今月の言葉

骨壷の話

2009年05月01日1件のコメント

平成21年5月1日  「骨壷の話」

水上勉さんの書かれた『骨壷の話し』を読みました。「人は焼かれて骨になる、骨壷こそ終の棲家。なぜに人はオリジナルな骨壷に入って楽しまないのだろうか」という水上さんは生前、「最後に納まる所を自分で作っておけば、安心して毎日を元気で生きられる」と自分の骨壷を自分で作り、知人にも盛んに進めておられたとの事でした。

なるほど。と思いながら、以前行ったある陶芸教室の事を思い出しました。その陶芸教室は「最後に納まる所ぐらい自分の手で責任を持って作りましょう」といううたい文句で、5回行くと自分の骨壷が作れるというものでした。

残念ながら私は1回きりだったので、1回目で作った湯飲みとも花瓶とも言えないような中途半端な作品が一つ残っているだけですが、その作品が窯からあがり手元に送られてきた時は、とても嬉しく、その作品はビールジョッキと化し仲間と乾杯した事を思い出します。

この作品が骨壷だったらと思いながら眺めて見ましたが、ちょっと小さすぎました・・・。

『骨壷の話し』の本を読み終えると、一番厳しい時の事をしっかり年頭に置く事によって、そこに行くまではどう在るべきか、どう生きるべきかを考えましょうという水上さんの前向きなメッセージが伝わって来る思いがしました。

水上さんに習って、五月晴れの元さわやかな気持ちで、毎日を「どうあるべきか」を考えてみたいものです。

骨壷の話 への1件のコメント

  1. 井上 和美 より:

    我が家には、今主人の骨壷があります。眺めては、涙し、触っては涙。
    何とも言いようのない気持ちを、誰かに聞いてもらいたい。でも、誰もわからないだろうな。
    夢に主人は、出てくるが、何を聞いても答えてくれない。
    さみしいよりも、つまらまい。

    こんなに、私が必要としているのに、とっとと骨壷に入ちゃって…

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