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平成22年12月

2010年12月31日コメントをどうぞ

12月31日(金)
*お陰さまで今年も無事に大みそかをむかえる事が出来た。なにわともあれ有難い事だ。明 け方から降り始めた雪は午後3時現在30センチを越えている。これからさらなる積雪があるとの事。エライ事だ。雪の無かったスキー場には恵みの雪だ が・・・。今朝からの雪かきで、腕は痛いわ手首は痛いわ・・・。
県内全域に大雪警報が出て、明日の朝までにさらに30センチの積雪との事。明日の雪かきが思いやられる。
吹雪のラ・ガクジョウジ

*総本山身延山久遠寺から送られてきた月刊誌『みのぶ』に教箋が一枚入っていた。『己の姿は鏡を見て知る・・・云々」と書かれていた。なるほどそうだなぁと思いながら、以前、美輪明宏さんがテレビで語っていた話を思い出した。

「あなた、鏡を見てごらんなさいよ。あなたの顔が写っているじゃ~ありませんか。よくぞその顔で今日まで頑張ってきたじゃない。今 までいろんな事があったでしょ。でも、いろんな事を乗り越えて今日があるんでしょ。いままでの苦労を思ったら、これからもどんな事があっても頑張れるで しょう。鏡に映った自分をほめてあげなさいよ」・・・。

今年一年、頑張った”自分をほめて”あげましょう。

*今年一年お世話になりましたすべての方々、有難う御座いました。そしてすべての大自然の恵みにも有難う御座いました。

12月30日(木)
*天気予報で雪が降る降ると言っているが、鳥取市内は今だ雪は降らず。松江市の雪を伝えるニュース映像を見て、明日は我が身かと思いながら、本堂のお正月準備を終えた。後は元旦の初詣を待つのみ。

以前お寺に来られた方で、「神社みたいですね~」と言っておられた方があったが、幣束が祀られた本堂は確かに・・・。

青空がのぞいたので洗車をしていると、急に曇って雨が落ちたり、また晴れたり。そのたびに車を車庫から出したり入れたり・・・。

結局、訳のわからない事をしているうちにあっという間に日が暮れ一日が終わった。ていうか、一年が終わりそうだ。

12月29日(水)
*娘が借りてきたCDの中に、植村花菜さんの『トイレの神様』なる歌があった。結構流行っているらしい。毎日トイレを掃除すると、トイレには女神様がいるので、毎日トイレを掃除して綺麗にすると、女神様みたいにベッピンさんになれるという内容の歌だ。

植村さんに言われるまでもなく、昔からトイレには、「烏枢沙摩明王」(うすさまみょうおう)という神様がいるとされている。「うす さまみょうおう」は、トイレを掃除する人に福をもたらす神様で、不浄を清浄にかえる徳をもった神様。身を清め世の不浄を清められるようにと願う場所がトイ レという事だ。

なので、トイレを綺麗にすると幸運がおとずれるという『トイレの神様』は「うすさまみょうおう様」が植村花菜さんを通して現代に降臨されたのではないかと・・・。

最近は、小学生などが学校のトイレでウンチをするのが恥ずかしく、トイレに行かない子がいると聞いた事があるが、この歌でトイレの意識が変わればいいなぁと思う。

とにかく、今年一年お世話になった『トイレの神様』に感謝したいものだ。
CD トイレの神様

12月28日(火)
*朝起きると、脚の筋肉痛が、とくに足の付け根あたりが・・・。どうやら、先日大阪行きで結構歩いた(しかも早歩き)ので、そのせいのようだ。一日置いて筋肉痛が出るあたり、若いつもりだが、体は正直でなんとも・・・。

*奥さんと帰省している娘と三人で若桜町の蓮教寺へ行き、掃除して花をお供えし、しめ縄を飾り正月準備を終えた。若桜町は雨模様 で、お会いした檀家さんが、「この雨は、ほんとは雪でないといけませんのにな~。スキー場は雪が無いそうですで。お上人さんも困られましょう~」と。18 日にオープンした『わかさ氷ノ山スキー場』は雪が無く開店休業との事。

掃除を終え、若桜町のはずれにある『たくみの館』へ檀家さんが出展されている書道展を見に行った。入口を入るとまず「日々是好日」 と書かれた大作が目に入った。「お~、ハブ・ア・ナイス・デ~かぁ」と、力強く素晴らしい作品の数々に感動した。だがしかし、ほとんどの作品の漢字が読め ず・・・。

『たくみの館』の入口には大昔の消防車があった。「娘がこれなに~」というので、「昔の消防自動車だが。阪神で言うと藤川球児だ が~、手動のポンプで水をまくだが~、家庭内を飛び散る火花も消してもらいたいわ~」と説明しておいた。すると娘が、「そういう一言が、家庭内の火花を招 くだが~」と・・・。ごもっともで・・・。
火消クルマ

ラ・フランス 12月27日(月)
*お正月のしめ飾りやお餅などを買いに農協さんのやっている『JA愛菜館』(あいさいかん)へ行った。午前10時過ぎだったが、駐車場は満杯で右往左往、店内も買い物客でごったがえしていた。

しめ飾りも野菜も生産者の名前が書いてあるので、名前を見ながら、「正子ちゃんのにしようか~。こっちの直子ちゃんのにしようか~。洋子ちゃんのも捨てがたいな~」と言っていると、奥さんが、「これみんなオバアチャンの名前だと思うんですけど~」と・・・。
JA愛菜館

いよいよお正月準備であわただしくなってきた。

*母が、「みどちゃんから、ラ・フランスをもらっただで~」と、美味しそうな西洋梨ラ・フランスを出してきたので早速舌つつみを打 たせて頂いた。青谷町の光農園さんが生産されたもので、パンフレットを見ると”学ちゃん夫婦”さんの作品だった。サッパリ爽やかでとても美味しかった。 ラ・フランスにあやかり、人間も爽やかに・・・ありたいものだ。
ラ・フランス

”ラ・フランス”ちゅうのは名前がカッコイイな~という話になった。そこで、じゃ~うちも、”ラ・ガクジョウジ”にしようかと・・・。

12月26日(日)
*昨晩、大阪城ホールで行われた、馬場俊英さんの 『LIVE TOUR2010 悲しみよ、明日の星になれ』を観に行った。
ホール前

7000人の大観衆がステージの馬場さんと一体となり温かく素晴らしいステージだった。馬場さんは来年CDデビュー15周年になるとの事。

MC(マイクパフォーマンス)で、「来年CDデビュー15周年をむかえます。いろんな事がありましたが、今まで積み重ねてきた月日の事を思うと、これからも、どんな事があっても頑張れます」とか、
「僕は望みが叶わなかった事は一度もありません。だって一度も諦めた事がないからです」。さらに ライブの最後の方でデビュー当時の曲を歌い、「まさかこ んな沢山の人の前で、この歌を歌う事が出来るなんて夢にも思いませんでした」と語る馬場さんの姿に、いい話だな~と感動した。

馬場さんのMCは、有難いお坊さんの話を聞いているかのようだった。見習いたいものだ・・・。

馬場さんは、売れない頃、何度も歌う事を止めようと思いながらも、音楽への思いを捨て切れず、東京高円寺にある『呑気放亭』(どん きほうて・通称どんき。私が学生時代から、いまも上京の折には行っているお店)という居酒屋さん地道にライブ活動をされており、ドンキのマスターさんの御 縁でこのたびコンサートに行く事が出来た。

ドンキのマスター道端あきみさんが、「目の前で歌っているのを見ていた馬場君が、大きなホールで歌うようになり、馬場君が段々小さ くなって行く(大きなステージに立ちので、客席から見る姿が小さく見える)のが嬉しいな~」という話を聞いて、う~これはちょっといい話だと、これまた感 動した。

コンサートも楽しかったが、マスターさんの御縁の方たちとの一時も楽しかった。が、大阪も小雪が舞いとても寒かった。
マスターの友人(ごく一部)と。

今回の行き帰りは日本交通のバス。快適だった。

12月25日(土)
*ようやくクリスマス騒動も終わり、いよいよ今年もあと1週間となった。ラジオから延々と流れていたクリスマスソングも今日で終わり。

そんな中、ラジオから、懐かしい 紙風船の名曲『冬が来る前に』が流れてきた。昭和52年か53年頃、54年頃かな~・・の冬の ヒット曲だ。当時学生で東京のお寺住まいだった私は、暮れの”釜閉めのお経回り”で寒風吹きすさむ東京の街を歩いている時に、街角でこの曲がよく流れてい たのを思い出す。♪冬が~来る前に~ もう一度あの人と め~ぐりあいた~い~♪
あれから、ウン十年。今日まで多くの人とめぐり会ってきた。これからも多くの人とめぐり会いたいものだ。

《注》 『釜閉めのお経』とは   昔は各家にカマドがあったので一年の終わりに、火神・水神・風神の三宝荒神様に感謝の気持ちを 込めてお経をあげていた行事。元々カマドの前でお経を勤めていたが、近年になり家にカマドが無くなってからは仏壇の前で先祖の供養と合わせて勤めるように なったもので関東地方の風習。

私なんかの世代がカマドが分かるギリギリの世代かもしれない。子供の頃学成寺にはカマドがあり御飯はカマドで炊かれていたのを覚え ている。お風呂もマキで焚く五右衛門風呂だった。カマドで炊いたご飯は美味しく、マキで焚いた五右衛門風呂のお湯はとても良く温もったものだ。

てな話をしていると、横から、「昔話をされるのは、お歳を召された証拠です~」と。若いつもりなので、昔話はすぐに止めた・・・。

12月24日(金) クリスマスイブ
*民間気象会社ウェザーニュースの意識調査によると、日本人の三人に一人はクリスマスに興味なしとの事。常日頃「クリスマスに負けるな~」と言っている学成寺の玄関は  このありさま・・・。なので私は三人に一人の中には入っていないということになる・・・。

今夜は山下達郎さんの名曲『クリスマスイブ』の歌詞のように♪雨は夜更け過ぎに~ 雪へとかわるだろ~♪そのままのクリスマスイブになりそうだ。が、夜更けを待たずに夕方すでに玄関の屋根に雪があった。

去年も一昨年も書いたような記憶があるが、昔『タモリのボキャブラ天国』という番組で、♪兄(雨)は夜更け過ぎに ユキエ(雪へ) と変わるだろ~ ♪  と、替え唄が流れ、オカマとなり化粧しユキエと変身した兄が夜の街へ御出勤となるシーンに、思わず噴き出した事を思い出す。クリス マスが来るたび、この歌を聞くたびに思い出してしまう。せっかくの名曲が・・・。
玄関の屋根の雪 さむ~

もはやクリスマスは、みんなの幸せを祈る日、世界の平和を祈る日と思いたい。メリークリスマス~。

12月23日(木)   天皇誕生日
車を走らせていると、玄関先に国旗を掲げている家を見かけ、今日が天皇誕生日だと言う事を思い出した。

新聞には喜寿をむかえられたと書いてあったが、天皇陛下は昭和8年のお生まれなので、数え歳では今年78歳という事になる。満年齢では77歳なので喜寿と書いてあるようだが、本来喜寿は数え歳でいうものなので、これは正しくない表現になるが・・・。

最近は満年齢で歳を数えるのが普通になっているけど、母親の胎内にいる時からすでに命が始まっているので、生まれた時点ですでに1歳と数える”数え歳”が本来だ。
だがしかし、誕生日がまだの場合などは、数え歳の方が満年齢よりも二つ大きい場合があるので、なんか得をしたような、損をしたような・・・。
なんだかだ言いながら、私も歳を聞かれたら少しでも若い”満年齢”で答えているので偉そうに言えない。

しかし、行年(亡くなった時の年齢)となると数え歳の方が得をしたように思える。

そう言えば、以前三回忌法要を勤めた時に「去年の一周忌の次がなんで三回忌なんですか?。二回忌ではないんですか」と聞かれた事があった。
一周忌は御命日から一年の周期が過ぎて一年立ちましたという事、三回忌以降は御命日の歳も入れて数えるので”三”になるんです。三回忌以降は年齢でいう数え歳の数え方で続いていくんです。ですから、数え方が違うんですよ」というと、「へ~。なるほど~」と納得された。

でも、確かに年齢も、年回の数え方も、ややこしい話だ・・・。

*「うちの玄関にも、国旗を掲揚し、国歌斉唱しようか~」と言っていると、「どうせ阪神タイガースの旗でしょ~。いい加減にして下さい」とたしなめられた。だいたい行動は読まれているようで・・・。
という事で、ここに国旗を掲揚・・・ 国歌はもちろん六甲おろし・・・

12月22日(水) 冬至星祭り祈願祭
*午後1時半から若桜町の蓮教寺、夜6時半からは学成寺で『冬至星祭り祈願祭』をお勤めした。
お経を読む  木剣による御祈祷

参詣の方々

冬至としてはわりと温かな日となり、大勢の老若男女がお参りされた。年々段取りが良くなり、今年は8時過ぎにはお経が終わったの で、谷村新司さんの「昴」の話や、相田みつをさんの「極楽を保証されても娑婆がいい」の話をしているうちに、ついつい話が長くなってしまった。昨日つくり かえた幣束の話をして、「お寺は究極のパワースポットです~」と言っていると、廊下の方から奥さんから、「いい加減に止めて下さい~」の合図が・・・。準 備しているぜんざいのお餅が伸びるとの事だったようだ。

「神様 仏様 御先祖さま 私達を見守って下さる 見えない”様” それをお陰さまといいます。今年一年の沢山のお陰様に感謝をしましょう」という事で締めくくり、最後は温かいぜんざいをふるまって、無事冬至祭を終えた。

12月21日(火)
幣束(へいそく)

*本堂に祀られる幣束(へいそく)を新しくつくりかえた。九つの幣束が連なる九段連幣の予定だったが、どうせならと云う事で十二段連幣にした。出来栄えを自画自賛していたが、幣束を切るのに力が入り、肩がこってしまった・・・。
作成中  本堂につるす

幣束は神様の乗り物・よりどころで、諸天善神においで願い、祈りを捧げ御祈祷を行う。幣束を祀る所は今風な言い方をすれば”パワースポット”。
明日の夕方6時半から勤める『冬至星祭り祈願祭』では、インド(仏教にまつわる)に由来する鬼子母神様・大黒天神様・などなどを祀るこのパワースポットで御祈祷が営まれる。

*明日の冬至祭の準備をしながら、NHK のラジオを聞いていると、天気に下り坂はあるけど、のぼり坂が無いのは何故という話をしていた。快晴を基準にしているので、晴れの場合はすでにのぼっているので、これ以上のぼる事はないとの事だった。なるほどと思った。

さらに宝くじが当たったら、あれを買って、これも買ってと話をしていると、聞いていた幼稚園児の子供が、「それって当たっても痛くないの~」と。これは笑ってしまった。

毎日の生活は、雨天を基準にしておけば、のぼり坂ばっかり・・・。

お父さんは勝手に・・・ 12月20日(月)
*昨日の夕方テレビをつけたら、家族変わりとして日常生活のお手伝いや、身元保証。さらには為の万が一の時の為に葬儀納骨までの支援を行っている『日本ライフ協会』の事を取り上げていた。

子供に迷惑をかけたくないとライフ協会に自分の葬儀・納骨を託して契約している初老の男性が、、「お父さんはお父さんで勝手に生き ていくから、お前たちはお前たちで勝手に生きていきなさい」という事で10年間子供に会っていないという男性が出ていた。「寂しくないですか」という問い に、堂々と「さみしくありません」と答えていた。

見ているこちらが、とても さみしい気持になった。

先日の上野千鶴子さんの講演『おひとりさまの老後』の話を思い出した。まさに家族がいても”おひとりさま”と言う事になる。なにも自ら進んで”おひとりさま”への道を歩む事はないと思うが・・・。

先々の現実をちゃんと考えているという点では良い事かもしれないと思ったが・・・。何とも。

私が、子供に「お父さんは勝手に・・・・・お前達も勝手に・・・」と言うと、おそらく、「今すでに十分勝手です」と言われるに違いない・・・。

娑婆がいい 12月19日(日)
*この時期の鳥取としては珍しく一日中青空の良い天気だった。

法事を勤められた施主さんが、「うちげが法事をする時は、いっつも雪がふって、さむ~て。今日は天気の事ばっかり心配しとりましたわ~」と。笑顔で話されていた。

お参りの方が、ホワイトボードに張られた『極楽を保証されても 娑婆がいい』を見ながら、「やっぱり娑婆がいいですな~」と言われ るので、「いぜんこの言葉を見られた年配の御婦人が、間違えて、”極楽を保証されてもババアがいい”と言われまして~」と言うと一同大笑い。

「娑婆(シャバ)はインドの言葉サーハーがシャーバーになりシャバとなって当て字で娑婆となり、その意味は私達のすんでいる所と云う意味です。しかし、 サーハーの元の意味は”耐え忍んでいるところと云う意味なんです。私達のすんでいる所は大変な所ですけど、頑張っているその姿こそ生きている証しです。な んとか頑張りましょう。というメッセージが込められた相田みつをさんの言葉です」と言うと一同、「へ~」・・・。

法事の後席の最後に、おじいちゃんにうながされた小学3年生の孫さんが、「きょうは~みなさん~、どうも~ありがと~ございまし た~」と大きな声で挨拶され、賑やかに法事が締めくくられた。なんとも微笑ましい姿だった。私もちゃんと大きな声で挨拶が出来るように見習いたい・・・。

おひとりさまの老後   12月18日(土)
*夕べ、とりぎん文化会館の小ホールで行われ た、社会学者の上野千鶴子さんの、「おひとりさまの老後 在宅ひとり死は可能か」という講演を聞きにいった。この講演会は、ホスピスケア野の花診療所の9 周年記念のイベントで、講演の後半では、野の花診療所の徳永先生との対談もあり、とても面白く勉強になった。

これから増加の一途をたどるであろう”ひとり死”を自分の身に照らし合わせながら、熱く、かつ静かに見つめておられる先生の話を聞きながら、人間はひとり で生まれて、”おひとりさま”で最後をむかえるのかもしれないが、一人一人にはそれぞれの歩んだ道があり、様々な”おひとりさま”の人生や老後そして死が ある事を考えさせられた。
とうぜん同じ枠ではくくれないし、理論的な先生の話を聞きながら、理論と現実のギャップを埋めるのも、お坊さんの役目ではないかと・・・。

最後の方で、徳永先生が、言われた、「看取りの現場で翻弄される家族に寄り添うのが医療者の勤め」という言葉が印象に残った。お坊さんも如何に寄り添えるかだ。

法事
*今日は、境港市の浄土真宗大谷派真光寺さんで営まれた伯父(母の兄)の満中陰忌法要に参列し た。夕べの上野千鶴子先生の、「ひとりで生きてきた人間は、在宅ひとり死(最後もひとりでむかえる)という話を思い出し、奥さんはじめ孫や曾孫に賑やかに 看取られ、満中陰忌の供養も賑やかに勤めてもらわれた伯父さんは幸せだったとしみじみ思った。

真光寺の御住職は、ちゃんと説明を加え ながらお経を読まれ分かりやすかった。「人間には生老病死の苦しみがあります。亡くなられた方がいろんな姿を見せて下さり、大切な事を教えて下さっている んです」というような話もしみじみと拝聴した。いつもと逆の立場で法要に参列し今回も、とても良い勉強になった。
真光寺さんの本堂

若桜町   12月17日(金)
*若桜町の蓮教寺へ掃除に行った。若桜町にも冬将軍が到来し境内の所どころに少し雪が残っていた。
灯油を配達してもらったおじさんが、「寒~なりましたな~、初雪が降りましたけどな~、明日スキー場開きの氷ノ山スキー場は、スキーが出来るほどの積雪はないそ~ですで~」と。スキー場情報を教えてくれた。年末年始に向けての積雪が待たれるところだ。

例年だとこの時期掃除をしているとカメムシがゾロゾロとお出ましになるのだが、生きているカメムシにはお目にかからなかった。カメムシが少ない冬は雪が少ないらしいいが・・・。

掃除を終えて、近所の「大入り食堂」(若桜町ゆいつの食堂)へ遅いお昼を取りによると、店主さんが私の顔を見るなり、「鍋焼きです な~」と。という事で注文するまでも無く、美味しい鍋焼きうどんに舌つつみを打った。次回は意表をついて違う物を注文しよ~。でもここの鍋焼きうどんが一 番おいしい。
心も体も温まる、アツアツの鍋焼きうどん

国道29号線から見える薄っすらと雪化粧した山が綺麗だった。

今年の漢字 12月16日(木)
*日本漢字能力検定協会が公募で選ぶ平成22年の世相を表す『今年の漢字』は、『暑』となり、先日清水寺の森清範貫首さんが特大の和紙に揮毫された。

記録的な猛暑はもとろん、チリ鉱山の事故で地中の暑い中から作業員全員が救出された事や、大気圏突入温度1万度の暑さに耐え帰還した「はやぶさ」などが、勇気と希望をくれた事が理由としてあげられている。

いっぽう、ネットアンケートをもとに決定する、『ネット今年の漢字2020』で選ばれた漢字は、『呆』との事。
国際問題にしても国内政治においても、世の中を揺るがす幾多の事件も、確かに呆れ果てるような事ばかりだった事を考えると、こちらの方が、現実味がある。

『呆』こんな字が選ばれた事に、”呆れ”てしまった・・・。

大きいおばあちゃん 12月15日(水)
*先月行年100歳のおばあ ちゃんの小祥忌(一周忌)を勤められた檀家さんへ月回向に伺った。幼稚園に通う孫さんが大きいおばあちゃんの法事があった事を、園長先生に話をしていたそ うで、家にいるおばあちゃんには、「大きいおばあちゃん。なかなか、かえってこんな~」と言っているとの事。「孫さんは孫さんなりに、大切な事をちゃんと 感じとっているんですね~。大きいおばあちゃんも幸せな事だし、みんなが幸せですよね」と言う話になった。孫さんを見習いたい・・・。

やはり大人も子供も、法事は普段あまり考えないような事を考えさせて頂く素晴らしい機会と言う事だ。だがしかし、最近は、子供さんや孫さんを連れてこられずに法事を勤められる方もある。寂しい事だし、なにか大切な事を失いそうな気がするが・・・。

大掃除 12月14日(火)
*年末恒例の檀家さん有志による本堂の大掃除が行われた。窓ガラスも綺麗になり、御本尊のお厨子もお一年の埃がおとされ、陰さまで綺麗になった。

掃除の後は客殿で賑やかに茶話会となり、ちょっとオシャレなセーターを着ておられた御婦人が立ちあがり、「私の着ている服、値段は いくらだと思われますか~」と。何人かが、800円だの1000円だの言われたが、なんと80円、リサイクルショップで今月は2割引きだったとの事。驚き で盛り上がっていた。

私も何か言わなきゃと思って、コーヒーフレッシュを見たら「スジャータ」と書いてあったので、「12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれた日ですが、苦行 (断食)を終えられたお釈迦様に乳粥を供養した村の娘さんの名前が”スジャータ”だったんですよ」と言うと、皆が「へ~」と。ただ、12月8日がお釈迦さ まが悟られた日と言う事を誰も知っておられなかった・・・。住職の布教は一体どうなっていたのか・・・。

有難い事に22名の方が来て下さった。だがしかし、前回の『大黒天神祭』のお参りよりも多かった・・・。賑やかな一日だった。

三十番神 12月13日(月)
*12月10日付けの日蓮宗新聞(月2回発行日蓮宗新聞社)の一面で『50年に1度 三十番神開帳天童音楽大法要』が、あるお寺で営まれた記事を見た。25年ごとに全開帳と半開帳を繰り返し、今年は半開帳との事。

『三十番神』は一カ月30日間毎日交代で人々を守る神々なのに、25年おきの開帳とは・・・。「これらの御尊像は霊験あらたかなものとして、平素容易に御開帳する事を制禁されており」と記事に書かれていたが、それは人間が勝手に決めた事。

お参りの高齢の女性が、「25年後の全開帳には生まれ変わって稚児となって行列する予定」と明るく話してくれ微笑ましかった。と記者のコメントが書かれていたが、私にはあまり微笑ましくないように思えたが。

という事で、何十年に一回の御開帳という話を聞くと、ちょっと~と思うのが正直な気持ち。でも、信仰と文化、伝統と格式を護り伝える事は大切な事ではある。

学成寺の御本尊様も、50年に一度の御開帳に・・・。住職に会えるのは半年に一回・・・。御本尊はともかく、誰も住職に会いに来なくなるに違いない・・・。

満中陰忌 12月12日(日)
*91歳で旅立たれたおばあちゃんの満中陰忌の法要を勤めた。「前置きが長くなりますが」と言って、お経の話を少ししてから法要を勤めさせていただいた。

法要後、満中陰の話をしながら、「人間界の一つ上は天上界で、その天上界の一番上を有頂天と言います。天上界まで上り詰めた~と、”有頂天”になっていると、一気に奈落の底(地獄)へと落ちる事もあります。まさに海老蔵さんは・・・」などと話をし法要を終えた。

納骨の時、奥さんのお骨を納められながら93歳になられる施主さんが、「わしも、も~すぐ、行くけ~な~」と言われると、まわりか ら、「まだ、早いで~」と。これは奥さんの声も交じっていたかもしれないと思った。納得がいくように、ゆっくりゆっくり時間をかけて納骨される姿が印象に 残った。

教研運営委員会 12月10・11日(土)
*岡山市のアークホテルで開かれた『中四国教区 教化研究会議 運営委員会』という会議に出席した。この会議は来年の6月に同所で開催される『中四国教区 教化研究会議』の日程や内容を検討する会議で各県の代表20数名が出席した。

ああでもない、こうでもないと検討の末、地域や家族・親類との絆が失われ、「無縁社会」と化していいる今の日本の現状を踏まえ、失われた「縁」を取り戻すため、我々お坊さん何をしなければならないか、何が出来るかを、模索する為の会議にしようという事になった。
という事で、来年の会議の研究主題は『「無縁社会から「仏縁社会」の実現に向けて』ときまった。

この「無縁社会」と言う言葉は、以前放送された、NHKスペシャル「無縁社会~”無縁死”3万2千人の衝撃~」からでた言葉で。番組では、社会との接点を 亡くし孤独死した人を取り上げ、「新たな死」が増えている実態を直視し、何よりも大切な「命」が軽んじられている日本社会のあり方が問い直されていた。

お釈迦様は、「すべての事は縁あって生ずる」と教えられている。にも関わらず今日の「無縁社会」となっている現実を思うと、いかにお坊さんが「縁」という 事を大切に説いてこなかったか・・・。今からでも遅くはないと思うとこの研究会議は大変重要な会議と言う事になるか・・・。なんとも。

今回の会議では、潤滑なる会議の運営を思い、わりと大人しくしていたが、終わる事になって、「無縁社会云々という事が取り立たされていますが、我々お坊さ んが社会から無縁になっているんじゃないですか、10年20年後には人口の減少などによりお寺の檀家さんの数は三分の一になるというデータがありますし、 こういう現状をちゃんと把握して我々お坊さんやお寺のあり方を考えていかないと大変な事になりますよ」などなどと偉そうな事を発言したところ、ちょっと重 い空気になった。

偉そうな事を言う前に、まず我が家、家庭内で私の立場が”無縁”とならないように心がけたい・・・。

北朝鮮 12月 9日(木)
*北朝鮮では、韓国の映画やドラマを見たという理由で「教化所」に収監される住民が増えているとの事。
「教化所」ではその人数は収監人数3000人のうちの三分の一を越える1200人にも及び、服役期間は2~5年で、一般収監者に比べて、過酷な労働を強要されているそうだ。

凄いというか何と言うか。日本だとほとんどの人間が収監され・・・。

もっとも、子供には見せたくないようなくだらないバラエティー番組が反乱し、あげくの果てには国会中継さえ子供に見せたくない番組のような日本の状況を省みると、これはこれで何とかならないものかと思うけど・・・。

海老蔵さんの事件を伝えるワイドショウもくだらな過ぎてみていられない。が、ついつい見てしまう、この現実の情けなさ・・・。

何はともあれ日本は平和で有難い。

12月 8日(水)  釈尊成道会
*今日12月8日は、パールハーバー第二次世界大戦が開戦した日、元ビートルズのジョンレノンが凶弾に倒れた日。そしてお釈迦様が悟りを開かれた日。

お釈迦さまが悟りを開かれたという素晴らしい日に、戦争を始めたり人を殺したり、人間とはいかに愚かな生き物だろう。そう思うと今日は人間の愚かさを戒める日なのかもしれない。

鳥取市仏教会では、会長の弥生町本浄寺さんで『釈尊成道会』が営まれ、各宗派から24名のお坊さんが集い賑やかに営まれた。

成道会にまつわる絵の掛け軸がある。それはには悟りを開かれ穏やかに座られるお釈迦様に、矢が飛んできて当たっているが、当たった 矢が花ビラとなって舞い落ちている状況が描かれている。飛んできた矢をそのまま投げ返すから戦争になり、花ビラに替えてしまえば平和になるわけだが、現実 は・・・。北朝鮮から飛んできた矢は花ビラとなるのだろうか。

我が家の中にも、花ビラが舞うように・・・。その前に矢が飛ばないように・・・。

12月 7日(火)
*暦の上では『大雪』。暦通り夜遅く雪が舞うとの天気予報を見ながら、いよいよ寒くなるな~と。

小学校の同級生から電話があった。「わらじが死んでな~」一瞬なんの事かと思ったが、5秒後には”わらじ”というアダナの同級生を思い出した。住んでいた富山で亡くなり葬儀はすんでいるが、鳥取でも葬儀をするとの事だった。
電話をくれた友人は同窓会の世話もしており、「10数人亡くなっとるぞ~。行方不明もおるしな~」との事。「そ~か~。やっぱり元気が一番だぞな~。行方不明にも、ならんよ~にしょ~で~」と話しているうち、心も寒くなってきた。

同級生も、みんな大きく(歳が)なったもんだ。体も心もじっとしていると寒くなるので、それなりにいつも動いていたいものだ。

12月 6日(月)
*丸亀市の宗泉寺さんで開かれた第3回目の『いのりんぴっく実行委員会』に出席した。これは平成25年に高松市の「サンポートホール」を会場に開催されるイベントの会議で、中四国9県から14名の実行委員が集まり開催された。
ああでもない、こうでもない・・・

外に向けてのアピールを目指すので、一般の人も対象にという事だが、日蓮宗の宗教色が濃いと一般の人が遠のくし、基本的な人数を檀 信徒で集めると、宗門色が無いのも何とも言えず、動員方法が難しい。いっそのことすべてを一般の人を対象に出来たらと思うが、なかなか難しい・・・。まず は我々お坊さんの発想の転換が必要だと思うが・・・。これも難しい。結局、あれもこれも難しい~・・・。

目玉となる講演の講師の名前があがった。有森裕子さん・秋山仁さん・養老孟司さん・島田洋七さん・乙武洋匡さん・勝谷誠彦さん・堀 ちえみさん・山本コータローさん・畑正憲さん・はるな愛さんなどなどだったが、幅広い世代に受け入れやすそうだという事で、島田洋七さんが良いのではない かという話が大筋になった。
「個人的には、私としては、堀ちえみさん・はるな愛さんが・・・」と言ってみたが残念ながら却下された・・・。

宗泉寺さんの本堂に『根ふかければ枝しげし 源遠ければ流れふかし』という額が掛っていた。軽薄な事の多い昨今、心したい言葉だ。

丸亀市まで日帰りのロングドライブとなった。帰り日瀬戸大橋からの夕日が綺麗だった。
車窓から、瀬戸内海の夕陽

12月 5日(日)
*清照寺さんで営まれた『お会式法要』(日蓮聖人御命日法要)に出仕した。穏やかな天候で、ストーブのたかれた本堂は暖か過ぎるくらいだった。

お会式法要は、墨染めで一番質素な衣と袈裟で勤めるが、この衣はたたむのが一番面倒な衣だ。今年最後の『お会式法要』で、来年の10月まで着る事はないので今回は特に丁寧にたたんだ(いつも丁寧だが・・・)。

衣をたたみながら、本山で小僧生活の時、夜になると今日一日着させて頂いた、襦袢から白衣さらに衣と袈裟をたたんで先輩のところへ 持っていき、「衣をたたみましたので、点検宜しくお願い致します」と言って、先輩にたたみ具わいを見てもらった事を思い出した。すぐにOKが出れば良い が、そうでないとOKが出るまで何回もたたみ直しとなり、OKが出ないと寝る事が出来ず、必死の思いで衣と悪戦苦闘したものだ。
その時は大変だったが、今こうして衣がたためるのは、そのお陰という事だ。

*『お会式法要』を終えて、午後若桜町の蓮教寺へ行き、法事を勤めた。八頭町の山にあるお墓に参った時、檀家さんの親戚の方が、 「おしょ~さん、こないだ、うらげの裏の柿の木で熊が柿を食べよ~りましてな~」と。熊やイノシシよけの柵がしてあるが、お墓のある所は柵の内側だっ た・・・ちょっと怖~と思った。

家での後席でも、熊が出るだのイノシシが出るだの、鹿やサルも出るだの・・・。だがしかし、山を荒らしたのは人間なので、むしろ被害者は動物で、人間が悪いという事で落ち着いた・・・。

帰り日、交通量の少ない県道沿いでイルミネーションを見た。

それこそ、熊やイノシシが見てるかも・・・。

12月 4日(土)
*タイガースファンクラブから『トラッキー&ラッキー クリス マスオルゴール』が届いた。使用説明書を見てみると「(ゼンマイを巻くのは)必ず保護者の方が行って下さい 対象年齢15歳以上」と書かれていた。側にい た保護者・・である奥さんが「一応年齢は大丈夫のようですけど~」と・・・。

早速ゼンマイを巻くと六甲おろしのクリスマスバージョンがが流れてきた。「こりゃ~素晴らしい~」と喜んでいると、保護者の方が、「いつもはクリスマスに 負けるなとか、クリスマスのイルミネーションに文句を付けているくせに、どういう事ですかぁ」と呆れていた。そこで、「これは一宗教者として、クリスマス イベントを通して世界の平和を願っているという事だ」と言ってみたが、さらに呆れて・・・。
クリスマス一色の学成寺玄関

「お母さん~、玄関が大変な事になってますよ~」という奥さんの声が聞こえ、10秒後には、母の、「あ~気が悪る~。も~、え~加減にしてほしいわ~」という声が聞こえてきた・・・。私は良い加減だと思っているが・・・。

12月 3日(金)
*ちょっと早いような気もしたが、備えあれば憂いなしという事で車のタイヤをスノータイヤに替えた。たまには自分でと思ったが、車庫の中でタイヤを持ち上げた瞬間あまりの重さにそんな気持はすぐに失せ、「タイヤ館」へ直行。

最近のスノータイヤは良く出来ているので、走行音も静かだが、燃費は落ちるし、高速を走る時何とも気分が重い。しかし、何気にハン ドルを握っているが、考えてみると雪道も高速道路も走れるスノータイヤは凄いと思う。「スノータイヤを履いたんで、雪が待ち遠しいなぁ~」と言っている と、「冗~談じゃ~りません」と・・・。

*12月になり世の中はお酒を飲む機会が増えるわけだが、やはり度が過ぎると碌な事はないと海老蔵さんの事件を報じる番組を見ながら思った。
最初は一方的に殴られたと言っていたが、後から後から素行の悪さが暴露され・・・。おごりに我儘、どうやらお酒以前の問題があるように思えてきた。歌舞伎役者としては努力家で素晴らしい方のようだが、なんとも残念な話だ。

他人事ではないと、私の普段の素行も振り返ってみた・・・が・・・。

12月 2日(木)
*玄関と本堂の昇り口に手すりを設置した。お寺の中は結構段差が多 く、以前から「手すりがいりますな~」と言う声があったが、今日ようやく設置の運びとなった。早速手をついてみたが、どうせ言われる事は分かっているの で、先手を打って、「どうだ~、良く似合うだろう~」と言っておいた。
玄関の中 

手すりをつたって本堂に入ると本堂はイス席。さらに喜ばれる事だろう。そのうち導師(住職)が座る所も椅子になるかも・・・。

*先日、従兄(伯母の息子)が湖山池沿いの吉岡海道で、対向車線をはみ出してきた軽自動車と正面衝突し道路わきの田んぼに転落する という事故にあった。入院せず自宅にいると聞き心配して様子を見に行ったところ、救急車で運ばれたが、検査の結果異常はなく家に帰されたとの事だった。し かし、体にはシートベルトの跡が紫色に内出血して凄い事になっていた。
突っ込んできた相手方も大きな怪我はないそうだが、状況を聞くとよくぞこの程度の怪我ですんだものだと胸をなでおろした。奇跡だと思った。話を聞きながら、御祈祷の時の言葉”大難は少難、小難は無難”を思い出した。
あらためてシートベルトとエアバックの重要性も実感した。

何かと慌ただしい年末をむかえるが、バタバタしないよう気を付けたい。そう言えば「慌てる」とは心が荒れると書く。心したいものだ。だがしかし、私はいつも慌てているような・・・。

12月 1日(水)
*親戚のお見舞いで尾道市の尾道総合病院へ行って来た。病院の休憩室で話を しているうちに、お寺(学成寺)の事や先日の伯父の葬儀の話などしているとついつい声が大きくなり・・・。まわりを見渡し、何度も、「ここは病院だで~」 と・・・。病院にいると元気でいる事の有難さが身にしみた。

帰り道、山陽道は紅葉が綺麗だった。

景色に見とれても、このスピード取り締まりレーダーにはお世話になりたくない・・・。

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