今月の言葉

愛は、まごごろ・・・

2011年09月01日1件のコメント

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ある方から、「愛」と「恋」はどう違うか、という面白い話を聞きました。

そのユニークな説によると、「愛」は”まごごろ”、「恋」は”下ごごろ”というのだそうです。

「愛」という字を分析すると、心という字が真ん中にあるから、「真ごごろ」。「恋」という字の心は下にあるから「下ごころ」。なるほど~と思いました。

ところが、昔の「恋」という字は、糸の横に言うを書き、その横にさらに糸を書いてその下に心と書いて「戀」と書いていました。ですから、いとしいとしの心だったという事です。

若さを保つ秘訣それは、「いくつになっても、ドキドキ・わくわく夢を持つ」という事だと思います。

『毎日が生まれて初めての日』です。無関心では無く、身の回りのいろんなものに興味を持って、毎日をドキドキ・わくわく過ごしましょう!

10代で1024人

2011年08月01日コメントをどうぞ

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私という人間がこの世に存在する為には、沢山の命の繋がりがあります。

一人の人間には父と母がいます。その父と母にもそれぞれ父と母がいます。そのまた父と母にも・・・。これを10代さかのぼると1024人の命があります。さらに20代さかのぼると、なんと200万を越える命の数になります。

地球上に生物が誕生して30億年くらいたつそうですが、その間の事を思うと10代・20代どころの話ではありません。気の遠くなるような沢山の命があって、今の私の命があります。

考えなければいけないのは、気が遠くなるような数の命の中、もしもたった一人でも欠けていれば、今の私の命は存在しえないという事です。

江戸時代などを例にとっても、”切り捨て御免”がまかり通った時代を私達の御先祖様が見事にすり抜けていのちを繋いで下さったお陰で今の私の命があるわけです。ですから、私の命は奇跡的な命の繋がりによって今日存在しているという事になります。

『父がいて 母がいて 命を受けついで 私の番を今生きる』

お盆をむかえ、一人一人の命が、かけがえの無い尊い奇蹟的な命である事実感しましょう。

《このお話は、『ほっとひといき 学成寺 テレホン法話』0857-22-3451で24時間いつでも聞く事が出来ます!》

右往左往

2011年07月01日コメントをどうぞ

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平成23年7月     「右往左往」

自動車を運転中に急に左のウインカーが作動しなくなってしまいました。

最初、自転車で左折の時は確か左腕を曲げるんだったな~と思いながら何度か運転席の窓から右腕を出して左折してみましたが、怖くなったので覚悟を決めて右折のみでかなりの遠回りをしながら無事お寺に帰ってきました。

右折のみでの運転中、普段の生活で”右往左往”する事が多いけれど、”右往左往”しているうちは、まだ右と左に幅があるからまだ良いのではないかと思いました。これが”右往”だけになったらエライ事です。

そんな事を考えながらお釈迦様の教え、「真ん中の道を行きましょう」という『中道』の教えは素晴らしいと思いました。真ん中を行くから左右が見渡せ、正しい判断が下せるという事です。何事もバランスです。

口に出せば元気が出る、耳に入れば勇気が湧く、「ありがとう」という言葉。崩れたバランスを取りなおす特効薬かもしれません。

”右往左往”する事の多い世の中ですが、「ありがとう」の言葉でバランスを取り直し明るく元気に毎日を過ごしましょう。

*このお話は『ほっとひといき学成寺テレホン法話』0857-252-3451で24時間いつでも聞く事が出来ます。

当たり前という奇跡

2011年06月02日2件のコメント

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 NHKの番組で『爆笑問題』の2人が、鳥取市にある『野の花診療所』を訪問し終末期医療に携わる徳永進先生と対談しているのを見ました。

番組の中で徳永先生が、「患者さんに最後にやりたい事を聞くと、立ち上がって歩きたいとか、御飯が食べたいとか、普段何気なくやり過ごしている当たり前の事を言う方が多いんです」と語られていました。

さらに「いつ命を奪うかもしれない臓器によって、命は支えられているんです」なとど語られる徳永先生の言葉にはズシリと重いものがありました。

そのあと画面には、「当たり前という奇跡を生きよう」という言葉が映し出されました。

番組の最後に、野の花診療所での先生の姿を映し出す映像を見ながら、自らの死について尋ねられた徳永先生が、「沢山の方を送ってきましたからね~。変なかっこは出来ませんよね~」と語っていると、爆笑問題の太田さんが、「なんか先生の方がジタバタしてるよね~」と。これにはさすがの徳永先生も苦笑いしていました。

私達の身の回りには沢山の幸せがあるはずなのに、「当たり前」という気持ちが沢山の幸せを覆い隠してしまっているのだと思います。

「当たり前」という気持ちを、ちょっと取り払って沢山の小さな幸せを見つけましょう。

リ・クリエイション

2011年05月01日コメントをどうぞ

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平成23年5月 「リ・クリエイション」

5月のゴールデンウイークというと、かってレクリエーションという言葉がもてはやされた時代がありました。

レクリエーションは、正しく言うと、リ・クリエーションと言います。“リ”には再び、クリエイションは新しい物を作っていくという意味があります。ですから、リクリエイションは、再び新しい物を作っていく為に気持ちをリフレッシュさせると云う意味になります。

ほかにも、リ”という言葉がつく頭につく言葉をあげてみると、「リストラ」「リバイバル」「リハビリ」「リピート」「リターン」「リフレッシュ」などなど、ほとんどが“再び”という意味がある事に気付きます。

「リストラ」は、リストラクションといい、会社を首になる事ではなく“再び構築する”というのが本来の意味です。

まさに今私達は未曽有の国難を乗り越えて、再び新しい物を作り、再び構築していかなくてはならない時です。

人間を救えるのは、やはり人間です。

人間の心も再構築し、人と人との“縁”をつなげお互いを助けあい困難を乗り越え、再び新しい物を作っていく新しい一歩を踏み出したいものです。

がんばろう日本!

愛は勝つ

2011年04月01日コメントをどうぞ

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平成23年4月 「愛は勝つ」

このたびの東日本大震災は、大自然の恵みと同時に大自然の脅威の中で生活しているという私達人間の現実を、まざまざと見せつけられました。

私達が考えなければならない事は、何気ない普通の毎日がどれだけ尊く有りがたい事かを身にしみて実感する事だと思います。

全国から支援の物資が届く中、ラジオの番組で、だれかが震災の被災者さんたちに届けたいとリクエストした、KANさんの曲『愛は勝つ』が流れていました。

♪ 心配ないからね~ 君の想いが~ 誰かに届く明日がきっとある ♪

♪ ど~んなに困難で~ くじけそうでも 信じることを決してやめないで ♪

♪ ど~んなに困難で~ くじけそうでも 信じる事さ 必ず最後に愛は勝つ ♪

歌を聴きながら、心にせまるものがありました。

この『愛は勝つ』は恋愛を歌った歌ですが、この未曽有の危機を乗り切るには、日本人みんなが老いも若きも、それぞれがお互いを信じて愛する事だと感じました。

しかも見返りを求めない「無償の愛」です。

節電、節約に努め、普通に過ごせる毎日がどれだけ有り難いかを肝に銘じ、国をあげて、力を合わせて、愛の力でこの未曽有の困難を乗り越えたいと思います。

デスペラード

2011年03月01日コメントをどうぞ

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平成23年3月 「デスペラード」

NHKの音楽番組『SONGS』で放送されたロックバンド「イーグルス」特集を見ました。

昔の貴重な映像や近年の映像の数々が映し出されるなか、最後に、名曲『デスペラード』(ならず者)のライブ映像が流れ感動しました。

♪デスペラード(ならず者よ) どうしてまともにならないんだ ♪

♪デスペラード(ならず者よ) もう若くはないんだ ♪

♪デスペラード(ならず者よ) さあ 目をさますんだ ♪

歌と同時に画面の下に出るテロップを見ながら、30年来聞いている曲なのに、若い頃に聞いた時とは違い、なんか自分に言い聞かされているようでドキッとしました。

さらに歌は続きます。

♪明け方には雨が降るかもしれないが 頭上には虹がかかっているはずだ ♪

♪お前を愛してくれる人を見つけろよ 誰かに愛してもらうんだ♪

♪手遅れにならないうちに ♪

今さらではありますが、素晴らしい歌詞だと思いました。

我々人間に対するメッセージのようでもあり、最後の部分は人と人との関わりが薄れる『無縁社会』にならない為のキーワードのようにも思えました。

「手遅れにならないうちに 目を覚ます」。お彼岸にはそんな事も考えてみたいものだと思います。

冬は必ず

2011年02月01日1件のコメント

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平成23年2月 「冬は必ず」

今年の冬は全国的に寒さが厳しく、春待ち遠しいこの頃です。

こんな時期、心に沁み入る言葉があります。『冬は必ず春となる』。心強く励みになる言葉です。

この言葉は鎌倉時代、夫に先立たれ病弱な幼い子供を抱え絶望している御婦人に日蓮聖人が出されたお手紙の一節です。

さらにこの言葉は、『冬は必ず春となる いまだ昔より きかず みず 冬の秋と帰れる事を いまだ聞かず 法華経を信じる人の凡夫となる事を』と続きます。

「つらい時もありましょうが、冬が秋に帰ったなどと云う事は聞いた事がありません。厳しい冬もやがて温かな春へと移り変わってゆくものです」と日蓮聖人から励ましのお手紙を受けられたこの御婦人は、お手紙に励まされ、奮い立ち、女手一人で立派に子供さんを育て上げ、寿命を全うされたとの事です。

人生つらい事も沢山あると思いますが、つらい時を乗り越えると必ず良い時がやって来るものです。

『冬は必ず 春となる』この言葉を励みに、寒い冬を、乗り切りましょう。

兎に角

2011年01月01日コメントをどうぞ

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平成23年1月 「兎に角」

新年明けましておめでとうございます。

今年平成23年の十干・十二支は、『辛』(かのと)、『卯』(う)歳です。『辛』は「物事が新たになる」と云う意味があり、『卯』には「茂る」と云う意味があります。

ですから、平成23年は「物事が新たになり、盛んに茂る」歳という事になります。

今年はウサギ歳ですが、「兎に角」と書いて「とにかく」と読みます。これは、「とかく」という言葉の当て字なので漢字としての意味はありません。

この「兎に角」の当て字は、夏目漱石が多用した事で、広く用いられるようになったとの事です。

「とにかく」の「と」は、「そのように」。「かく」は「このように」で、「あれこれ」とか「なんやかんや」といった意味で用いられ、それが転じて、「いずれにせよ」などの意味になりました。

「物事が新たになり、盛んに茂る」平成23年、今年もいろんな事があると思いますが、“いずれにせよ”、“いずれにしても”ウサギのように元気にピョンピヨンと、気持ちも新たに良い歳にしてゆきましょう。

♪目を閉じて何も見えず♪

2010年12月01日1件のコメント

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平成22年12月 「♪目を閉じて何も見えず♪」

梨花ホールで谷村新司さんのコンサートを観ました。素晴らしい感動のひと時でしたでした。

コンサートの後半で、名曲『昴』を歌う前に谷村さんが言われた言葉がとても印象に残りました。

「お陰さまで、ずいぶん長い事この曲を歌ってきました。でも、この曲を歌うといつも言われてきました。♪目をとじて何も見えず~♪あったりまえでしょう~と。

でも、子供の頃は、いろんなものが見えていたはずなんです。それが段々と歳を重ね大人になるにつれて、見えなくなってしまうんですね。目を閉じていても、想像力が働きいろんなものが見えていたはずなんです。これも段々と歳を重ね大人になると、見えなくなってしまうんですよね。だから、“目を閉じて何も見えず”というのはとても悲しい事なんです」。

♪目を閉じて何も見えず♪には、そういう意味が込められていたのかと感動しました。

“見えなくなる”と云う事は気付かなくなると云う事です。

私達は大人になるにつれて、身の回りにある小さな幸せに気付かない“悲しい大人”になっているのかもしれません。

“幸せ”を見失わせている原因は、“当たり前”と思う気持ちです。

“当たり前”という気持ちを取り除き、今年一年の小さな幸せ振り返り、いろんなものが見える人間として、感謝の思いを込め平成22年を締めくくりましょう。