今日は学成寺の『お会式』法要。私を含め7人のお坊さんでお勤めした。日蓮聖人が入滅(亡くなる)された時、時ならぬ桜の花が咲いたという言い伝えから、本堂に桜の花(造花)を飾られるお寺が多いが、学成寺にはそれがないので、せめてもと思い差状(法要のプログラム)を書く用紙を、薄ピンクで桜の花びらが印刷されている可愛らしいものを使っている。だがしかし、法要前に差状(プログラム)の間違いを指摘され、「学成寺さん去年も同じ事を言ったような気がしますよ~」と。「そう言えばそんな気がすますね~」と答えたが、来年もまた同じことを言われそうな気がする・・・。
法要後、「皆さんもいずれは命尽きて私のところに来られるわけですが、その時日蓮の教えを聞いたものだと名乗って三途の川を渡って下さい。私が必ず導きますから安心して下さい。大丈夫ですからね」という、日蓮聖人が遺言として残された文章の話をした。この文章の大事な所はこの後の部分で、「ただし、各々の信心に寄るべく候・・・」と続くところ。いくら日蓮の教えを聞いたものだと言っても、あなたの普段の行いが悪ければ、救う事が来ませんよという事だ。上っ面だけでの話じゃなくて現実味のあるドキッとする厳しい言葉だ。心したい・・・。が、毎年法要の差状(プログラム)を間違えるようでは・・・。
法要前、日蓮聖人が着ておられたという”墨染め”の衣に質素な七条袈裟を着用しながら、「映画、ビルマの竪琴(たてごと)の水島上等兵みたいですよね~」という所を、間違えて、「ビルマのかけごと」と・・・。エライ違いだった。まあでも、いつも、「人生に練習日はない、毎日が勝負」だと言ってはいるが、でもそれにしても・・・。
毎年参詣者が少なく、お坊さんの方がかったらどうしようかと思っていたが、若干参詣者の方が多かった・・・。