今月の言葉

腰を落ち着けて

2006年12月01日コメントをどうぞ

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平成18年12月1日

近頃は、毎朝新聞やテレビを見るのが恐ろしい気がします。次から次と起こる事件が多すぎて、どれがどの事件なのかさえも分らなくなってしまいます。怖いのは、そんな事件が当たり前になり、「またかぁ」と、少々の事では驚かなくなる事です。

毎日のように、悪い事をした人が、「まったく不徳のいたすところで御座います、心よりお詫び申し上げます」。「深く反省申し上げる次第です。誠に申し訳ありませんでした」などと、頭を下げていますが、本当に反省しているのかすら、疑いたくなる状況です。大人がなすすべなく、立場や体裁を取りつくろうとする姿を子供たちにみすかされてしまうようで、怖い気もします。

あるテレビ番組で、石原慎太郎さんが、「日本には、恥じという文化があったが、今はなくなってしまったし、こんなに緊張感なく発達した文化は日本だけだ。日本は平和が発酵し過ぎて、腐敗の過程に入った。と言っていましたが、その通りかもしれません。

どうも、親になってはいけない人が親になり、そんな親に育てられると当然、なってはならない子供になってしまいます。

とにかく、心が不安定になり、腹の立つ事が多いこのごろです。

怒りがこみ上げて来ると、「心」が体の上の方にあがり、最後には頭のてっぺんに来ます。この状態の事を、「頭にきた」といいます。こりゃいかんという事で、「心」を沈めてようやく腹のあたりまで下りて来た。それでもまだ「腹が立つ」。やはり「心」は、腰のあたりに「腰を落ち着けて」いたいものです。

慌しい年の瀬をむかえますが、慌てず「腰を落ち着けて」1年を締めくくりたいものです。

スポーツの秋

2006年11月01日コメントをどうぞ

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平成18年11月1日

プロゴルファーの杉原輝雄さんは、今年69歳をむかえました。若いころはマムシの杉原と恐れられ、今までに現役3位の勝数になる60勝をあげ、半世紀に渡ってゴルフの試合に出場して来られました。

その間、乗用カートを使わずコースを歩くプロの選手は、どれだけ歩いた事になるでしょう。年間平均100ラウンドしたとすると、1ラウンドの平均距離を約7キロとして年間700キロ。それを杉原さんは50年続けたのですから、700キロ×50年=3万5千キロ。地球をほぼ一周した距離になります。すごい健脚です。

杉原さんは、「歩く事を、あまり深く考えた事はないが、前屈みになるような歩き方はしたくない」と言われます。さらに「姿勢としてみすぼらしいし、内臓にも良くないからね。気が付けば、すぐに胸を張るようにしています。」と語られます。家から電車の駅まで15分くらい歩く時も、早く歩いたりペースを緩めたり、色々と工夫を凝らしているそうです。そんな杉原さんも、98年に、前立腺がんを患いました。しかし、体力が落ちるからと手術を拒否し、治療を受けながら現役にこだわっています。
夜8時には寝床に着き、毎朝5時半には起き体操をして、朝ごはんをしっかり食べ、トレーニングで体をいじめ抜いて現役にこだわりながら、年齢より少ない数のスコアで回るエイジシュートと云う記録を狙っています。

あるテレビ番組で、「そんな杉原さんが現役にこだわる理由はなんですか」と。尋ねられると、「自分は諦めが悪いし、未練たらしいからです。でも、そういうところが、僕のゴルフ人生を支えてくれたんです」と、さりげなく答えられていました。

秋は、食欲の秋であると共に、スポーツの秋でもあります。しっかり食べて、しっかり体を動かし、杉原さんのように、規則正しい生活のもと、心も体も元気に、「諦め悪く、未練たらしく」人生の現役を続けたいものです。

売ってない商品

2006年10月01日コメントをどうぞ

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平成18年10月1日

「通販生活」という通信販売の雑誌が送られてきました。その本の中にパロディで「売ってない商品カタログ」というページがあり、なかなか面白い商品が載っていました。

沢山の尊い犠牲の元に成り立つ今の平和。戦争の放棄をうたった憲法第9条だけは、簡単には譲れない。という切実な思いをカタチにした。「平和弁当」。これは、食べていくうちに、容器の底に印刷された数字が見えてきて、それが第9条の「9」だったら大当たり。

今なお、地球上には沢山の地雷が埋め込まれており年間2万人近い人間が被害にあっており、その23%が子供だそうです。という現実をカタチにして、豆ごはんなんだけど、豆の中にいくつかワサビを固めた豆が混じっていて、それを食べたら大変。慎重にワサビの豆を除去しながら食べていく「地雷除去弁当」
ちなみに、豆はグリンピースで平和の豆です。

今の出生率から単純計算すると、西暦3400年には、日本の人口はたった1人になるとの事。これは計算上の事なので、実際にはそんな事にはならないと思いますが、50年後には1億人を切るのは間違いないそうです。そんな日本の国中に燃え盛る小子化の火を防ごうという事で、消火器をもじって、「少子化機」。

人と人とを結び付けているのは言葉なのに、最近は迂闊に話しかけると、何をされるかわからない物騒な世の中。そんな中、口を出してお節介で世直ししようという事で、頭からすっぽりかぶると、目の所は小さく、口の部分が大きく開いている「口出し帽子」。

まだあります。「春のうららの隅田川~」と歌われた。東京の隅田川。その隅田川の水をペットボトルに入れ、「こんなきたねぇ水に誰がした」と反省する。「隅田川の水」など。

いずれも、今の世相を繁栄して本当にあったら面白い。と思える商品でした。しかし、笑っていられない厳しい現実が、見え隠れするのも事実です。

実りの秋をむかえ、「実るほど頭をたれる稲穂かな」の言葉を思い出し、謙虚な気持ちで、世の中の乱れ修正したいものです。

バランス

2006年09月01日コメントをどうぞ

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平成18年9月1日

ある方と「お盆が過ぎましたけど、じきに彼岸が来ますね」。と話をしていると「お盆って1年に1回なのに、お彼岸は何で2回もあるんですか、初盆はあるのに、初彼岸ってないですよね」と尋ねられました。

素朴な疑問って結構あるなぁと感じながら、「お盆は、釈迦の弟子、目連尊者が、7月15日に、餓鬼道に落ちて苦しんでいる母を救ったのが由来なので1年に1回」

「お彼岸は、1年に昼と夜の長さが同じで片寄らない日が2回あるのを、釈迦の教えで、どちらにも片寄らない物の考え方をしましょう。と云う[中道主義]に重ねたから2回なんです」。「お彼岸には、御先祖がかえって来られると云う設定がないので、初彼岸はないのですよ」と答えました。

釈迦の教えは「中道」が大切ですよ。と教えます。「中道」とは、読んで字の如く「真ん中の道」です。右の道かそれとも左の道かを選ぶ時、釈迦は「どちらにも片寄ってはだめですよ。真ん中の道を行くんですよ」とメッセージを送っています。

しかし、実際には、真ん中の道を行く事は容易ではありません。見方を変えればプラスの道を選ぶか、マイナスの道かと言う事になる事かもしれません。そんな時誰ひとりマイナスの道を選ぶ人はいないと思います。けれども私たちは、やむをえずマイナスの道になってしまう事が多いものです。

そんな時、釈迦は私たちに語りかけます。「決してマイナスはマイナスのままで終わりませんよ」と。マイナスと思われる事から多くを学ぶ時があると思います。逆にプラスだと思っていた事がマイナスになる事もあります。そういえば学校で、マイナスとマイナスを足すとプラスになる。と習った事を思い出します。

以前、ブラジルの留学生さんに、お彼岸の話をしていた時、なかなか適当な言葉がみあたらす、困っていたら、その学生さんが、一言。「バランスですね」と。その通りだと思いました。どうも私はバランスの悪い話をしていたようでした。

気候のバランスも良くなる9月。生活のバランスの事も考えてみたいものです。

お盆のこと

2006年08月01日コメントをどうぞ

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平成18年8月1日

ある若い方から、「お盆って、毎日お墓参りに行きますけど、御先祖様はお家に帰っておられるんですから、お墓は留守じゃないんですか?」と尋ねられました。

確かにそういう状況設定のもとにお盆は成り立っていますから、お墓は留守になるわけです。先人は、留守のお墓は私達が火を燈して、掃除をしてちゃんと守りますから、安心してお家に帰っていて下さい。つまり留守番の気持ちをこめてお墓参りをしてきました。

お盆とは、インドの古い言葉「ウランボン」を音写したもので、「ウランボン」が盂蘭盆となり、略して「お盆」となりました。「ウランボン」とは、自分勝手な振る舞いは、やがて自分に帰ってきて大変な苦しみを受けますよという戒めの言葉です。

釈尊の弟子、目連尊者が、自分勝手な自己中心的な行いにより、餓鬼道に落ちて大変な苦しみを受けている母を救うために、釈尊の教えに従い、出家者の修行(雨安居)の終る7月15日に多くの修行僧に、教えを聞き、沢山の施しをする事によって母を救ったというのがお盆の由来ですこのことが、仏教と共に日本に伝わり、日本古来の風習とが混ざり合って、今日のお盆行事になりました。(地方により、農作業などの為、旧の8月15日)

ただ、先祖供養として、お墓に参るだけがお盆ではありません。命を繋いで頂いたご先祖に感謝し、どうすれば自分勝手な考えを抑えて、正しく生きられるか。つまり、ウランボンにならない生き方を考えるとき、それが本当のお盆です。

先人は、気持ちを込めて具体的に行動する為に、御先祖様を、迎えたり、送ったり、いろいろな舞台設定をこしらえて、お盆行事としてきました。

お盆の13日には、迎え火を焚き、家に飾った精霊棚にご先祖さまをお迎えします。迎える時は、早く帰ってきてほしいので、馬に見たてたキュウリに乗って帰っていただき、15日に送るときは、送り火を焚き、牛に見たてたナスにのってゆっくり帰っていただきます。お墓は、大切な永遠の住まいです。お盆や彼岸だけでなく、常日頃から、きれいにしておきたいものです。

ソロバン

2006年07月01日コメントをどうぞ

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平成18年7月1日 「ソロバン」

買い物に行ったあるお店で、最近あまり目にしなくなったソロバンを使う人を見ました。今は塾と云えば受験対策の学習塾ですが、昔は塾と言えばソロバン塾で、ソロバンは生活の中の必需品でした。しかし、今は学校でもソロバンを使う事はなく電卓を使って計算するそうで、ソロバンの存在すら知らない子供もいるようです。

なんか、妙に懐かしくなり、久しぶりに押入れの奥に眠っていたソロバンを引っ張り出してみて弾いてみました。

ソロバンの玉を下から一つ二つ三つ四つと数えて上げていくと、今度は上にある五の玉を下に下ろして五つとなり、それと同時に今まで数えた四つの玉は全部下に戻されてゼロとなります。当たり前の事ですが、妙に面白く感じられました。上の五の玉があるが、それは下から積み上げてきた四つの玉があるからこそ五として存在している。しかも、その時四つの玉は下に下ろされて、その存在は消えてしまっています。そんなソロバンを見ながら、下から積み上げた一つ一つの玉は、御先祖さまの力や、さらには多く自然の恵みや、多くの人達の影の力に思えてきました。

「お金で買えないものはない」とか、「お金を儲けて何が悪い」などと言う、お金の亡者と化している人の多い世の中、私達は様々なお陰の上に存在している事をわきまえて、人間のあり方、この尊い命の事、ソロバン抜きで考えてみたいものです。

足るを知る

2006年06月01日1件のコメント

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平成18年6月1日 「足るを知る」

第一生命サラリーマン川柳コンクールの、「私が選ぶサラリーマン川柳ベスト10」が発表されました。名誉ある第1位は、「昼食は妻がセレブで 俺セルフ」。以下「年金は いらない人が制度きめ」「ウォームヒズ ふところ常にクールヒズ」 「2歳だろ トロウニ選ぶな 卵食え」 「妻の口 マナーモードに切りかえたい」。と続き、ほかにも「片付けろ 言ってた上司が片付いた」「散発代 俺は千円 犬一万」「ダイエット 食費以上に金かけて」などの作品が上位入選し、いずれも世相を突いた秀作ばかりで、笑えない現実も見え隠れする素晴しい川柳でした。そんな川柳を見ながら、思うにならない事の多い日々の生活の事を、いろいろと考えさせられました。

そんな折、京都清水寺、大西良慶前貫首さんの在りし日のお姿をテレビで見ました。大西貫首さんは、「小欲知足、欲少なく足るを知る。という言葉があるが、足るを知る、とは足(あし)を知ると書く。だから、まず自分の足のサイズをちゃんと知り、それぞれが自分の足のサイズつまり自分の身にあった分相応の事を考え行動しなさい。自分の足のサイズも知らずに高望みばかりしているから、欲多く足るを知らず、思うにならない事ばかりになる」と言われていました。さらに、「人間3つの事をちゃんとしていれば、しっかりと生きられる。その3つとは、「よく食べて、よく働き、よく眠る」。この3つをちゃんとこなしていれば、善良な精神になり、しっかりと生きられる」と、なるほどと思いました。

思うにならない事の多い昨今ではありますが、自分の足の寸法わきまえて、よく食べ、よく働き、よく眠り、足るを知りましょう。

シロアリのお陰

2006年05月01日コメントをどうぞ

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平成18年5月1日 「シロアリのお陰」

お寺の本堂のシロアリ防除工事をしてもらいました。狭い床下にもぐり大変な作業でした。

地球上にはわれわれ人間を含め沢山の生物が生きていますが、数の一番多いのはシロアリで、その数で言えば地球上の生き物の90%を占めるそうです。シロアリは人間にとってやっかいな害虫ですが、私達人間はシロアリに大変大きな恩恵をこうむっています。

森林の木は、だいたい200年から250年周期で倒れて腐り、木が生まれ変わっていきます。倒れた木が腐る原因はシロアリです。木の元の一番硬いセルローズをシロアリが食べ、シロアリの中の20数種類のバクテリアがセルローズを分解する事によって木が腐り土になり、その土でまた新しい木が育ち、その木が二酸化炭素を吸って酸素を出します。という事はシロアリのお陰で酸素が出来て、私達人間は生きていけるというわけです。森林の木だけならいいですが、人間の住んでいる家まで分解してしまうので目の敵になってしまいますが、シロアリのお陰で酸素が出来て私達は生きていけるのですから、目の敵どころが、逆に感謝をしなくてはなりません。

「柳の下にドジョウ」これは、柳の木の下には必ず魚がいると言う意味ですが、柳の木の下には、落ち葉が落ち、それが栄養分となり、それによってプランクトンが育ち、それを食べに魚がよって来るというわけです。シロアリと同じようにこういう命の連鎖が地球の環境をつくっています。

お寺や各家庭にも御本尊「マンダラ」が奉られています。「マンダラ」とは集まるという意味で、世の中、すべての物が持ちつ持たれつ、助け合いながら共存共栄しながら、つながっているという事を表します。柳の木と魚。シロアリと私達人間の関係も「マンダラ」です。

もともと地球上には害虫というのは存在しません。害虫とは人間が決めた事です。しかし、考えてみれば地球上で人間が一番害虫なのかもしれません。様々な命の連鎖の御縁によって生かされている事を自覚し、害虫にならないよう気を付けたいものです。

いい仕事してますね~

2006年04月01日コメントをどうぞ

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平成18年4月1日 「いい仕事してますね~」

中国電力主催による電気記念日の文化講演会で「目利きの人生談義」と題して、「いい~仕事してますね~」で有名な古美術鑑定家でエッセイスト、中島誠之助さんの講演を聞きました。

日本に電気が始めてともったのは今から128年前の明治11年。鳥取県に始めて電気がともったのはその39年後の明治40年の事だそうです。以来、何気なく使ってはいますが、電気のありがたさを考えさせられる良い機会ともなりました。

古美術鑑定家である中島さんは古美術品の事を、「電気のない時代に、自然の光で見て美しく見えるようにつくられており、電気記念日の講演で申し訳ないが、明るい電気の光で見るとアラが目に付き美しく見えないんですよ」。「日本人は、ふすまから差し込む太陽や月の光などを通して、古美術品に親しみ情緒を楽しんで来ました」。と言われました。茶室が狭くて薄暗いのは、自然の光の中で茶道具を楽しむ為だと知り、なるほどと思いました。そして、古美術品には使いにくい物が多く、利休の作った茶杓などは、ふしがありとても使いにくいのだそうです。使いにくいから、そこに作法が生まれ文化が生じる。なるほど今の私たちは、便利で使いやすい物ばかり使うので、作法がなくなり文化が薄れ、行儀も悪くなるわけです。

日本の文化はとくに紙と木の文化で、色々な物に気持ちを込めて、とても大切にしてきた事を話され、柿の木一つ取っても「木守り」と言って、来年もまた沢山なっておくれよという気持ちを込めて柿の木に柿を一つだけ残してきた。そんな味わい深く心優しい文化だったとのべられました。それに比べると確かに、今は使い捨て、使いきりの味気ない文化です。

そして、「人間、感動も大事ですよね~」と、感動の上に知識が加わると「美」につながり感動がある。逆に知識が先に入る場合は人間「欲」に走るとわれました。たとえば、お寿司を食べた時に、「うまい」と感じ、その次にこのネタは・・・となるのと、ネタの知識が先走った時のお寿司の味は、感動がないでしょうと言われ、これもまた面白くなるほどと思いました。

最後に、「よく、イザと言うときの為に・・と言う人が多いが、人間いつも、今がイザと言う時です」と締めくくられ、すばらしい講演でした。桜咲くこの頃、日本の文化、考えて見たいものです。

暑さ寒さは彼岸から

2006年03月01日コメントをどうぞ

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平成18年3月1日 「暑さ寒さは彼岸から」

「我が家にも 抵抗勢力 妻むすめ」「片付けろ!言ってた上司が 片付いた」今年もまた、第一生命による恒例の「サラリーマン川柳コンクール」の全国入選作品100選が発表されました。今回で19回目となるそうで、約2万句の応募作品から流行や職場、家庭などを題材にした名(迷)句が選ばれました。「ダイエット 食費以上に 金かけて」「妻の口 マナーモードに切り替えたい」「少子化を 食い止めたいが 相手なし」などと、サラリーマンの悲哀ネタは健在で、世の中の世相と本音が見え隠れし実に味わい深い川柳です。

しかし、笑っていられない現実も見え隠れして考えさせられる事も多々あります。「少子化」の問題などは大問題です。過去の歴史の中で「国が滅びるときは人口が減っていく」と言うような事を聞いた事がありますが、いったい日本の将来はどうなるのか心配は絶えません。

当たり前といえば当たり前の事ですが、1人の人間がいれば、必ず父と母がいます。その父と母にもそれぞれ父と母がいるわけです。そう考えていくと10代さかのぼると1024人の命。さらに20代さかのぼると、なんと200万を越える命の数になります。しかも、その中の命が一つでも欠けると今の自分の命は無いわけです。

結婚はしていても、「子供はつくりません」などと言う人がいますが、もしその人の親や先祖にそんな人がいたならば、今のその人の命も無いわけです。やむおえない事も多々あるわけですが、生命誕生以来続いてきている私達のこの命、自分で絶やすことなく子々孫々伝えたいものです。そんな事を思い考えるのも「お彼岸」なのかもしれません。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、「節分過ぎてななゆき」も良く聞く言葉です。ななゆきとは七回ゆきが降るではなくて、一週間が七回行(ゆき)ゆくという意味です。節分から「ななゆき」して七週間経つと、ちょうど彼岸明けの次の日になります。そこで「暑さ寒さも彼岸まで」と言う事になるわけです。昔の人は上手いこと言ったものです。しかし、「彼岸まで」と言うと油断するので「暑さ寒さは彼岸から」と思いたいものです。

「一週間 七回ゆきて 春となる」

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