今月の言葉

裏も見せ表もみせて

2008年12月01日1件のコメント

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平成20年12月1日  「裏も見せ表もみせて」

今年鳥取市は平年より15日早く初雪を観測しました。今年は随分早いなぁと思っていたら、なんと去年と同じ日だったとの事でした。そうだったかなぁと思いながら、去年の手帳を見てみると「初雪を観測したらしいが、気づかなかった」と書いてあったので、気付かないくらいの初雪だったようです。

昔は、初雪が早いとその冬は雪が少ないとか、虫が高い所に巣を作ったり、柚子が多く採れると雪が多いなどと云う話を耳にしましたが、近年は温暖化などで気候の様子が変わり、今迄の事が当てはまらなくなってきています。

農家の方から「今年はカメムシが少ないですけ~、雪が少ないかもしれませんな~」という声をよく聞きましたが、今年はいったいどんな冬になるのでしょう。

冬の心配をしながら、ぼちぼち散り始めた紅葉を見ていると『裏もみせ表もみせて散るもみじ』という良寛さんの詩が思い浮かびました。味わい深い詩だなぁと思いながら、裏を隠し、表面ばかりを取り繕うような私達の行いが、人間のみならず自然界のリズムまでも崩してしまったのかもしれないと思えてきました。

表面を取り繕う事ばかり考えないで、もう少し素直になって、表裏一体と云う事も考えてみたいものです。

今年1年の「裏も表も」振り返りながら、平成20年を締めくくりたいものです。

そ~だよ~

2008年11月01日コメントをどうぞ

kotoba_2011

平成20年11月1日  「そ~だよ~」

「静粛にお願いします」という議長さんの発言が何度あった事でしょう。発言者の意見に耳を貸さず、やじの飛び交う国会中継のテレビを見ながら、人の話はもう少しちゃんと聞くものだと思い落胆をおぼえました。

私の師匠のペンネームが僧侶の僧に多く聞くと書いて『僧多聞』(そうたもん)で『そ~だもん』と読みます。

これは、世の中には人の話を聞かない人が多いようだが、先ずは人の話をちゃんと多く聞こうじゃないか。話を聞いたなら、たとえ自分の意見と違い受け入れ難い意見であっても取り敢えずは、素直に「そ~だもん」と意見を受け入れ、それから対応を考えても遅くはないだろう。という思いが込められてのペンネームです。

私が、その『僧多聞』(そ~だもん)さんの弟子という事に、私がいつも不安定で多く揺れている事を重ねて、僧侶の僧に多く揺れると書いて『僧多揺』(そうたよう)で『そ~だよ~』というペンネームを使っています。

ちょっと大袈裟かもしれませんが、この『そうだもん』に『そ~だよ~』は、結構世直しのキーワードかもしれないと思います。

そんな事を思いながら、「素直ないい名前だな~」と言っていると家人から「ペンネームだけは素直なんですけれどね~」と言われたので、ここぞとばかり「そ~だもん」、「そ~だよ~」と、とりあえず素直に変事だけはしておいた・・・。

ターニングポイント

2008年10月01日コメントをどうぞ

kotoba_2010

平成20年10月1日  「ターニングポイント」

あるお婆ちゃんが「ちょっと聞いてつかんせ~な~」と言ってこられました。話を聞いてみると、中学生の孫さんが手相を見てもらったとの事でした。

「あなたは生命線が長いから長生きしますよと言われたらしいんで、孫にそりゃ~良かったがって言いましたらな~、いなだな~って言うですが。どうして~って尋ねましたらな~、今の世の中長生きしても大変な事ばっかりだが~って言うですが、なんちゅう事でしょうな~」と言われました。

私も「なんちゅう~事でしょうな~」と思いながら、今の世の中が次世代を担っていく子供達にとって、夢も希望も持てないような状況になってしまっている現実に絶句してしまいました。

折りしも、新しい総理大臣が決まり政局が動こうとする今、テレビで見る『水戸黄門』のように、現場に立ち民衆の声を聞きながら、世直ししていく政治を推し進めてもらいたいものだと思いますが、政治生命の生命線ばかり気にしているように見えてしまう政治家先生方の姿に憂いを感じてしまいます。

涼しい風が吹き始め、季節のターニングポイント転機をむかえようとする今、私達も政治家の先生達も、自分の事ばかり考えないで、子供達に夢と希望を与えられるような世直しのターニングポイント・転機としてゆきたいものです。

コレデイイノダ

2008年09月01日コメントをどうぞ

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平成20年9月1日  「コレデイイノダ」

天才バカボンなどの沢山の作品を残して旅立たれた赤塚不二夫さんを送るタモリさんの弔辞は多くの人に感動を呼びました。

「あなたは、すべての事を肯定して受け入れる為の大切な言葉を私達に教えて下さいました。“コレデイイノダ”と・・・有難う御座いました」。

私もあなたの作品の一つだと言い、赤塚さん無しでは今日の自分は存在し得ないと言うタモリさんらしい素晴しい言葉でした。

漫画の中に出てくる“コレデイイノダ”のセリフ。何気なく、単なるギャグの一つぐらいにしか思っていませんでしたが、これは素晴しい言葉だと今更のように感動しました。思うようにならない事が多く否定したくなる事の多い毎日の生活ではありますが、受け入れがたい現実を”コレデイイノダ“と素直に受け入れる事が出来ると、少しは気持ちが楽になるような気もします。

そう思うと“コレデイイノダ”という言葉、とても良い言葉だと思います。

何でもかんでも、神仏に願い事をばかりしても、現実から逃避してしまうようになり、解決の糸が見出せない事もあると思います。

今の自分の置かれている現実、状況を“コレデイイノダ”としっかりと肯定し受け入れる事が出来ると、じゃあ、今のこの状況の中で何が出来るのか、現実味を帯びた答えが出てくる事でしょう。そういう時に手を差し伸べてくださるのが神仏のご加護と云う事だと思います。

ゴーヤ

2008年08月01日コメントをどうぞ

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平成20年8月1日  「ゴーヤ」

連日の猛暑日のお陰もあるのか、台所の窓辺に日よけを兼ねて植えた『ゴーヤ』がに大きく育ち、毎日のように食卓を賑わしています。

料理の仕方によっては、さほど気にならない場合もありますが、『ゴーヤ』は見ただけで「苦い」という条件反射のせいもあり、いくら健康に良いとはいえ毎日となるとチョット辛いものがあります。

「植物繊維とビタミンCが豊富で、夏の暑さに負けませんからしっかり食べてください」と言われるので、夏ばて防止にと口に運んではいますが、夏バテ以前に『ゴーヤ』の苦味に負けそうです。

元々『ゴーヤ』は熱帯地方のインド原産の植物なので、沖縄はともかく、本来鳥取あたりで大きく育つのは不自然な事のようです。こんなところにも温暖化の影響があるのかと思うと、大きく育った『ゴーヤ』を見て手放しで喜んでいられないような気もします。

『ゴーヤ』は葉が成長するときにまわりの熱を吸収し温度を下げるので、エネルギーの使用を削減出来て温暖化防止にも役立つとの事ですが、大きく育つ事自体が温暖化の影響でもある事を考えると、なんだか良いのか悪いのか、複雑な思いにかられます。

お盆の語源の「ウランボン」はインドの言葉で、「自分勝手な行いはすべてめぐり廻って自分の元に返ってきて、自分を苦しめる事になる」という戒めの意味があります。私達人間が自分たちの都合ばかり優先させてきた事が、地球環境の変化に加担している事は間違いない事なので、まさに私達人間は「ウランボン」の状態になりつつあると言えます。

そう思うと自分勝手な行動を慎み、地球環境を汚さない暮らしを考えるのも、お盆の大切な意味である事が分ります。エコライフを考え、有意義なお盆の月を過ごしたいものです。

家庭菜園

2008年05月01日コメントをどうぞ

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平成20年6月1日  「家庭菜園」

家庭菜園をしておられる方から、キャベツやチンゲン菜など沢山の野菜を頂きました。「農薬をつかっとりませんけ~、中から虫が出てくるかもしれませんよ~」とニコニコしながら帰っていかれる姿を見送り、早速に頂いた野菜を見ると、確かに虫食いの穴だらけで、キャベツの葉をめくると、言われるとおり虫が顔を出してきました。

台所にあった、スーパーから買ってきたキャベツと比べてみましたが、スーパーのキャベツは、虫食いの穴もなく見かけはとても綺麗なものでした。

虫食いの野菜のほうが自然な野菜なんだけどなぁ~と、綺麗なキャベツと虫食いだらけのキャベツを眺めながら、私達人間は、虫も食べない恐ろしい野菜を好んで食べている事実を考えさせられました。

確かに、虫食いの穴だらけの野菜は、見た目も良くなく、気持ちも余り良いものではありませんが、体の健康や命の事を考えると、なんともいえない気持ちがします。

しかし、見た目の悪い物には消費者はなかなか手を出しませんから、売るほうも当然綺麗な物を売るようになるわけです。消費者である私達ももう少し賢くならなければいけないという事です。

考えてみると、私達は、見た目で物事を判断し、本当の事を見過ごしてしまっている事って結構あるように思います。

私達人間も、表面だけを取りつくろう事を戒めて、見た目で誤魔化されず、正しく物を見る目を養いたいものです。

面白い毎日

2008年05月01日コメントをどうぞ

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平成20年5月1日  「面白い毎日」

日本海新聞の『読者の声』の欄に『「当たり前」は「当たり前」?』というタイトルで、ある中学校1年生が投稿している記事を見ました。

「僕は去年、足を怪我した。その傷は深く、少しの間歩けなかった。それまで僕は、歩くのが当たり前だと思っていた。でも、その当たり前の事が出来なくなると、すいぶん不便だ。

いつの間にか、当たり前が当たり前じゃなくなると、人は当たり前を取り戻そうとする。すまり、人にとって当たり前というものは実は大切なものなのだ。

でも僕たちにとっての当たり前が、当たり前じゃない人がいる。目や耳が不自由だったり・・・。

僕は当たり前ということを大切にしたいけれど、少し違う角度で見ていく事も必要だと感じている。当たり前って本当に難しい」。

すばらしい文章に感動しました。

本当の有難さを知っているのは、当たり前を失った人かも知れませんが、失ってからでは遅いという事です。

以前、学成寺の山門掲示板に『当たり前を 当たり前と思わない毎日は面白い』と書いた事がありますが、気候も良くなる五月晴れの5月、気持ちも晴れ晴れと『面白い毎日』を積み重ねたいものです。

枯れ木に花を咲かせましょう

2008年04月01日コメントをどうぞ

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平成20年4月1日  「枯れ木に花を咲かせましょう」

桜の季節をむかえ、これから花の季節をむかえます。しかし、相変わらずテレビや新聞から、目を覆い耳を塞ぎたくなるようなニュースが毎日のように飛びこんできます。

そんなニュースを見ながら、今の世の中どう贔屓目(ひいきめ)にみても、人間も地球環境も「万木まさに枯れなんとす」の兆候に思えてなりません。もちろん枯らして良いはずがありません。

そこで、桜の季節にあやかって、みんなが「花さか爺さん」になり「枯れ木に花を咲かせましょう」運動を展開してみたらどうでしょう。

近頃は、種をまいたら、すぐに芽が出て花が咲く事を求めすぎているように思えてなりません。桜の花も、冬の寒さにじっと耐えるからこそ春に綺麗な花を咲かせるわけです。

まいてすぐに芽が出る事もあれば、年月を経てから芽を出し、実を結び綺麗な花が咲く事もあると思います。

お寺の本堂などで手を合わせるとき、私達が一方的に手を合わせお釈迦様を拝んでいるイメージがありますが、よく見ると、お釈迦様も私達を合掌して拝んで下さっているのがわかります。

人は誰でも、人を思いやる優しい心の「花の種」を心の中に持っているものです。お釈迦様は、心の中の「花の種」を気づかせてくださり、その心が増幅して生き生きと様々な花が咲きますようにと、私達に手を合わせ拝んで下さっているのです。そう思うと、とても心強く感じられると共に、恥ずかしい生き方は出来ないとも思います。

お釈迦様の誕生月でもある、花咲く4月。「枯れ木に花を咲かせましょう」!

DNA

2008年03月01日コメントをどうぞ

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平成20年3月1日  「DNA」

最近、お会いする方から、「お経を読まれる姿や声が、だんだん先代さんに似てこられましたなぁ」と言われる事が多くなりました。聞かれた時には「なるべく似ないようにしてるんですけど~」と答えています。

私達の体はDNA(デボキシリボ拡散)とよばれる、体の細胞の中心にある遺伝子により、成り立っています。

このDNAの重さは2千億分の1グラム、幅は50万分の1ミリで、とても小さく、細長い糸のようなものです。

そしてこのDNAが、細胞にある46個の染色体の中に折り畳まれており、その長さをつなぎ合わせると約1メートル80センチにもなるそうです。

このDNA遺伝子の上に、A・T・C・Gという「塩基の物質」の組み合わせによる30億もの生物の設計図の情報が書き込まれています。

私達の体は、このDNAの設計図に基づいた約60兆の細胞により、つくられ構成され、親から子に遺伝の情報が伝えられていくわけです。ですから好もうが好ままいが、子が親に似てきて、「先代さんに、似てこれらましたなぁ」と言われるのは当然の事になるわけです。

さらには、受け継いだDNAの情報に、自分の行いが入力(インプット)されて、次の代に受け継がれて行く。これが現実です。

自分の命は今だけの命ではなく、DNAにより過去から、未来へと永遠に繋がっていくという事も忘れないように、良い所は似ても、そうでない所は似ないように心がけ、命を繋いで下さった方々(御先祖様)に感謝し、毎日を過ごしたいものです。そんな事を考えるのも、「お彼岸」の大切な意味だと思います。

あとのまつりに・・・

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平成20年2月1日  「あとのまつりに・・・」

今年の冬は原油価格の高騰が石油製品の値上げを呼び、物価は上がるが給料は上がらず、相次ぐ値上げで家計を預かるお母さん方には厳しい冬となっています。

そんな中、揮発油税(ガソリン)税の暫定税率の見直しが検討されていますが、此の税が無くなれば、道路整備にも影響が出て、鳥取県も「山陰道」の建設が滞る恐れも懸念されており、ガソリン価格が下がるのは喜ばしい事ですが、地方に住む私達にとっては痛しかゆしなのが現状です。

政治の事を「まつりごと」とも言いますが、「まつり」とは一般に行われるイベントの事ではなく、本来は神仏や祖先をまつる事で、感謝と祈り、さらには慰霊の意味も込められている言葉です。しかし、イベントは言うに及ばず、商店の大売出しにまで、本来の意味と違う「まつり」という言葉が使われているのが現状です。

昔の人が、政治の事を「まつりごと」と言ったのは、神仏の意に叶う政治をしなければならないという気持ちがあったからだろうと思います。

政治は、神仏の意に叶い、国民の意にも叶うものでもあってほしいものですし、私達の日々の暮らしも神仏の意に叶うようでありたいと思いますが、今の混迷する政界を見ていると、政治も私達の暮らしも「まつりごと」が「あとのまつり」にならぬよう心がけたいものです。

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