*先日研修会(山口)での、サンスクリットの原本から釈尊の真意を探ろうとされる先生の話は、目からウロコのような話もあり、とても面白く勉強になった。
「そもそも法華経が制作されたのは紀元後で歴史上の釈尊が説いたものではなく釈尊の一代記の中に位置づける事自体、客観的に不可能」と言う話から、最後は、「何であれ善く説かれた(釈尊の真意を)もの(subhasitaスパシーダ、善説、善巧方便)であれば、それは全て釈尊の直説なのである」。なるほど~と。
その話をうけ、「海の出てくるお経は、後から付け加えられたものだという説を聞いて来ましたが、今のお話しを聞いて、そんな事は問題ではないという事がわかりました。が、如来寿量品(一番重要なお経)に没在於苦海と海という字が出てくるんですが、これは・・・」と質問すると、”苦海”は元々苦処だったが、海に譬えた方が分かりやすいという事で、海の字が用いられたんです」と。これも、なるほど~と。
釈尊が、覚りの境地を説法するか否かを葛藤された時の事を、「リンゴを見た事もない食べた事も無い人に向かって、リンゴ見た目や味を、言葉で説明する事はできるか、誰も体験した事の無い覚りを無理矢理言葉で伝えようとすると、人を悩害する恐れがある」と話されるのを聞きながら、これもなるほど~と。
やっぱり、何事も体験しなければ~。