お盆を迎えたので『お盆ってなぁに!?パート3』です 🙂
お盆は7月15日がその由来となった日です。なので今も関東地方では7月に営まれています。鳥取などで多くの地方では7月は農繁期なので月遅れの8月に営まれるようになりました。
昔インドでは、自分勝手な行いはやがて自分の元に帰って来て逆さまに吊るされたような大変な苦しみを受ける事になりますよという戒めの言葉『ウランボン』という言葉がありました。
その言葉が日本に伝わり漢字が当てられ『盂蘭盆』(うらぼん)となりました。なので、何故そのような苦しみを受けるような事になったのかを省みて、どうしたら苦しみを受ける事なく暮らせるかを考える機会が『盂蘭盆会』という事になります
人間がしてきた事が気候変動に加担している事も少なからずあると思います。猛暑やウイルスなどに苦しむ私達人間はまさに『盂蘭盆』の状態になっていると言えると思います
お盆は、お釈迦様の弟子の『もくれん』さんの話が元になっています。お母さんを亡くし悲しみに暮れた“もくれん“さんは、普通の人が見たり感じたりすることが出来ない事を感じ取るという不思議な能力を持っていたそうです。その能力をでお母様が何処にいるのかと探します。優しい母だったからきっと仏様の側で優しく自分達を見守ってくれていると思い仏様の世界を覗きますが居られません
そしてまさかこんな所に居るはずが無いと思って恐る恐る覗いた『餓鬼の世界』に逆さまに吊るされたような苦しみを受けている母の姿が見えてしまいましたビックリした“もくれん“さんは、お釈迦様の所に飛んで行き、実は母が大変な事になっている姿が見えてしまいました。これは一体どういう事なんでしょう。どうしたら良いのでしょう♂️するとお釈迦が「これはあなたのお母様に限らずすべての人に言える事ですが、私が私がと物を取り込んだり自分の都合だけ考えた勝手な行動が重なると、その行いがやがて巡り巡って自分に帰ってきて餓鬼の世界に堕ちて逆さまに吊るされたような苦しみを受ける事になる場合があるんですよ」と言われました「そうなんですねでは、どうしたら母を救う事が出来るのでしょうか」と尋ねるとお釈迦は「自分勝手な行いは、自分が(我)自分が(我)という気持ちが引き起こします。だから、自分“が“の“が“を、貴方“が“になるような行いをする事ですよ。例えば物を自分が取り込むのではなく、人様に物を施す行いをするとなんです」
もくれんさんが尋ねます「では、いつ何処でその行いをしたらいいんでしょうか」と
するとお釈迦は「多くのお盆さん達の雨季に行う“雨安居“(うあんご)という修行期間が7月15日に終わります。なのでその日にそこへ行って沢山の修行を終えるお坊さん達に、食べる物でも着る物でもいいですから沢山の施しをしてあげなさい。その行いがお母様を救う事が出来る方法ですよ」と言われました母を救いたいが一心のもくれんさんはその通りにします
その後、母はどうなったかと恐る恐る餓鬼の世界を覗くと、そこに母の姿は無く、仏様の世界を覗くと、仏様の懐で穏やかに自分達を見守ってくれる母の姿が見えましたという事です
もくれんさんが7月15日に母を救った事にちなんで私達も餓鬼界に行かないような行動を考える機会が『盂蘭盆』となりました
私達は、もくれんさんのような能力を持っていませんから、見えない物に気持ちを込める為には、具体的な状況設定が必要という事で、13日にお家にお迎えして沢山の施しをさせて頂き15日にお帰り頂くという現在の『盂蘭盆』の風習が出来ました
お盆行事は、このお話や、お墓のお留守番、ご先祖様の送り迎え、もくれんさんの話しなどパート①・パート②、そしてパート③の話が繋がるとその意味が分かって頂けると思います大切なお盆お墓参りだけで終わらせてはいけないなぁと思います♂️
お盆の供養は『追善供養』ではなく『水向供養』と言います。餓鬼界の熱(暑さ)に苦しむ亡者にお水を手向ける事によって熱を除いてあげましょうという事です。
長文お読み頂き有難う御座いました♂️