*先日日刊スポーツ新聞で『お題目』の文字を見た。だがしかし、その使われ方は『おためごかしのお題目にうんざり』・・・。
一般的に、『お題目のように』とか言われる場合、口先ばかりで何もしないという意味につかわれるわけで・・・。このことを日蓮宗の坊さんはどう思っているのか。と声を大にして言いたい。
宗務総長さんなど宗門の偉い方々が挨拶されると、「一天四海皆帰妙法、お題目総弘通、祖願達成の為に、不惜身命の決意で邁進してまいります」。などと言われるが、一般の方々には意味不明だし、そんな出来もしない事をよく平気で言われるなぁと呆れるばかり。そんな事だから、なにも伝わらず素晴らしい『お題目』が悪い喩につかわれることに。情けない話だ。と自分の事を棚に上げて思ってみるが、どうにもならない現実が・・・。
『お題目のように』のようなことが多々ある私がとやかく言える立場ではないか・・・。