今月の言葉

刹那

2004年06月01日コメントをどうぞ

kotoba_1606

平成16年6月1日「刹那」

『さくら さくら 今咲き誇る。“刹那”に散りゆく運命と知って・・・』大ヒットした森山直太朗さんの『さくら』の中の一節です。この中の『刹那』とはインドの言葉サンスクリットで、きわめて短い時間、瞬間を表す言葉です。その長さについては、指を一回弾く間に65刹那あるという説や、1刹那とは75分の1秒に相当するというような説があります。もっと分かりや すく言えば「あっという間の出来事」ということです。

シャカの教えでは、すべての物は刹那に生じ、刹那に滅し、流転していくとされています。「刹那のごとく」というのは、私たちの心は、コロコロ コロコロかわる。それも一秒間になんと75回もコロコロ コロコロ変わりますよということです。ですから変わって当たり前、当然だと思うと少しは気持ちが楽になるような気がします。

さらにシャカは私たちの心の変わりようを10の段階で表されました。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人 ここまでが、よく言われる六道です。さらにその上に声聞・縁覚・菩薩・仏の4つがあり全部で10になり、これを十界といいます。

私達は人間ですから当然人間界にいると思っています。しかしながら姿は人間でも、争いごとをしているとき、心の中は修羅界に落ちています。本能のおもむくまま勝手気ままな行動をしているとき、心の中は「畜生界」です。他人のものをほしがったり、奪ったりした時は「餓鬼界」にいるという事になります。

反対に、最近大変なペットブームですが、犬や猫たちは「畜生界」です。でもその犬や猫たちのお陰でどんなにか心が安らぐことがあります。その時犬や猫たちは、その姿は「畜生」でも心の中は「人間」よりずっと上の「仏界」つまり仏様に近いところにいると、言えるでしょう。

とかく私達は自分の都合のいいように片寄った物の見方をしがちです。みんなの都合も考えて、穏やかな気持ちでいる時、心の中は一番上の「仏界」仏様に近づいていると言えます。

ということは地獄も極楽も、死んでから行く所ではないことが分かります。今生きている時の私達の心の在り方、生きてる時の問題です。心の持ち方一つで、いかような生き方にもなりますよ。とシャカは説かれているわけです。「刹那に散りゆく運命」を知って、1日はもちろんの事、瞬間さえも大切に、生き生きと生きたいものです。

光っている人

2004年05月01日コメントをどうぞ

kotoba_1605

「平成16年5月」

3月に、「ツイてる!ツイてる!」と言葉に出す「こころ舞」さんの話をしましたが、全国の長者番付で10年連続ベスト10入りしている自然化粧品、健康食品販売業を営む「斉藤一人」さんも「ついてる、ついてる」と何回も口に出している人だそうです。

斉藤さんも「ついてる。ついてる。」と毎日何回も口に出すことによって、いろいろな事が好転し、商売もどんどん繁盛するようになったといいます。さらに、斉藤さんは「運」の強い人と縁を結びなさい。と言われます。運の強い人とは、いつでも前向きで、幸せを運んでくれる「気」を持ってる人で、運の強い人とは光っている人だ。と言っています。光っている人とは、頭も、顔も、足も、ピカピカ、ツヤツヤして、イキイキしている人だそうです。

とにかく光って明るい人は、後光がさすという言葉がありますが、神仏の光をしっかりと受け止めているプラス思考の人で、反対に暗い人は、悩みや苦しみばかりを受け止めてしまって愚痴ばかり口に出すマイナス思考の人だと言うのです。

以前、ある印刷会社の社長さんがマイナスの言葉を口に出すと、さらにマイナス要因を呼び込むということから、人と挨拶する時に「景気がわるいだとか、いけませんねえ」などというマイナスの言葉は口にしません。と言われたことがありました。その通りだと思います。

いつも前向きで、つやつや光って、運の強い人と一緒にいると自分も前向きな気持ちになります。反対に愚痴ばかり口に出す暗い人と一緒にいると、自分までもマイナス要因を受けてしまいます。

厳しい世の中ではありますが、「ついてる」とか「よくなる」とかいう前向きな言葉を口に出す事が、大きな働きとなってプラスの要因を呼び込むことは間違いないと思います。まず自分が前向きな気持ちプラス思考で、運の強い気を呼び込む光っている人となりましょう。そうすることによって、人とのかかわりがより良く明るいものとなり、いきいきとした毎日が送れることでしょう。

今、ホームページを開いたあなた、とっても光っています。

防犯カメラ

2004年04月01日コメントをどうぞ

kotoba_1604

平成16年4月1日

先日テレビで、防犯監視カメラを町のあちこちに設置したほうがよいのでは、という事が取りざたされていました。プライバシーの侵害だという意見もありましたが、最近の凶悪犯罪の増加や生活のモラルの低下など考えると、なんとも言えない気がします。

富士山は日本を代表するすばらしい山で、私も飛行機がら見た富士山のすばらしい景色を忘れることはありません。とくに雪をかぶった姿などは絶景です。しかし、今、富士山は登山者がゴミを捨てて行き、その残していったゴミなどで、山肌が汚されゴミだらけだそうです。そんな現状の事を知ると富士山にまで、防犯カメラを設置したほうがいいのではと思ってしまいます。

昔の人は、「お天道様は、何もかもお見通しだ。たとえ自分はごまかせても、お天道様をごまかすことは絶対にできない。お天道様をまともに拝めなくなったら、人間はおしまいだ」というようにお天道様を大切にし、何かにつけてお天道様が心の支えとなっていたと思います。お天道様が、私たちの「監視カメラ」であったのかもしれません。

そのころの空は青く、すっきりと澄んでいて、太陽も明るく大きく見えた事でしょう。ところが、最近の子供達の書いた絵には、空や太陽が灰色に塗られている絵があるそうです。これではお天道様を拝みなさいとは、ちょっと言えませんし、たとえ言ったとしても子供達は納得しないでしょう。 ほんとにいやな世の中というか、考えてみると私達がいやな世の中にしてしまったわけです。

私達は一体この始末をどうつけたらよいのでしょうか。 でも、太陽はまだなくなっていません。私たち一人一人が、自分だけよければ、人が見ていなければ・・・という自分勝手な気持ちを抑え勇気ある行動をとることによって、灰色から再び燦然とかがやく明るい太陽を取り戻すことが出来、社会も家庭も明るく暮らしやすい世の中になると思います。

お天道様はなにもかも、おみとうしです。

ツイてる ツイてる

2004年03月01日コメントをどうぞ

kotoba_1603

平成16年3月1日

「節分過ぎて七ゆき」という言葉をよく耳にします。節分が過ぎてもまだ七回は雪が降るという意味だと思っていましたが、本当は違うそうです。

「ななゆき」の「ゆき」とは降る雪ではなくて、何処へ行くの「行く」いう字で、「いちゆき」とは一週間のことを言い「ななゆき」とは一週間が七回の事を言うのだそうです。つまり、節分が過ぎてもまだ一週間が七回、49日ぐらい経たないとまだまだ暖かくなりませんよ。という事なのだそうです。

そんな中、春を呼び込むような、鳥取出身 「こころ舞」さんの書いた『ツイてる!ツイてる!』(読めば読むほどツイてくる)という本に出会いました。どんな時でもツイてる!ツイてる!と言葉に出すことで、どんどんツキを呼び込めるというのです。たとえば、旅の途中ノドがカラカラになっていた時に、水が半分は入ったコップがあったとします。それを「なんだ、たった半分か」と言う人と、「なんてありがたい半分も水が入っている」と言う人では、この先起こることが180度違ってきます。

舞さんは言います。スーパーに買い物に行って一番遠くの駐車スペースしか空いてなくても、最近運動不足だったから歩くことが出来てよかった。近くの駐車スペースが空いてなかった事に感謝。ツイてる!ツイてる! 友人に叱られても、最近調子にのっていたから言葉を慎みなさいとの戒めだ。叱ってくれた友人に感謝。ツイてる!ツイてる! さらに舞さんはうつ病を病んでいたそうですが、あの苦しみは私に与えられた人生の糧となった。そのお陰で今がある。うつ病を体験して良かった。うつ病になった自分に感謝。ありがとうございました。ツイてる!ツイてる! といった具合です。

舞さんはどんな時でも、ツイてる!ツイてる!と言葉に出すことで、何を見ても何を聞いても感謝の心がわいてきてプラスの考えで言葉が出るようになり、生き方が変わってうつ病から立直ることが出来たそうです。

私達も ツイてる!ツイてる!と言葉に出してみましょう。必ず何かが変わります。このホームページを開いたあなた、とってもツイでます。

命の旅

2004年02月01日コメントをどうぞ

kotoba_1602

平成16年2月1日

先日、NHKテレビで2004年 寿命 命の旅という番組がありました。

今、世界で平均寿命の一番長い国は、日本で、一番短い国は、アフリカのシエラレオネという国だそうです。日本人の平均寿命81.9歳に対しシエラレオネはなんと34歳で、乳幼児の死亡率が高く、4人に一人は5歳まで生きられないのだそうです。その原因は、内戦による飢餓で、内戦がおさまった今も、食料不足による栄養失調で、短命を余儀なくされているのだそうです。

かたや、豊かな国アメリカでは、片寄った食生活により、栄養を取りすぎ、肥満が原因で平均寿命が短くなりつつあり、食べ過ぎをふせぐ目的で、年間10万人もの人が 胃を半分にする手術を受けるそうです。日本もアメリカに近い状況だと思いますが、 同じ地球にいながら、食べ物がなくて寿命を縮める国があれば、ありすぎて寿命を縮める国があるわけです。

寿命の短いシエラレオネの子供たちは、毎年クリスマスを迎えると「神様、私は今年も生きられた、ありがとう。」という詩をみんなが歌うそうです。いつ死ぬかわからないから「生きる」とうい事を、身を持って、とても大切に感じているのです。
ほとんどが死んでゆく中で、死ななかったこと、今日一日生きられた事に感謝し、一人一人が誰におそわるでもなく、ごく自然に命の重さを感じ、生きられた自分が何か役に立つ人間になりたいと願う姿、世界で一番命の短い国で、精一杯生きようとする子供たちに、生きることの大切さを教わった気がしました。
インターネットであるお寺のホームページを見ていたところ、こんな言葉に出会いました。

「私が無駄に過ごした今日一日は、昨日死んだ人が痛切に生きたいと願った一日」考えさせられる言葉です。今月は、節分の月です。前向きに精一杯生きる姿が「邪気」を払い「福」を呼び込みます。まず今日一日を一生懸命生きましょう。

25 / 25« 先頭...10...2122232425