*森本良和監督さんが、幕末の鳥取藩士の活躍を伝えようとして作成される自主制作映画『鳥取藩勤王二十二士事件』ロケで摩尼山にて撮影が行われ参加した。私は、河毛文蔵という役柄。
それなりに緊張感ある中、NG連発も、みんなその気になり楽しく撮影を終えた(^○^)映画の完成が楽しみだなぁ。
2017年04月09日2件のコメント
*森本良和監督さんが、幕末の鳥取藩士の活躍を伝えようとして作成される自主制作映画『鳥取藩勤王二十二士事件』ロケで摩尼山にて撮影が行われ参加した。私は、河毛文蔵という役柄。
それなりに緊張感ある中、NG連発も、みんなその気になり楽しく撮影を終えた(^○^)映画の完成が楽しみだなぁ。
2017年04月08日コメントをどうぞ
*若桜町の蓮教寺にて満中陰忌法要をお勤めした。御命日となった2月24日は雪が沢山あったが、今日は境内の雪もひとかけらを残すのみとなり、桜が満開の時期となった。早いものだ。家でのあと席は賑やかかなひと時となり、お仏壇の前に祭られた故人の遺影が、賑やかなのを喜ばれて微笑んでおられるように見えた。いつも「おしょうさん」と声をかけてくださっていたお元気な頃のお姿が思い浮かんだ。
2017年04月07日コメントをどうぞ
2017年04月06日2件のコメント
*昨日、日本フォーク界の草分け的存在だった加川良さんが旅立たれた。中学生のとき、鳥取市民会館でコンサートを見たことを思い出す。独特の雰囲気を持つシンガーだった。
『教訓Ⅰ』の歌詞は以前山門の掲示板に書いたことがある ♪命はひとつ人生は一回~だから命を捨てないようにね~・・・・命のスペアはありませんよね~♪
この歌は、「お国は俺達死んだとてずっと後まで残りますよね」とか「死んで神様と言われるよりも、生きてバカだと言われましょうよね」の歌詞が問題となり、放送禁止になっていたような記憶がある。
加川さんは、この曲は歌詞は現代にも当てはまる事が沢山あると思えるので、「歌うたんびに新曲だと思えるんです」と言っておられたとの事。
69歳、早すぎる旅立ちだった。
2017年04月05日2件のコメント
*鳥取市仏教会の総会が曹洞宗梅翁院さんで開催され出席した。まったく平穏無事に40分ほどで終了となった。
梅翁院さんの掲示板に「無言で座られるお釈迦さまの姿こそ仏の教えそのものとされます。語らぬ仏の教え。住職は少々喋りすぎだとおもわれます」と書かれていた。私の事だと・・・。
2017年04月04日2件のコメント
*テレビの番組で、いまどきの新入社員の事を取り上げていた。
「同期と喋れるかなぁ」とか「もうホームシック、家に帰りたい」「母親が一緒に入社式に」・・・。なんとも(°_°)
近年のあたかも『七五三』のような成人式を見ていると無理も無いかなぁと思うが、日本の行き先が案じられる・・・。情けない話しだ。でも私に言われたくないかと・・・。
2017年04月03日2件のコメント
*夕べ、母が学成寺へ嫁いできて60年になるという事で、ささやかながらお祝いした。「立派な息子さんに恵まれてよかったよかった」というと、「いや、立派な嫁さんと孫に恵まれてよかったよかった」という事に・・・。なにはともあれ元気で有難い事だ。
*今日は、月曜日がお休みの友人と今シーズンの滑り納めにわかさ氷ノ山スキー場へ!
朝8時前には到着し、滑り始めたが、この時期にしてはありえないほどの絶好のコンディション!少し滑って帰るだったが結局11時半まで滑ることに!
まだ積雪が1メートルはゆうにあるゲレンデは名残惜しかったけど、今年も無事にスキーシーズンを終える事が出来た事に感謝しながら山を降りた。
来シーズンが待ち遠しいなぁ。
2017年04月02日2件のコメント
*桜並木の袋川土手を車で通ったら、まだ桜はつぼみのようなのにお花見をしている人達がいた。今日は風が冷たく見ているだけでも寒そうだった。来週末は賑やかになるんだろうなぁ。写真を撮り忘れて、今日は写真なし・・・。
2017年04月01日2件のコメント
*若桜町の蓮教寺で小祥忌(1周忌)の供養をお勤めした。境内にはまだ雪が残っていた。
丁度、明日の2日が祥月命日になられる。去年は雪が少なく春が早く桜が咲いてぼちぼち散り始めていた。桜の花が咲く時期に旅立たれたという事で、桜の色を『紅』に表し、お戒名を紅い花という意味で『紅英院』とさせていただいていた。今日は故人の家の前の桜はまだつぼみだった。1年って早いものだと思いながらお勤めさせて頂いた。
2017年03月31日2件のコメント
*本来は、4月7日が甲・子のご縁日だが、諸般の事情で今日『大黒天神祭』をお勤めさせて頂いた。古式にのっとりお寺に持ってこられた各家で祭る大黒様を湯せん(お湯で洗い清める)てお勤めした。が、年々お参りが少なくなり・・・。
祭祀を司る者(まつり)と政治を司る者(まつり)は同じ意味で、この二つの「まつり」が一致したのが祭政一致という事で、政治の事を『まつりごと』ともよんだらしい。どうも今の政治を見ていると『後のまつり』のような・・・。