*4月が終わろうとする頃、画家の星野富弘さんが旅立たれました。
中学校の教諭だった1970年、クラブ活動の指導中の事故で首から下の身体機能を失われた星野富弘さんは、お見舞いにもらった手紙の返事を書きたくて、口に筆をくわえ練習を重ねられ詩や絵画を創作されるようになり沢山の作品を残されました。
私の手元にある星野富弘さんの『花の詩画集 早さの違う時計』の中にあった言葉、『辛いという字がある もう少しで幸せになれそうな字だ』。心に染み入る詩です👏
2024年05月04日コメントをどうぞ
*4月が終わろうとする頃、画家の星野富弘さんが旅立たれました。
中学校の教諭だった1970年、クラブ活動の指導中の事故で首から下の身体機能を失われた星野富弘さんは、お見舞いにもらった手紙の返事を書きたくて、口に筆をくわえ練習を重ねられ詩や絵画を創作されるようになり沢山の作品を残されました。
私の手元にある星野富弘さんの『花の詩画集 早さの違う時計』の中にあった言葉、『辛いという字がある もう少しで幸せになれそうな字だ』。心に染み入る詩です👏