平成17年4月1日
とある法事の後席でのことです。あるおじいさんが、「和尚さん、わしゃぁなぁ不思議な夢を見たですが、夢の中に今まで会った事もない人が出てきて名前を名乗ったですが、全然知らん人だけぇ誰だろうと気になっとったです。そしたら後で分かったですけどなぁ、親戚の先祖さんに、夢で出てきた人と同んなじ名前の人がおるって聞いてびっくりしたですが、なんぞ悪い事がおこりゃせんでしょうか、心配ですだがな。和尚さんはどう思われますかなぁ」と問いかけられました。
私達の体は、約60兆の細胞から成り立っています。その細胞の中にあるデオキシリリボ核酸、略してリボ核酸DNAつまり遺伝子の中に30億年という長い間に私達の生命が経験してきたすべての出来事が蓄積インプットされているわけです。そして、さらに自分という人間が生まれてから経験してきたすべての事柄が新しい情報となって加わります。
夢の中に出てきた人の名前に驚いたおじいさんに、答えました。「もともと私たちは遺伝子の中にそういう情報を持っているんですよ。普段は眠っている脳細胞がなんかの拍子で、呼び起こされて、夢の中に出てきたという事になったのだと思いますよ。そう思うと不思議でもなんでもないごく当たり前の事ですよ。だからなにも心配する事はありませんよ。」
おじいさんはキョトンとしていました。でも、そういう事だと思います。それを御先祖がどうのこうの、などというからおかしな事になるわけです。
私達の生きる道を決める力は、御先祖様からの情報と自分自身の生き方だと言えます。
お釈迦様は、すべての物には、原因があってそれに縁があり結果が生まれ、そして果報(報い)が生じる。この事の繰り返しですよ。と教えられます。起こった事の原因は変える事は出来ませんが、縁は自分しだいでいくらでも変える事が出来ます。縁が変われば当然結果も報いも変わってきます。
たとえば、一本の大根があったとします。大根が「原因」で、料理の仕方が「縁」です。料理の仕方が違えば、当然出来上がった姿「結果」も違い、味「報い」も違ってきます。
良い「縁」を遺伝子に入力インプットし、見た目もよくて、美味しい大根になるよう心がけて見たいものです。