今月の言葉

足るを知る

2006年06月01日1件のコメント

kotoba_1806

平成18年6月1日 「足るを知る」

第一生命サラリーマン川柳コンクールの、「私が選ぶサラリーマン川柳ベスト10」が発表されました。名誉ある第1位は、「昼食は妻がセレブで 俺セルフ」。以下「年金は いらない人が制度きめ」「ウォームヒズ ふところ常にクールヒズ」 「2歳だろ トロウニ選ぶな 卵食え」 「妻の口 マナーモードに切りかえたい」。と続き、ほかにも「片付けろ 言ってた上司が片付いた」「散発代 俺は千円 犬一万」「ダイエット 食費以上に金かけて」などの作品が上位入選し、いずれも世相を突いた秀作ばかりで、笑えない現実も見え隠れする素晴しい川柳でした。そんな川柳を見ながら、思うにならない事の多い日々の生活の事を、いろいろと考えさせられました。

そんな折、京都清水寺、大西良慶前貫首さんの在りし日のお姿をテレビで見ました。大西貫首さんは、「小欲知足、欲少なく足るを知る。という言葉があるが、足るを知る、とは足(あし)を知ると書く。だから、まず自分の足のサイズをちゃんと知り、それぞれが自分の足のサイズつまり自分の身にあった分相応の事を考え行動しなさい。自分の足のサイズも知らずに高望みばかりしているから、欲多く足るを知らず、思うにならない事ばかりになる」と言われていました。さらに、「人間3つの事をちゃんとしていれば、しっかりと生きられる。その3つとは、「よく食べて、よく働き、よく眠る」。この3つをちゃんとこなしていれば、善良な精神になり、しっかりと生きられる」と、なるほどと思いました。

思うにならない事の多い昨今ではありますが、自分の足の寸法わきまえて、よく食べ、よく働き、よく眠り、足るを知りましょう。

シロアリのお陰

2006年05月01日コメントをどうぞ

kotoba_1805

平成18年5月1日 「シロアリのお陰」

お寺の本堂のシロアリ防除工事をしてもらいました。狭い床下にもぐり大変な作業でした。

地球上にはわれわれ人間を含め沢山の生物が生きていますが、数の一番多いのはシロアリで、その数で言えば地球上の生き物の90%を占めるそうです。シロアリは人間にとってやっかいな害虫ですが、私達人間はシロアリに大変大きな恩恵をこうむっています。

森林の木は、だいたい200年から250年周期で倒れて腐り、木が生まれ変わっていきます。倒れた木が腐る原因はシロアリです。木の元の一番硬いセルローズをシロアリが食べ、シロアリの中の20数種類のバクテリアがセルローズを分解する事によって木が腐り土になり、その土でまた新しい木が育ち、その木が二酸化炭素を吸って酸素を出します。という事はシロアリのお陰で酸素が出来て、私達人間は生きていけるというわけです。森林の木だけならいいですが、人間の住んでいる家まで分解してしまうので目の敵になってしまいますが、シロアリのお陰で酸素が出来て私達は生きていけるのですから、目の敵どころが、逆に感謝をしなくてはなりません。

「柳の下にドジョウ」これは、柳の木の下には必ず魚がいると言う意味ですが、柳の木の下には、落ち葉が落ち、それが栄養分となり、それによってプランクトンが育ち、それを食べに魚がよって来るというわけです。シロアリと同じようにこういう命の連鎖が地球の環境をつくっています。

お寺や各家庭にも御本尊「マンダラ」が奉られています。「マンダラ」とは集まるという意味で、世の中、すべての物が持ちつ持たれつ、助け合いながら共存共栄しながら、つながっているという事を表します。柳の木と魚。シロアリと私達人間の関係も「マンダラ」です。

もともと地球上には害虫というのは存在しません。害虫とは人間が決めた事です。しかし、考えてみれば地球上で人間が一番害虫なのかもしれません。様々な命の連鎖の御縁によって生かされている事を自覚し、害虫にならないよう気を付けたいものです。

いい仕事してますね~

2006年04月01日コメントをどうぞ

kotoba_1804

平成18年4月1日 「いい仕事してますね~」

中国電力主催による電気記念日の文化講演会で「目利きの人生談義」と題して、「いい~仕事してますね~」で有名な古美術鑑定家でエッセイスト、中島誠之助さんの講演を聞きました。

日本に電気が始めてともったのは今から128年前の明治11年。鳥取県に始めて電気がともったのはその39年後の明治40年の事だそうです。以来、何気なく使ってはいますが、電気のありがたさを考えさせられる良い機会ともなりました。

古美術鑑定家である中島さんは古美術品の事を、「電気のない時代に、自然の光で見て美しく見えるようにつくられており、電気記念日の講演で申し訳ないが、明るい電気の光で見るとアラが目に付き美しく見えないんですよ」。「日本人は、ふすまから差し込む太陽や月の光などを通して、古美術品に親しみ情緒を楽しんで来ました」。と言われました。茶室が狭くて薄暗いのは、自然の光の中で茶道具を楽しむ為だと知り、なるほどと思いました。そして、古美術品には使いにくい物が多く、利休の作った茶杓などは、ふしがありとても使いにくいのだそうです。使いにくいから、そこに作法が生まれ文化が生じる。なるほど今の私たちは、便利で使いやすい物ばかり使うので、作法がなくなり文化が薄れ、行儀も悪くなるわけです。

日本の文化はとくに紙と木の文化で、色々な物に気持ちを込めて、とても大切にしてきた事を話され、柿の木一つ取っても「木守り」と言って、来年もまた沢山なっておくれよという気持ちを込めて柿の木に柿を一つだけ残してきた。そんな味わい深く心優しい文化だったとのべられました。それに比べると確かに、今は使い捨て、使いきりの味気ない文化です。

そして、「人間、感動も大事ですよね~」と、感動の上に知識が加わると「美」につながり感動がある。逆に知識が先に入る場合は人間「欲」に走るとわれました。たとえば、お寿司を食べた時に、「うまい」と感じ、その次にこのネタは・・・となるのと、ネタの知識が先走った時のお寿司の味は、感動がないでしょうと言われ、これもまた面白くなるほどと思いました。

最後に、「よく、イザと言うときの為に・・と言う人が多いが、人間いつも、今がイザと言う時です」と締めくくられ、すばらしい講演でした。桜咲くこの頃、日本の文化、考えて見たいものです。

暑さ寒さは彼岸から

2006年03月01日コメントをどうぞ

kotoba_1803

平成18年3月1日 「暑さ寒さは彼岸から」

「我が家にも 抵抗勢力 妻むすめ」「片付けろ!言ってた上司が 片付いた」今年もまた、第一生命による恒例の「サラリーマン川柳コンクール」の全国入選作品100選が発表されました。今回で19回目となるそうで、約2万句の応募作品から流行や職場、家庭などを題材にした名(迷)句が選ばれました。「ダイエット 食費以上に 金かけて」「妻の口 マナーモードに切り替えたい」「少子化を 食い止めたいが 相手なし」などと、サラリーマンの悲哀ネタは健在で、世の中の世相と本音が見え隠れし実に味わい深い川柳です。

しかし、笑っていられない現実も見え隠れして考えさせられる事も多々あります。「少子化」の問題などは大問題です。過去の歴史の中で「国が滅びるときは人口が減っていく」と言うような事を聞いた事がありますが、いったい日本の将来はどうなるのか心配は絶えません。

当たり前といえば当たり前の事ですが、1人の人間がいれば、必ず父と母がいます。その父と母にもそれぞれ父と母がいるわけです。そう考えていくと10代さかのぼると1024人の命。さらに20代さかのぼると、なんと200万を越える命の数になります。しかも、その中の命が一つでも欠けると今の自分の命は無いわけです。

結婚はしていても、「子供はつくりません」などと言う人がいますが、もしその人の親や先祖にそんな人がいたならば、今のその人の命も無いわけです。やむおえない事も多々あるわけですが、生命誕生以来続いてきている私達のこの命、自分で絶やすことなく子々孫々伝えたいものです。そんな事を思い考えるのも「お彼岸」なのかもしれません。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、「節分過ぎてななゆき」も良く聞く言葉です。ななゆきとは七回ゆきが降るではなくて、一週間が七回行(ゆき)ゆくという意味です。節分から「ななゆき」して七週間経つと、ちょうど彼岸明けの次の日になります。そこで「暑さ寒さも彼岸まで」と言う事になるわけです。昔の人は上手いこと言ったものです。しかし、「彼岸まで」と言うと油断するので「暑さ寒さは彼岸から」と思いたいものです。

「一週間 七回ゆきて 春となる」

男たちの大和

2006年02月01日コメントをどうぞ

kotoba_1802

平成18年2月1日 「男たちの大和」

映画「男たちの大和」YAMATOを見ました。かって大和と運命を共にした内田の娘、内田真貴子が鹿児島県枕崎の漁港を訪れ、「昭和20年の4月7日に戦艦大和が沈んだ場所まで船を出してほしい」と懇願してきたところから映画は始まります。大和の沖縄水上特攻作戦の生き残りである漁師・神尾克己が、一緒に大和に乗っていた内田の娘である事に驚き、若い漁師・敦を伴い小型漁船「明日香丸」に乗せ、大和が沈んでいる東シナ海に向けて船を走らせる中、スクリーンに切々と60年前の光景が甦ってきます。

押し付けがましくなく、戦争の悲惨さ、愚かさ、虚しさなどが見事に表現され、感動に揺さぶられて胸が一杯になりました。さらに、言葉では、到底表現し切れないなにかを感じ、大和に乗り組んだ人たちを通して、戦争で国の為に命を捧げた人たちの「将来の祖国日本を宜しく頼んだよ」という声が聞こえてくる素晴しい映画でした。

沖縄特攻の命を受け、護衛航空機の援護もなく、帰りの燃料を積まず出航していく大和の上で、長島一茂扮する臼渕大尉の「敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるか、今目覚めずしていつ救われるのか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る、まさに本望じゃないか」の言葉が胸を打ちました。

しかし、今の日本はアメリカに戦後60年かけて実に巧妙に、属国にされてしまったのではないかと思われるような状況で、生活様式も、物の考え方も、経済も、アメリカ文化のオンパレードです。

アメリカ的な生活様式や、個人の自由や意見ばかりを尊重する世の中で育った世代には、人の為、国の為などという事は、到底理解しがたく受け入れにくい部分もあるのではと思われますが、年齢を問わず、いろいろと考えさせられる映画だと思います。

ラストシーンで、かって大和の特年兵だった老船長から、枕崎に帰る「明日香丸」の舵は15歳の少年・敦の手に渡されます。日本の未来は若い世代に託され、私たちには、明るい未来を築いていく使命がある事を伝え、映画は幕を閉じます。機会があれば、沢山の若い人達にも「宇宙戦艦ヤマト」でなくこちらの「大和」も見てほしいと思いました。

月の満ち欠け

2006年01月01日コメントをどうぞ

kotoba_1801

平成18年1月1日 「月の満ち欠け」

今年の初日の出、いかがだったでしょう。

今、登る朝日も、沈みゆく夕陽も見たことがない。という子供が多いそうです。朝日が昇って光がさし、命の鼓動が息づいて来る。私たちは太陽の光とエネルギーで生かされています。本来、人間の体は自然のリズムを刻もうとしているのに、頭の方は人間が作った、自然とは違うリズムによって動き、それによって、大人も子供もいろいろな問題を起こしているのが今の現状だと思います。

さらに、小学生の約5割は月が満ち欠けする理由が分からず、さらに約3割は太陽が沈む方角を知らない。という話を聞きました。驚く事に太陽が地球の周りを回っている、との天動説が正しいと答えた児童も4割に達したという事です。「ゆとり教育」の為、学校で教えなくなったり、自然体験が減った事が原因と考えられているそうです。

月が満ち欠けする理由についても、正しく答えた児童は半分にとどまり、「いろいろな形の月がある」と答えた児童もおり、太陽の沈む方角を訪ねても3割近くの児童が「西」と答えられず、都市部の児童ほど正解率が低かったと言うことです。

考えてみれば最近は、たとえ田舎に住んでいても、子供に限らず大人も、ゆっくり朝日を見たり、夕陽を見たりすることがほとんどないと思いますし、朝日も夕陽も見れない環境を作ってしまったのも私達人間です。

平成18年は丙(ひのえ)戌(いぬ)歳です。丙は万物(すべての物)が生じて平然と表れる事。戌は万物(すべての物)が脱落しまたは尽滅する事。という歳まわりです。今まで出来てきたもの(特に悪いもの)が滅し尽くされて、そして新し物、良い物が平然と表れる、そんな意味にとれると思います。

新しい年、丙(ひのえ)戌(いぬ)歳を迎え、朝日や夕陽、自然に親しみ、気持ちを癒しながら、正しい生活のリズム、体のリズムを取り戻し、悪い事を滅して、良い事が多くなるような歳にしたいものです。

花びらに変える

2005年12月01日コメントをどうぞ

kotoba_1712

平成17年12月1日 「花びらに変える」

今年も師走をむかえました。12月8日は、ビートルズのメンバー、ジョンレノンが凶弾に倒れた日、そしてパールハーバー、第2次世界大戦の開戦した日。これらはよく知られていますが、もうひとつ12月8日は、お釈迦様が悟られた日でもあり、「成道会」と言い、仏教徒にとって大変意義深い日です。なぜこんな素晴らしい日に人の命を奪ったり、戦争を始めたのか、人間の愚かさを思わずにはおれません。

この日を迎えると、お寺ではお釈迦様が、悟られた時の様子を描いた絵を飾ります。その絵は、悟りを開き、たいへん穏やかな姿で座っておられるお釈迦さまに、沢山の毒矢が飛んできている絵が描かれています。さらによく見ると、なんと、その飛んできた矢はお釈迦さまに当たった瞬間に、花びらとなってひらひらと舞い落ちていく様子が描かれています。この絵は私たちに色々な事を教えてくれます。

人から受けた仕打ち。それをそのまま、矢のままで返すから争いとなります。そんな事を繰り返していては、何時までたっても争いが尽きる事はありません。飛んできた矢を花びらに変える。なかなか出来ることではありませんし、今の世の中どこから矢が飛んでくるのか分かりません。考えられないような所から、考えられないような矢が飛んできます。花びらに変える。大変な世の中ではありますが、そんな意識をちょっと持ってみたいものです。そうすれば、物事が少しづつでも、必ず良い方向に変わってゆくはずです。

あわただしい年の瀬を迎えますが、「慌しい」(あわただしい)とは、心が荒れる。と書きます。くれぐれも、心を荒らさないよう、ゆとりを持つよう心がけ、「なにごともなく、あたりまえ」な事のありがたさかみ締めて、今年一年の「あたりまえだと思った事」に感謝をこめて、飛んできた矢を、花びらに変えるよう心がけ、一年を締めくくりましょう。

ぼけます小唄

2005年11月01日コメントをどうぞ

kotoba_1711

平成17年11月1日 「ぼけます小唄」

ある方から「ぼけます小唄」という詩を教えてもらい思わず笑ってしまいました。その詩とは。

一、何もしないでボンヤリとテレビばかり見ていると のんきなようでも年をとり いつか知らずにボケますよ
二、仲間がいないで一人だけ いつもすることない人は 夢も希望も逃げてゆき 年をとらずにボケますよ
三、お酒も旅行も嫌いです 歌も踊りも大嫌い お金とストレス貯める人 人の二倍もボケますよ

思い当たるふしがあります。

いっぽう「ぼけない小唄」は

一、風邪もひかずに転ばずに 笑いを忘れずよくしゃべる 頭と足腰使う人 元気ある人ボケません
二、スポーツ。カラオケ・囲碁・俳句 趣味のある人味もある 異性に関心持ちながら 色気ある人ボケません
三、年をとっても白髪でも 頭はげてもまだ若い 歌をうたってアンコール 生きがいある人ボケません

こちらはなるほどと思います。

何もしないで、人の中に交わらず。つまらん事にくよくよと愚痴ばかりの生活をしてストレスばかり貯めてるとボケますよ。色々なものに興味を持ち、笑いを忘れずに体を適度に動かし、趣味を持ち、気持ちを若くしていればボケませんよ。という事です。

わかってはいるんだけどなかなか出来ない。でも、「出来ない、出来ない」といって何もしないでいる人は、ほんとに出来ません。何とか一歩前にでて少しでも行動に移せる人は、どんどん良い縁が広がって行くものです。

今の世の中、若くてもボンヤリと物事に興味なく、ボケそうな人が多いのが気になります。

食欲の秋・芸術の秋です。しっかり食べて、しっかり楽しみ、「ぼけない小唄」実行しましょう。

一人家族

2005年10月01日コメントをどうぞ

kotoba_1710

平成17年9月1日 「一人家族」

ある食堂での事です。つい立で仕切られたとなりの席に親子と思われる2人組が座って食事をしていました。その間、高校生ぐらいと思われる男の子がしゃべっており、いまどき珍しい会話のある親子だなぁと思っていたところ、男の子が手にしていたのは携帯電話でした。なんと食事中話をしていたのは目の前にいる母親ではなくて携帯電話の相手でした。食事代を母親が払って店を出て行きましたが、店を出るまで母親との会話はほとんどありませんでした。

まったく味気ない食事だった事と思います。なんともいえない気分になりました。核家族という事が言われて久しいですが、今や核家族がさらに進み「一人家族」の状況です。

テレビは「一家に一台」の時代は遠い昔の話になり、今や「一人に一台」になり、携帯電話の普及率も80%を超え、若者は道を歩きながらヘッドホンで音楽を聞き、周りの事はまるで目に入らず自分の世界に入っている人をよく見かけます。

世の中が「核家族」から、さらに「一人家族」になって、人と人との繋がりが薄れ、生の声での会話の聞こえにくい家庭や社会になってきています。でも、決して若者や子供が悪いわけではないと思います。今の世の中を造ってきたのは私達大人です。

ある小学校の校長先生が、終戦から60年、自分たちがしてきたような苦労は次の世代には絶対にさせまい。という思いのもとに子供たちに物を与えてきた。それが与えすぎて、今日の我慢のきかない、きれやすい子供たちにしてしまったかもしれない。と言われていました。

よく、人と人との間につながりがあって「人間」と言いますが、人と人とのつながりを取り戻すには、やはり「おはよー」「こんにちは」「ただいまー」「おかえりー」の大きな「声」です。まず大人が積極的に元気な「声」を出し、機械を通しての会話だけでなく生の声でのコミュニケーションとして、「声」の行きかう社会や家庭を取り戻したいものです。

このホームページを開いたあなた。きっと大きな声の出る人だと思います。

ヤバイ

2005年09月01日1件のコメント

kotoba_1709

平成17年9月1日 「ヤバイ」

最近は日本語の乱れが取りざたされますが、いいか悪いか判断がつかなかったときに「ビミョー」という言葉を使う人や、素晴らしいやすごい、おいしいなどの意味で「ヤバイ」を使う人が10代・20代はもとより40代、50代でも増えている事が文化庁の日本語に関する世論調査でわかりました。

「ビミョー」などはすでに定着して、判断がつかない時だけじゃなく、答えたくない時にも使われて微妙なニュアンスを生んでいます。

以前は新しい事を「ナウイ」と言いましたが、最近は「ヤバイ」とも言うようです。どんな時に「ヤバイ」を使うのかというと、ケーキが美味しかったき「このケーキ、ヤバイおいしいね!」とか、映画で感動したとき「今日の映画ヤバイくらい面白かったね」とか、格好いい男の人がいた時「あの人ヤバくない」とか、結局「スゴイ」の意味で使うようで、強調語句としても使われるようです。

若者言葉に詳しい、椙山(スギ)女学園大の加藤教授は「若者言葉が広がる背景には、社会が寛容になり、年配者まで使う傾向が出ている事がある」と指摘し、その理由として、「携帯電話などの普及で、若者の言葉が社会的影響を及ぼす事を大人が認識するようになった為ではないか」と話しています。

文化庁は、定着するかどうかは現時点では判断出来ないと分析しているようですが、定着する事が良いか悪いかは何ともいえない「ビミョー」な事だと思います。

言葉が乱れるにつれて、世の中いろいろな事がみだれてきているように思われます。

一年を通じて、爽やかに空気が澄んで人間の頭が冴えるちょっと「ヤバイ」時それが、お彼岸の7日間です。昼と夜の長さがほぼ同じで片寄らない日を、釈迦の教えで、片寄らない物の考え方しようとする「中道主義」に重ね、爽やかに冴えた頭で物事をみきわめ、生活の乱れを修正しようとしたのが「お彼岸」です。この機会に言葉の乱れ、社会の乱れもちょっと考えてみたいものです。

学成寺のホームページちょっと「ヤバくない・・・!」

22 / 24« 先頭...10...2021222324