*重なる時は重なるもので・・・。午前10時から法事を勤め、その後商栄町の葬仙ホールさんでお葬儀を勤め、出棺を待って頂き、その間にお寺に戻って13時から法事を勤めお墓参りも勤めたあと、再び葬仙ホールへ戻り出棺に立ちあい八坂の斎場へ行き荼毘供養を勤め、お寺へ帰りお骨あげを待って、お葬儀の締めくくりとなるお寺参り法要と初七日の供養をお勤めした。
お葬儀の連絡を受けた時、今日は珍しく法事を2軒受けていたのでどうなる事かと思い慌てたが、喪家の方がいろいろ無理を聞いて下さりなんとか無事にお勤めさせて頂く事が出来た。
10時の法事は13回忌で、婦人会でのお寺の大掃除の時などに明るくお手伝い頂いていた時の故人の姿が思い出された。行年51歳。私もその歳をすでに超えてしまった事を思うと何とも・・・。孫さん達が賑やかだったのが、何よりの供養だったと思う。
お葬儀は、山陰放送のアナウンサーとして『中四国ライブネット』とか、『歌のない歌謡曲』など沢山の番組て活躍しておられた女性の61歳(数え歳)での旅立ちだった。出棺前のお別れの時、故人のラジオ放送での声が流されていて、なんとも穏やかで聞きやすい声がなんとも優しい雰囲気を醸し出していた。私も結構ラジオを聞いているので、幾度となくお耳にかかった事があるんだろうなぁと思いながら、お勤めさせて頂いた。アナウンサーとして声のプロの方のお葬儀を勤めさせて頂いたわけだが、私のお経の声は故人にはどう聞こえたかなぁ、どう思われたかなぁと思った・・・。NGが多々あったかも・・・。