今月の言葉

不思議な御縁

2007年11月01日コメントをどうぞ

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平成19年11月1日  「不思議な御縁」

毎年11月をむかえると思い出す事があります。

数年前の事になりますが、ある二人の御兄弟が北海道からお寺を訪ねてこられました。話を聞くと、自分達の御先祖さんは、200年ほど前に鳥取の賀露港から船に乗り、開拓団として北海道に渡ったという事が分り、御先祖を尋ねてはるばる鳥取までやって来られたとの事でした。

お話を聞き、早速に学成寺の過去帳を調べてみると、なんと、おっしゃる名前の御先祖さんが書いてあるのが見つかりました。

境内墓地に、ここは北海道に行かれた家のお墓だと、伝え聞いているところがある事を話し、お墓に行ったところ、おそらくここに間違いないという事で、お墓を掘り起こす事になりました。

午後になり、業者の方の手によって、お墓を掘り始めたところ、土台の石の下から50センチほどの小ぶりの墓石が出てきました。おそらく昭和20年の鳥取大地震で石塔が倒れ、そのまま土に埋もれていたのでしょう。正面には戒名、側面には御命日が記されている墓石を洗い、御命日を見てみると、その日は11月30日だったのですが、墓石に記された御命日は、なんと11月30日でした。たまたま尋ねて来られたその日が、御命日のお墓でした。お二人は涙を流して喜ばれ、私も思わず手を合わせ、しばし言葉が出ませんでした。

どんなに離れていようと、年月が過ぎていようと、時間も空間も越えて繋がる縁(えにし)を感じずにはおれませんでした。石塔は境内の無縁墓地にまつり、お二人は一握りの土を大切に胸に抱いて御先祖様と一緒に北海道へ帰って行かれました。

世の中、目に見えている物が全てではない事を感じる、忘れられない出来事となりました。いろんな縁(えにし)により生かされている事を感じながら、毎日を前向きに元気に送りたいものです。

インスタント人間

2007年10月01日603件のコメント

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平成19年10月1日  「インスタント人間」

世の中まさにインスタント時代の様相があります。

この事は、今に始まった事ではなく、2・30年前から、カレー、ラーメン、コーヒーなどのインスタント食品に始まり、今や様々な物がインスタント化しています。

辞書によるとインスタントとは、即座、即席という意味です。インスタント食品を多く食べているせいではないでしょうが、最近は人間までが即席になり、その場しのぎの「インスタント人間」が増えてきたような気もします。

国をつかさどる政治家の先生方の中にも、昨日まで政治とは関係のない所にいた人が、即席でいきなり政治家になってしまう事もあるようで、ちょっとばかり理屈がこねられるからといって、それで政治が分ったような顔をされたのでは、私達国民はたまったもんではありません。

政治家に限らず、芸能界もしかりです。あるテレビの番組で、最近若者に人気の若手芸人が、田舎町でおじいちゃんおばあちゃん相手に、芸を披露していましたが、人を小ばかにしたような出しものはまったく受けず、かえって反感を買い、場はしらけていました。いつ何処で誰に対しても、その芸で多くの人を楽しませてくれるのが本当の芸人だと思いますが、どうもやることなすこと即席なので、まったく深みがなく後に何も残りません。

昔は、かたくなまでに自分の道一筋に打ち込む味わいのある活き活きと生きる「プロの人間」がちゃんといて、口先だけの人間は恥かしくて顔も上げられない。そんな時代もあったはずです。

口先だけで帳尻を合わせる、「インスタント人間」にならぬよう、深みや味わいを持って齢(よわい)を重ね、活き活きと生きる「プロの人間」になりたいものです。

3分間待つのだぞ

2007年09月01日コメントをどうぞ

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平成19年9月1日  「3分間待つのだぞ」

「3分間待つのだぞ」。40代以上の人には懐かしい大塚食品「ボンカレー」のCMです。日本経済新聞で、『「3分間待つ」今は昔?』という面白い記事を見ました。

「ボンカレー」は3分間待つだけで手間なしで簡単に食べられたので、40年続くヒット商品になり、日清食品の「カップヌードル」もお湯をカップに注いで3分間で、手軽に食べられ、今なお人気商品となっています。

3分間を取り上げると、料理番組の「キューピ3分クッキング」。ボクシングの1ラウンドも3分間。ウルトラマンが地球上で活躍できる時間も3分間。砂時計も3分間が多いそうです。このテレホン法話も約3分間です。

3分間と云うのは、長過ぎず短過ぎず、心理的にもちょうどいい時間で、私達の生活に一定の時間基準として浸透しており、身近な存在なのだそうです。

といころが最近は、時代と共に変化も出ており、大塚食品は電子レンジで2分暖めて食べられる「ボンカレー」を発売しています。ちなみに1分を縮めるのになんと35年かかったそうです。従来3分だった即席麺の調理時間も1分から5分までと多彩になっています。

さらに、「3分間のドラマ」と呼ばれた歌謡曲も形式にとらわれないアーティストが増え1曲の時間が5分に近づく曲も増えていて、NHKの「ラジオ体操」も3分余りだったのが、最近の「みんなの体操」では、のんびりしたテンポで5分弱に長くなっているそうです。

こうした背景について、利便性を追求して時間短縮に力を注ぐ動きや、味や品質の向上を進め時間を延長する動きもあり、「日本社会の成熟化を反映している」というような見方があるとの事でした。

『「3分待つ」今は昔?』。この機会に、じっくり時間をかけて、人間の成熟化も考えてみたいものです。

お盆の事

2007年08月01日コメントをどうぞ

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平成19年8月1日  「お盆の事」

お盆を前に、「お盆がきましたら、毎日お墓参りに行くですけど、よ~考えてみたら御先祖様はお家に帰っとんさるですけぇ、お墓は留守じゃないですかな?」と尋ねられました。

確かにそういう状況設定のもとにお盆は成り立っていますから、お墓は留守になります。

昔の人は、留守のお墓は私達が掃除をして火を燈して、ちゃんと守りますから、安心してお家に帰っていて下さい。と、留守番の気持ちを込め、さらにお墓にはお留守番の御先祖様もおられるので、その方の為にお供え物を持って毎日お参りに行きました。お盆のお墓参りには留守番の思いがこめられていたわけです。

外出して家をあけたとき、英語では「アブセント」といいます。まったく誰もいない、不在という意味です。同じ事を日本語では「留守にする」という言い方をします。「留守」と云う字は、「留まって守る」と書きます。と云うことは、自分達は外出しても「留まって守ってくれるものがいる」というわけです。目には見えないけれども、「家」を守ってくれる「人」がいるという事を昔の人は感じ取っていたのです。

神さま、仏さま、御先祖さま、目に見えない「さま」の事を「お陰さま」といいます。

私達は自分ひとりで生きているのではなく、いろんな方に守られているんだと言う事を考えるのも、お盆の大切な意味ではないでしょうか。

1300歳記念

2007年07月01日コメントをどうぞ

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平成19年7月1日  「1300歳記念」

お墓参りに来られた御夫婦が、「今日は、1300歳記念で集まりがあるんです」と言われました。どういうことだろうと訊ねてみると、その方は9人兄弟で、その9人兄弟が御夫婦共々全員御健在。9人の御夫婦なので、総勢18人。その18人の年齢を全部足すと今年で1300歳になられるとの事でした。今までも、1000歳、1200歳などと、そのつど回を重ねて来られているとの事でした。

これはすごい事だと驚きました。兄弟9人御夫婦が元気で、しかも仲良くないとありえない事ですし、とても幸せな事だと思います。「一番上は88歳ですので、今回が最後になるかもしれません」と言われていましたが、一回でも長く続いてほしいのもだと思いました。

話を重ねるうちに、「歳を重ねた者が元気なのは、それはそれで有難い事なんですが、今の子供達の事が気がかりです」と言われ、「私達の若い頃、学校の先生は、生徒や児童を指導するものだと思っていましたが、今は、指導するとは言わず、支援すると言うらしいですよ」と、今の子供たちの事、学校のあり方を憂いておられました。教え導くのではなく、後方から様子を伺いながら支援するという事のようで、なにか逃げ道をこしらえているような、なんとも微妙な言い回しにも聞こえますが、今の教育現場の現状を踏まえれば、やむをえない事かもしれません。

変に気を使い、人間関係がギクシャクする事の多い昨今ですが、この御兄弟のように、仲の良い事が広がり、家族が仲良く、近所が仲良く、そして世の中みんなが仲良く繋がると、もっと潤いのある住みよい世の中になると思います。素直な気持ちで、人と人との仲の良い繋がり、今なりの支援の仕方も、考えてみたいものです。

赤ちゃんポスト

2007年06月01日1件のコメント

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平成19年6月1日  「赤ちゃんポスト」

中年の御婦人方のちょっと気になる井戸端会議の会話を聞きました。

「赤ちゃんポストってどうおもう~」。「赤ちゃんポストよりも、夫ポストを作ってもらいたいわよね」・・・。

団塊の世代がいよいよ家庭生活中心の生活へと帰ってくる。そうすると、慣れない?夫の世話を四六時中しなければならなくなる。そこで、「夫ポストで誰か引き取って面倒を見てくれないだろうか」という事に・・・。少し身勝手かなとは思えますが、確かに御婦人がたとっては、結構切実な問題かもしれません。

置き去りにされた夫の場合は、文句も言えるし、笑い話ですむ事もあると思いますが、しかし、赤ちゃんは深刻な問題です。赤ちゃんは訳も分らず、いやとも言えず、それでも赤ちゃんの命が助かれば良いかもしれませんが、ポストに入れられた赤ちゃんが将来、入れた張本人よりも、もっと苦しく哀しい人生を送らねばならない可能性もある事を思うと、複雑な思いがしてやりきれません。

これも、自分の都合ばかりを優先させる事の多い今の世の中の歪の一つのような気がします。

このままでは、自分にとって都合の悪いものはみなポストへとなり、「赤ちゃんポスト」に続き、「夫ポスト」「妻ポスト」などいろんなポストが出来てしまうような気がします。とりあえずは、自分の都合を優先して、ポストのお世話にならないように気をつけたいものです。

れんげ草

2007年05月01日コメントをどうぞ

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平成19年5月1日  「れんげ草」

最近は、見る事が少なくなった「れんげ草」が咲く田んぼを見かけました。昔は、学成寺の周りも田んぼが多く、れんげ草の中を走り回って遊んだ事を思い出します。

そんな「れんげ草」を見ながら、池上本門寺酒井日慈貫首様の話を思い出しました。

貫首様が、子供の頃、小学校を卒業した日、お母様が成績表を前にして、「お前は頭が悪いくせに勉強嫌いでは、世間の皆様と肩を並べて生きていく事は容易な事じゃない。だけど、お前に一つだけいいところがある。それは、お前は面倒見がいいところだ、お前は『れんげ草』におなり、れんげ草は田畑のこやしになるし、家畜の餌になる。お前も、世間様のこやしとなって餌となって人様のお役にたつように努力すれば、お前のような人間でも、この世に生まれてきた甲斐を見つける事が出来ますよ」と言われたそうです。

なぜか、その母の言葉が、子供ごころに納得がいき、「よし、俺はれんげ草になろう」と心にきめられた酒井貫首様は、以来、90歳を迎えようとする今日まで、みごとに「れんげ草」の人生を歩んでおられます。

最近になっての事だそうですが、孫娘さんが買ってきた「花ことば」という本が机の上に置いてあるのを見つけられた酒井貫首様は、「れんげ草」の花ことば」は何だろうと興味深く開いてみられたそうです。すると、—実り多い幸せ—と書いてあり、田畑のこやしであり、家畜の餌である野の花が—実り多い幸せ—とは。と、仰天し、その時、おもわず40年前に亡くなられた、お母様の顔がポッと浮かび。なるほど、そうだったのかと、感慨深くお母様の事を思い出されたとの事でした。

私達も、人様のお役に立てる、『れんげ草』の人生歩みたいものです。

電気の神

2007年04月01日コメントをどうぞ

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平成19年4月1日  「電気の神」

俳優の『菅原文太』さんの「自然・ふるさと・生活再発見」をテーマにした講演を聞きました。

ふなれな鳥取弁の「ばんなりました~」という挨拶で公演が始まり、「トラック野郎」も、おじいちゃんになったなぁと思いながら耳を傾けました。

中国電力の「電気記念日」の講演会だったのですが、今の世の中は、真っ暗闇のない時代で、明るすぎると言われました。真っ暗闇があるから明るさの感じ方が違い、有難さも違う。自分が子供の頃は、電気を点けても、消し忘れると親からすぐに消せ~消せ~と怒られるほど、電気は貴重なエネルギーだった事を振り返られ、電気の有難さを語られました。

今の経済にも触れられ、戦後の日本は、お金だけの復興で心の復興がなされないまま、高度経済成長へと道を誤った。と、憂いを語られ、経済成長の方向性を誤った為、世の中を騒がす事件、子供に関わる事件は、ほとんどが、お金が絡んでいると言われ、確かにお金はあればあるほうが良いかもしれないが、世の中お金とか儲けとか欲の空気ばかりなので、子供たちに、欲のない空気を吸わせてやりたいと話されました。

鳥取には山があり、林業も盛んですよねぇと言われ、ある林業の町で、おじいさんが植えた木を、お父さんが切り出し、孫の学校を創っている事を語り、このように今と昔が上手に繋がった地域づくりになると良いですね。コンクリートの学校では情緒は育たないですよねと、思いを語られ、現代社会は、商業主義からの脱却が大切だと公演を締めくくられました。

ゆっくりとした口調で、じかんの流れもゆったりと感じ、すばらしい講演でした。

日本人は昔から、自然の恵みを「海の神」「山ノ神」と感謝を込めて崇めて来ました。いまや電気のない暮らしは考えられません。電気に感謝を込めて「電気の神」も崇めたいものです。

かたじけない

2007年03月01日コメントをどうぞ

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平成19年3月1日

第一生命保険が、恒例となった「サラリーマン川柳コンクール」の入選作品百編を発表しました。あいかわらず世相をちりばめたユニークな作品の数々です。

「ハンカチで ヨン様卒業 ぼくの妻」。「イナバウアー 一発芸で 腰痛め」。など、昨年話題になった斉藤投手や荒川静香さんにちなんだ作品や、「そのすきま 席ゆずられても 座れない」。と太りすぎを冗談にしてしまう作品。脳を鍛える人気ソフトを題材に「脳年齢 年金すでに もらえます」。妻の前では言えない言葉を、高校の未履修問題に重ね「新妻は 炊事と掃除 未履修で」。犬や冥王星に自分の身を置き換え「犬はいい 崖っぷちでも 助けられ」。「冥王星 なんだか他人と 思えない」など、笑うに笑えない、現実が見え隠れし、考えさせられる作品の数々です。

川柳や短歌などは、言葉の面白さや、味わい深さを考えるきっかけとなり、最近乱れている日本語の勉強にもなり、言葉遊びとしても面白いものだと思います。

そんな中、テレビである時代劇を見ていて、今ではほとんど使われる事のない、「かたじけのうございます・・・」というセリフが耳に止まりました。「かたじけない」などという言葉は、それこそ今は死語になった言葉だと思いますが、みょうに気になりました。

「かたじけない」とは、元来は容貌の醜い意を表す言葉だったそうですが、身にしみてありがたいとか、もったいない、恐れ多いとか、恥ずかしく面目ないなどを意味して、感謝や御礼や反省や、相手を思いやる気持ちも込められ、味わい深く、美しくもあり、とても謙虚な言葉だと思います。こういう言葉を思い出すと世の中少しは、良くなるのではないかと思います。

3月は、お彼岸です。お彼岸は、昼と夜の長さが同じで、片寄らない日を真ん中にした一週間に、片寄らない、バランスの取れた生き方を考え実践する時です。自然や御先祖様に対しても「かたじけない」気持ちを表す時だと思います。

このホームページを開いて頂いて、「かたじけないことです」。

100年後には

2007年02月01日コメントをどうぞ

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平成19年2月1日

今、地球上では人類史上かってなかった様々な問題をかかえています。温暖化の影響もあり、絶滅に向かっている生き物が増えており、私達にとって身近な存在のカエルも絶滅に向かっているそうです。このまま温暖化が進めば、約100年後には、海面が6~7メートル上昇するとの事です。

人間が排出する二酸化炭素が、温暖化の要因のひとつと言われるわけですが、人間が、便利で豊かな生活を手に入れる為に行って来た事が、大変な状況を生んでいるわけです。そんな状況にもかかわらず、地球上では国同士の争いが絶えることがありません。各国の代表が、宇宙船に乗り、宇宙の中に存在するたった一つのかけがえのない地球を眺めながら、話し合いを持ったらどうでしょう。そんな事でもしない限り、人間の行いは変わらないと思います。

100年後には、今生きている私達は、この世にはいないわけですが、だから何もしないというのが、一番怖い事かもしれません。

今更、カマドで火をおこし、ご飯を炊くなどという事は出来るはずもありませんが、少しは、今よりも不便な生活を心がけてみる事も、必要だと思います。

今月は節分の月です。「節分」といえば、立春の前日を示すようになりましたが、元はといえば、立春・立夏・立秋・立冬の、前の日はすべて節分です。昔は「立春正月」といい一年の始まりを立春に求めた事から、「節分」と言えば、立春の前日を示すようになりました。

節分になると、豆には「邪気を払う霊力」があると考えられていた事から、豆を蒔く事で、邪気を払い、福を呼び込む事を願い「豆撒き」をしたり、玄関から入る邪気を防ぐ為に、鰯(いわし)の頭を焼いて、ヒイラギの葉に刺し、家の入り口に置き、鰯の頭の悪臭で、邪気を防ぐというような風習が行われてきました。

本来私達人間は、自然の摂理の中で、思うにならない事の多い現実を受け入れながら、いろんな思いや願いを込めて、自然との共生を考えながら生きて来たのだと思います。営まれてきた、昔ながらの風習から、自然との付き合い方、見直していく事も「節分」の月の持つ意味ではないでしょうか。