今月の言葉

当たり前という奇跡

2011年06月02日2件のコメント

2011_6

 NHKの番組で『爆笑問題』の2人が、鳥取市にある『野の花診療所』を訪問し終末期医療に携わる徳永進先生と対談しているのを見ました。

番組の中で徳永先生が、「患者さんに最後にやりたい事を聞くと、立ち上がって歩きたいとか、御飯が食べたいとか、普段何気なくやり過ごしている当たり前の事を言う方が多いんです」と語られていました。

さらに「いつ命を奪うかもしれない臓器によって、命は支えられているんです」なとど語られる徳永先生の言葉にはズシリと重いものがありました。

そのあと画面には、「当たり前という奇跡を生きよう」という言葉が映し出されました。

番組の最後に、野の花診療所での先生の姿を映し出す映像を見ながら、自らの死について尋ねられた徳永先生が、「沢山の方を送ってきましたからね~。変なかっこは出来ませんよね~」と語っていると、爆笑問題の太田さんが、「なんか先生の方がジタバタしてるよね~」と。これにはさすがの徳永先生も苦笑いしていました。

私達の身の回りには沢山の幸せがあるはずなのに、「当たり前」という気持ちが沢山の幸せを覆い隠してしまっているのだと思います。

「当たり前」という気持ちを、ちょっと取り払って沢山の小さな幸せを見つけましょう。

リ・クリエイション

2011年05月01日コメントをどうぞ

kotoba_2305

平成23年5月 「リ・クリエイション」

5月のゴールデンウイークというと、かってレクリエーションという言葉がもてはやされた時代がありました。

レクリエーションは、正しく言うと、リ・クリエーションと言います。“リ”には再び、クリエイションは新しい物を作っていくという意味があります。ですから、リクリエイションは、再び新しい物を作っていく為に気持ちをリフレッシュさせると云う意味になります。

ほかにも、リ”という言葉がつく頭につく言葉をあげてみると、「リストラ」「リバイバル」「リハビリ」「リピート」「リターン」「リフレッシュ」などなど、ほとんどが“再び”という意味がある事に気付きます。

「リストラ」は、リストラクションといい、会社を首になる事ではなく“再び構築する”というのが本来の意味です。

まさに今私達は未曽有の国難を乗り越えて、再び新しい物を作り、再び構築していかなくてはならない時です。

人間を救えるのは、やはり人間です。

人間の心も再構築し、人と人との“縁”をつなげお互いを助けあい困難を乗り越え、再び新しい物を作っていく新しい一歩を踏み出したいものです。

がんばろう日本!

愛は勝つ

2011年04月01日コメントをどうぞ

kotoba_2304

平成23年4月 「愛は勝つ」

このたびの東日本大震災は、大自然の恵みと同時に大自然の脅威の中で生活しているという私達人間の現実を、まざまざと見せつけられました。

私達が考えなければならない事は、何気ない普通の毎日がどれだけ尊く有りがたい事かを身にしみて実感する事だと思います。

全国から支援の物資が届く中、ラジオの番組で、だれかが震災の被災者さんたちに届けたいとリクエストした、KANさんの曲『愛は勝つ』が流れていました。

♪ 心配ないからね~ 君の想いが~ 誰かに届く明日がきっとある ♪

♪ ど~んなに困難で~ くじけそうでも 信じることを決してやめないで ♪

♪ ど~んなに困難で~ くじけそうでも 信じる事さ 必ず最後に愛は勝つ ♪

歌を聴きながら、心にせまるものがありました。

この『愛は勝つ』は恋愛を歌った歌ですが、この未曽有の危機を乗り切るには、日本人みんなが老いも若きも、それぞれがお互いを信じて愛する事だと感じました。

しかも見返りを求めない「無償の愛」です。

節電、節約に努め、普通に過ごせる毎日がどれだけ有り難いかを肝に銘じ、国をあげて、力を合わせて、愛の力でこの未曽有の困難を乗り越えたいと思います。

デスペラード

2011年03月01日コメントをどうぞ

kotoba_2303

平成23年3月 「デスペラード」

NHKの音楽番組『SONGS』で放送されたロックバンド「イーグルス」特集を見ました。

昔の貴重な映像や近年の映像の数々が映し出されるなか、最後に、名曲『デスペラード』(ならず者)のライブ映像が流れ感動しました。

♪デスペラード(ならず者よ) どうしてまともにならないんだ ♪

♪デスペラード(ならず者よ) もう若くはないんだ ♪

♪デスペラード(ならず者よ) さあ 目をさますんだ ♪

歌と同時に画面の下に出るテロップを見ながら、30年来聞いている曲なのに、若い頃に聞いた時とは違い、なんか自分に言い聞かされているようでドキッとしました。

さらに歌は続きます。

♪明け方には雨が降るかもしれないが 頭上には虹がかかっているはずだ ♪

♪お前を愛してくれる人を見つけろよ 誰かに愛してもらうんだ♪

♪手遅れにならないうちに ♪

今さらではありますが、素晴らしい歌詞だと思いました。

我々人間に対するメッセージのようでもあり、最後の部分は人と人との関わりが薄れる『無縁社会』にならない為のキーワードのようにも思えました。

「手遅れにならないうちに 目を覚ます」。お彼岸にはそんな事も考えてみたいものだと思います。

冬は必ず

2011年02月01日1件のコメント

kotoba_2302

平成23年2月 「冬は必ず」

今年の冬は全国的に寒さが厳しく、春待ち遠しいこの頃です。

こんな時期、心に沁み入る言葉があります。『冬は必ず春となる』。心強く励みになる言葉です。

この言葉は鎌倉時代、夫に先立たれ病弱な幼い子供を抱え絶望している御婦人に日蓮聖人が出されたお手紙の一節です。

さらにこの言葉は、『冬は必ず春となる いまだ昔より きかず みず 冬の秋と帰れる事を いまだ聞かず 法華経を信じる人の凡夫となる事を』と続きます。

「つらい時もありましょうが、冬が秋に帰ったなどと云う事は聞いた事がありません。厳しい冬もやがて温かな春へと移り変わってゆくものです」と日蓮聖人から励ましのお手紙を受けられたこの御婦人は、お手紙に励まされ、奮い立ち、女手一人で立派に子供さんを育て上げ、寿命を全うされたとの事です。

人生つらい事も沢山あると思いますが、つらい時を乗り越えると必ず良い時がやって来るものです。

『冬は必ず 春となる』この言葉を励みに、寒い冬を、乗り切りましょう。

兎に角

2011年01月01日コメントをどうぞ

kotoba_2301

平成23年1月 「兎に角」

新年明けましておめでとうございます。

今年平成23年の十干・十二支は、『辛』(かのと)、『卯』(う)歳です。『辛』は「物事が新たになる」と云う意味があり、『卯』には「茂る」と云う意味があります。

ですから、平成23年は「物事が新たになり、盛んに茂る」歳という事になります。

今年はウサギ歳ですが、「兎に角」と書いて「とにかく」と読みます。これは、「とかく」という言葉の当て字なので漢字としての意味はありません。

この「兎に角」の当て字は、夏目漱石が多用した事で、広く用いられるようになったとの事です。

「とにかく」の「と」は、「そのように」。「かく」は「このように」で、「あれこれ」とか「なんやかんや」といった意味で用いられ、それが転じて、「いずれにせよ」などの意味になりました。

「物事が新たになり、盛んに茂る」平成23年、今年もいろんな事があると思いますが、“いずれにせよ”、“いずれにしても”ウサギのように元気にピョンピヨンと、気持ちも新たに良い歳にしてゆきましょう。

♪目を閉じて何も見えず♪

2010年12月01日1件のコメント

kotoba_2212

平成22年12月 「♪目を閉じて何も見えず♪」

梨花ホールで谷村新司さんのコンサートを観ました。素晴らしい感動のひと時でしたでした。

コンサートの後半で、名曲『昴』を歌う前に谷村さんが言われた言葉がとても印象に残りました。

「お陰さまで、ずいぶん長い事この曲を歌ってきました。でも、この曲を歌うといつも言われてきました。♪目をとじて何も見えず~♪あったりまえでしょう~と。

でも、子供の頃は、いろんなものが見えていたはずなんです。それが段々と歳を重ね大人になるにつれて、見えなくなってしまうんですね。目を閉じていても、想像力が働きいろんなものが見えていたはずなんです。これも段々と歳を重ね大人になると、見えなくなってしまうんですよね。だから、“目を閉じて何も見えず”というのはとても悲しい事なんです」。

♪目を閉じて何も見えず♪には、そういう意味が込められていたのかと感動しました。

“見えなくなる”と云う事は気付かなくなると云う事です。

私達は大人になるにつれて、身の回りにある小さな幸せに気付かない“悲しい大人”になっているのかもしれません。

“幸せ”を見失わせている原因は、“当たり前”と思う気持ちです。

“当たり前”という気持ちを取り除き、今年一年の小さな幸せ振り返り、いろんなものが見える人間として、感謝の思いを込め平成22年を締めくくりましょう。

喝だ~!

2010年11月01日コメントをどうぞ

kotoba_2211

平成22年11月 「喝だ~!」

『渇だ~!』、『あっぱれ~!』と球界のみならず、世の中の御意見番として我々を元気づけてくれた大沢親分の野球一筋78歳の生涯に『あっぱれ!』を捧げたいと思います。

『喝』と『あっぱれ』は同じ意味で使っておられたのではないかと思いました。『喝』は、「しっかりしろ、くじけずに頑張れ」。『あっぱれ』は「良くやった。だが油断せずに頑張れよ」と、双方とも叱咤激励の優しい思いがくみ取れる言葉だったと思います。

大沢啓二さんは、高校3年生の時の甲子園を目指す神奈川県大会で、自信を持って投げた球をボールと判定されたり、確実にセーフだと思ったタッチプレーを二度もアウト判定されて審判の判定に不服を覚え、結局試合は延長戦の末押し出しファーボールでサヨナラ負けしてしまいました。試合後球場のトイレで偶然その審判と遭遇した大沢さんは、もう一人の選手と共にその審判を蹴りつけてしまい、その結果一年間の出場停止処分を受けてしまったそうです。

しかし、後日、大沢啓二さんが蹴りつけた審判が自宅を訪れ、自分は立教大学野球部関係者である事を名乗り、「君のような野球がうまくて元気のある選手が立教大学には必要なんだ」とスカウトし、野球部推薦で立教大学に進学したとの事です。

という事は、大沢さんがこの審判に蹴りを入れていなかったら、後の野球人生は無かったという事かもしれません。人生何が転機になるか分からないものです。

大沢さんの、『喝だ!』。『あっぱれ!』は、なんとなく元気のない今の世の中に対する叱咤激励だったのかもしれません。

この『喝』と『あっぱれ』を自問自答し、元気で明るく活力のある毎日を送りたいものです。

ガチョーン

2010年10月01日コメントをどうぞ

Kotoba_2210

平成22年10月 「ガチョーン」

『ガチョ~ン』などのギャグでお茶の間に笑いを提供した、トロンボーン奏者・歌手・俳優・コメディアンなど多くの肩書を持つ谷啓さんが亡くなられました。

芸名の谷啓はアメリカの名コメディアンのダニーケイを日本語風にしたものだったそうです。

小松政夫さんや小野やすしさんなど多くの知人が思い出を語られるコメントを聞いていると、優しくて恥ずかしがり屋ながら、ほんとうに人を楽しませる事が好きな人だったという谷さんの人柄がしのばれました。

有名な『ガチョ~ン』のギャグは、大好きだった麻雀をしている時に思いついたもので、麻雀牌をガッと積もってチョンと引くしぐさが元になっていると云う事でしたが、麻雀を通して、思い通りにならない事が多い毎日の中、そんなモヤモヤした気持ちを『ガチョ~ン』と吹き飛ばしてしまおうというような思いがあったのではないかと思います。

そう思うと『ガチョーン』はとても味わい深い言葉のように思えてきます。

思うにならない事の多い毎日かもしれませんが、『ガチョーン』と吹き飛ばし元気に明るく頑張りたいものです。

谷啓さんも、あの世で『ガチョーン』を連発しておられる事でしょう。

おわりよければ~

2010年09月01日コメントをどうぞ

Kotoba_2209

平成22年9月 「おわりよければ~」

お盆のお経回りの時、お経を終えて振り向くと、小学生の女の子さんから、「おしょ~さん しんだらどこにいくんですか~」と尋ねられドキッとしました。

いい加減な事を云うといけないので正直に、「おしょ~さんもね~、まだ死んだ事がないから、わからんだが~」と答えると、「そ~か~、しんだあとのことは、分からないんだ~」と。

「何処か良いところ行けるかもしれないけれど、わからないでしょ。だったら、まず今日、今が良いところになって今日が楽しく過ごせるようにしましょうね~」と言うと、「ふ~ん」とうなずき、そばにいたお爺ちゃんとお婆ちゃんが笑っていたので、孫さんはお釈迦さまが言われた事と同じ事を言ってるんですよ」。とにかく今日一日を明るく元気に過ごしましょうねと言って家を後にしました。

ほかにも、4歳の男の子さんが、お経を終えた私に向かって、「よくないことをしたら~、じご~じとく~」と。エッと思いながら、「そ~か~、おしょ~さんも、思い当たる事が、いっぱいあるな~」というと、そばのお婆ちゃんが、「この子は、なんだか、四字熟語が好きなんですよ~。語呂がいいんでしょうね~」と笑っておられました。しばらくお話をして、「それじゃ~、おしょ~さんは帰るからね~バイバイ~、またね~」というと、今度は、「おわ~り~よければ~、すべ~て~よし~」と。一同大笑い。

子供さんの何気ない素朴な言葉にドキッとしたり、感心したり、教えられる事が沢山ありました。素直な言葉には素直に答える。これはとても大事な事だと考えさせられました。

今月はお彼岸をむかえますが、素直な気持ちを養う機会にしたいものです。