂き、ご先祖様だけに留まらず餓鬼界に堕ちて苦しむ者にも施しをして救いましょうという事で、ご先祖様をお墓から家にお迎えするという状況設定が出来てきて今日のお盆行事へと繋がってきました。
昔は7月は農繁期で忙しかったので、月遅れの8月にお盆行事が営まれるようになり関東地方では今も7月にお盆行事が営まれています』 🙂
今までの第1話から第4話までの話が繋がり、お盆行事の事が分かって頂けると有難い事です。



















