今月の言葉

♪目を閉じて何も見えず♪

2010年12月01日1件のコメント

kotoba_2212

平成22年12月 「♪目を閉じて何も見えず♪」

梨花ホールで谷村新司さんのコンサートを観ました。素晴らしい感動のひと時でしたでした。

コンサートの後半で、名曲『昴』を歌う前に谷村さんが言われた言葉がとても印象に残りました。

「お陰さまで、ずいぶん長い事この曲を歌ってきました。でも、この曲を歌うといつも言われてきました。♪目をとじて何も見えず~♪あったりまえでしょう~と。

でも、子供の頃は、いろんなものが見えていたはずなんです。それが段々と歳を重ね大人になるにつれて、見えなくなってしまうんですね。目を閉じていても、想像力が働きいろんなものが見えていたはずなんです。これも段々と歳を重ね大人になると、見えなくなってしまうんですよね。だから、“目を閉じて何も見えず”というのはとても悲しい事なんです」。

♪目を閉じて何も見えず♪には、そういう意味が込められていたのかと感動しました。

“見えなくなる”と云う事は気付かなくなると云う事です。

私達は大人になるにつれて、身の回りにある小さな幸せに気付かない“悲しい大人”になっているのかもしれません。

“幸せ”を見失わせている原因は、“当たり前”と思う気持ちです。

“当たり前”という気持ちを取り除き、今年一年の小さな幸せ振り返り、いろんなものが見える人間として、感謝の思いを込め平成22年を締めくくりましょう。

喝だ~!

2010年11月01日コメントをどうぞ

kotoba_2211

平成22年11月 「喝だ~!」

『渇だ~!』、『あっぱれ~!』と球界のみならず、世の中の御意見番として我々を元気づけてくれた大沢親分の野球一筋78歳の生涯に『あっぱれ!』を捧げたいと思います。

『喝』と『あっぱれ』は同じ意味で使っておられたのではないかと思いました。『喝』は、「しっかりしろ、くじけずに頑張れ」。『あっぱれ』は「良くやった。だが油断せずに頑張れよ」と、双方とも叱咤激励の優しい思いがくみ取れる言葉だったと思います。

大沢啓二さんは、高校3年生の時の甲子園を目指す神奈川県大会で、自信を持って投げた球をボールと判定されたり、確実にセーフだと思ったタッチプレーを二度もアウト判定されて審判の判定に不服を覚え、結局試合は延長戦の末押し出しファーボールでサヨナラ負けしてしまいました。試合後球場のトイレで偶然その審判と遭遇した大沢さんは、もう一人の選手と共にその審判を蹴りつけてしまい、その結果一年間の出場停止処分を受けてしまったそうです。

しかし、後日、大沢啓二さんが蹴りつけた審判が自宅を訪れ、自分は立教大学野球部関係者である事を名乗り、「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学には必要なんだ」とスカウトし、野球部推薦で立教大学に進学したとの事です。

という事は、大沢さんがこの審判に蹴りを入れていなかったら、後の野球人生は無かったという事かもしれません。人生何が転機になるか分からないものです。

大沢さんの、『喝だ!』。『あっぱれ!』は、なんとなく元気のない今の世の中に対する叱咤激励だったのかもしれません。

この『喝』と『あっぱれ』を自問自答し、元気で明るく活力のある毎日を送りたいものです。

ガチョーン

2010年10月01日コメントをどうぞ

Kotoba_2210

平成22年10月 「ガチョーン」

『ガチョ~ン』などのギャグでお茶の間に笑いを提供した、トロンボーン奏者・歌手・俳優・コメディアンなど多くの肩書を持つ谷啓さんが亡くなられました。

芸名の谷啓はアメリカの名コメディアンのダニーケイを日本語風にしたものだったそうです。

小松政夫さんや小野やすしさんなど多くの知人が思い出を語られるコメントを聞いていると、優しくて恥ずかしがり屋ながら、ほんとうに人を楽しませる事が好きな人だったという谷さんの人柄がしのばれました。

有名な『ガチョ~ン』のギャグは、大好きだった麻雀をしている時に思いついたもので、麻雀牌をガッと積もってチョンと引くしぐさが元になっていると云う事でしたが、麻雀を通して、思い通りにならない事が多い毎日の中、そんなモヤモヤした気持ちを『ガチョ~ン』と吹き飛ばしてしまおうというような思いがあったのではないかと思います。

そう思うと『ガチョーン』はとても味わい深い言葉のように思えてきます。

思うにならない事の多い毎日かもしれませんが、『ガチョーン』と吹き飛ばし元気に明るく頑張りたいものです。

谷啓さんも、あの世で『ガチョーン』を連発しておられる事でしょう。

おわりよければ~

2010年09月01日コメントをどうぞ

Kotoba_2209

平成22年9月 「おわりよければ~」

お盆のお経回りの時、お経を終えて振り向くと、小学生の女の子さんから、「おしょ~さん しんだらどこにいくんですか~」と尋ねられドキッとしました。

いい加減な事を云うといけないので正直に、「おしょ~さんもね~、まだ死んだ事がないから、わからんだが~」と答えると、「そ~か~、しんだあとのことは、分からないんだ~」と。

「何処か良いところ行けるかもしれないけれど、わからないでしょ。だったら、まず今日、今が良いところになって今日が楽しく過ごせるようにしましょうね~」と言うと、「ふ~ん」とうなずき、そばにいたお爺ちゃんとお婆ちゃんが笑っていたので、孫さんはお釈迦さまが言われた事と同じ事を言ってるんですよ」。とにかく今日一日を明るく元気に過ごしましょうねと言って家を後にしました。

ほかにも、4歳の男の子さんが、お経を終えた私に向かって、「よくないことをしたら~、じご~じとく~」と。エッと思いながら、「そ~か~、おしょ~さんも、思い当たる事が、いっぱいあるな~」というと、そばのお婆ちゃんが、「この子は、なんだか、四字熟語が好きなんですよ~。語呂がいいんでしょうね~」と笑っておられました。しばらくお話をして、「それじゃ~、おしょ~さんは帰るからね~バイバイ~、またね~」というと、今度は、「おわ~り~よければ~、すべ~て~よし~」と。一同大笑い。

子供さんの何気ない素朴な言葉にドキッとしたり、感心したり、教えられる事が沢山ありました。素直な言葉には素直に答える。これはとても大事な事だと考えさせられました。

今月はお彼岸をむかえますが、素直な気持ちを養う機会にしたいものです。

ギターは弾かなきゃ音が出ない

2010年07月01日コメントをどうぞ

kotoba_2207

平成22年7月 「ギターは弾かなきゃ音が出ない」

鳥取市に隣接する河原町の中央公民館で開かれた、『寺内タケシとブルージーンズin河原、寺内タケシバンド結成50周年記念コンサート』を観に行きました。

今年71歳のなられるというミスターエレキギター寺内タケシさんですが、元気いっぱいでカッコよく、民謡からクラシックそして歌謡曲からロックに至るまで幅広いレパートリーを、熱いエレキギター演奏に乗せて繰り広げられる「寺内ワールド」を堪能しました。

曲の合間のお喋りも面白く、バンド結成50年の年輪を感じさせる素晴らしいステージでした。

コンサートの最後に、「5歳の時からギターを弾き始め、練習で指がズタズタになり泣きながらギターを弾いた事もありました。いろんな困難を乗り越えてギターを弾き続け早50年になりましたが、長い間ギターを弾き続けでようやく今、たった一つだけ分かった事があります。それは“ギターは弾かなきゃ音が出ない”という事です。何事も無我夢中でやっていると必ず道が開けてくるものです。困難にぶち当たった時は、この言葉を思い出して頑張ってください」と、熱いメッセージを伝えコンサートは幕を閉じました。

“ギターは弾かなきゃ音が出ない”実に味わい深いいい言葉だと思います。

人生時には、いくら弾いても音が出なかったり、外れた音が出る時もあるかもしれません。

楽をして、何とか“ギターを弾かずに音だけ出そう”とするような事の多い昨今ですが、でも確かに、弾かない事には音は出ません。

背伸びせず、自分の音を出しながらぼちぼちと頑張りたいものです。

ブラインドウオーク

2010年06月01日コメントをどうぞ

kotoba_2206

平成22年6月 「ブラインドウオーク」

あるセミナーで、信頼関係を学ぶエクササイズ「ブラインドウオーク」を体験しました。

「ブラインドウオーク」は、2人がひと組となり、まずどちらかが目をつぶり、目をあけている方の肩に手を掛け先導してもらい歩く。3分ほど歩いた後、肩に掛けていた手を外し、今度は声だけで先導してもらい3分ほど歩く。次には2人が立場を替えて同じ事を繰り返す。というもので肩に手を掛けている時はまだしも、手を離すとお互いが不安になり緊張感が漂う歩行となりました。

先導する者は、相手の気持ちを知ろうとする努力がひつようで、自分本位な指示になると相手を不安にさせてしまいます。

自分の現在位置の情報を分かりやすく伝え、現状をこの先の目標に結び付けて伝えていくと安心感が生まれスムーズな歩行にも繋がります。

さらに、障害物が無く何も問題がない時にこそ意識的にコミュニケーションを図っていくのが、「ブラインドウオーク」をスムーズに行うコツという事でした。

さらに、情報を伝達する場合、人間には学習能力があるので、過去の固定観念にとらわれるのは危険な事となり、今の相手の状況に合わせて伝達の方法をバージョンアップしていく事も必要という話を聞きながら、これらの事は信頼関係の構築だけでなく、それ以前の人間関係や親子関係にも参考となる話だと思いました。

目を開けているにも関わらず、見えていないものがあるなぁと感じる貴重な「ブラインドウオーク」体験でした。

「ほめるはアクセル。叱るはブレーキ。ほめるのが多い方が前に進む」という話もなるほど~と思い勉強になりました。

日々の生活でも、アクセルやブレーキを踏み間違えることなく人間関係や親子関係を構築していきたいものです。

つけっぱなし・・・

2010年05月01日コメントをどうぞ

kotoba_2205

平成22年5月 「つけっぱなし・・・」

エコ生活がとり立たされる中、なかなかやめられない「~ぱなし」が多いようです。我が家を見渡しても、部屋の明かりのつけっぱなし、テレビのつけっぱなし、パソコンのつけっぱなし・・・。

子供の頃、父親が私の後から、つけっぱなしのスイッチを消して歩いていて「つけっぱなしにするな」と怒られていたのを思い出しますが、時はめぐり今は私が逆の立場で同じ事をしていて、「つけっぱなしにしないように」と注意していますが、どうやら、“聞きっぱなし”になっているようです。

新聞によると、シャワーを出しっぱなし、冷蔵庫を10秒以上開けっ放し、ちょっとした外出での冷暖房のつけっぱなし、車のエンジンのかけっぱなし、電気ポットを保温にしっぱなし、なども多いとの事で、これも思い当たる節が沢山あります。

中には、一人暮らしでさみしいからという理由でテレビをつけっぱなしにしたり、真っ暗な家の中を移動するのがいやなので、誰もいない部屋の明かりをつけっぱなしにするとか、意図的なつけっぱなしもあるようで、昨今の生活状況が反映されており、なんとも言えません。

無駄を省くと環境にも家計にもやさしいのは分かっているわけですが、なかなか止められないのが現実です。

ちなみに、パソコンは電源を毎日7時間切ると年間4830円。電気ポットの保温を1日6時間止めると年間2360円。エアコンは1日冷房を1時間短縮すると410円。の節約になるとの事です。

何事も、小さな事の積み重ねが大きく身を結びます。できる事からコツコツと積み重ねたいものです。

この話も、“聞きっぱなし”にならないように願っています。

電気記念日

2010年04月01日コメントをどうぞ

kotoba_2204

平成22年4月 「電気記念日」

中国電力主催の《電気記念日 記念講演会》で、「夢見る力」と題して女優の渡辺えりさんの講演を聞きました。一見豪快そうに見える渡辺えりさんですが、小さい頃はとてもデリケートでひ弱な子供さんだったそうです。

子供の頃、親に、「どうせ死ぬのに、何で生まれてきたの」と何度も聞いたり、人に会っても、「この人もどうせ何時かは死ぬんだなぁ」と思ったりしていたそうですが、高校生の時見たお芝居に感動して号泣し、その時から気持ちが変り、自分がお芝居をする事で人に勇気が与えられたらいいなぁと思い演劇の世界に踏み込みこんで行ったとの事でした。

そして、芝居の役柄に成り切り没頭する事で、気持ちが落ち着き前向きになって、「どうせ死ぬのに何で生まれてきたの」などという疑問は考えても分からない事だと思うようになり、夢に向かって一生懸命努力するようになりました。と明るく話されていました。

最後に、「人を愛する事は、人をかまってあげる事、人を大切にする事、そして怒って上げる事も人を愛する事です。これからも演劇を通じていろんな事を伝えていきたい。夢を見るのも力がいります。自分の努力がいります。決してあきらめないで頑張りましょう」。と締めくくられ、講演は幕を閉じました。

日本に初めて電気が灯ったのは、今からわずか132年前の事だそうです。この電気記念日の機会に改めて電気の無かった時代の事を考えてみたいとも思いました。

渡辺えりさんも、「時代劇に出てくる夜のシーン。あれは明るすぎます。人間夜が長いと想像力が発達するんです。ところが今の時代は・・・・これからが心配です」と憂いを語っておられました。心配事は増えるばかりですが、なんとか「夢見る力」で決してあきらめず前向きに頑張っていきたいのものです。

転がる石になれ

2010年03月01日コメントをどうぞ

kotoba_2203

平成22年3月 「転がる石になれ」

久しぶりに、吉田拓郎さんの「ローリング30(サーテイン)」という曲を聴きました。

これは今年65歳になる拓郎さんが30歳をむかえたときに発表した曲です。

♪ローリング30(サーテイン) 動けない石になるな 転がる石になれ 過ぎ去った過去は断ち切ってしまえ 青春の長さ測るものはない 身体より老けた心などもつな ~~中略~~ 自分のカラを突き破り 愚かな笑顔など見せるな 振り向いた昨日に恥じないように 仰ぎ見る明日に恥じないように ローリング30(サーテイン)夢ふく風になれ ♪

♪なまぬるい日々に流される者よ 俺だけは違う身を切って生きる ~~中略~~ 心の汗も流さずに やさしさなどとお笑いぐささ ついてくる世代に恥じないように 届かない世代に恥じないように ローリング30(サーテイン) 飛び立つ鳥になれ♪

若干30歳の時にこんな素晴らしいメッセージをこめた詩を歌っていたのかと、改めて、しみじみと凄いと思いました。

気候も良くなり、気候のバランスも良くなるこの頃を、釈迦様の教え、「偏らないバランスを考えた生き方は、生き易い生き方の第一歩です」という教えに重ね、昼と夜の長さが同じで偏らないバランスの良い日「中日」をはさんで前後一週間を、心の持ち方、生き方を考える「心の週間」としたのが「お彼岸」です。

穏やかなこの時期に、“いくつになっても動き続け” “身体より老けた心を持たないように” そして “ついてくる世代にも、届かない世代にも恥じない” そんな生き方を考えたいものです。

南無って・・・

2010年02月01日コメントをどうぞ

kotoba_2202

平成22年2月 「南無って・・・」

ある法事の席で、「南無ってどういう意味なんですか、なんで南が無いと書くんですか」と尋ねられました。

朝夕に「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」などと唱えている人は多くいると思いますが、意外と知られていないようです。

「南無」とは、インドの言葉「ナマス」が「ナーモ」となりさらに「ナム」となった言葉で、それに漢字をあてはめ「南無」となりました。ですから南無という漢字自体にはなんの意味もありません。

「南無」と辞書で調べると帰依とか恭敬などの言葉が出てきますが、ますます訳がわからなくなります。

「南無」とは、~に従います。身も心も捧げて信じ従います。という事です。ですから「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏様を信じて従います。南無妙法蓮華経は妙法蓮華経という御釈迦様の説かれた素晴らしい教えを信じて従います。という事になります。

以前、永六輔さんが、「南無とはアイ・ラブ・ユーだ」と言っておられました。信じて従う為には、その相手の事をお互いわかりあい、とことん惚れていなければ、繋がり合えないという事です。なるほどと思います。

この素晴らしい「南無」の言葉を家族や友人、そして世の中のすべての人たちに付ける事が出来ると、人と人との繋がりが潤いのあるものになり、暮らしよい世の中に変ってゆく事でしょう。

「南無」、アイ・ラブ・ユーの気持ちで、人と交わり潤いのある暮らしよい世の中を取り戻したいものです。

1 / 212