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平成23年3月

2011年03月30日コメントをどうぞ

3月30日(水)
*ギックリ腰になっていた時に注文していたお風呂用のイスが今頃届いた。早速組立たが、船頭が多く作業している私のそばから、ああでもないこうでもないと・・・。余計に時間がかかった。
うるさい船頭さん

なかなかの優れもののようだが、なるべくならお世話になりたくないイスだ。「今頃届いて~」と言っていると、「まあ、ええだが~。お父さんが要介護になった時に使えるだけ~」と・・・。

*白内障の手術をした母が、「さっきまで台所においとったのに」と言いながら行方不明になった飲み薬を探していた。「ゴミと一緒に、捨てとりゃ~せんだか~」と言っていると、ゴミ箱を探し、勢い余って!?か隣の電子レンジの扉まで開けていた・・・。
電子レンジの中にあったら、面白かったろうな~と思ったが、結局発見できないままに、もう片方の治療の為に奥さんの付き添いで眼科へ出かけて行った。こういう患者を見るお医者さんも大変だ。

しかし、それこそみんなが”行く道”。気を付けたいが・・・。

3月29日(火)
**芸能人やスポーツ選手など様々な人たちが義援金活動を行っているけど、政治家の先生が義援金をおくったなどと言う話は全く聞かない。表立った所での動きも伝わって来ないし、伝わるのは責任のなすり合い。

そんな中、亀井静香さんが担当大臣の人数を増やした管総理に、「人数を増やした所で、バカ+バカは、バカです」との発言。それならば、バカはバカらしくバカを自覚してしっかりとやってもらいたい。と思った。

*日蓮宗管長(一番エライ人)さんから全国の日蓮宗寺院あてに一枚のメッセージが届いた。いかにもお坊さんらしい文章で、最後に、「立正安国の御精神を 体して安穏な社会を再生し、仏国土顕現を目指します」と書かれていた。私達がする事なので御精神の御はいらないのでは思ったし、仏国土顕現という言葉も全 国檀信徒あてのメッセージでもあるにしては何とも・・・意味不明・・・。お叱りを受けそうだが、なんとも現実味のないメッセージだと私は思った。

お坊さんも、「バカ+バカはバカにならないように・・・。

3月28日(月)
*お昼にNHKの連続ドラマ『てっぱん』を見ていたら、出産の場面が演じられていた。それを見ながら、「なんで、赤ちゃんはオギャ~オギャ~って泣きな がら生まれてくると思う。この大変な娑婆(耐えて忍んでいる所)に生まれてきて、こりゃ~えらい所に生まれてきたわと言う事で、泣きながら生まれてくるだ で~。笑って生まれてきた人は、だ~れもおらんと思うで」と言っていると、看護師を目指す娘が、「肺呼吸に変わるけ~だが」と・・・。

さらに「この赤ちゃんは顔元がしっかりしとるでな~」と偉そうに言うので、「赤ちゃんの時はしっかりしとってもな~大きくなったらしっかりせん人がおる だが~。大きくなったら偉そうな事ばっかり言う人もおるし」と言っていると、「お父さん!、自分の事だが~」と。

どうも娘が帰ってきて以来、連日私の部が悪い・・・。

3月27日(日)
*頭髪の白髪が目立ち始めたので家で染めた。娘に染めてもらいながら、「この白髪が増えた原因は誰かわかっとるだろうな~」と言うと、娘があっさり、「自分だが~。こ~いうのを自業自得ちゅ~だで~」と。なんとも・・・オヤジの威厳は何処へ・・・。
ビフォー  アフター 

何だかんだ言いながら無事に染め終えた。

染めてもらいながら、「お経にはな~、不染世間法 如蓮華在水、世間の法に染まざる事、蓮華の水にあるが如しって書いてあるだけ~。これはな~、蓮の華 が濁った泥水の中にあっても、泥に染まらず綺麗な華を咲かせるみたいに、僕たちも世間の汚れに染まらず正しくいきましょうというメッセージなんだけ~」と 言ってみたが、またもや、「どっぷりとつかっとるが~」と。
髪は染めたし、世間の汚濁にも染まったままでも良いから生き生きと生きたい・・・。

先日ある檀家さんが、「私は泥の中でドロドロになりながら生きてレンコンになりたい」と言われたのを受け、奥さんが、「じゃ~、お父さんはレンコン、私は蓮の華ですね」と言われた事を思い出した。

3月26日(土)
*夕べ、春休みで帰省中の娘とシダックス(カラオケ)へ。歌いも歌ったりひとり35曲づつ。御本人ライブ映像というジャンルがあって、そこを検索してい ると1972年絶頂期のデープパープルのライブ映像が出てきて感動した。とうぜんその映像をバックに熱唱(絶叫!?)と相成った。が、「中学生の頃を思い 出すわ、懐かしいな~」と喜んでいると娘が、「39年前だで~」と・・・。

二人中1位・・・

最後を締めくくったのは、先日ラジオで震災の被災者にとリクエストされていたKANさんの『愛は勝つ』。
♪心配無いからね 君の想いが誰かに届く明日がきっとある どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ~♪ 思いは届くかもしれないが、思いやりの形(支援物資)も届けたい。

3月25日(金)
*ようやくプロ野球セントラルリーグの開幕延期が決まり、選手会長の新井貴宏会長(阪神)が男泣きした。それにしても、今だ球界や政界にも影響力甚大なナベツネさんや巨人の清武球団代表の言動には怒りを通り越して情けない思いがした。
そんな折、読売新聞の販売員さんが来られて半年間の契約をする事に・・・。来られるのが檀家さんなので、断ることも出来ず・・・。

何とか開催した高校野球の溌剌としたプレーは感動を呼ぶが、プロ野球選手も元は高校球児。開幕した暁には高校生に負けない溌剌としたプレーを見せてくれる事だろう。

我々も、見習って毎日を溌剌と生きたいものだ。

3月24日(木)   お彼岸最後の日
*『節分過ぎて、ななゆき』と言うが、”ななゆき”は”七雪”でなく”七行き”。一行きは一週間なので”七行き”は49日。節分過ぎて”七行き”めが今日の日。そこで”暑さ寒さも彼岸まで”と言う事になるわけだ。昔の人はうまい事言ったもんだ。
と言う事で、車のタイヤをスタッドレスからノーマルタイヤに替えた。この冬は大雪で例年以上にお世話になった。たまには自分で替えてみようかと一瞬思ったが、またギックリ腰が再発してはと思い、タイヤ館へ直行した。
お世話になったスノータイヤ

スキー場はまだ雪が沢山あるのにわかさ氷ノ山スキー場を残して営業終了。雪がたっぷりあったシーズンなのに1月に発症したギックリ腰のお陰で、スキー学校の講師もキャンセルしシーズンを棒に振ってしまった。よる歳波にも負けず来シーズンは頑張りたい。

「タイヤ館」には、6月からタイヤの値段が上がると言う事で、早くも来シーズンのスノータイヤの予約を受け付けますと書かれていた。私も最近は気がせれるようになっているらしいが、ちょっといやかなり気の早い話だ・・・。

3月23日(水)
*夕べ、テレビの番組で、スーパードクターが難しい症例を手術する場面が生々しく映し出されていた。素人にとってはちょっと衝撃的な映像だったが、我が 家の二人の看護師(奥さんと娘)は何食わぬ顔で、ああだこうだと盛り上がっていた。その姿を見ながら、こういう看護師にはお世話になりたくないと思ってい たら、気持は通じたらしく、私の方をみてニヤニヤ笑っていた。クワバラ・・クワバラ・・・。しかし、今の医療技術は凄いと感動した。

*今日は馬場の町にある本慈院さんで営まれた『彼岸施餓鬼法要』に3人のお坊さんと出仕した。1時間半に及ぶ法要だったので、足が・・・。 法要後境内で戒名を記したお札のお焚き上げ供養も行われた。
境内のお焚き上げ供養

以前、法事の前に「おしょ~にんさん、お経は有難いところちょっとでええですけ~」と言われた方があった事を思い出した。あまり短いのもどうかと思うが、あまり長いのも・・・。何事もほどほどという事だ。

3月22日(火)
*心配していた南相馬市のお寺さんと連絡が取れた。自らも被災者の身でありながら、ボランティア活動をし、毎日遺体安置場にて読経回向をしておられるそ うだ。悲しいなんて言っている暇はありません大変な事になりましたが、とにかく出来ることを頑張りますありがとうとの事。励ます言葉も見当たらないがとに かく無事で良かった。
直接は何もする事が出来ないが、私も自分の出来ることを頑張りたい・・・。

避難所でボランティアの人が被災者の方々に、「体(健康)を維持する為なるべく体を動かし、自分の出来る事は自分でしましょう」と声をかけておられるの を見ながら、私も家で同じような事を言われていると・・・反省。いろんな事を反省し物事の考え方を変なければいけないと思う。

3月21日(月) 彼岸中日
*お彼岸の中日で『彼岸法要』をお勤めしたが、ちょっと寒い中日となったせいかお参りもちょっと少なかった。しかし、被災地の寒さの事を思うと・・・。
可愛いお参り

お母さんとおばあちゃんに手をひかれ可愛いお嬢さんが来られていた。こうして子供の頃からお寺になじんでいると、大きくなっても気楽にお寺にこられる。とてもうれしい事だ。だがしかし、大人でもお寺になじんでいない人が・・・。
「お医者さんと、お寺さんはかかりつけをもちましょう~」といつも言っているが・・・。まずは、なじんで頂けるようなお寺であるよう心がけたい。

彼岸法要では、東北関東大震災で亡くなられた方の御回向もさせて頂いた。

3月20日(日)
*お彼岸のお経を3軒勤め、午後7回忌の法要を勤め、夜は五七日の逮夜供養をお勤めし、お寺に帰ると夜八時半だった。法事の後席では、和やかなひとときとなり、供養を受けれたおばあちゃんも喜んでおられた事だろう。

彼岸回向での檀家さんの家で、法事の後席で、逮夜供養で、一日中しゃべりっぱなしで、お経を読んでいる時間よりも喋っている時間の方が長いお彼岸の一日だった・・・。

帰ってくると、奥さんが、「ボンヌ・ノノさんからお菓子を頂きましたよ~」と。早速蓋をあけると、美味しそうなケーキが。「今日はもう遅いですからね、 明日食べるんですよ」とたしなめられ、蓋が閉じられた。お預けをされた幼稚園児のような気分になった・・・。もちろん、ちゃんと元気よく、「はいっ」とお 返事をした。

3月19日(土)
*今日は3軒ほどお彼岸のお経に伺った。伺った檀家さんの母と同い年の御婦人が、「お寺のお母さんは元気でええですな~。血圧とか頭が痛いとかないです か~」と言われるので、「ええ、お陰さまで元気過ぎて、こちらの方が頭が痛いですわ~」と言うと噴き出して笑っておられた。まあ有難い事には間違いない が・・・。

その檀家さんの東京におられる息子さんが地震の時、仙台市へ出張だったそうで、4日後にようやく東京の家に帰れ、新宿にいた奥さんと子供さんは、三鷹まで5時間歩いて帰られたとの事だった。とにかく無事で何よりだった。

「テレビの報道を見ていいるとしんどくなって・・・」と言われるので、「そ~ですね。ほんとに、しんどくなります」と話をしながら、何事も無い私達がしんどくなっていたら、被災者の方々に失礼かもしれないとも思った。

帰りの道中カーラジオから、誰かが被災者の方々に送りたいとリクエストしたKANさんのデビュー曲で91年のレコード大賞を獲得した名曲『愛は勝つ』が流れてきた。

♪ し~んぱい無いからね~ 君の思いが~ 誰かにとどく~明日がきっとある~ ど~んなに困難でくじけそうでも~ 信じることを~決してやめないで♪   ♪信じることさ~ 必ず最後に愛は勝つ~♪

恋愛を歌った歌だが、被災者の方々に届くてほしいと思いジ~ンときた。

3月18日(金)   彼岸の入り
*早いもので彼岸の入りをむかえた。今日は午前11時から葬仙さんの商栄町ホールで91歳で旅立たれたおばあちゃんのお葬儀を勤め、八坂の火葬場から、 車の中でおにぎりをほおばりながら、若桜町の蓮教寺へ直行し『彼岸法要』を勤めた後、学成寺に帰ってきて、お葬儀の寺参り法要をお勤めした。

91歳のおばあちゃんは1月にお経に伺った時には家におられ私が「気を付けて下さいよ」というと、「おしょ~人さんこそ気をつけなんせ~え。まんだ替わ りがおられんですけ~」と逆に励まして下さっていた。8人の曾孫さんに恵まれ、歳を重ねても矍鑠とした方だった。書道をたしなまれ、葬仙さんの会場には、 作品が飾られ、曾孫さんとの写真も飾られていた。字の(も)ヘタクソな私は、あやからせて頂きたい事が沢山あるなぁと思いながらお勤めさせて頂いた。

若桜町の蓮教寺につくと、有難い事にお参りされた数人の方が車を置けるようにと境内の雪かきをして下さっていた。
法要後、「地層の断層のバランスが崩れると地震になるんだと思います。何事もバランスを崩すとなかなか元に戻りません。そこで昔の人は、昼と夜の長さが 同じで片寄らないバランスの良い日である彼岸の中日を、お釈迦様の教え中道主義(真ん中の道)に重ね、バランスの取れた生きやすい生き方を考えようとした わけです。ですから、お墓の前で手を合わせ、命を繋いで下さった御先祖様に感謝し、日々の生活の事を考えるのがお彼岸の意味です。お彼岸が来てお墓にお参 りしてお彼岸が終わりましたなどとのんきな事を言っている場合じゃないですよね」などと話をしてお彼岸法要を終えた。
雪が残る蓮教寺・・・。

3月17日(木)
*若桜町の蓮教寺へ行った。鳥取市内が20センチの積雪だったので、恐る恐る若桜に行くと・・・案の定50センチの積雪。まずは車を止める為にまず雪か きと相成った。車を境内に入れ今度は雪が降りしきる中で参道の雪かき。彼岸前に50センチの積雪は若桜でも珍しいかもしれない。私も記憶が無いが、あいま いな記憶なので・・・。しかし被災地の事を思うと・・・。この程度の雪など。

本堂を掃除しているとトイレの方からジャ水の流れる音がするので見てみると水道管が水もれし洗面台の下は水浸しとなっていた。すぐに業者さんにお願いし 修理してもらった。ちょうど良いタイミングでお寺に来ていて本当によかった。明日は彼岸法要なのでお寺には来ているが、一日遅れてたら水もれでエライ事に なっていた。
ちょっとの水漏れでも大騒動なのに、放射能漏れの事を思うと・・・。

蓮教寺の歴代住職のお墓に花を入れようとしたがあまりの積雪で・・・。ようやく雪が融けていたのに、お彼岸の墓参りに支障がでそうだ。が、被災地の生活の支障の事を思うと・・・。

昨日の夕方、鳥取市仏教会の有志が大震災の義援金募金に立ったが、私は法要等で経つ事が出来ずじまい。何をする事も出来ないが、頭の中は被災地の事が渦巻いている。

3月16日(水)
*東京にいる愚息が電話してきて、「コンビニを数軒回ったけど、ようやくパンが二つしか手に入らんかった」と言っていた。「お米と水があればしばらくは生きられるぞ」と言っておいた・・・が。
一昨日は、東京から法事で帰って来られていた檀家さんの親戚の方が、「東京に魚を送ったですけどな~。帰ってきましたわ」と言っておられた。
東北地方の被害が甚大であまり報道されないけど、流通が悪く東京も大変なようだ。

*81歳で旅立たれたおばあちゃんのお葬儀を勤めた。7人兄妹の長女さんで、嫁がれてからは二男一女のお母さん。孫さんもおられ賑やかなお葬儀となった。お別れの時、涙と笑顔で「さよなら~」と言って手を振られて送られる姿に人柄が偲ばれた。
お棺にかけられた布には、イナバ葬祭さんのスタッフさんが読まれた川柳、『晩酌と おしゃれ楽しむ母の背中 笑顔は今も バスに揺られて』が記され、 ビールと大丸の写真が印刷されていた。オシャレで、御兄妹とよくバスに乗り、大丸に行っておられた姿が見事に読み込まれていた。
お寺行事にも、よくお参りされており、そんな折の姿を思いうかべながらお勤めさせて頂いた。

御命日となった14日が春の陽の差す穏やかな日だったので、春光院と授けたが、今日は一転雪が舞い冬に逆戻りの一日となった。被災地の寒さが心配だ・・・。

3月15日(火)
*月回向に伺った檀家さんで、二人の孫さん(幼稚園の男の子さんと、小学校3年生の女の子さん)が風邪で休んで家にいた。お経を終えてお茶を頂いていると、2人がやってきて、富桑(ふそう)小学校の開校120年記念でとった写真を見せてくれた。
140人の写真を見て一学年の写真かと思ったら、全校児童だと聞いて驚いた。

「おしょ~さんが小学生だった時の醇風(じゅんぷう)小学校はひとクラス40人もいたんよ~。だから一学年でも160人だったんだよ」というと驚いてい た。女の子さんが、「昔は校庭に桑の木が沢山あったから、富桑小学校って名ずけられたんだって」と教えてくれた。「おしょ~さんは今日は良い勉強になった わ~」というと、おばあちゃんが嬉しそうに笑っておられた。

下の孫さんは、「おしょ~さんにあげる~」と言って紙で作ったものをくれた。「これ何かな~」と聞くと、「リボン!」と。「おしょ~さんは、このリボンどこに付けようかな~」というと、おばあちゃんが噴き出していた。
リボン!

ちょっと、ほっとするひと時だった。

3月14日(月)
*被災者の方が、「これは現実なのか、映画のシーンなのか分からなくなって・・・」と語られている姿に、2006年に見た小松左京原作の草なぎ剛と柴咲コウがダブル主演した映画『日本沈没』のシーンが思い浮かんだ。
なにもしてあげる事が出来ない現実ももどかしいが、とにかく何事も無い毎日の有難さを肝に銘じる事と、節電に勤めたい。

国会で管総理の献金がどうのこうのと言っている時に大地震が起きたわけだが、揺れるのは、何をやっているんだと政治家の先生方の目を覚まさせる為に、国会議事堂だけでよかった・・・。政治家の先生方には日本を沈没させないで頂きたい。

3月13日(日)
*13回忌の法事を勤めた。当時3歳だった娘さんも早高校生、「みんなが13歳を取ったんですね」と言う事に。
「今日は”あたりまえ”という気持を取り除いて沢山の幸せを見つける日です。津波が日常の”あたりまえ”を全部流してしまいました。そうなる前に・・・」などとお話をさせて頂いた。

墓経を終えると娘さん達が、「木魚って魚なんですか~」と。「そ~だよ~。魚が二匹書かれているんだよ。魚は寝る時も目を開けているので、私達も寝る間 を惜しんで、勉強・・・」というと、「え~勉強~」と。そこで、「楽しい事も、なんでも頑張りましょうという事だよ」というとニコニコと笑顔になった。

施主さんの奥さんが、「娘達がお寺の境内にある大きな看板の言葉を覚えてるんです」と言われ嬉しかった。             

『人間だから 人間を愛し 人間を大切にしよう 人間だから人間を磨き 人間を鍛えよう』 いい言葉だ!と自画自賛・・・。

3月12日(土)
*新聞に「管内閣に激震」の見出しがのった翌日、そんな激震など問題にならない大変な大地震が起ってしまった。地震による倒壊、津波、火災、放射能汚 染、被災地の事を思うと胸が痛み言葉もでない。被害にあわれた方には心からお悔やみを申し上げたい。一日も早い復興をと願うが、被害の全容はまだ到底分る はずもなく、まだ復興など口に出せる状況ではない・・・。

私達人間は大自然の恵みによって命を支えられているが、同時に大自然の脅威にもさらされ、甚大な影響を受ける。大自然の脅威は調子に乗り過ぎた人間への警告と受け取るべきなのかもしれないが、あまりにも厳しすぎる。他人事でではない心したい。

東京にいる息子とは連絡がとれたが、夕べは近くの大きなビルで一夜を明かしたとの事。ガスが止まってるし部屋がグチャグチャだと言っていたが、部屋が散らかっているのは地震の前からだろうと言っておいた・・・。

3月11日(金)
*政治家の先生方は重箱の隅をつつく名人。荒さがしの名人。よくもまあ細かい事を調べ上げるものだと感心する。そのエネルギーをもっと違う所につかってほしいと思うが・・・。国会中継は子供に見せたくない番組第一位だとつくづく思う。なさけない話だ。

*見舞った欽ちゃんに「飛べません」とギャグを返していた坂上二郎さんが亡くなられた。二郎さんの最後のCDとなったのが、「必殺!人生送りバント」という作品との事。

♪俺が望んだ事ではないが 頼まれたなら拒まない 俺を殺してお前を生かす・・・ 送りバントだぜ 人生は♪

政治家の先生方に是非とも聞かせてあげたい歌だ。

3月10日(木)
*甲子(きのえね)の御縁日で『大黒天神祭』をお勤めした。来られた方から「三面六臂の大黒さんちゅ~のがあるそうですけどどんなんですかな~」と尋ねられた。

三面は三つの顔で正面が大黒天、右が弁財天、左が毘沙門天。六臂とは六つのひじの事なので手が六本という事になる。三人の神様が沢山の手で多くの人を救って下さるという大変有難い大黒さんだ。だが私は三面六臂の大黒さんはお目にかかった事がない。
一面ニ臂・一面四臂・一面六臂・三面ニ臂・三面四臂・三面六臂などなど様々な大黒さんがおられるそうだが、学成寺の大黒さんは一面二臂という事になる。

お寺の奥さんの事を”大黒さん”ともいうが、こちらの大黒さんも様々な顔を見せて下さる。触らぬ神にたたりなしという事もある・・・。
ここで大黒さんを湯せん(お湯で洗い清める)

3月 9日(水)
*今日は3月9日だが、レミオロメンの曲に『3月9日』というのがあった。
♪3月の風に想いをのせて~ 桜のつぼみは春へと続きます~♪ 春待ち遠しいこの頃だ。

*ギックリ腰後の腰をサポートするミズノ製の「バイオギアサポートタイツ」を買って置いていたら、「せっかくのタイツがのびるから止めてくれ~」という私の叫びにも関わらず、奥さんと帰省した娘が変わり番こにはいて喜んでいた。

優れもののサポートタイツが・・・はちきれんばかりに・・・。サポートタイツの悲鳴が聞こえてきた・・・。
”筋肉を一枚はいたような”と書かれているがまったくその通りで、はくと腰が安定しサイボーグになったような感じがする優れものだ。

家庭内の安定とサポートもだ・・・。

3月 8日(火)
*77歳で旅立たれた学成寺の檀家総代さんのお葬儀をお勤めした。遺影の写真を前に、時折々の姿が思い出されたが、そんな中、可愛いくて仕方が無い孫さんの事を話される時の、何とも優しいおじいちゃんの笑顔が思いうかんだ。
いつもお寺の事を親身になって心配して下さり、「お上人さんの言いにくい事ややりにくい事があった時は、わしら(檀家総代)のせいにしてもらってらええ ですけ~」ともったいない事を言って下さっていた。どうぞこれからもお寺を見守って下さい宜しくお願いしますと思いながら、お勤めさせて頂いた。
イナバセレモニーホール

*イナバセレモニー(イナバ葬祭さん)の一階ギャラリーには、こころ舞さんのポストカードがおかれ、ほっとする空間となっていた。

3月 7日(月)
*若桜町の蓮教寺で総代さんと各地区の役員さんが集い役員会が開かれ、昨年の護持会費の使途報告やお寺の現状などを報告させて頂いた。都合が悪い方が多く少ない出席だった。
先日のNHKのお寺事情を取り上げた番組を見ておられた方があり、お寺行事のあり方も検討するべきだとの意見もでた。しかし、人口4千人を切りこんだ過疎の町の小さな寺院の現状は厳しく・・・。

帰り道国道と並走する第3セクター若桜鉄道の列車と遭遇した。もちろん1両編成。乗客の影もなく・・・。そう言えば若桜駅で働いている人が、「私も車で 通勤なので、若桜鉄道は利用していません」と苦笑いいていたのを思い出した。かく言う私もJRから第3セクターになって数十年経つが、実は一度も乗った事 がない・・・。 乗った事が無いのは、車のせいにしておこう。

町も鉄道もお寺も行く末が案じられる事ばかり。日本の国も・・・。

3月 6日(日)
*昨日お寺に来られた檀家さん家族から大変よい物を頂いた。

なんとも有難いハッピを二着頂いた。今年総本山甲子園球場あるいは他宗の総本山広島球場などへお参りする時に着させていただこう。

*今日は満中陰忌の法要をお勤めした。法要後、満中陰忌の意味などお話ししていたら、後席でいろいろと質問を頂いた。そんな中、なにより良かったのは、 「おしょ~さんの話を聞いていると、お釈迦様の教えは、生きている私達人間の為の教えなんですね」と言って頂いた事だった。

いろいろとお寺のあり方の話も出たが、我が振り直せだと思う話が多かった。仏教離れではなく、やはり進んでいるのは寺離れ、坊さん離れ・・・。心したい事だ。

3月 5日(土)
*33回忌の法事を勤めた。御主人の33回忌を息子さんの家族と賑やかに勤められるおばあちゃんの姿に33年の重みを感じながら感慨深くお勤めさせて頂いた。
可愛い孫さんに本堂にある大太鼓を打ってもいいよ~」というと兄妹で面白そうに遊んでいた。その姿が微笑ましく、「おじいちゃんに太鼓の音が届いてますよね」と言うとおばあちゃんも嬉しそうだった。
お戒名に日霄と「霄」(ショウ)という字が使ってあったので、「この霄という字はソラとも読むんです。今日の青空は、おじいちゃんに繋がる青空ですね」などとお話をさせた頂いた。

昨日の雪とうって青空の広がる穏やかな日となった。

境内の浄行菩薩様も穏やかに・・・ 

3月 4日(金)
*若桜町の蓮教寺へ行った。若桜はまだ雪国だった。

本堂の掃除を終えて公共料金などの支払いに行ったが、財布を車に忘れている事に気づき、「また、後できますから」と言って苦笑いしながらお寺に帰った。 本堂で他の事をしていたら、財布の事を忘れ、そのままお昼を食べにいつもの「大入り食堂」へ。ここで再び財布を忘れている事を思い出した・・・。こうこう こうで~と経緯を話していると店の奥さんが笑いながら、「おしょ~さん、とぼけるのは、ち~と早すぎますで~」と・・・。

今日は忘れ物の多い日だと反省しながら、帰ってきたが、学成寺に帰った時点で水道の元栓を閉めるのを忘れたのを思い出し、檀家さんに電話して閉めて頂いた。

なんとも忘れ物の多い、春まだ遠い若桜での一日だった。

隣の隣の西方寺さんの本堂前には雪が山盛りになっていた。

3月 3日(木)
*先日NHKのテレビ番組で昨今のお寺事情の事を取り上げていた。
仏教には良いイメージを持っているが、お寺やお坊さんには良いイメージを持っている人は少ないというデータを元にいろんな事が論じられていた。ようするに、お寺やお坊さんは仏教をやっていないという印象を持たれているとの事だった。

お坊さんは、お寺の経営・運営の事を心配しているが、一般の人の考えはお寺がつぶれるとかそういう事ではなく、お寺やお坊さんが人々の苦しみをどれだけ 取り除き、そしてどれだけ心を支えてくれるのかという所にある。なので、お坊さんがお寺がつぶれると思っている以前にすでに一般の人から見ればお寺はつぶ れている(機能していない)と思われているという言うような発言もあった。

最近ようやくお坊さんの間でも”三離れ”(宗教離れ・寺離れ・坊さん離れ)という事が取り立たされるが、仏教離れではなく、むしろ仏教はブームで、離れているのはお寺とお坊さんというのが現実という意見ものべられていた。残念ながら、全くその通りだ・・・。

ある浄土真宗のお坊さんが、「昔のお坊さんは、民衆の声に耳を傾けた。先行きの不透明な今の時代こそ仏教は底力を発揮する」などと言っていたが、その通りだし、そうありたいと思う。まずは我々お坊さんの意識改革が必要だが・・・。

イーグルスの名曲、「デスぺラード」の最後の部分の歌詞 ♪手遅れにならないうちに♪ が身にしみる。

3月 2日(水)
*夕べ、京セラドームでロックバンド『イーグルス』の来日公演を観た。大感激だった。
京セラドーム前   

お馴染みのナンバーが続き、早くも3曲目にステージのバックにアルバムジャケットになっているホテル風景が映し出され、「ホテルカリフォルニア」が演奏 され、会場は大盛り上がり。エンディングへといざなう、うなりを上げるツインリードギターに血管が切れそうになった。おそらく血圧が上がった人がたくさん いた事だろう・・・。
これはパンフレットの写真

アンコールで登場し、「テイク ・イット・イージー」で盛り上がり、最後に、名曲「デスペラード」を ♪デスペラー(ならず者よ)いいかげんにしたらど うなんだ ・・・・手遅れにならないうちに♪ と、しっとりと歌いあげ感動のステージは幕を閉じた。ほんとうに素晴らしかった。ひと息ついてイスに腰を下 ろし時計を見ると丁度夜10時だった。
そう言えば甲子園も京セラドームも10時以降は鳴り物の応援が禁止されていた事を思い出した・・・。

演奏は言うに及ばず、全員がリードボーカルをとれるメンバーだけ透き通ったコーラスも見事だった。夢のようなひと時だった。

今回も行き帰りは日交さんの高速バス。快適だった。帰り道峠を帰るまでは青空だったのに、鳥取はみぞれが降っていた。コンサートで熱くなった頭を冷やすには丁度良かったかも・・・。
バスの最前列から

*今月の山門掲示板は、もちろん 『take it easy』!

3月 1日(火)
*1月は行く2月は逃げると言う事で、ギックリ腰であたふたしているうちにあっという間に3月になった。3月になったので玄関にお雛様を飾った。
・・・

*冗談で「ギックリ腰は人に移したら直りますよ~」などと言っていたら、知り合いのお寺さんやらが知人が相次いで3人ほどギックリ腰に・・・。原因はそれぞれ、仕事中の人もいれば・・・。春まだ遠し・・・。

*京大などの入試問題がネットの質問サイトに投稿された事件(!?)のニュースを見ながら、この文明の利器を操る能力と努力をそのまま試験問題を説く方へ向ければと思った。
でもそんな事って結構ありそうな事で、私は能力があるわけではないが、子供の頃余計なことばかりして父から似たような小言を何度も言われたような・・・。

不正で受験に合格しても、春は来そうにない。こちらも春まだ遠し。

平成23年2月

2011年02月28日コメントをどうぞ

2月28日(月)
*夕べお逮夜回向に伺った檀家さんで、お経の後話をしていると、御主人が、「ハスの花は汚い泥 沼の中から綺麗な花を咲かせるんですよね。泥沼がこの世の中に譬えてあるわけですけど、私は泥の中でドロドロになりながら一生懸命生きて、レンコン(蓮 根)になりたいです」と言われた。

ほとんどの場合お坊さんの話は「泥の中から清らかな花を咲かせましょ~」と綺麗事のようになるわけだが、これはいい話だと思った。

すると側におられた奥さんが、「じゃ~、おと~さんはレンコン、私はハスの華ですね~」と。さらにいい話なった。

以前軽井沢にある臨済宗の座禅堂で座禅をくんだ時、臨済宗のお坊さんが、「コップに泥水を汲んでそれを静かに数時間置いてみて下さい。泥は沈澱し上の方は綺麗な澄んだ水になります。座禅とはそういうものです」と言われた事を思い出した。

たしかに時にはじっとして心を落ち着かすことも大切だけど、人間ってじっとしていては生きられないので動く。やはり泥沼の中で・・・という方が現実的かもしれない。我が家もドロ・・・。

2月27日(日)
*伯母(母の姉)さんの一周忌法要に参列した。自宅でのお勤め7か ら始まり、お墓にお参りし、その後菩提寺の青谷町専念寺さんで法要が営まれた。産婆さんだった伯母さんは私が生まれた時に取り上げて下さったとの事。お陰 さまで、こんなに大きく(歳だけは)なった。お仏壇の横の写真が、「やっちゃん。おおきゅ~なんさって~」と言っておられるようだった。

家でのお経の後、専念寺の和尚さんがちょっとだけお話をと、「供養とは偲ぶ事、存在を意識してあげる事です。私達でも挨拶されて無 視されたら気分が良くありませんよね。ほとけでなく、ほっとけにならないように・・・」。さらに、”心は見えないけど、心づかいは見える”の宮沢章二さん の詩を引用され、「見えない世界には見えないものしか届きません。お供えされている御飯や果物は届きませんが、気持(供養の)が届きます」この辺りまでは 良かったが、段々話が長くなり・・・。 見えない心ずかいよりも、おこずかいが欲しい・・・と不謹慎な事を思いながら・・・。

専念寺さんの本堂にある地獄絵図の中のエンマ大王を眺めながら、子供の頃はエンマさんが怖かった事を思い出し、僕たちが子供の頃はこの怖さが何かの歯止めになっていたんだけどなぁとしみじみ思った。(その割には・・・)
今やエンマ大王より怖い・・・。一瞬、エンマ大王の姿が奥さんに重なって見えた。
エンマ大王  専念寺さん本堂

久しぶりに親戚一同が元気に集い賑やかな供養となり、伯母さんも喜んでおられた事だろう。今回もいつもとは逆の立場で法要に参列 し、よい勉強になった。何事も我が振り直せという事で・・・。しかし、礼服を着て参列していたのに、お墓参りの時に母が和尚さんに余計な事を言うので正体 がバレてしまった。

専念寺さんオリジナルの有難いせんべい

2月26日(土)
*7回忌の法事を勤めた。上は小学校4年の男の子さんから下は8 歳・3歳・3ヵ月の女の子さんまで4人の孫さんが揃い賑やかだった。母が3歳の女の子さんに、「何歳ですか~」と聞くと、逆にその子が母に、「おばちゃん は何歳~?」と。母が、「おばちゃんは、いっぱい歳をとったから歳を忘れただが~」。女の子さんは納得していないようだった・・・。私の歳を聞かれなくて 良かった・・・。

法要後、子供達に、「お父さんやお母さんに怒られない方法を教えてあげようか~。怒られる時は、お口や両手が悪い事をしてるんだよ ね~。じゃあその悪い事をした両方の手のひらを頭の上で合わせてごらん。そしたらね~、その手を胸のところまでおろして下さいね。これで悪い事をした手が 使えなくなったでしょ~。じゃ~そのかっこのままで、”ゴメンナサイ”」。合掌の姿はそういう事ですとお話しさせて頂いた。

七年の歳月を経て賑やかになり、供養を受けたおじいちゃんも喜んでおられた事だろう。

2月25日(金)
*外出から帰ってくると母が、「エホバさんが来んさってな~。聖書を開いて・・・」と。

置いて行かれた冊子を見てみると、『目ざめよ!』 もっと健康に五つのポイント と書かれていた。五つのポイントとは、①賢く食べ る。「ほどほどの量を、とくに植物を」 ②基本的なjケアを忘れない。③体を動かす。「もし運動が錠剤に出来たら、世界で最も広く処方される事だろう」  ④予防する。災いを見て身を隠すものは明敏である」 ⑤自分と家族の意識を高める。「健康に関する知識を身に付け、自分と家族の改善を図る」

いずれも、なるほどと思われる事が書かれたいた。
運動を錠剤にというのは面白い話だ。そんな人が出たら、ノーベル賞ものだろう。ぜひとも処方を・・・。

母は、聖書を一緒に読むようにうながされたらしいが、いつも銭湯(元湯温泉)の帰りに、「あ~天国だ~」と言っている母なのでちょうどいいかもしれない・・・。

2月24日(木)
*夕べ、学成寺の総代役員会が開かれ、昨年お預かりした維持会費の使途報告をさせて頂き、懸案となっている本堂のエアコン設置の事、さらに、今年度の行事の事などが話し合われた。
総代さん方から、「おしょにんさんが言いにくい事があった時は、わしら~総代の名前をだしてもらったらええですけ~」という話になった。なんとも有難い話だ。つくつく私は幸せな住職だと、いつになく謙虚な私だった。

*昨日の午後は、全国の日蓮宗寺院に毎月届けられる『宗報』を編集しているエディットセブンの成田さんから電話取材を受けた。予想どうり約40分間私の喋り放題・・・。はたしてどんな記事になるのやら。4月号が楽しみだ。が、ほとんどが脚下されそうな・・・。

*今日は69歳で旅立たれた御婦人のお葬儀をお勤めした。遺影のにこやかな笑顔に人柄が偲ばれた。一年前に孫さんと一緒に撮られた 写真との事だった。その可愛い5歳の女の子さんが、お焼香に出て来た時、導師をしている私に手を振ってくれ、私も手を振りたかったが、が、さすがにお経中 で・・・。ちょっと早い旅立ちだったかもしれないが、賑やかに孫さんに送られたおばあちゃんは幸せだったと思う。

お戒名を浄光院と授けたが、穏やかに日の差す一日で、まさに浄らかな光の一日だった。

2月23日(水)
*先日(20日)の常忍寺さんでの『水行祈願祭』が今朝の日本海新聞に写真入りで載っていた。良く見ると写真の右上にちゃっかり私が写っていた。

*中電ふれあいホールで開かれていた『鳥取お遍路会』(岡崎まさ子さん代表)さんによる写真展を観に行った。ほのぼのとしたお地蔵 さんや、手を合わすお遍路さんの写真が沢山展示してあり、和みの空間となっていた。四国八十八ヵ所を回るお遍路さんの様子が伺え、ほっとする雰囲気の写真 展だった。

般若心経の写経も展示してあり、岡崎さんと、「色即是空・空即是色、あるけど無い、無いけどある。分かりませんよね~」と 言いながら、ドーナツの話をした。「ドーナツの真中は何も無いですよね。でも何も無い真中の穴が無かったら、ドーナツじゃ無くなりますよね。だから、何も 無いはずの物(穴の空間)によってドーナツはドーナツたり得る。あるけど無い・・・」結局訳が分からなくなってきた・・・。
作品をバックに

*帰りの車の中、NHKラジオが国会中継をしていた。天下りがどうのこうの、天下って無いとか下っているとか、話の内容は”下らない”話に思えた・・・。

下っているけど、下って無い。下って無いけど下っている・・・。こちらも訳が分からない。

2月22日(火)
*日蓮宗鳥取県宗務所(鳥取県の総本部)のある米子市 岩倉町の本教寺さんで開かれた鳥取県日蓮宗寺院の「協議員会」が開かれ出席した。宗務所長さんの任期が終わるので、今後の事などが話し合われたが、世の中 の流れを敏感に察知し、お寺やお坊さんを覆っている閉塞感の打開策を見いだせるような事になって行けば良いが・・・。

見事な好天で米子市から見える大山が綺麗だった。こちらは閉塞感の無い見事な景色だ。この晴れやかな景色にあやかりたい。が・・・。

私の心のような晴れやかな景色!? 「どこが~ぁ」と言われそうだ・・・。

2月21日(月)
*プロ野球のオープン戦がボチボチ始まった。今年からボールのカウント表記をボールを先にストライクを後の順に定めるとの事。なんか慣れるまでに時間がかかりそうな気がする。

最初の頃は空振りだけ数えて三振でバッターアウトだったようで、投手は下手投げで、打者の打ちやすい球を投げていたそうだ。それ で、打てる球を見逃した打者に「打ちなさい!(ストライク)」と忠告し、打たせまいと抵抗しだした投手に「正しく投げなさい!」と警告したようで、ボール はunfair baii 不正球の略との事だとされる。てな事が先日の読売新聞に書かれていた。面白い話だ。

打ちやすいボールを投げ合うような世の中になればと思うが・・・。どうも unfair baii 不正球の多い世の中だ。

2月20日(日)
*昨日、百花堂さんのギャラリーへ「こころ舞」さんの個展を観に行った。素朴で柔らかいタッチの可愛らしい絵が描かれたポストカードに囲まれほっとする個展だった。

カードには「take it easy」(気楽に行こう)の文字が。来月の山門掲示板はこの言葉にしようかと。

*今日は、行徳の常忍寺さんで開かれた「節分水行祭」に出仕し司会を勤めた。100日の荒行を終えたお坊さん6人による水行の後、祈願祭が執り行われたが、水行を見ながら、目が覚めたような気がした。

水行は寒い方が有難味があるが、今日はあいにく!?好天でわりと温かく・・・。

2月19日(土)
*今朝は冷え込み寒かったが、空気が澄んでお寺の二階からはるか大山が見えた。早速デジカメで写してみた。三脚で固定してズームで撮ったがイマイチの写り。これが小型デジカメの限界かもしれない。
真中やや左、屋根の上の電線の向こうにかすかに見える

今朝の空気のように人間の心も澄んで・・・。

*破たんした「武富士」の元会長(故人)夫婦からの長男への株贈与をめぐり、追徴課税処分が取り消され国が400億円の利子分を含めると約2000億円の還付金をはらう事になったというニュースを聞いて驚いた。

国税局から2000億円を取り戻すとは、してやったりの凄い話かもしれないと思った。ちょっと違うかもしれないが、Vシネマの『難波金融伝ミナミの帝王』の竹内力ふんする万田銀次郎が思い浮かんだ。
しかし、「武富士」の利益は法外の利息で得た利益なので、その還付金を被害者に返してこそ話が完結ではないかと思う。

しかし、2000億円とは・・・。一般庶民には気が遠くなる様な実感のわかない金額だ。

『難波金融伝ミナミの帝王』は、竹内力ふんする「万田金融」の万田銀次郎が、トイチ(十日で1割)の利息で客に貸した金を手段を選 ばず回収する事から、”ミナミの鬼”と呼ばれる。追い詰められた客は他の悪徳業者にもだまされ多額の借金を背負うが、最終的には万田銀次郎が悪徳業者にひ と泡吹かせお金を取り戻し、借金はチャラになり、最初は「あんたは鬼や~」と言われていた客から、「万田はんのお陰です~」と感謝されハッピエンドとな る。人情あふれる水戸黄門のようなストーリー。

パターンは水戸黄門のように決まっているが、手の込んだストーリーと演出が面白く世の中の裏の面を映し出し、最後の万田銀次郎の決 め台詞が印籠のように決まり、安心して楽しめる。ケーブルのチャンネルNECOで放映しているので時々見ているが、パターンは決まっているにも関わらずあ きる事はないドラマ(Vシネマ)だ。

2月18日(金)
*東京都大田区池上にあ る日蓮宗の総本部の「日蓮宗宗務院伝道部」という所から、毎月全国の寺院に配布されている『宗報』の4月号で、地域の中で活動しているお寺を紹介するコー ナーを作るので、第1回目に学成寺さんの記事を載せさせて下さいと連絡があった。すぐに調子に乗る私は、早速来週専門の業者さんを通して電話での取材を受 ける事になった。

のぞむ所ではあるが、何しろホームページはこのあり様。確かにテレホン法話や本堂で「花まつりライブ」をして多少なりとも活動はし ているが、「皆の宗 臨機応派」をはばかることなく名乗る学成寺なので、宗門の『宗報』に載っても良いもんだろうかと・・・。それでも良いですとの事だっ たが・・・。
私の言いたい放題の電話取材になりそうな・・・。「いい加減にしてくださいよ」と苦言を呈す奥さんの顔が思い浮かぶ。

*去年の秋、「なにこれ珍百景」の番組からタイガースグッズがあふれる変わったお寺という事で取材依頼があり、取材に行くかもしれ ませんと3回も電話連絡を受けたが、阪神タイガースが終盤の肝心な所でのまさかの失速により優勝を逃したお陰で没になった事を思い出した。タイガースのせ いで全国区になる!?チャンスが・・・。とても残念だった。

2月17日(木)
*トイレに相田みつをさんの日めくりが置いてあるが、『トマトがトマトである限りそれはほんもの トマトをメロンに見せようとするから にせものとなる』 と書いてあった。

なるほど確かにその通りだが、トマトをメロンに見せるのも面白いような気もする・・・。でも偽物の多い世の中、何が本物で何が偽物か、基準が難しい。

以前、歳末助け合い募金で米子の高島屋前に衣姿で立っていた時、通りかかったオバサンから、「わるいけど~、あんたたち、本物のお坊さんですか~」と言われた事を思い出した・・・。

2月16日(水) 日蓮聖人お誕生日
*昨日がお釈迦様の御命日で、今日は、日蓮聖人のお誕生日。だがしかし、宗門でも誕生祭のようなイベントもなく(学成寺でもないのでエラそうに言えない が)。静かなお祝いの日となった。常日頃、「クリスマスに負けるな」などと言っているが、引き分けにも持ちこめていない・・・。のが現状。

金正日さんも今日が誕生日。北朝鮮は賑やかな事だろう。

*日刊スポーツの『猪木のコトバ』というコラムで、アントニオ猪木さんが、「大相撲の八百長問題 今さら何言ってる!。ほったらかしにしてきた文部省の責任だァ」とのたまっていた。
さらに、「八百長と言えば、プロレスはずっと色眼鏡で見られていた。しかし、どんなにショーだと言われても、オレは全力で戦ってきた。これだけは言いた い。決められたルールの中で、ギリギリ命を張ってきたんだ」と書かれていた。このへんに相撲界も見習うべきところがある様な気がした。が、相撲界のみなら ず世の中にも同じ事が言えそうだ・・・。

2月15日(火)
*夕べ、銭湯(元湯温泉)へ行ったらテーブルの上に籠があり中にチョコレートが入っていた。バレンタインデーという事で、小さなサービスが微笑ましかった。

お湯につかっていると、久しぶりに会った人同士が会話がが聞こえてきた。「久しぶりですな~。どげななか~」。「雪かきで、よ~に くたびれましたわ~。若いもんは、休みの日でも雪かきをすりゃ~しませんけ~な~」と。聞きながら、私は自分は若いつもりで若者の僕は雪かきをしたけど な~と思いながら、会話をしているオジサンをみると、どうも私と同じくらいの年齢のようだった・・・。

*今日2月15日は、「釈尊涅槃会」。お釈迦様の御命日という事で、鳥取市仏教会長の本浄寺さんで仏教会の涅槃会法要が営まれた。

お釈迦様は亡くなられる時に北枕で右脇を下にしておられたので、仏教徒はこれに習い亡くなった時に北枕にするようになった。それで 北枕イコール死というイメージから北枕が敬遠されることになってしまったわけだが、お釈迦さまが北枕にされた理由を知ると、そうでない事が分かる。

当時の人は、地球の地磁気が北から南に流れている事を知っており、北に頭を向け南に足を向けると頭から足へスムーズに気血が巡り体に良いというい事が分かっていたとの事。それで、激しい食中毒だったお釈迦様は臨終の際に体に良い方法で休まれていた。というのが北枕。

最近の調査によると、牛や鹿は北方向に体をそろえて休む事が多いそうだ。渡り鳥もそうだが、多くの生き物は地磁気を感受する能力をもっているとの事。人間も本来そのような能力を持っていたはずなのに、文明が発達しすぎて・・・。

ギックリ腰にも北枕は良いはずだ・・・。

イーグルス 2月14日(月)
*録画していたNHKの番組『SONGS』で放送された「イーグルス」特集をようやく見た。昔の貴重な映像や最近の活動などが映し出されとても面白かった。

放送の最後に名曲『DESPERADO』(ならず者)の映像が流れ、なんとも感動した。素晴らしかった。

♪デ~スペラ~ド~(ならず者よ) どうしてまともにならないんだ ♪
♪デ~スペラ~ド~(ならず者よ) もう若くはないんだ ♪
♪デ~スペラ~ド~(ならず者よ) さあ目を覚ますんだ ♪

感動したが、若い頃に聞いた時とは違い、なんか私に歌いかけているみたいでドキッとした・・・。

♪明け方には 雨が降るかもしれないが 頭上には虹がかかっているはずだ ♪
♪お前を愛してくれる人を見つけろよ 誰かに愛してもらうんだ ♪
♪手遅れにならないうちに ♪

素晴らしい歌詞だ。先日NHKの番組で『無縁社会』という番組があったが、終わりの歌詞は『無縁社会』にならない為のキーワードのようにも聞こえた。

3月の来日公演を楽しみにしているDESPERADO(ならず者)が沢山いる事だろう。

お葬儀 2月13日(日)
*79歳で旅立たれたおばあちゃんのお葬儀を勤めた。母が境内に咲いていたクジャクツバキをたまたま本堂の花立てに入れていたが、このクジャクツバキは昔このおばあちゃんに頂き境内に植えたものだったとの事。おばあちゃんも喜んでおられたかと思う。

お棺の上の布帯に寄せ書きがあり、「おばあちゃん、小さい時から沢山世話になって有難う」とか、「おばあちゃん、折り紙教えてくて有難う」などと孫さんの書かれた文字があり、沢山の感謝の言葉が綴られていた。故人の人柄が偲ばれ微笑ましかった。

*お葬儀を終えてお寺に帰ってきて玄関を開けると、見慣れない来客があった。刑事さんだった。居合わせた娘が、「お父さん、なに悪いことしただ~」と・・・。
馬場の町のH慈院さんの境内の防犯カメラに映り捕まった人が、学成寺の浄行さんの水ためからも小銭をくすねた事を白状したので確認に来ましたとの事だっ た。捕まった時結構な所持金(盗んだ)をもっていたそうで、聞くと私のおこずかいの数カ月分だった。その点はうらやましくもあり・・・。
生年月日や役職は正式には何と言うんですかなどと尋ねられていると、私が取り調べを受けているような気分に・・・なった。

とにかく物騒な世の中だ。

熱唱 2月12日(土)
*夕べ、連休で帰省した娘と親子3人でシダックスへ行った。熱唱につぐ熱唱!?でしばしギックリ腰の事は忘れていたが、今だに少し痛みが・・・。3人で3時間はあまりにも短く!?物足りなかった・・・。
♪粉~雪~~♪
だいぶん楽になってきたが、今回の腰痛は長引く、今日で二十一目なので、ちょうど三・七日になるが。

*台所からなにやら良い臭いがするなぁと思っていたら、帰省している娘が今月誕生日を迎えたという事で、奥さんが悪戦苦闘して誕生日ケーキを作っていた。これも、『ボンヌ・ノノ』さんで習ったレシピ通りに出来たようで、さっぱりと美味しかった。しかし、名前のスペルを間違えていた・・・。
ロウソクの数と、歳の数が違い過ぎ・・・。

娘に「だんだんお父さんの歳に追いついて来たな~」というと。「そんなもん、追いつく訳ないが~」と。自分は歳を取らないような気がしていたが・・・。立場的には追い越されているような・・・。

カルボナーラ 2月11日(金)
*お昼の食卓に、奥さんが先日『ボン ヌ・ノノ』さんの料理教室で習った「カルボナーラ」が登場した。卵黄と生クリームで作られた「カルボナーラ」は、腕前はともかく先生に習った通りちゃんと 作れたようで、とても美味しかった。「これは作った人が上手なんではなく、教えて下さった先生が上手なんだよな~」と言いかけたが、「次回からはあなたの 分はありません」となりそうなので、お茶と一緒に言葉を飲み込んだ。

*食事をしながらテレビを付けると、元力士の龍虎さんと巨筒さんが出て半八百長がどうのこうのと喋っていた。半八百長は片方の力士 だけが人情的にわざと力を抜き負ける相撲らしいが、二人の元力士の話はピントはずれで、司会者ともコメンテイターのデーブスペクターさんとも全く話がかみ 合わずお粗末なものだった。それはちょっとまずいんじゃないというような発言もあり、力士の甘さを垣間見たような気がした。相撲界はどうなってしまうんだ ろう・・・。おそらく朝青龍は笑っている事だろう・・・。

いっそのことプロレスのように大相撲ショーとして、土俵にロープを張り、善玉と悪役をこしらえて、4人タッグマッチの相撲とか・・・。お~っと高見盛~、まわしに凶器をかくし持っていたもようです~。と・・・。

しかし、相撲会の心配より、自分の心配をしたほうが・・・。

灯篭 2月10日(木)
*境内にはまだ雪の山が残っているが、雪がだいぶん融けてきた。境内墓地の様子を見てみるとお墓の灯篭が壊れているのが数基見つかった。こんな所にも雪害が・・・。

灯篭の傘の部分が”雪のせい(重み)”で落ちてしまったわけだが、積もった雪がクッションになり、今度は”雪のお陰”で割れずに 残っていた。良かったんだか悪かったんだか・・・。しかも、ちゃんと手で置いたかのように着地していた。やはり良かったという事か。”怪我の功名”とも ちょっと違うし・・・。

似たような事が普段の生活の中にもあるような気がした・・・。

これから12日にかけて、また寒波が到来するらしい。雪は山だけにしてもらいたいが・・・。

シロアリ 9日(水)
*コダマサイエンスさんが、床下の点検にやってきた。庫裡の床下に設置されている換気扇も、床下の状況も、若干湿気の多い所がありますが、問題はなしとの事でひと安心。出来ればまたシロアリ防除の消毒をされておいた方がいいですよという事だった。

「森の木は250年くらいのサイクルで変わり、倒れた木が腐り、それが土となって再生されそこにまた新しい木が育っていくとの事。その木が二酸化炭素を吸って酸素を出す。というのが大自然の流れ。
その倒れた木が腐るのは、木の元の一番固いセルローズをシロアリが食べ、そのセルローズをシロアリの体中にいるバクテリアが分解するからとの事。再生され た森の木々は二酸化炭素をすい酸素を生みだす。なので、自然界においてシロアリは重要な役目を持っているわけになる」。

というような話を以前、あるお坊さんから聞いた事がある。話の最後は、「・・・という事は、シロアリのお陰で酸素がある。自然界のすべては繋がっているんです。それを表したのが、”マンダラ”の世界という事です」。なるほど~と思った。

森の木だけなら良いが、人間の家まで食べてしまうのはちょっと困る。いや大いに困る。しかし自然界の共存共生のバランスを崩しているのは我々人間。地球にとっては人間がシロアリなのかもしれない・・・。

ゲイリームーア 2月 8日(火)
*世界的なブルース・ロックギタリストのゲイリームーアーさんが亡くなった。6日朝、休暇で訪れていたスペインのホテルで亡くなっているのが見つかり、死因は不明との事。58歳だった。

ムーアさんは、北アイルランドの出身で、自らのバンドのみならず、ジョージハリスンなど著名なアーティストとの共演や、本田美奈子さんにも楽曲を提供していた。

去年の4月、21年ぶりに来日し東京・名古屋・大阪などで6公演を行っており、なんと私はグランキューブーブ大阪での公演を観に 行っていた。名曲「スティル・ゴット・ザ・ブルース」での哀愁あふれるチョーキング(右手の指でギターの弦を伸ばす奏法)の泣きのギタープレイは最高だっ た。ギターがうなり、ボーカル曲でも渋い歌声を聞かせてくれていた。
CD     Tシャツ

上のCDは「スティル・ゴット・ザ・ブルース」だが、久しぶりに何枚かあるCDのを引っ張り出し、元『クリーム』のジャック・ブ ルース、ジンジャー・ベイカーと共演したライブアルバムを聞いてみた。そんな中で、クリームの名曲「サンシャイン・オブ・ユアー・ラブ」は圧巻の演奏だっ た。冥福を祈りたい。

ミュージシャンは死しても曲が残る。何かを残せる人間でありたいが・・・。

2月 7日(月)
*夕べも『元湯』へ行った。やっぱり温泉は温まる。

『元湯温泉』のお風呂場にはクラシック音楽のBGMが流れている。なんか、お湯につかりながらお風呂にクラシック音楽はちょっとイメージが違うな~と思っていたが、爽やかで落ち着いたクラシック音楽は温泉の湯気にのぼせた頭には、ほど良く心地良いような気がしてきた。

湯船につかりながら、それこそ、♪町にいで湯~が~ シャンシャ~ンわい~て~♪と「きなんせ節」の一つでも流れればと思っていた が、民謡や演歌が流れていると、さらにのぼせあがってしまうかもしれないなぁ~。とか何とか考えているうちに温まり過ぎ、結局のぼせあがってしまっ た・・・。

以前、「鳥取には町に温泉が湧くんだから、駅前広場に”足湯”と作るとか、もっと有効に活用すればいいのに」と言われていた方があったが、私も同意見だ。県庁所在地でしかも駅周辺に温泉が湧くところは少ないとの事。そうしてみると鳥取はほんとに良い所だ。

でも、『元湯温泉』も良いが、箱根の『湯本温泉』にも行ってみたい・・・。

2月 6日(日)
*若桜町の蓮教寺へ行った。だいぶん融けたとの事だがお寺は凄い事になっていた。隣の駐車場には雪に埋もれたままの車があるし、近所のお寺さんの境内には屋根から落ちた雪が山になっていた。
蓮教寺                     埋もれた車              西方寺さん

もうこれ以上の積雪が無い事を祈りながら帰ってきた。

帰りの道中、車の異常を告げる警告ランプが点滅し始め、マツダのディーラーへ直行した。しばらく待っていると、係の人が来て、「ちょっとコンピューターの 不具わいがありまして」と。こりゃ困ったになったと思ったら、「コンピューターのプログラミングを変更させて頂きました。これで大丈夫です」との事。なん だかさっぱりわけがわからなかったが、直りましたという事でひと安心。人間の性格もプログラミングも変更できるといいかもしれないが・・・。

2月 5日(土)
*午後お寺の近くの城北高校付近の道路が大渋滞 していた。なんでこんな所が?と思っていたら、城北高校の入試が行われたようで、ちょうど入試が終わった時間だった。マルイ(スーパーマーケット)やロー ソンには「城北高校入試関係者進入禁止」の大きな看板が立ち警備の人がいて物々しい状況だった。

幼稚園の送迎から始まり、高校生になるようになっても親の送り迎え。最近は大学の入学式、果ては会社の入社式まで親が付き添うそうだ。そんな事ではと思うが・・・、その親は私達の年代。我々が悪いという事だ・・・。

以前、法事の後席でそんな話になった時、ある御年輩の男性が、「その、おしょ~さんら~の年代の親は、私ら~ですけ~な~。私ら~も悪いちゅうことです」と言われた方があった事を思い出した。

人のせいにすると気が楽だけど、なんの解決にもならないという事だ。心したいが・・・。

*お寺に来られた方が、ギックリ腰の事を心配して下さったので、「まんだ若いんですけど、お恥ずかしい事で・・・」と言っている と、「若いからギックリ腰になるんですよ。若くて筋肉に柔軟性があるからギックリ腰になるんです。私達(まだお若いが)みたいに歳をとったらギックリ腰に もならんです」と。確かに御年輩の方のギックリ腰はあまり聞いた事がないかもしれない。

私もまだまだ若いという事で・・・。

2月 4日(金)
*世間の”トイレ事情”についてのアンケート調査によると、トイレを綺麗にしている人とそうでない人とでは、世帯年収に約90万円の差があるという結果が出たそうだ。
トイレを綺麗にしている人は段取りが良く友人が多い傾向があるとの事で、社交性が高く、仕事や対人関係にそういった面が評価されるのではないかとの事。なるほど~と思えるが、何とも・・・。

植村花菜さんの『トイレの神様』では、トイレを綺麗にするとベッピンさんになれると歌うが、人間も美しくなり収入が増えれば言う事なしだ。トイレの神様、「烏枢沙摩明王」様の御利益甚大という事か。

早速、我が家のトイレをのぞいてみたが

綺麗は綺麗だが、何とも・・・。

とにかく、こまめにトイレを綺麗にしてピカピカトイレを目指したい。

2月 3日(木) 節分
*一年を春夏秋冬の四つの季節にわけ、さらにそれを六つの説に分けたのが二十四節気で、その中の一つ『節分』が今日の日。昔は『立春正月』といいこの日から新しい歳が始まるとしていたもので、今年は今日は旧暦の一月一日となった。

*ギックリ腰もだいぶん治まり、なんとか無事に『節分祭』をお勤めした。お経を読み、御祈祷を行い、お話をした後、福を呼び込む福引、そして邪気を払う豆まきを行った。

福引の時に、「福引の品物はささやかなな物ばかりですが、テッシュペーパーが当たって、なんだ~テッシュぺーパーが~と思ったとた んに”福”は逃げていきます。テッシュペーパーは有難いな~と思えたら、その気持が”福”を沢山呼び込みます。福引とはそういうものです。まずは謙虚さが 大切です」などと言っては見たが・・・。

豆まきでは、「こっちまで、豆がとどかんで~」と声が飛び交い、本堂内はエライ賑やかい騒ぎになっていた。
加持祈祷

*最近は、「豆まき」よりも「恵方巻き」の方が取り立たされて・・・。クリスマスのケーキ、バレンタインのチョコレート、節分の恵方巻き、それぞれ業者さん達が上手に便乗しているが、「花まつり」に便乗する業者が出てこないものか・・・。

今年の恵方は丙(ひのえ)で南南東。歳神様がおられる方恵方を向いて悪い神(自分の心の中にいる)に影響を受けないように、福を巻きこむと言う願いと、縁を切らないようにとの願いを込め、巻きずしを切らずに一気に食べる。のどに詰めないように気を付けたいのもだ・・・。

神仏の力(他力)と自分の力(自力)が重なって、それがうまく交わる事を”感応道交”(かんのうどうきょう)というが、世の中がもっと感応道交すればと思うが・・・。まずは家庭内の感応道交を・・・。

2月 2日(水)
*先日来、境内の浄行さんのお花がボロボロになっており、なんでだろうと思っていたら犯人が判明した。鳥だった。現行犯で見つけ証拠写真を取ろうと近づいたが、人が近づいても知らんふりで花を食べていた。
花を食べる鳥

ユリの花をボロボロにした後、隣の灯篭に移動し私をあざ笑うかのようにフンをして飛び去っていった。

*夕べ久しぶりに、『元湯温泉』へ行った。鳥取は地元の民謡「きなんせ節」に♪ま~ち~に いで湯~が シャンシャン湧いて~♪と 歌われるように、銭湯が温泉。やっぱり温泉はよく暖まる。ふろ上がりに飲ん大山乳業のバナナ牛乳は実に美味しかった。ギックリ腰にも効果がありそうだ。

風呂から上がり、♪ま~ち~に い~で~湯~が シャンシャ~ン湧いて~ ここは鳥取 いで湯鳥取 君を~まつ~♪と上機嫌で鼻歌交じりに外に出てみると、イメージした”君”とは大違いの奥さんと母が待っていた・・・。

帰りの車の中、「あ~極楽、極楽~」と言っていると、母は、「あ~天国、天国~」。確かうちは日蓮宗のお寺だったはずだが・・・。

2月 1日(火)
*たび重なる寒波の到来で雪は積もる、火山の噴火で火山灰は積もる、混迷する政治への不満は積もる。我が家ではギックリ腰の私への不満が積もる(ギックリ腰以前の問題という説も・・)・・・。今年(今月)の漢字は『積』かと思うような1月が終わった。

今朝も気温は氷点下で、昨日同様玄関の上にはツララが大きくなったいた。気温は寒くても心は暖かくありたいものだが・・・。

*山門に書いた今月の言葉は、 。これは日蓮聖人が、夫に先立たれ、幼く病弱な子供をかかえ絶望している御婦人に出されたお手紙の一節。この言葉に励まされたこの御婦人は、その後立派に子供を育て上げ、寿命をまっとうされたとの事。

ギックリ腰などものともせず頑張りたい。

平成23年1月

2011年01月31日コメントをどうぞ

1月31日(月)
*境内のロウバイの木に鳥が身を食べに来ていた。たぶんモズではないかと思う。鳥も雪の為に食べる物が少なく大変なのだろう。鳥も一生懸命なのだろうが、姿を見ていると可愛らしくほっとする。

モズがロウバイをつつく側では、雪かきが・・・。その側では、「じゃまになりますから、そんな所をウロウロしないで下さいよ~」と奥さんに言われながら、スト.ックを杖替わりに雪かきを見つめる住職が・・・。

*午後、鳥取葬祭会館さんのホールでお葬儀を勤めた。81歳での旅立ちだった。お医者さんから、「もう家で看られるのは限界ですよ」と言われるまで、自宅で奥さんが介護をされたとの事。頭が下がる思いがした。
私の場合、すぐに、”限界です”と奥さんから引導を渡されそうな・・・。
郡部の方で、お若い頃に農作業の車に野菜を積んで、「うちげがつくった野菜ですけ~、たべてつかんせ~よ」とお参りされていた時の姿を思い出した。私が子供の頃、「ぼっちゃん」と私の事を可愛がって頂いた事も思い出した。ぼっちゃんも、歳だけは大きくなった・・・。
お葬儀で木剣を振る

司会をされた方が、ちょっと動きがぎこちない私の姿を見ながら、「変われるもんなら、変わりましょ~か」と・・・。

1月30日(日)
*朝、93歳(数え歳)で元気にひとり暮らしをされている おじいちゃんから、「おしょうにんさん。腰の具わいはいかがですかな」とお見舞いと励ましの電話を頂いた。どうやら娘さんがHPを見られて話をされたよう だった。とても嬉しく有難かった。だがしかし、恥ずかしくもあり・・・。

車で出かけたが、道路は圧雪。大雪警報が出ているのに、時折晴れ間ものぞく天気だった。
景色としては綺麗だが・・・。

路地に入ると 

でもまだ、鹿児島や宮崎のように火山灰が降り積もる事を思えば、融ける雪はまだましかもしれない・・・。

1月29日(土)
*77歳で旅立たれたおばあちゃんの7回忌の法事をお勤めした。去年のお盆にお経伺った時、おばあちゃんの写真の上に孫さんが書いた”ただいま”と書かれ たハートマーク付きの紙が張ってあった事を思い出したので、「今日も、おばあちゃんが、”ただいま”って言っておられるかもしれませんね。今日はおばあ ちゃんを偲びながら、”あたりまえ”という気持を取り払い身の回りにある小さな幸せに気づく日です」などと話をした。優しく明るかったおばあちゃんの人柄 が偲ばれる法事となった。

今日の法事は行年77歳のおばあちゃん。昨日のお葬儀は行年88歳のおばあちゃん。それぞれ喜寿に米寿。2月3日の節分では、還暦・古希・喜寿・米寿と等々とお札こしらえ祈祷するわけだが、やはり人間節目の年齢があるという事か。昔の人の知恵は凄いと思う。

毎年、いや、毎日が節目だと思っていれば間違いはないかもしれない・・・。

午後、節分の買い物などでホームセンターへ出かけたが、駐車場はいたるところに雪の山。 また、明日から三度目の大寒波がやってく るとの事だが、これ以上ふったらどうなるのだろう。街じゅうどこでも”かまくら”がつくり放題!?・・・。だがしかし、最近は雪遊びする子供もあまり見か けないような・・・。

1月28日(金)
*鳥取シティーホールさんでお葬儀をお勤めした。88歳での旅立ちだった。昔お寺の隣に住んでおられた御家族で、子供の頃「やっちゃん、やっちゃん」と可愛がって頂いた御婦人だった。遺影の写真が、「やっちゃんも
、お~きくなって~」と言っておられるような気がした。銀世界の中での旅立ちだった。

*夕べテレビ番組で、BOROさんの名曲『大阪で生まれた女』は実は18晩まであって、BOROさんの書いた長編青春ストーリーな んですと解説していた。以前テレビで18番まで歌ったのを録画した覚えがあり、その事は知っていたが、なかなかおもしろかった。というか感動した。

高校を卒業する二人が、二人だけの卒業式をしようと年齢を偽ってディスコへ行き踊りあかすところからストーリーは始まる。それで♪踊りつかれたディスコの帰り~ これで青春も終わりかな~とつぶやいて~♪となる

その後、東京に行くからついてきてくれないかという誘いを断った彼女は大阪に残り、彼はミュージシャンを目指し一人東京へと旅立っていく。その後親の反対 を押し切り彼女も東京へ行き、貧しいながらも幸せな生活を送る。しかし、なかなかミュージシャンとして芽が出ず、幸せな生活は長くは続かなかった。行き詰 まった二人はすれ違いが続くようになり、やがて彼女は彼を東京に残し大阪へ帰って行く。

その後彼女は大阪で新しい出会いがあり結婚し子供も出来て幸せな生活を送る。そんな時、分かれた彼がメジャーになりコンサートを開くという事を知り、コンサート会場の楽屋へ好きだったバラの花に添えて最後の手紙を送る「夢をつかんだ人へ おめでとう」と。
♪大阪は今日も~活気にあふれ~ また どこからか~人がくる~・・・・・ 振り返ると~そこは~灰色の街~ 青春のかけらを置き忘れたまち~♪・・・
哀愁のあるメロディーにストーリーが重なり、ジ~ンと来た。

感動に浸っていると、奥さんが来て、「きょう御住職が留守の間にいつものエホバのおばあちゃんが来られましたよ~ 表紙にとても良い事が書いてありますか ら、読んでみられたらど~ですか~ ”夫婦のきずなを長続きさせるには”ですって~」と。ジーンときた感動は、一瞬にして何処かへ飛んで行った・・・。
・・・

1月27日(木)
*本堂に沢山の教箋カードを置いているが、ギックリ腰になってから今更のようではあるが、『しゃべれて 歩けて たべられる こんな幸せな事はない』の言葉が沁み入る毎日だ。

何でも出来ているうちに有難味が分かりたいものだが、のど元過ぎれば・・・。だいぶんよくはなってきたが、ギックリ腰がのど元過ぎるのはいつの日か・・・。

*しかし今年はよく雪が降る。今日の積雪は約40センチ。私が雪かきを出来ないので境内は雪に埋もれ・・・。
雪をかぶる境内の浄行菩薩

ちなみに、曲名に『雪』のつく歌をあげてみると

*イルカ『なごり雪』   *コブクロ『雪のふらない街』 *小柳ルミ子『雪あかりの町』 *アダモ『雪が降る』 *中島美嘉『雪 の華』 *吉田拓郎『外は白い雪の夜』 *吉幾三『雪国』 *ジェロ『海雪』 *レミオロメン『粉雪』  *ゆず『みぞれ雪』 *ドリームカムトゥルー 『スノーダンス』 *などなど数知れず。
名曲の数々だが、ロマンチックな歌が多く、曲をつくった方に、「雪の怖さはそんなもんじゃ~ないよ~」と教えてあげたくなる・・・。

1月26日(水)
*夕べのアジアサッカー日本対韓国戦はなんとも凄い試合だった。野球好きな私だが、サッカーの醍醐味を堪能し、PK戦でのゴールキーパー川島選手のスーパーセーブには思わず「よっしゃ~!」。ギックリ腰の身としては、元気に走る回る選手がうらやましく見え。

しかし、野球と違い45分間試合が続くので、ちょっとトイレに行っている間に同点となった得点シーンを見逃してしまった。次回のオーストラリア戦は、ちゃんと前もって・・・。29日の決勝戦の試合開始時間が遅いのが気になるが・・・。

*今日から三日間本当なら、氷ノ山スキー場で県立東高校のスキー研修のインストラクターを勤めているはずだった。だがしかし、ギッ クリ腰の為あえなく・・・。ドタキャンとなり迷惑をかけてしまった。スキーウエアーも新調し、高校生とのふれあいを楽しみにしていたのに残念で。
氷ノ山スキー学校のお手伝いをしてかれこれ10数年になるが、ギックリ腰によるドタキャンは初めて、以後このような事の無いように心したい。が・・・。

去年のスキー研修

ギックリ腰を防ぐよに普段から体を動かすように心がけたいが、いつも「焼跡のがまぐち(口ばっかり)」。財布の事を”がまぐち”という事がわかる人間は古い人間か・・・。口の運動はいつも万全だが。

1月25日(火)
*朝起きるとまたもや雪景色。ギックリ腰で雪かきは出来ず・・・。ベチャベチャの雪でじきに融けそうなので、開き直り雪景色を楽しむ事にした。が、玄関の方で奥さんが雪かきするスコップの音が聞こえてきた・・・。
庭の雪 見ているだけなら綺麗ですむが・・・。

庭のサツキが雪に埋もれつぶれたようになっているが、へんにつつくと逆に折れるらしい。そのままにしておくと、ちゃんと元通りになるとの事。サツキの強さを見習いたい。ギックリ腰が元に戻るのはいつの事か・・・。

天気予報で、今年の桜は早いなどと気の早い事を言っていたが、桜の木もこの寒さをじっと耐え綺麗な花を咲かす準備をしているという事だ。これまた見習いたい。が・・・。

*来日していた朝青龍が力士のケンカ騒動に、「常識ないのかね~。オレには考えられない」と発言したらしい。こちらは見習いたくない。

1月24日(月)
*20日の大寒から、夜に『寒行』のお勤めをしている。昔はうちわ太鼓を叩きお題目を唱えながら街を歩く寒修行をしていたものだが、近年は横着になって本堂だけでのお勤めとなっている。

日蓮宗では、お経が太鼓の音にのって遠くまで届くようにと、大太鼓を打ちながらお経をよみお題目を唱えている。だがしかし、太鼓の音が遠くへ届く前に、ギックリ腰にドンドンと届き・・・。

大寒から寒のあける節分までの「寒中」は一年を通じて一番寒さが厳しく人間が生活するのが大変な時期。そこで昔の人はこの厳しい時期にあえて外へ出る寒修行をして気力を養いこの時期を乗り切ろうとしたのもだ。

昔は暖を取る方法は火鉢か囲炉裏くらいのもの、ところが近年は、文明の利器のお陰で「寒中」である事を意識することなく温かく生活 出来るようになった。有難いことではあるが、自然の厳しさへの実感が薄れ・・・。今年は厳しい寒さになっているけど、そのうち「寒中」は死語となるかもし れない。

「寒中にはな~、チュウハイを飲んで温まるのがえ~で~。寒中ハイだ」。と言った知人がいたが、くだらん話だ・・・。

1月23日(日)
*法事に来れれた方が私の姿を見ながら、「おしょ~さん、どうされました~」と。「はぁ~、ギックリ腰になりまして~。お恥ずかしい事で」というと、「わっはは~。そりゃ~大事にしなんせ~」と。どうやらギックリ腰は笑われる定めにあるようで・・・。

「去年、車いすを寄付して下さった檀家さんがありまして。その時に一番最初に誰が乗るかって話になりましてねェ。冗談で私かもしれませんよ。と言っていたら、冗談がその通りになりまして~」というと、また大笑い・・・。本人は笑いごとではないのに・・・。
・・・

*今回の法事のお施主さんは、体の具わいが悪く来る事が出来ず、二人の娘さんは遠方で来られず、結局鳥取におられる親戚の方が4人 で勤められた。法要後、施主さんの意向(御自分も体が思うにならず、離れて暮らす娘さんは結婚しておられず)で永代供養の相談を受け、いろんな選択種があ る事を話したが、何とも・・・。体が思うにならなくなりいろんな事を考えられるようになったとの事だったが、問題なのはまだ元気な娘さん達がどのように考 えておられるかだ。

話をしながら、夕べNHKの番組で見た、核家族が進み、血縁が薄れ、近所付き合いも薄れ空き家が増え、無縁社会に・・・という現実が思い浮かんだ。無縁社会はいずれ無縁仏社会に・・・。

1月22日(土)
*今年の冬は寒いので嫌な予感がしていたが案の定、ギックリ腰になってしまった・・・。原因は「雪かきが大変で」という事になっているが、ほかにも思い当たる事が多々あり・・・。歩行困難となり家庭内の看護師さんから要介護2!?の認定を受けた・・・。

今日は若桜町の蓮教寺法事を受けており、介護者(奥さん)同伴で若桜へ行った。若桜町はかなりの積雪だったが、お施主さんの息子さ んが雪かきをしてくれており大助かり。お寺の行事や維持管理で大変お世話になった方での法事で、お参りは親子お二人だったが、「おしょ~にんさん。なんで すだいな。そのかっこは~」という故人の賑やかな声が聞こえてきそうな気がした。
雪に埋もれる蓮教寺のお墓

昨日石破漢方院さんで針治療をうけ少し落ち着いていたが、若桜往復60キロがこたえたのか、帰ると介護度が3!?にあがった・・・。

お会いする方々が、笑顔で、「ありゃ~大変ですな~」と。御本人は笑いごとではないと思っているのに・・・。でも”自業自得”・・・。

1月21日(金)
*友人のお父さんが亡くなられ葬儀に参列した。『まごごろ庵』さんでの会館葬 で大勢の方々に見送られて極楽浄土へ旅立たれた。喪主の友人が、「少し強引なようなところがあった父でしたが、それが功を奏し礎となり今日があるのだと思 います。沢山の方々にお世話になりました」などとお礼をのべ挨拶されるのを聞きながら、少し上を向き加減で微動だにせず車を運転しておられた在りし日の姿 を思い出した。立派な挨拶だった。

遺影の写真が友人にそっくりだったので、「だんだん似てくるな~」というと、「お互い様だけ~」と返事が帰って来た・・・。

導師を勤められたお寺さんが式の後、「お葬儀には二つの意味があります。一つはお世話になった事への感謝を込めた御礼。そしていま 一つは、故人は極楽へ往生されそこで修行を積まれ、また私達の済度の為に帰って来られます。ですから皆で極楽への往生を願う事です」。などと話をされてい た。

今回も、いつもと違う立場でお葬儀に参列し、なにかと勉強になる事が多かった。

1月20日(木)
*気象情報会社「ウエザーニュース」のアンケート調査によると、初詣の御賽銭の全国平均額は149、3円との事。日本一太っ腹なのが福島県民で238、9円。もっとも財布のひもが固いのが徳島県民で90円。

男女別では、男性の平均が168、2円で女性は135、8円。年齢が高くなるほど御賽銭の額が多くなる傾向があり、60代以上の女性の平均が241、7円で20代女性がもっとも少ない78、4円。

ポンと御賽銭箱に賽銭を投げ入れて、どれだけの願い事がかけられた事だろう。神様仏様も大変だ・・・。

神社の賽銭箱などには『喜捨』という言葉が書かれている。御賽銭をする事によって執着を捨て、喜びさえも捨てると言う事だ。なので、捨てるものが多ければ多いほど良いという事になるが・・・。執着も喜びもなかなか捨てられない。

1月19日(水)
*昨夜たまたま付けたテレビで、エドはるみさんがモデルとなって若返るメイクの実演をしていた。左右の耳の横の髪の毛を一つまみ後ろへ引っ張りそしてくくる。そうすると目じりが引っ張られシワがのびて若く見えるとの事。

なるほど~と思いながら見ていると、それを見ていた奥さんが髪の毛を引っ張り始めたので、テレビに目をやりながら、「だいたい なぁ~、そんな事してごまかしたってなぁ~・・・」。などと言いたい放題しゃべっていると、「誰に向かっておっしゃっているんですかぁ~」と。「今、この 部屋にはな~、残念ながら二人しかおらんだが~」と言うと、部屋の中に寒気が下りてきて家庭内の冬型が一気に強まった・・・。思わずストーブの温度を上げ た。
口は(も!?)災いの元・・・。

1月18日(火)
*2月3日の『節分祭』の厄歳札をつくっている。このお札を本堂に祀り大寒の20日から節分まで毎日夜「寒行」(お経を読み祈願する)をお勤めする事になる。

このお札は学成寺オリジナルのお札で、木札に経文と名前と歳を書き、幣束を張り、紙札を張り重ね、仕上げに白い紙で覆い水引をかけるという工程で結構手間がかかる。
お札が出来る工程

という事なので、この有難いお札が全部出来上がる頃には肩コリが・・・。

ようやく冬型が緩み晴れ間がのぞき、お日様の有難さをしみじみと感じる一日だった。

1月17日(月)
*夕べ、洋風居酒屋『モッブスフェローズ』で『Dos Lu Na』(ドスルナ)というジャズ・ファンク・のライブを聞きに行った。ジャズギタリスト荻原亮とセッションベーシスト坂本竜太にゲストドラマー小松伸之が加わったユニットで、外は吹雪で寒い夜だったが、会場は熱気でムンムン。

ファンキーで時にギターのようにベースを操る坂本さんの豪快なベースに繊細な荻原さんのギターが絡み、それを迫力の小松さんのドラ ムがリズムを刻む凄い演奏だった。やっぱりこの手のジャンルは生で聞いてこそ、迫力に圧倒された。会場も大盛り上がりで、寒さを忘れる楽しいひと時だっ た。
しかし、こういう演奏には約束事があるわけだが、どうやってコミニケーションを取っているのか、素人にはサッパリ分からない・・・。まさに”あうん”の呼吸なのだろう。
記念写真  テレキャスター

ライブの帰り道道路は会場の熱気とは裏腹、凍結してカチカチだった。

1月16日(日)
*朝玄関を開けると吹雪で粉雪が舞い約30センチの積雪。またも予報通り寒波到来。いつもカラオケで熱唱(絶叫)するレミオロメンの名曲『粉雪』が思い浮かんだ。
♪粉~雪~ 心まで白く 染められたなら~♪。心が白く染まる前に、雪かきの事を考えると、頭の中が真っ白になった・・・。

*午前中月回向に伺った檀家さんが、「おしょ~にんさん、この雪の中大丈夫でしたかな、すんませんな~」と。さらに、「でも、おしょ~にんさんは、どこへでも行かれますけ~な~」と。確かに・・・。道路は凍結し真っ白だった。

最高気温1℃、冷蔵庫の中にいるような一日だった。心が白く清らかに染まる日はいつの日か・・・。

1月15日(土)
*智頭町の吉祥寺さんで営まれた『おひまち年頭祈願祭』に出仕し総勢7人のお坊さんでお勤めした。心配していた雪も降らず、大勢のお参りで賑やだった。

毎年お勤め前にお話をさせてもらっており、御住職から、「鳥取市の学成寺さんです」と紹介してもらったので、「どうも、鳥取の伊達 直人です~」と挨拶したところ、大笑い・・・。「今日は、心の中にあるあ.”当たり前”を取り払う日です。当たり前を取り払うと隠れていた小さな幸せが一 杯見えてきます。みんなで伊達直人になりましょう~」などと話をさせて頂いた。

御祈祷を終え食事を頂きながらお坊さんどうし話が盛り上がった。学生時代の本山での小僧生活の時の話になり、あの時はどうだった、 こうだったとあたかも昨日の事のようにリアリティあふれる話になった。30年前の話だ・・・。今した事が分からないのに・・・、よくあるパターンだ。「皆 それなりに歳を重ねたという事ですね~」と大笑い。

学成寺の行事も吉祥寺さんのようにお参りが多くなればと・・・、御利益を預かりたい・・・。

明日に掛けて、大雪との予報。この予報はハズレてもらいたい。

タイガーマスク 1月14日(金)
*連鎖反応というと、たいがい悪い事の方が多いが、このたびの伊達直人を名乗る善意の連鎖反応には感動した。しかし、ついには星飛馬とか伊達正宗とか仮面ライダーとかアンパンマンまで出始めて・・・。

そもそもタイガーマスクは、

孤児院で育ったタイガーマスクこと伊達直人は、動物園でケンカしている時に悪役レスラー養成機関である「虎の穴」にスカウトされ悪役レスラーとしての教育を受け冷酷な反則ファイトを見に付けて暴れまくる。

だが、自分が育った孤児院が多額の借金に苦しんでいるのをしり、自分がタイガーマスクである事を隠したまま自分のファイトマネーで借金返済を申し出る。

そのため、「虎の穴」への上納金が払えなくなり、自分に憧れる孤児院の子供達の為にもと、組織を裏切り「虎の穴」の掟である悪役レスラーの肩書を捨て、孤児院を支援するようになる。

「虎の穴」は裏切り者のタイガーマスクを抹殺する為に、「虎の穴」出身のレスラー達を送り込み次々とタイガーマスクに襲いかかるが、タイガーマスクこと伊達直人は正義のパンチをぶちかまし悪役レスラーを蹴散らしていく。

というのが、「タイガーマスク」のあらすじ。小学生の時、悪役レスラーの凶器攻撃に耐えるタイガーマスクにドキドキしながらテレビに夢中になった事を懐かしく思い出す。なので、星飛馬やアンパンマンではおかしなことになる、左門豊作ならまだ分かる気もするが・・・。

子供心に自分もタイガーマスクのように強い正義の味方になりたいとあこがれたものだ。お陰で今や、立派!?な”タイガース・マスク”となった・・・。

近年の世の中の乱れは、マンガの中でも”正義の味方”のヒーローが登場しなくなったせいかも・・・。

伊達直人にあやかり、管直人さんも覆面でもかぶって正義の味方となってもらいたいが・・・、上っ面の内閣改造よりも人間面での改造を求めたい・・・。

祈願祭 1月13日(木)
*市内の清照寺さんの『星祭り年頭祈願祭』に出仕した。毎年この日に営まれている祈願祭で、6人のお坊さんでお勤めし加持祈祷を行った。

御祈祷を受けられる方が、自分の前の人が着けている輪袈裟(檀信徒用の簡素な袈裟)がねじれていて直しておられた。が、その直して あげている方の輪袈裟もねじれていて、後ろにいたお寺さんが直してあげていた。そのお坊さんの・・・てな事はなかった・・・が。私のは大丈夫だったろう か・・・。とにかく自分の姿というものは分かりにくいものだ。と勉強になった。
御祈祷

*午後清照寺さんから帰ってから、脚の筋肉痛は何故か無いものの、首から肩さらに腰がパンパンに張りしんどかったので「石破漢方院」さんへ針治療にいっ た。先生が「よくこってますが、針はきつくないですか~、大丈夫ですか~」と聞いて下さるので、「家に帰ると、針よりもキツイ奥様が・・・」というと、 「ま~何をおっしゃいましょ~に」と笑っておられた。が、私には笑いごとではないと・・・。

スキー 1月12日(水)
*今日は日本にスキーが伝わって100年目との事。100年前は羽織ハカマで杖を持っての滑走だったらしい。

という事を、「ハチ北高原スキー場」で友人と今年初滑りに行った帰りにニュースを見て知った。今日の「ハチ北スキー場」は、一日中 吹雪(行ったのは午後から)で視界は悪くゲレンデも新雪でザクザクの悪コンディション。「やっぱり、普段の行いだなぁ~」と言いながら、スキーを数本滑っ た後、スノーボードに履き替え、二人の不良中年親父はゲレンデコンディションをものともせず・・・。

さすがにクタクタになった。やがて来るであろう筋肉痛が恐ろしい・・・。
吹雪で道路も視界が悪く

昔話 1月11日(火)
*外出から帰ると、久しぶりに学成寺の庫裡をたてられた大工の棟梁さん夫婦が来ておられ母と話が盛り上がっていた。80歳を過ぎておられるが、曾孫さんのお世話で忙しくしておられるとの事。

誰が、あ~言ったとか、あの時はどうだったとか細かな臨場感あふれる話で盛り上がっていたので、最近の事かと思いきやなんと30年 から50年前の話だった。棟梁の奥さんが、「おしょ~にんさん、昔の事は、よ~覚えとりますだけどな~、今した事がわからんですが~。困ったもんです わ~」と。さらに、「家におったって、話をすりゃ~しませんのに、今日は良かったですわ~」と言う事で話が落ち着き、昔話でスッキリされたのか笑顔で嬉し そうに帰って行かれた。私も、「今の事が、分からんで、よく怒られます~」と言いながら笑顔で見送った。

この記憶力の凄いパワーを何かに活かせたら・・・。

夫婦ケンカ 1月10日(月) 成人の日
*先日あるお寺さんのHPに、「夫婦喧嘩をしなくなる方法」というのが書かれていた。それは、我が家の奥さんを隣の奥さんと思いなさいというものだった。

隣の奥さんだったら、御飯を作ってもらったり、洗濯をしてもらったりしたら、有難う御座いますお世話様です。となる。これが我が家 の奥さんだったら、当たり前でお礼を言う事もなく、それどころか文句の一つも言っているかもしれません。とつづられていた。なるほど~と思った。

そこで、我が町内にはお寺が五ヶ寺があるので、我が家の奥さんに、「私を隣のお寺の御住職だと思いなさい」と言ってみようかと・・・。かなり勇気がいる・・・。

*今日は成人の日。自分はというと二回目の成人式も、と~に過ぎ、三回目の成人式(還暦か!?)に向かって日々悪戦苦闘・・・。気分はまだ一回目の成人式のつもりだが、奥さんからは、「やっている事もです~」と言われそうだ。隣の御住職と思っていても・・・。

1月 9日(日)
*午前中若桜町の蓮教寺で法事を勤めた。お施主さんの御両親の年回 が今年それぞれ大祥忌(三回忌)・33回忌(父)をむかえられ、一緒に供養を勤められた。御命日も同じ10日(1月と2月)だった。「御縁というものはそ ういうものだと思います」と、お話しした。さらに、「今日は”当たり前”という事を取り除いて、”当たり前”に隠れて見えなく気付かなくなってしまってい る沢山ん小さな”幸せ”を見つける日です」などとお話をして法事を終えた。

若桜町には珍しく晴れ間がのぞき寒くはあるが、穏やかな日和だった。33回忌のお父様はお目にかかった事は無かったが、行年85歳 のお母様の方は、まだお若い頃(といっても60代だったか)お寺の行事にお参りされちょこんと笑顔で座っておられた小柄な姿を思い出した。月日の経つのは あっという間だ・・・。

*午後は学成寺で、『初大黒天神祭』を勤めた。甲・子(きのえ・ね)の御縁日は一年に6回あるが、今日が最初の御縁日。

↑学成寺の大黒さんと持って来られた各家で祀られる大黒さん

お参りの方々も高齢化し、段々お参りが少なくなっている。宗門内でもよく「信仰の相続」という事が取りざたされるが、なんとも・・・。
お勤め後は賑やかにティータイム

1月 8日(土)
*若桜町の蓮教寺で『年頭祈願祭』を勤めた。5日に雪かきをしたのに、新たな積雪が約30センチ。お陰でまず雪かきとなった。御祈祷を勤める前にヘトヘトに・・・。雪のせいか、お参りも少なく・・・。
御祈祷のあと、「毎歳が生まれて初めての歳です」。「毎日が生まれて初めての日です。今年もいろんな事があると思いますが、前向きに明るく頑張りましょう」などと話をして、祈願祭を終えた。

雪かきをしていて、ふと妙見堂の上り口を見ると、雪かきで悪戦苦闘する人間をあざ笑うかのように野良猫ちゃんが心地よさそうにたたずんでいた。野良猫には野良猫の悩みもあろうが・・・。
縦の黒い線は影

しかし、2006年の大雪の事を思うとまだかわいいものかもしれない・・・。
同じ場所の写真
2006年1月8日の大雪          今日の雪

1月 7日(金)
*80歳で旅立たれたおばあちゃんのお葬儀を勤めた。4日の朝起きてこられないので、起しにいったら、無くなっておられたとの事。とても元気なおばあちゃんで、暮れも家業の蕎麦屋さんを手伝っておられたそうだ。
元気で明るく朗らかで笑顔の素敵な方で家業の蕎麦屋さんの看板娘ならぬ看板お母さんだった。お会いすると、「おしょ~さん。おしょ~さん~」と言って下さった明るい笑顔が偲ばれた。
遺影の笑顔が沢山の人にお別れを告げておられるようだったが、家族の方々の心痛を思うと、胸が痛む思いがした。

「人の命は無常なり、入る息は、出ずる息を待つ事なし・・・まずは臨終の事を思うて、多事をなろうべし」、人の命は常では無いですよ。極端な事を言うと、 今吸った息が次の瞬間ちゃんとはけるという保証はありません。人間の命というものはそういうものです。いつその時を向かえても悔いのないよう毎日を過ごし ましょう。という日蓮聖人の言葉をかみしめながらお勤めさせて頂いた。

年頭におばあちゃんが、”一番大切な事を教えた下さった”と思う事が出来れば、今年は例年以上に命ある有難さをかみしめる良い歳に なるはずだし、それが何よりの供養になるわけだが、なかなか・・・。受け入れがたい厳しい現実を受け入れ、次につなげる事が出来るような手助けをさせて頂 くのが我々お坊さんのはずだが・・・。これもなかなか・・・。力足らず・・・。

1月 6日(木) 小寒
*ピンポ~ンと玄関のチャイムが鳴ったので出てみると、いつも来られる『エホバ』のおばあちゃんだった。私の顔を見るなり、「あ~今日は、居られましたか。お会い出来て良かったです~」と。早速聖書をめくり・・・。

仏教の事についても書かれていますので、読んでみて下さいと、『神を探求する人類の歩み』という固い表紙の本をもらった。ちょっとページをめくってみると、

以下抜粋、《ジェフリ。バリンダーという人が自書「世界宗教ー古代から現代までの歴史」の中で、「いろいろな宗教を研究する事は、 必ずしも自分自身の宗教に対する背信行為ではなく、むしろ他の人が実体をどのように究明し、またそのような研究によってどのように豊かにされてきたかを知 る事により、自分自身の信仰を広くする事が出来るかもしれない」とのべている通りです。知識は理解を生み、理解は事なった見解を抱く人々に対する寛容な態 度を生みます。》

と書かれていた。このへんはなるほど~と思った。私の寛容な態度がここに書かれていたか~と。

しかし、この雪の中お寺にまで入ってくる行動力はたいしたものだ。感心する。

以前、学成寺の檀家さんが、「うちにも来ましてな~。うちは昔からの日蓮宗ですってはっきり答えたです。そしたら、、その昔から信仰しておられる日蓮宗は どんな教えですか。と逆に尋ねられましてな~。答えれなんだですが~」と言われた話を思い出した。檀家さんに教えをちゃんと伝えらていない住職の顔が見て みたいと思った・・・。

今日から『小寒』だが、頭の中まで”小寒”にならないようにしたい・・・。

1月 5日(水)
*夕べ、帰省中の娘と久しぶりにシダックスに行った。全国採点で1人 中一位(全国で何人歌って何位かが出る採点)を連発し熱唱につぐ熱唱!?で歌いも歌ったり二人で60曲(1人30曲)・・・。それでも帰りの道中、「ま だ、歌い足りんな~」・・・。連日の雪かきの疲れが飛んで行った。

*今日は若桜町の蓮教寺へ雪かきに行った、市内の石材店さんにお願いし小型のユンボをトラックで運び、境内の雪かきをしてもらった。私も大型のスコップで せっせと雪かき。お陰さまで境内は参道が通れるようになり車も置けるようになった。が、夕べ飛んで行った雪かきの疲れが、飛んで帰って来た・・・。
明日はまた強い寒気が入り大雪の予想との事。も~かんべいしてもらいたいが・・・。
みるみる雪の山が

*お寺に着いた時、蓮教寺の前の道で、おばちゃん二人が立ち話をしていた。「足がいと~て、曲がらんでいけんだが~」「でも畑は しょ~んさるでしょ~」「さ~あ、なんとかな~」・・・と。雪かきをしながら、ふと見るとまだいた。延々約45分の立ち話・・・。カラオケの60曲も凄い が、気温2度の中での45分の立ち話。これも凄い・・・。このパワーを雪かきに・・・。

1月 3・4日(火)
*2日の午後から車で福山市へ出かけ3日の夜帰って来た。黒尾峠を越え美作ICから中国道にのり福山東ICで下りたが、岡山道の総社の手前あたりまで日陰には雪が少し残っていた。
岡山道から見える「最上稲荷」さんへ続く道路は大渋滞しているのが見え、大みそかのテレビで、この地区だけは年賀状を12月31日に配達するというニュースを見たが、なるほど~と思った。
ようやく撮影に成功! 1000円料金

帰り道、福山ICから山陽道に乗ろうとしたら、「笠岡~岡山渋滞25キロ」の案内が。”ひかえおろ~”と印籠の如く立ちはだかっていたので、慌ててUターンし国道313号(通称ロマンティク街道)から岡山道の有漢ICへのルートを取り無事雪の残る鳥取へ帰って来た。
有漢IC近く山間部の町を走行中、山裾にに見事なイルミネーションを見つけ、停車して思わず合掌!?撮影した。かなりの大きさだった。「やっぱり阪神ファンはおかしい・・・わ~」。と感心するやら、あきれるやら・・・。

しかし、何で”渋い 滞る”と書いて渋滞何だろうと思うが、よく分からない。高速道路では道路公団ごとに渋滞の定義が定まっているらしく、日本道路公団では、「時速40キロ以下で1キロの車列の延長が15分以上続いた時」となっているが、これもなんだかよく分からない。

ちなみに、日本の渋滞の最長記録は、1995年12月27日名神高速から、東名高速愛知県豊川あたりにかけての154キロとの事。 第2位は1990年8月の中国自動車道山崎ICから名神瀬田までの135キロ。これは割と身近な場所だ。こうなると一般道路を走った方が早いのではと思う が、これもよく分からない・・・。

25キロの渋滞など、かわいいものかもしれない・・・。
家庭内の動きも滞らないようにしたい・・・。

*福山で生後5日の可愛い赤ちゃんに御面会した。泣きだすと顔が真っ赤になり、「だけ~赤ちゃんっていうだでな~」。おしめを替えるのを取り囲み、「ちゃんと、ついとるで~」と賑やかに・・・。

みんなが、こんな時があったはずだが・・・。

1月 2日(日)
*今回の山陰地方の大雪は、ゲリラ豪雨ならぬゲリラ豪雪だと思った。車 や電車が止まっているうちに、雪が降り積もり立ち往生。大山スキー場では、4・5日前は雪が無くて滑走不可だったのに、一気に2メートルを越える積雪とな り滑走不可。”過ぎたるは及ばざるが如し”・・・。

80センチを越えた米子市寺町のJ成寺さんに電話して様子を聞いたところ、「雪が多すぎて雪かきも出来ん。も~玄関から出られん わ~。孤立しとる~」との事。「私も時々家庭内で孤立してますが~」と言いながら、雪かきで体を痛めないように気をつけましょうと励ましあった。

*今年も沢山の年賀状を頂いた。その中に宛名書きは手書きで丁寧に書かれていたけれど、裏面が白紙のものがあった。

私も以前、お寺の行事の案内状を出した中に一枚だけ、宛名だけ書いて裏を印刷せずに出していた事があった。その時は、受け取った檀 家さんが、「これを出されたのは、ひょっとして学成寺さんじゃ~ないですかな」と檀家さんのおばあちゃんが持って来られた事があった。その時は恥ずかしい やら、みっともないやら・・・。

だがしかし、今回差出人は不明のまま・・・。私が出した年賀状は大丈夫かと、ちょっと心配になった・・・。

本堂にて

1月 1日(土) 元旦
*大みそかから降り続いた雪は大雪となり、雪不足だった大山のス キー場では一気の積雪で2メートルを超し、雪崩で亡くなられる事故が発生し大変な事になった。大山町の国道9号線では600台が雪で立ち往生し1000人 前後の人が車内で年越し。JRも倒木で停車した特急が立ち往生、出動したラッセル車が脱線し、乗客が130人が車中泊。いずれも1日の午後4時現在立ち往 生のままとの事。大自然の脅威を実感する年明けとなり、無事に家の中で年越し出来た喜びを感じながらの元旦となった。

積雪60センチを越えた学成寺の境内もとても人力では手に負えない状況になり、知り合いの方にお願いしユンボで除雪して頂いた。夕べからの雪かきで体はガタガタ・・・。

そんな中、午前10時頃から、お参りに来られた方から順に、御祈祷を勤めた。今年辛(かのと)・卯(う)歳の話や、吉田拓郎さんの 「ローリング30」(ローリングサーティ)の歌の中の歌詞、♪ついてくる世代に恥じないように 届かない世代に恥じないように 飛び立つ鳥になれ♪という 歌詞を紹介し、自分より若い人にも、年上の人に対しても恥じない生き方をしましょう。とお話しさせて頂いた。だが、これが難しい・・・。

家族づれやペットのワンちゃんづれのお参りもあり、賑やかな元旦だった。
リンちゃんとビリーくん

リンちゃん(6ヵ月)とビリーくん(9才)のワンちゃんは、とても大人しくお行儀がよかった。娘に「あんたも見習ってもらわにゃ~いけんな~」と言っていると、「なによ~るだぁ~。おと~さんもだが~」と・・・。今年も思いやられる・・・。

平成22年12月

2010年12月31日コメントをどうぞ

12月31日(金)
*お陰さまで今年も無事に大みそかをむかえる事が出来た。なにわともあれ有難い事だ。明 け方から降り始めた雪は午後3時現在30センチを越えている。これからさらなる積雪があるとの事。エライ事だ。雪の無かったスキー場には恵みの雪だ が・・・。今朝からの雪かきで、腕は痛いわ手首は痛いわ・・・。
県内全域に大雪警報が出て、明日の朝までにさらに30センチの積雪との事。明日の雪かきが思いやられる。
吹雪のラ・ガクジョウジ

*総本山身延山久遠寺から送られてきた月刊誌『みのぶ』に教箋が一枚入っていた。『己の姿は鏡を見て知る・・・云々」と書かれていた。なるほどそうだなぁと思いながら、以前、美輪明宏さんがテレビで語っていた話を思い出した。

「あなた、鏡を見てごらんなさいよ。あなたの顔が写っているじゃ~ありませんか。よくぞその顔で今日まで頑張ってきたじゃない。今 までいろんな事があったでしょ。でも、いろんな事を乗り越えて今日があるんでしょ。いままでの苦労を思ったら、これからもどんな事があっても頑張れるで しょう。鏡に映った自分をほめてあげなさいよ」・・・。

今年一年、頑張った”自分をほめて”あげましょう。

*今年一年お世話になりましたすべての方々、有難う御座いました。そしてすべての大自然の恵みにも有難う御座いました。

12月30日(木)
*天気予報で雪が降る降ると言っているが、鳥取市内は今だ雪は降らず。松江市の雪を伝えるニュース映像を見て、明日は我が身かと思いながら、本堂のお正月準備を終えた。後は元旦の初詣を待つのみ。

以前お寺に来られた方で、「神社みたいですね~」と言っておられた方があったが、幣束が祀られた本堂は確かに・・・。

青空がのぞいたので洗車をしていると、急に曇って雨が落ちたり、また晴れたり。そのたびに車を車庫から出したり入れたり・・・。

結局、訳のわからない事をしているうちにあっという間に日が暮れ一日が終わった。ていうか、一年が終わりそうだ。

12月29日(水)
*娘が借りてきたCDの中に、植村花菜さんの『トイレの神様』なる歌があった。結構流行っているらしい。毎日トイレを掃除すると、トイレには女神様がいるので、毎日トイレを掃除して綺麗にすると、女神様みたいにベッピンさんになれるという内容の歌だ。

植村さんに言われるまでもなく、昔からトイレには、「烏枢沙摩明王」(うすさまみょうおう)という神様がいるとされている。「うす さまみょうおう」は、トイレを掃除する人に福をもたらす神様で、不浄を清浄にかえる徳をもった神様。身を清め世の不浄を清められるようにと願う場所がトイ レという事だ。

なので、トイレを綺麗にすると幸運がおとずれるという『トイレの神様』は「うすさまみょうおう様」が植村花菜さんを通して現代に降臨されたのではないかと・・・。

最近は、小学生などが学校のトイレでウンチをするのが恥ずかしく、トイレに行かない子がいると聞いた事があるが、この歌でトイレの意識が変わればいいなぁと思う。

とにかく、今年一年お世話になった『トイレの神様』に感謝したいものだ。
CD トイレの神様

12月28日(火)
*朝起きると、脚の筋肉痛が、とくに足の付け根あたりが・・・。どうやら、先日大阪行きで結構歩いた(しかも早歩き)ので、そのせいのようだ。一日置いて筋肉痛が出るあたり、若いつもりだが、体は正直でなんとも・・・。

*奥さんと帰省している娘と三人で若桜町の蓮教寺へ行き、掃除して花をお供えし、しめ縄を飾り正月準備を終えた。若桜町は雨模様 で、お会いした檀家さんが、「この雨は、ほんとは雪でないといけませんのにな~。スキー場は雪が無いそうですで。お上人さんも困られましょう~」と。18 日にオープンした『わかさ氷ノ山スキー場』は雪が無く開店休業との事。

掃除を終え、若桜町のはずれにある『たくみの館』へ檀家さんが出展されている書道展を見に行った。入口を入るとまず「日々是好日」 と書かれた大作が目に入った。「お~、ハブ・ア・ナイス・デ~かぁ」と、力強く素晴らしい作品の数々に感動した。だがしかし、ほとんどの作品の漢字が読め ず・・・。

『たくみの館』の入口には大昔の消防車があった。「娘がこれなに~」というので、「昔の消防自動車だが。阪神で言うと藤川球児だ が~、手動のポンプで水をまくだが~、家庭内を飛び散る火花も消してもらいたいわ~」と説明しておいた。すると娘が、「そういう一言が、家庭内の火花を招 くだが~」と・・・。ごもっともで・・・。
火消クルマ

ラ・フランス 12月27日(月)
*お正月のしめ飾りやお餅などを買いに農協さんのやっている『JA愛菜館』(あいさいかん)へ行った。午前10時過ぎだったが、駐車場は満杯で右往左往、店内も買い物客でごったがえしていた。

しめ飾りも野菜も生産者の名前が書いてあるので、名前を見ながら、「正子ちゃんのにしようか~。こっちの直子ちゃんのにしようか~。洋子ちゃんのも捨てがたいな~」と言っていると、奥さんが、「これみんなオバアチャンの名前だと思うんですけど~」と・・・。
JA愛菜館

いよいよお正月準備であわただしくなってきた。

*母が、「みどちゃんから、ラ・フランスをもらっただで~」と、美味しそうな西洋梨ラ・フランスを出してきたので早速舌つつみを打 たせて頂いた。青谷町の光農園さんが生産されたもので、パンフレットを見ると”学ちゃん夫婦”さんの作品だった。サッパリ爽やかでとても美味しかった。 ラ・フランスにあやかり、人間も爽やかに・・・ありたいものだ。
ラ・フランス

”ラ・フランス”ちゅうのは名前がカッコイイな~という話になった。そこで、じゃ~うちも、”ラ・ガクジョウジ”にしようかと・・・。

12月26日(日)
*昨晩、大阪城ホールで行われた、馬場俊英さんの 『LIVE TOUR2010 悲しみよ、明日の星になれ』を観に行った。
ホール前

7000人の大観衆がステージの馬場さんと一体となり温かく素晴らしいステージだった。馬場さんは来年CDデビュー15周年になるとの事。

MC(マイクパフォーマンス)で、「来年CDデビュー15周年をむかえます。いろんな事がありましたが、今まで積み重ねてきた月日の事を思うと、これからも、どんな事があっても頑張れます」とか、
「僕は望みが叶わなかった事は一度もありません。だって一度も諦めた事がないからです」。さらに ライブの最後の方でデビュー当時の曲を歌い、「まさかこ んな沢山の人の前で、この歌を歌う事が出来るなんて夢にも思いませんでした」と語る馬場さんの姿に、いい話だな~と感動した。

馬場さんのMCは、有難いお坊さんの話を聞いているかのようだった。見習いたいものだ・・・。

馬場さんは、売れない頃、何度も歌う事を止めようと思いながらも、音楽への思いを捨て切れず、東京高円寺にある『呑気放亭』(どん きほうて・通称どんき。私が学生時代から、いまも上京の折には行っているお店)という居酒屋さん地道にライブ活動をされており、ドンキのマスターさんの御 縁でこのたびコンサートに行く事が出来た。

ドンキのマスター道端あきみさんが、「目の前で歌っているのを見ていた馬場君が、大きなホールで歌うようになり、馬場君が段々小さ くなって行く(大きなステージに立ちので、客席から見る姿が小さく見える)のが嬉しいな~」という話を聞いて、う~これはちょっといい話だと、これまた感 動した。

コンサートも楽しかったが、マスターさんの御縁の方たちとの一時も楽しかった。が、大阪も小雪が舞いとても寒かった。
マスターの友人(ごく一部)と。

今回の行き帰りは日本交通のバス。快適だった。

12月25日(土)
*ようやくクリスマス騒動も終わり、いよいよ今年もあと1週間となった。ラジオから延々と流れていたクリスマスソングも今日で終わり。

そんな中、ラジオから、懐かしい 紙風船の名曲『冬が来る前に』が流れてきた。昭和52年か53年頃、54年頃かな~・・の冬の ヒット曲だ。当時学生で東京のお寺住まいだった私は、暮れの”釜閉めのお経回り”で寒風吹きすさむ東京の街を歩いている時に、街角でこの曲がよく流れてい たのを思い出す。♪冬が~来る前に~ もう一度あの人と め~ぐりあいた~い~♪
あれから、ウン十年。今日まで多くの人とめぐり会ってきた。これからも多くの人とめぐり会いたいものだ。

《注》 『釜閉めのお経』とは   昔は各家にカマドがあったので一年の終わりに、火神・水神・風神の三宝荒神様に感謝の気持ちを 込めてお経をあげていた行事。元々カマドの前でお経を勤めていたが、近年になり家にカマドが無くなってからは仏壇の前で先祖の供養と合わせて勤めるように なったもので関東地方の風習。

私なんかの世代がカマドが分かるギリギリの世代かもしれない。子供の頃学成寺にはカマドがあり御飯はカマドで炊かれていたのを覚え ている。お風呂もマキで焚く五右衛門風呂だった。カマドで炊いたご飯は美味しく、マキで焚いた五右衛門風呂のお湯はとても良く温もったものだ。

てな話をしていると、横から、「昔話をされるのは、お歳を召された証拠です~」と。若いつもりなので、昔話はすぐに止めた・・・。

12月24日(金) クリスマスイブ
*民間気象会社ウェザーニュースの意識調査によると、日本人の三人に一人はクリスマスに興味なしとの事。常日頃「クリスマスに負けるな~」と言っている学成寺の玄関は  このありさま・・・。なので私は三人に一人の中には入っていないということになる・・・。

今夜は山下達郎さんの名曲『クリスマスイブ』の歌詞のように♪雨は夜更け過ぎに~ 雪へとかわるだろ~♪そのままのクリスマスイブになりそうだ。が、夜更けを待たずに夕方すでに玄関の屋根に雪があった。

去年も一昨年も書いたような記憶があるが、昔『タモリのボキャブラ天国』という番組で、♪兄(雨)は夜更け過ぎに ユキエ(雪へ) と変わるだろ~ ♪  と、替え唄が流れ、オカマとなり化粧しユキエと変身した兄が夜の街へ御出勤となるシーンに、思わず噴き出した事を思い出す。クリス マスが来るたび、この歌を聞くたびに思い出してしまう。せっかくの名曲が・・・。
玄関の屋根の雪 さむ~

もはやクリスマスは、みんなの幸せを祈る日、世界の平和を祈る日と思いたい。メリークリスマス~。

12月23日(木)   天皇誕生日
車を走らせていると、玄関先に国旗を掲げている家を見かけ、今日が天皇誕生日だと言う事を思い出した。

新聞には喜寿をむかえられたと書いてあったが、天皇陛下は昭和8年のお生まれなので、数え歳では今年78歳という事になる。満年齢では77歳なので喜寿と書いてあるようだが、本来喜寿は数え歳でいうものなので、これは正しくない表現になるが・・・。

最近は満年齢で歳を数えるのが普通になっているけど、母親の胎内にいる時からすでに命が始まっているので、生まれた時点ですでに1歳と数える”数え歳”が本来だ。
だがしかし、誕生日がまだの場合などは、数え歳の方が満年齢よりも二つ大きい場合があるので、なんか得をしたような、損をしたような・・・。
なんだかだ言いながら、私も歳を聞かれたら少しでも若い”満年齢”で答えているので偉そうに言えない。

しかし、行年(亡くなった時の年齢)となると数え歳の方が得をしたように思える。

そう言えば、以前三回忌法要を勤めた時に「去年の一周忌の次がなんで三回忌なんですか?。二回忌ではないんですか」と聞かれた事があった。
一周忌は御命日から一年の周期が過ぎて一年立ちましたという事、三回忌以降は御命日の歳も入れて数えるので”三”になるんです。三回忌以降は年齢でいう数え歳の数え方で続いていくんです。ですから、数え方が違うんですよ」というと、「へ~。なるほど~」と納得された。

でも、確かに年齢も、年回の数え方も、ややこしい話だ・・・。

*「うちの玄関にも、国旗を掲揚し、国歌斉唱しようか~」と言っていると、「どうせ阪神タイガースの旗でしょ~。いい加減にして下さい」とたしなめられた。だいたい行動は読まれているようで・・・。
という事で、ここに国旗を掲揚・・・ 国歌はもちろん六甲おろし・・・

12月22日(水) 冬至星祭り祈願祭
*午後1時半から若桜町の蓮教寺、夜6時半からは学成寺で『冬至星祭り祈願祭』をお勤めした。
お経を読む  木剣による御祈祷

参詣の方々

冬至としてはわりと温かな日となり、大勢の老若男女がお参りされた。年々段取りが良くなり、今年は8時過ぎにはお経が終わったの で、谷村新司さんの「昴」の話や、相田みつをさんの「極楽を保証されても娑婆がいい」の話をしているうちに、ついつい話が長くなってしまった。昨日つくり かえた幣束の話をして、「お寺は究極のパワースポットです~」と言っていると、廊下の方から奥さんから、「いい加減に止めて下さい~」の合図が・・・。準 備しているぜんざいのお餅が伸びるとの事だったようだ。

「神様 仏様 御先祖さま 私達を見守って下さる 見えない”様” それをお陰さまといいます。今年一年の沢山のお陰様に感謝をしましょう」という事で締めくくり、最後は温かいぜんざいをふるまって、無事冬至祭を終えた。

12月21日(火)
幣束(へいそく)

*本堂に祀られる幣束(へいそく)を新しくつくりかえた。九つの幣束が連なる九段連幣の予定だったが、どうせならと云う事で十二段連幣にした。出来栄えを自画自賛していたが、幣束を切るのに力が入り、肩がこってしまった・・・。
作成中  本堂につるす

幣束は神様の乗り物・よりどころで、諸天善神においで願い、祈りを捧げ御祈祷を行う。幣束を祀る所は今風な言い方をすれば”パワースポット”。
明日の夕方6時半から勤める『冬至星祭り祈願祭』では、インド(仏教にまつわる)に由来する鬼子母神様・大黒天神様・などなどを祀るこのパワースポットで御祈祷が営まれる。

*明日の冬至祭の準備をしながら、NHK のラジオを聞いていると、天気に下り坂はあるけど、のぼり坂が無いのは何故という話をしていた。快晴を基準にしているので、晴れの場合はすでにのぼっているので、これ以上のぼる事はないとの事だった。なるほどと思った。

さらに宝くじが当たったら、あれを買って、これも買ってと話をしていると、聞いていた幼稚園児の子供が、「それって当たっても痛くないの~」と。これは笑ってしまった。

毎日の生活は、雨天を基準にしておけば、のぼり坂ばっかり・・・。

お父さんは勝手に・・・ 12月20日(月)
*昨日の夕方テレビをつけたら、家族変わりとして日常生活のお手伝いや、身元保証。さらには為の万が一の時の為に葬儀納骨までの支援を行っている『日本ライフ協会』の事を取り上げていた。

子供に迷惑をかけたくないとライフ協会に自分の葬儀・納骨を託して契約している初老の男性が、、「お父さんはお父さんで勝手に生き ていくから、お前たちはお前たちで勝手に生きていきなさい」という事で10年間子供に会っていないという男性が出ていた。「寂しくないですか」という問い に、堂々と「さみしくありません」と答えていた。

見ているこちらが、とても さみしい気持になった。

先日の上野千鶴子さんの講演『おひとりさまの老後』の話を思い出した。まさに家族がいても”おひとりさま”と言う事になる。なにも自ら進んで”おひとりさま”への道を歩む事はないと思うが・・・。

先々の現実をちゃんと考えているという点では良い事かもしれないと思ったが・・・。何とも。

私が、子供に「お父さんは勝手に・・・・・お前達も勝手に・・・」と言うと、おそらく、「今すでに十分勝手です」と言われるに違いない・・・。

娑婆がいい 12月19日(日)
*この時期の鳥取としては珍しく一日中青空の良い天気だった。

法事を勤められた施主さんが、「うちげが法事をする時は、いっつも雪がふって、さむ~て。今日は天気の事ばっかり心配しとりましたわ~」と。笑顔で話されていた。

お参りの方が、ホワイトボードに張られた『極楽を保証されても 娑婆がいい』を見ながら、「やっぱり娑婆がいいですな~」と言われ るので、「いぜんこの言葉を見られた年配の御婦人が、間違えて、”極楽を保証されてもババアがいい”と言われまして~」と言うと一同大笑い。

「娑婆(シャバ)はインドの言葉サーハーがシャーバーになりシャバとなって当て字で娑婆となり、その意味は私達のすんでいる所と云う意味です。しかし、 サーハーの元の意味は”耐え忍んでいるところと云う意味なんです。私達のすんでいる所は大変な所ですけど、頑張っているその姿こそ生きている証しです。な んとか頑張りましょう。というメッセージが込められた相田みつをさんの言葉です」と言うと一同、「へ~」・・・。

法事の後席の最後に、おじいちゃんにうながされた小学3年生の孫さんが、「きょうは~みなさん~、どうも~ありがと~ございまし た~」と大きな声で挨拶され、賑やかに法事が締めくくられた。なんとも微笑ましい姿だった。私もちゃんと大きな声で挨拶が出来るように見習いたい・・・。

おひとりさまの老後   12月18日(土)
*夕べ、とりぎん文化会館の小ホールで行われ た、社会学者の上野千鶴子さんの、「おひとりさまの老後 在宅ひとり死は可能か」という講演を聞きにいった。この講演会は、ホスピスケア野の花診療所の9 周年記念のイベントで、講演の後半では、野の花診療所の徳永先生との対談もあり、とても面白く勉強になった。

これから増加の一途をたどるであろう”ひとり死”を自分の身に照らし合わせながら、熱く、かつ静かに見つめておられる先生の話を聞きながら、人間はひとり で生まれて、”おひとりさま”で最後をむかえるのかもしれないが、一人一人にはそれぞれの歩んだ道があり、様々な”おひとりさま”の人生や老後そして死が ある事を考えさせられた。
とうぜん同じ枠ではくくれないし、理論的な先生の話を聞きながら、理論と現実のギャップを埋めるのも、お坊さんの役目ではないかと・・・。

最後の方で、徳永先生が、言われた、「看取りの現場で翻弄される家族に寄り添うのが医療者の勤め」という言葉が印象に残った。お坊さんも如何に寄り添えるかだ。

法事
*今日は、境港市の浄土真宗大谷派真光寺さんで営まれた伯父(母の兄)の満中陰忌法要に参列し た。夕べの上野千鶴子先生の、「ひとりで生きてきた人間は、在宅ひとり死(最後もひとりでむかえる)という話を思い出し、奥さんはじめ孫や曾孫に賑やかに 看取られ、満中陰忌の供養も賑やかに勤めてもらわれた伯父さんは幸せだったとしみじみ思った。

真光寺の御住職は、ちゃんと説明を加え ながらお経を読まれ分かりやすかった。「人間には生老病死の苦しみがあります。亡くなられた方がいろんな姿を見せて下さり、大切な事を教えて下さっている んです」というような話もしみじみと拝聴した。いつもと逆の立場で法要に参列し今回も、とても良い勉強になった。
真光寺さんの本堂

若桜町   12月17日(金)
*若桜町の蓮教寺へ掃除に行った。若桜町にも冬将軍が到来し境内の所どころに少し雪が残っていた。
灯油を配達してもらったおじさんが、「寒~なりましたな~、初雪が降りましたけどな~、明日スキー場開きの氷ノ山スキー場は、スキーが出来るほどの積雪はないそ~ですで~」と。スキー場情報を教えてくれた。年末年始に向けての積雪が待たれるところだ。

例年だとこの時期掃除をしているとカメムシがゾロゾロとお出ましになるのだが、生きているカメムシにはお目にかからなかった。カメムシが少ない冬は雪が少ないらしいいが・・・。

掃除を終えて、近所の「大入り食堂」(若桜町ゆいつの食堂)へ遅いお昼を取りによると、店主さんが私の顔を見るなり、「鍋焼きです な~」と。という事で注文するまでも無く、美味しい鍋焼きうどんに舌つつみを打った。次回は意表をついて違う物を注文しよ~。でもここの鍋焼きうどんが一 番おいしい。
心も体も温まる、アツアツの鍋焼きうどん

国道29号線から見える薄っすらと雪化粧した山が綺麗だった。

今年の漢字 12月16日(木)
*日本漢字能力検定協会が公募で選ぶ平成22年の世相を表す『今年の漢字』は、『暑』となり、先日清水寺の森清範貫首さんが特大の和紙に揮毫された。

記録的な猛暑はもとろん、チリ鉱山の事故で地中の暑い中から作業員全員が救出された事や、大気圏突入温度1万度の暑さに耐え帰還した「はやぶさ」などが、勇気と希望をくれた事が理由としてあげられている。

いっぽう、ネットアンケートをもとに決定する、『ネット今年の漢字2020』で選ばれた漢字は、『呆』との事。
国際問題にしても国内政治においても、世の中を揺るがす幾多の事件も、確かに呆れ果てるような事ばかりだった事を考えると、こちらの方が、現実味がある。

『呆』こんな字が選ばれた事に、”呆れ”てしまった・・・。

大きいおばあちゃん 12月15日(水)
*先月行年100歳のおばあ ちゃんの小祥忌(一周忌)を勤められた檀家さんへ月回向に伺った。幼稚園に通う孫さんが大きいおばあちゃんの法事があった事を、園長先生に話をしていたそ うで、家にいるおばあちゃんには、「大きいおばあちゃん。なかなか、かえってこんな~」と言っているとの事。「孫さんは孫さんなりに、大切な事をちゃんと 感じとっているんですね~。大きいおばあちゃんも幸せな事だし、みんなが幸せですよね」と言う話になった。孫さんを見習いたい・・・。

やはり大人も子供も、法事は普段あまり考えないような事を考えさせて頂く素晴らしい機会と言う事だ。だがしかし、最近は、子供さんや孫さんを連れてこられずに法事を勤められる方もある。寂しい事だし、なにか大切な事を失いそうな気がするが・・・。

大掃除 12月14日(火)
*年末恒例の檀家さん有志による本堂の大掃除が行われた。窓ガラスも綺麗になり、御本尊のお厨子もお一年の埃がおとされ、陰さまで綺麗になった。

掃除の後は客殿で賑やかに茶話会となり、ちょっとオシャレなセーターを着ておられた御婦人が立ちあがり、「私の着ている服、値段は いくらだと思われますか~」と。何人かが、800円だの1000円だの言われたが、なんと80円、リサイクルショップで今月は2割引きだったとの事。驚き で盛り上がっていた。

私も何か言わなきゃと思って、コーヒーフレッシュを見たら「スジャータ」と書いてあったので、「12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれた日ですが、苦行 (断食)を終えられたお釈迦様に乳粥を供養した村の娘さんの名前が”スジャータ”だったんですよ」と言うと、皆が「へ~」と。ただ、12月8日がお釈迦さ まが悟られた日と言う事を誰も知っておられなかった・・・。住職の布教は一体どうなっていたのか・・・。

有難い事に22名の方が来て下さった。だがしかし、前回の『大黒天神祭』のお参りよりも多かった・・・。賑やかな一日だった。

三十番神 12月13日(月)
*12月10日付けの日蓮宗新聞(月2回発行日蓮宗新聞社)の一面で『50年に1度 三十番神開帳天童音楽大法要』が、あるお寺で営まれた記事を見た。25年ごとに全開帳と半開帳を繰り返し、今年は半開帳との事。

『三十番神』は一カ月30日間毎日交代で人々を守る神々なのに、25年おきの開帳とは・・・。「これらの御尊像は霊験あらたかなものとして、平素容易に御開帳する事を制禁されており」と記事に書かれていたが、それは人間が勝手に決めた事。

お参りの高齢の女性が、「25年後の全開帳には生まれ変わって稚児となって行列する予定」と明るく話してくれ微笑ましかった。と記者のコメントが書かれていたが、私にはあまり微笑ましくないように思えたが。

という事で、何十年に一回の御開帳という話を聞くと、ちょっと~と思うのが正直な気持ち。でも、信仰と文化、伝統と格式を護り伝える事は大切な事ではある。

学成寺の御本尊様も、50年に一度の御開帳に・・・。住職に会えるのは半年に一回・・・。御本尊はともかく、誰も住職に会いに来なくなるに違いない・・・。

満中陰忌 12月12日(日)
*91歳で旅立たれたおばあちゃんの満中陰忌の法要を勤めた。「前置きが長くなりますが」と言って、お経の話を少ししてから法要を勤めさせていただいた。

法要後、満中陰の話をしながら、「人間界の一つ上は天上界で、その天上界の一番上を有頂天と言います。天上界まで上り詰めた~と、”有頂天”になっていると、一気に奈落の底(地獄)へと落ちる事もあります。まさに海老蔵さんは・・・」などと話をし法要を終えた。

納骨の時、奥さんのお骨を納められながら93歳になられる施主さんが、「わしも、も~すぐ、行くけ~な~」と言われると、まわりか ら、「まだ、早いで~」と。これは奥さんの声も交じっていたかもしれないと思った。納得がいくように、ゆっくりゆっくり時間をかけて納骨される姿が印象に 残った。

教研運営委員会 12月10・11日(土)
*岡山市のアークホテルで開かれた『中四国教区 教化研究会議 運営委員会』という会議に出席した。この会議は来年の6月に同所で開催される『中四国教区 教化研究会議』の日程や内容を検討する会議で各県の代表20数名が出席した。

ああでもない、こうでもないと検討の末、地域や家族・親類との絆が失われ、「無縁社会」と化していいる今の日本の現状を踏まえ、失われた「縁」を取り戻すため、我々お坊さん何をしなければならないか、何が出来るかを、模索する為の会議にしようという事になった。
という事で、来年の会議の研究主題は『「無縁社会から「仏縁社会」の実現に向けて』ときまった。

この「無縁社会」と言う言葉は、以前放送された、NHKスペシャル「無縁社会~”無縁死”3万2千人の衝撃~」からでた言葉で。番組では、社会との接点を 亡くし孤独死した人を取り上げ、「新たな死」が増えている実態を直視し、何よりも大切な「命」が軽んじられている日本社会のあり方が問い直されていた。

お釈迦様は、「すべての事は縁あって生ずる」と教えられている。にも関わらず今日の「無縁社会」となっている現実を思うと、いかにお坊さんが「縁」という 事を大切に説いてこなかったか・・・。今からでも遅くはないと思うとこの研究会議は大変重要な会議と言う事になるか・・・。なんとも。

今回の会議では、潤滑なる会議の運営を思い、わりと大人しくしていたが、終わる事になって、「無縁社会云々という事が取り立たされていますが、我々お坊さ んが社会から無縁になっているんじゃないですか、10年20年後には人口の減少などによりお寺の檀家さんの数は三分の一になるというデータがありますし、 こういう現状をちゃんと把握して我々お坊さんやお寺のあり方を考えていかないと大変な事になりますよ」などなどと偉そうな事を発言したところ、ちょっと重 い空気になった。

偉そうな事を言う前に、まず我が家、家庭内で私の立場が”無縁”とならないように心がけたい・・・。

北朝鮮 12月 9日(木)
*北朝鮮では、韓国の映画やドラマを見たという理由で「教化所」に収監される住民が増えているとの事。
「教化所」ではその人数は収監人数3000人のうちの三分の一を越える1200人にも及び、服役期間は2~5年で、一般収監者に比べて、過酷な労働を強要されているそうだ。

凄いというか何と言うか。日本だとほとんどの人間が収監され・・・。

もっとも、子供には見せたくないようなくだらないバラエティー番組が反乱し、あげくの果てには国会中継さえ子供に見せたくない番組のような日本の状況を省みると、これはこれで何とかならないものかと思うけど・・・。

海老蔵さんの事件を伝えるワイドショウもくだらな過ぎてみていられない。が、ついつい見てしまう、この現実の情けなさ・・・。

何はともあれ日本は平和で有難い。

12月 8日(水)  釈尊成道会
*今日12月8日は、パールハーバー第二次世界大戦が開戦した日、元ビートルズのジョンレノンが凶弾に倒れた日。そしてお釈迦様が悟りを開かれた日。

お釈迦さまが悟りを開かれたという素晴らしい日に、戦争を始めたり人を殺したり、人間とはいかに愚かな生き物だろう。そう思うと今日は人間の愚かさを戒める日なのかもしれない。

鳥取市仏教会では、会長の弥生町本浄寺さんで『釈尊成道会』が営まれ、各宗派から24名のお坊さんが集い賑やかに営まれた。

成道会にまつわる絵の掛け軸がある。それはには悟りを開かれ穏やかに座られるお釈迦様に、矢が飛んできて当たっているが、当たった 矢が花ビラとなって舞い落ちている状況が描かれている。飛んできた矢をそのまま投げ返すから戦争になり、花ビラに替えてしまえば平和になるわけだが、現実 は・・・。北朝鮮から飛んできた矢は花ビラとなるのだろうか。

我が家の中にも、花ビラが舞うように・・・。その前に矢が飛ばないように・・・。

12月 7日(火)
*暦の上では『大雪』。暦通り夜遅く雪が舞うとの天気予報を見ながら、いよいよ寒くなるな~と。

小学校の同級生から電話があった。「わらじが死んでな~」一瞬なんの事かと思ったが、5秒後には”わらじ”というアダナの同級生を思い出した。住んでいた富山で亡くなり葬儀はすんでいるが、鳥取でも葬儀をするとの事だった。
電話をくれた友人は同窓会の世話もしており、「10数人亡くなっとるぞ~。行方不明もおるしな~」との事。「そ~か~。やっぱり元気が一番だぞな~。行方不明にも、ならんよ~にしょ~で~」と話しているうち、心も寒くなってきた。

同級生も、みんな大きく(歳が)なったもんだ。体も心もじっとしていると寒くなるので、それなりにいつも動いていたいものだ。

12月 6日(月)
*丸亀市の宗泉寺さんで開かれた第3回目の『いのりんぴっく実行委員会』に出席した。これは平成25年に高松市の「サンポートホール」を会場に開催されるイベントの会議で、中四国9県から14名の実行委員が集まり開催された。
ああでもない、こうでもない・・・

外に向けてのアピールを目指すので、一般の人も対象にという事だが、日蓮宗の宗教色が濃いと一般の人が遠のくし、基本的な人数を檀 信徒で集めると、宗門色が無いのも何とも言えず、動員方法が難しい。いっそのことすべてを一般の人を対象に出来たらと思うが、なかなか難しい・・・。まず は我々お坊さんの発想の転換が必要だと思うが・・・。これも難しい。結局、あれもこれも難しい~・・・。

目玉となる講演の講師の名前があがった。有森裕子さん・秋山仁さん・養老孟司さん・島田洋七さん・乙武洋匡さん・勝谷誠彦さん・堀 ちえみさん・山本コータローさん・畑正憲さん・はるな愛さんなどなどだったが、幅広い世代に受け入れやすそうだという事で、島田洋七さんが良いのではない かという話が大筋になった。
「個人的には、私としては、堀ちえみさん・はるな愛さんが・・・」と言ってみたが残念ながら却下された・・・。

宗泉寺さんの本堂に『根ふかければ枝しげし 源遠ければ流れふかし』という額が掛っていた。軽薄な事の多い昨今、心したい言葉だ。

丸亀市まで日帰りのロングドライブとなった。帰り日瀬戸大橋からの夕日が綺麗だった。
車窓から、瀬戸内海の夕陽

12月 5日(日)
*清照寺さんで営まれた『お会式法要』(日蓮聖人御命日法要)に出仕した。穏やかな天候で、ストーブのたかれた本堂は暖か過ぎるくらいだった。

お会式法要は、墨染めで一番質素な衣と袈裟で勤めるが、この衣はたたむのが一番面倒な衣だ。今年最後の『お会式法要』で、来年の10月まで着る事はないので今回は特に丁寧にたたんだ(いつも丁寧だが・・・)。

衣をたたみながら、本山で小僧生活の時、夜になると今日一日着させて頂いた、襦袢から白衣さらに衣と袈裟をたたんで先輩のところへ 持っていき、「衣をたたみましたので、点検宜しくお願い致します」と言って、先輩にたたみ具わいを見てもらった事を思い出した。すぐにOKが出れば良い が、そうでないとOKが出るまで何回もたたみ直しとなり、OKが出ないと寝る事が出来ず、必死の思いで衣と悪戦苦闘したものだ。
その時は大変だったが、今こうして衣がたためるのは、そのお陰という事だ。

*『お会式法要』を終えて、午後若桜町の蓮教寺へ行き、法事を勤めた。八頭町の山にあるお墓に参った時、檀家さんの親戚の方が、 「おしょ~さん、こないだ、うらげの裏の柿の木で熊が柿を食べよ~りましてな~」と。熊やイノシシよけの柵がしてあるが、お墓のある所は柵の内側だっ た・・・ちょっと怖~と思った。

家での後席でも、熊が出るだのイノシシが出るだの、鹿やサルも出るだの・・・。だがしかし、山を荒らしたのは人間なので、むしろ被害者は動物で、人間が悪いという事で落ち着いた・・・。

帰り日、交通量の少ない県道沿いでイルミネーションを見た。

それこそ、熊やイノシシが見てるかも・・・。

12月 4日(土)
*タイガースファンクラブから『トラッキー&ラッキー クリス マスオルゴール』が届いた。使用説明書を見てみると「(ゼンマイを巻くのは)必ず保護者の方が行って下さい 対象年齢15歳以上」と書かれていた。側にい た保護者・・である奥さんが「一応年齢は大丈夫のようですけど~」と・・・。

早速ゼンマイを巻くと六甲おろしのクリスマスバージョンがが流れてきた。「こりゃ~素晴らしい~」と喜んでいると、保護者の方が、「いつもはクリスマスに 負けるなとか、クリスマスのイルミネーションに文句を付けているくせに、どういう事ですかぁ」と呆れていた。そこで、「これは一宗教者として、クリスマス イベントを通して世界の平和を願っているという事だ」と言ってみたが、さらに呆れて・・・。
クリスマス一色の学成寺玄関

「お母さん~、玄関が大変な事になってますよ~」という奥さんの声が聞こえ、10秒後には、母の、「あ~気が悪る~。も~、え~加減にしてほしいわ~」という声が聞こえてきた・・・。私は良い加減だと思っているが・・・。

12月 3日(金)
*ちょっと早いような気もしたが、備えあれば憂いなしという事で車のタイヤをスノータイヤに替えた。たまには自分でと思ったが、車庫の中でタイヤを持ち上げた瞬間あまりの重さにそんな気持はすぐに失せ、「タイヤ館」へ直行。

最近のスノータイヤは良く出来ているので、走行音も静かだが、燃費は落ちるし、高速を走る時何とも気分が重い。しかし、何気にハン ドルを握っているが、考えてみると雪道も高速道路も走れるスノータイヤは凄いと思う。「スノータイヤを履いたんで、雪が待ち遠しいなぁ~」と言っている と、「冗~談じゃ~りません」と・・・。

*12月になり世の中はお酒を飲む機会が増えるわけだが、やはり度が過ぎると碌な事はないと海老蔵さんの事件を報じる番組を見ながら思った。
最初は一方的に殴られたと言っていたが、後から後から素行の悪さが暴露され・・・。おごりに我儘、どうやらお酒以前の問題があるように思えてきた。歌舞伎役者としては努力家で素晴らしい方のようだが、なんとも残念な話だ。

他人事ではないと、私の普段の素行も振り返ってみた・・・が・・・。

12月 2日(木)
*玄関と本堂の昇り口に手すりを設置した。お寺の中は結構段差が多 く、以前から「手すりがいりますな~」と言う声があったが、今日ようやく設置の運びとなった。早速手をついてみたが、どうせ言われる事は分かっているの で、先手を打って、「どうだ~、良く似合うだろう~」と言っておいた。
玄関の中 

手すりをつたって本堂に入ると本堂はイス席。さらに喜ばれる事だろう。そのうち導師(住職)が座る所も椅子になるかも・・・。

*先日、従兄(伯母の息子)が湖山池沿いの吉岡海道で、対向車線をはみ出してきた軽自動車と正面衝突し道路わきの田んぼに転落する という事故にあった。入院せず自宅にいると聞き心配して様子を見に行ったところ、救急車で運ばれたが、検査の結果異常はなく家に帰されたとの事だった。し かし、体にはシートベルトの跡が紫色に内出血して凄い事になっていた。
突っ込んできた相手方も大きな怪我はないそうだが、状況を聞くとよくぞこの程度の怪我ですんだものだと胸をなでおろした。奇跡だと思った。話を聞きながら、御祈祷の時の言葉”大難は少難、小難は無難”を思い出した。
あらためてシートベルトとエアバックの重要性も実感した。

何かと慌ただしい年末をむかえるが、バタバタしないよう気を付けたい。そう言えば「慌てる」とは心が荒れると書く。心したいものだ。だがしかし、私はいつも慌てているような・・・。

12月 1日(水)
*親戚のお見舞いで尾道市の尾道総合病院へ行って来た。病院の休憩室で話を しているうちに、お寺(学成寺)の事や先日の伯父の葬儀の話などしているとついつい声が大きくなり・・・。まわりを見渡し、何度も、「ここは病院だで~」 と・・・。病院にいると元気でいる事の有難さが身にしみた。

帰り道、山陽道は紅葉が綺麗だった。

景色に見とれても、このスピード取り締まりレーダーにはお世話になりたくない・・・。

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