*葬仙さんの商栄町ホールにて、行年77歳で旅立たれた女性のお葬儀をお勤めさせて頂いた。孫さんが、療養中で参列出来ないお父さん(故人の息子さん)が思いを込めて詠まれた和歌「雪解けや 身にしむ川の冷たさよ 藍と成りにて 麗し染まらん」を詠まれ、孫さん2人がそれぞれの思いを込めておばあちゃんへのお別れの言葉を送られた。その姿に遺影のおばあちゃんが微笑んでおられるように見えた。
枕経に伺った時、故人がお戒名に『明光』、明るい光をいれてほしいと言っておられた事を聞き、そのようにさせて頂いていたが、今日は喪主のご主人が「家内が骨壷を準備していて、遺影もこれを使ってほしいと残していたことが分かりまして」と言われお骨壷の入った箱を見せていただいた。箱には「みんな元気で頑張ってね!」と書かれていた。ご主人に「これはいつ頃なんでしょうかね」と聞くとご主人が「15年、いやもっと前かもしれません」と。
日蓮聖人の言葉に、『先ずは。臨終の事を習うて、後に他事を習うべし』という言葉がある。人間はいつかは必ず命を締めくくる時がきます。その事を先ず念頭に置いて、その時をいつむかえてもいいように、日々の生活を重ねなさい。そうする事によって、毎日をイキイキと生きる事ができますよという意味だが、まさに、その通りの事を考え実行しておられたという事だ。頭が下がる思いがした。
お葬儀
故人は、私が昭和58年に寒百日の『日蓮宗大荒行』を成満し、その報告式が学成寺で営まれた時に”花束贈呈”の役をしてくださっていた。これはその時の写真で、よく見てみると私は赤い花の花束を渡して頂き手に持っている。今日、故人のお棺の上にも赤い花束がそっと置かれていた。
花束贈呈