*先日日本海新聞の『再考ポスト3.11』というコラムに、『悲しみに寄り添う 「臨床宗教師」養成の試み 宗派超え連携』という記事が載っていた。
東日本大震災の被災地、仙台にある東北大で、宗派を超えて心のケアに取り組む「臨床宗教師」養成の研修をしているという事だ。
臨床宗教師とは布教を目的とせず、病院や福祉施設など公共空間で心のケアに取り組む宗教者都の事。考えてみればこれが本来の宗教者(坊さん)の姿ではないかと思ったが・・・。
講師のひとりが「異なる宗教を認め合う事で、自身がどう変化して行くのかみつめてほしい」と言っていいるそうだが、皆の宗の私は大丈夫だが、我が宗の多くの坊さんには、素直に受け入れる事の出来る人は少ないだろうなぁと・・・。
「善意ある宗教者を社会資源として活用してもらうことが臨床宗教師の目的で、終了書は資格の免状ではなく、あくまでも今後の研鑚のスタートにしてほしい」という事。私も参加してみたい。けど遠すぎて・・・。
こういう問題を、日蓮宗で中央と地方とで行っている教化研究会議の議題にしてもらいたいが、おそらく脚下されるだろうなぁ・・・。