今月の言葉

2005年05月01日コメントをどうぞ

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平成17年5月1日

輸入大国ニッポンで、もし仮に農産物の輸入がストップした場合を想定して、農水省がこんな献立を発表しました。夕食は御飯1杯、焼き芋1本、焼き魚ひと切れ・・・朝昼も芋中心で、味噌汁は2日に一杯、肉は9日に一食となるそうです。御年配の方には戦後の食料不足の時代を思い起こされることでしょう。輸入が完全に途絶えるという極端なケースの想定ですが、可能性がないわけではありません。

今、食べて育てる。「食育」という事が言われています。若い人の間では飽食ゆえに食が乱れ、御飯にマヨネーズやケッチャップをかける(マヨラー・ケチャラー)さらにはチョコレートをかける子がいるとの事、奇妙な怪しい食べ物、寄食怪食です。

親から家庭の味が伝わらなくなり、家庭の食卓も、父はカレー・母はスパゲティ・子供はラーメンと「バラバラ食」で、同じものばかり食べる「ばっかり食」、家の中がフアミリーレストランとなっています。今は食べる物は「作る物」ではなく「買ってくる物」になり、朝ごはんを食べない子も多く、朝ごはんを学校給食にしてほしいとの意見もあるそうです。「食」という字は人を良くすると書きます。こんな状態では人が良くなるわけがありません。

人を良くするにはバランスのとれた食事が一番で、さらに適度の空腹は人間のより高い能力を引き出すそうです。腹八分目とはよく言ったもので、自分が必要とするカロリーよりちょっと少なめに取るのが秘訣となり、カロリーを減らしても十分な栄養をとれば大丈夫との事です。

そして、ハングリー精神も大事です。イチロー選手が、野球は綺麗なグランドで練習したものより、ボコボコの悪いグランドで練習してきた者の方がどんなグランド環境でも対応出来うまくなると言っていました。私達の生活も、同じだと思います。

私達は1日3食として、50年生きると約5万回の食事をすることになります。食べることは生きる事、生きることは食べる事、食べる事は生活の中で一番大切な事です。

食生活のレベルを落とす。芋中心の食生活にならぬ事を祈りながらバランスの良い食生活「人を良くする食事」考えましょう。

DNA

2005年04月01日コメントをどうぞ

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平成17年4月1日

とある法事の後席でのことです。あるおじいさんが、「和尚さん、わしゃぁなぁ不思議な夢を見たですが、夢の中に今まで会った事もない人が出てきて名前を名乗ったですが、全然知らん人だけぇ誰だろうと気になっとったです。そしたら後で分かったですけどなぁ、親戚の先祖さんに、夢で出てきた人と同んなじ名前の人がおるって聞いてびっくりしたですが、なんぞ悪い事がおこりゃせんでしょうか、心配ですだがな。和尚さんはどう思われますかなぁ」と問いかけられました。

私達の体は、約60兆の細胞から成り立っています。その細胞の中にあるデオキシリリボ核酸、略してリボ核酸DNAつまり遺伝子の中に30億年という長い間に私達の生命が経験してきたすべての出来事が蓄積インプットされているわけです。そして、さらに自分という人間が生まれてから経験してきたすべての事柄が新しい情報となって加わります。

夢の中に出てきた人の名前に驚いたおじいさんに、答えました。「もともと私たちは遺伝子の中にそういう情報を持っているんですよ。普段は眠っている脳細胞がなんかの拍子で、呼び起こされて、夢の中に出てきたという事になったのだと思いますよ。そう思うと不思議でもなんでもないごく当たり前の事ですよ。だからなにも心配する事はありませんよ。」

おじいさんはキョトンとしていました。でも、そういう事だと思います。それを御先祖がどうのこうの、などというからおかしな事になるわけです。

私達の生きる道を決める力は、御先祖様からの情報と自分自身の生き方だと言えます。

お釈迦様は、すべての物には、原因があってそれに縁があり結果が生まれ、そして果報(報い)が生じる。この事の繰り返しですよ。と教えられます。起こった事の原因は変える事は出来ませんが、縁は自分しだいでいくらでも変える事が出来ます。縁が変われば当然結果も報いも変わってきます。

たとえば、一本の大根があったとします。大根が「原因」で、料理の仕方が「縁」です。料理の仕方が違えば、当然出来上がった姿「結果」も違い、味「報い」も違ってきます。

良い「縁」を遺伝子に入力インプットし、見た目もよくて、美味しい大根になるよう心がけて見たいものです。

マンダラ

2005年03月01日コメントをどうぞ

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平成17年3月1日

アメリカのフロリダ州にエバーグレイズという広大な湿地帯があります。40年ほど前に湿地帯の開発が進み人間の住む住宅地となりました。しかし自然が破壊され、多くの野生動物が絶滅し、さらには埋め立てた湿地帯が地下水の汲み上げによる陥没で、民家の崩壊が起こるようになりました。この現実から、「母なる自然に誤らなければいけない」ということで、今一兆円の費用を賭けて、エバーグレイズの広大な湿地帯を元に戻す自然再生が行われているそうです。しかし元通り自然が再生するには約30年かかると言われています。

地球上ではこの500年の間に実に784種の生き物が絶滅しました。その原因のほとんどは私達人間です。人間が自然破壊を繰り返し、空や大地にダイオキシンなどの有害物質をふりまき、その有害物質が食物連鎖によって最初は小さな生き物から、それを餌とする大きな生き物に凝縮されてゆき、やがて多くの奇形や生殖機能の低下をもたらし絶滅へと進んできました。この恐ろしい現実、これは人間の将来の姿かもしれません。

「マンダラ」という言葉は多くの人に知られ、宗派を問わず各家庭にもお祀りされています。マンダラとはインドの言葉で、「集まる」という意味を持ちます。何が集まるかというと、人にかぎらず、多くの色々な姿や形をした生き物がお互いの立場を尊重し、それぞれがその役割を果たしながら、持ちつ持たれつ仲良く共存共生して集まっている姿。この姿状態の事を「マンダラ」と言います。私達人間はたった一つの地球で、多くの生き物と共存共生していかなくてはなりません。まさに地球上は「マンダラ」の世界です。

今、私達人間は野生動物からの無言の問いかけに、どう答えていくかが求められています。

熊が出たからといって慌てて撃ち殺しているようでは、人間の未来もないと思います。熊やイノシシを山から出るようにしたのは他ならぬ人間です。

自然の脅威を嫌と言うほど感じさせられる昨今です。フロリダの人達の「母なる自然に誤らなければいけない」という言葉、考えさせられ身にしみます。

正月気分

2005年02月01日コメントをどうぞ

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平成17年2月1日

新しい年をむかえ1ヵ月がすぎましたが、年末年始の風景も段々と様変わりしたようです。

大晦日のNHK紅白歌合戦は、全盛期は80%の視聴率だったそうですが昨年は半分以下の39%でした。気づかれた人も多いと思いますが、町から「門松」が減少しましたし、年賀状も少なくなったそうです。「おせち料理」も家で造らなくなり、元旦から焼肉屋という家族も多かったと聞きました。今は元旦からお店が開いていますから、おせち料理を造る必要がないとの事ですが、そういう問題でもないような気もします。何とはなしに、世の中かわって、正月気分がうすれきたような気がします。

社会全体が、「みんな一緒」から「みんながそれぞれに」なり、言葉を変えれば「個人がバラバラ、社会もバラバラ」だとも思えます。

今年は、乙・酉歳ですが、乙とは「すべての物が集まり伸びる事」という意味を持ちますが、人が集まり、それが家族へ社会へと広がっていくわけです。まさに人との集まり方、交わり方を考え、上手に集まり助け合えば伸びてゆける歳だと思います。

年末に起きたスマトラ沖地震による津波被害には心が痛みました。まさに人が集まり助け合うことが求められています。この津波による被害を受けたスリランカのヤラ国立公園では、ヒョウや数百等の野生のゾウなどが生息しており、沿岸から3キロ離れたこの公園も洪水状態になり約40人の観光客が被災したそうです。ところが奇妙な事に、ゾウはおろか野ウサギの死骸さえも発見されなかったそうです。政府の担当官は「動物には第六感で天災を感知し安全な場所へ移動したのだろう」とコメントしたそうです。かたや人間は、身の危険がそこまで迫っているのに、気付かずにビデオ撮影している始末です。人間も動物ですからある程度の予知能力を持っていたのでしょうが、あまりにも便利で緊張感のない生活を送れるようになり、本来持っていた能力が失われ、生命力さえも弱くなってしまったようです。

世の中、変わっていくのも結構ですが、色々な事を教訓にし、変わり方を考え、節分の2月、福を呼び込みましょう。

脳が危ない

2005年01月01日1件のコメント

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平成17年1月1日

今、子供も大人も『脳』があぶないそうです。

その原因は、子供はゲーム、大人はパソコンです。ゲームやパソコンをしている時の「脳」はほとんど動いていないそうです。本来人間の「脳」が考え、やるべき事を全部機械がしてしまうからです。その結果人間が本来持っている思考力や判断能力が低下し、自分のまわりで起こる事に対応できなくなり、怒りやすくキレやすくなってしまうのだそうです。最近は小学校でもパソコンを取り入れたり、算数の授業に電卓を取り入れているようですが、どうかと思います。

私達人間はいろいろ便利なものを手に入れてきましたが、便利になれば成るほどに大切なものを失っているようにも思えます。

でも今の時代子供にゲームをするな、大人にパソコンを使うなといってもそれは不可能な話です。そんな中、「脳」を活性化する方法を考えなくてはなりません。

アテネオリンピックの柔道で金メダルを手にした田村亮子やわらちゃんは、トレーニングをしながらそばにいる人に計算問題を出してもらい、体を動かしながら暗算をするそうです。また、アメリカ大リーグで活躍したイチロー選手は、自分の周りを行き交う自動車のナンバープレートを見て、自動車のナンバーの右と左の数字を足し算するそうです。車は動いていますから瞬時に見て計算しないと間に合いません。たとえば、ナンバーが34‐56だったら34+56=90というような具合です。こんな事を繰り返すことによって、「脳」の働きが活発になり運動能力も、思考力もとっさの判断力も向上するとの事です。そして元気に生きる力も養われると思います。私達もちょっとやってみてはどうでしょう。

平成17年は、乙(きのと)・酉(とり)歳です。乙はすべての物が生じて集まり伸び出る。酉はすべての物が十分に出来上がり老いる熟成する。という意味をもちます。

上手に伸び伸びと元気に熟成し、歳をかさねて平成17年を羽ばたく良い歳にしたいものです。

ヨン様

2004年12月01日コメントをどうぞ

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平成16年12月1日

空前の韓国ブームの中、訪日したペ・ヨンジュさんの一挙手一投足にファンが歓喜し、メディアが追い回す様子に驚きました。

口々に「ヨン様~」と声を張り上げて、カメラ機能付き携帯電話を振りかざし、アイドルに夢中になる中高生のような数千人ものおばさんたちの姿は何とも言えない光景でした。挙句の果てには、とうとうけが人まで出る始末です。その中心はオーバーフォーティ40歳以上の女性との事です。何に夢中になるのも結構ですが、ヨン様よりダンナ様は一体どうなっているのか気になります。そんな時、たぶんほとんどのだんな様は仕事に追われ必死に働いている事でしょう。どうか「だんな様もお忘れなく」と言いたくなります。

政治報道が重視される韓国のメディアも、驚きも交え連日報道しており、戸惑いもみられ様々な意見が飛び交いながらも、おおむね好意的なのだそうです。日本国内でも、「中年女性の熱狂は、日本の男性社会に対する抗議」など様々な見解もあるようですが、日韓関係が良い方に向かい、経済効果にも繋がれば良い事かとも思います。

こんな状況は平和の証で、喜ばしい事かもしれませんが、周りを見渡せばそんなに平和で安全な世の中が続いているわけではありません。世界の情勢も国内の情勢も不安定で、厳しい時代が続いています。そんな世の中ですが、私達はいろんな事にちょっと放任と言うか少々物分りが良すぎるような気もします。

神様・仏様・御先祖様、陰から私たちをじっと見守って下さる「様」それを「おかげ様」といいます。「ヨン様」も結構ですが、今年一年私達は沢山の「おかげ様」のお世話になったはずです。今年身の回りで起こったいろいろな事、喜びも、悲しみも、いい事も、そうでない事もすべて受け入れて、沢山の「おかげ様」に気付く事が出来た時、プラス思考で、また新たなスタートがきれると思います。

なにかと慌しい年の瀬を迎えますが、慌しいとは「心が荒れる」と書きます。また、忙しいとは「心を亡くする」と書きます。くれぐれもそんな事のないように心がけ、「ダンナ様」も「おかげ様」も忘れることなく一年を締めくくりたいものです。

マニュアル

2004年11月01日コメントをどうぞ

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平成16年11月1日

ダスキンの会社から、出されている「喜びのタネまき新聞」に東京ディズニーランドでのある話が載っていました。

ディズニーランドのレストランに若い夫婦が訪れ、お子様ランチを注文しました。決められたマニュアルでは「お子様ランチは9歳以下に限る」と決まっているそうです。子供連れでない夫婦に対し、接客したアルバイトは、マニュアル通りだと、「注文できません」と答えるように決まっているのですが、「どなたが召し上がるのですか」と聞いたそうです。すると若い夫婦は、「亡くなった子供の為に注文したい」と答えたそうです。それを聞いたアルバイトは、二人を4人がけのテーブルに案内し、子供用の小さな椅子を出して、お子様ランチを提供したのだそうです。

こんなサービスは、マニュアル通りでは出来ません。ディズニーランドでは、事例や体験談をアルバイトや社員に聞かせ、相手の立場や気持ちを考え、自分ならどう対応するかを常に考えているのだそうです。

以前、東京のあるハンバーガー屋さんで、何人かの代表で沢山のハンバーガーを買いに来た男の人に、店員の女の子がマニュアルどおりに「ここで食べられますか、お持ち帰りですか」と尋ねて、注文した男の人が、「こんなに沢山ここで食べれるわけないだろ」と本気で怒っているのを見たことがありますが、えらい違いです。

人と対応するときは、どれだけ相手の事を真剣に考え、相手の立場に立って考えていけるかが問題です。とくにマニュアルで対応しきれない事が起きた時が大切だと実感
します。

私たちの毎日の生活にマニュアルはありません。仮にあったしてもマニュアル通りに行かない事や対応しきれない事の連続です。日々便利でそれなりに豊かな生活に慣れてしまっていると、人間の知恵と力があれば、自分達のつごうの良いように、自然さえも造り替えられるように思いがちですが、大きな自然災害を目の当たりにし、自然の驚異と人間の弱さに愕然とします。マニュアル通りに行かない毎日ですが、普通に生活出来る「ありがたさ」身にしみて実感し感謝したいものです。

子供電話相談室

2004年10月01日コメントをどうぞ

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平成16年10月1日

TBSラジオの「全国こども電話相談室は今年で40周年を迎え、その間子供たちから寄せられた質問は50万件を超えるそうです。珍問難問の連続です。

小学校2年生の女の子が尋ねます。天国に行ったらどうなるのですか? 永 六輔先生が答えます。「スタジオの先生たちもまだ一度もいったことないんだよね。あなたのそばに誰か天国へ行った人いますか?おばあちゃんが天国に行ったの。おばあちゃんやおじいちゃんが天国へ行っちゃうとさびしいかも知れないけれど、あなたのお家だけじゃなくどこのお家にも天国に行った人が必ずいるのね。出来れば順番に行けたらいいけれど順番はないのよね、でも、みんなが、いつかは必ず天国に行かなくてはならないの。だけど、できるだけ行かないようにして、いま生きているこの世を天国にしましょうよ。あなたは今楽しい? こどもが答えます「ハイ楽しいです。」 永さんが続けます。「よかったね、学校やお家を、もっともっと楽しくすると、今生きているままで、ここが天国になっちゃうんだよね。そういう天国におばあちゃんも行ってるんだと思いますよ」子供が答えます「は-い有難う御座いました」

小学校6年生の男の子がたずねます。「反省の色がないって言われるけど、反省の色って何色なんですか」 永 六輔先生が答えます。反省の色の「色」は英語でいうカラーじゃないの。これはね難しく奥の深い質問ですよ。よく聞いてくださいよ。光があたらないと、真っ暗闇だと色は見えないでしょう?ということは、どこからか光があたると、物が持っている色が見えるわけですね。光があたることによって、なにか物がそこにあると言う事がわかるのね。その有様の事を「色」っていうのですよ。ですから、ふつうにこれを訳すと「反省の色」でなく「反省のようす」のことなの。だから色鉛筆の「色」の事ではなくて、「反省のようすがない」って言うときに使う言葉なのね。お経の文句「色即是空」は、そこに何かのようすがある、という事なんです。だから、「反省の色がない」というのはカラーの色ではなくて「反省のようすがない。と考えるのが正しいの。あなたの質問は、とっても面白い。」と永さんは締めくくります。

子供たちの「なぜ?」という素直な気持ち、とっても勉強になりました。

ぬるま湯

2004年09月01日コメントをどうぞ

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平成16年9月1日

「あなたは今ぬるま湯につかっていませんか」こんな見出しのパンフレットを手にしました。何だろうと思い開いてみると、簡単なクイズが載っていました。熱い湯の中にカエルを入れるとどうなるでしょう? 答えは「熱くてすぐに飛び出す」でした。 では、今度はぬるま湯にカエルを入れて徐々に熱していくとどうなるでしょう? 答えは「ゆで上がって死んでしまう」でした。熱いお湯だと、すぐに飛び出すけれどぬるま湯だと心地よくていつまでも浸かってしまい、段々と温度が上がっているのにそれに気付くのが遅れてお湯から飛び出すタイミングを失い、ついにゆで上がって死んでしまったというわけです。

この話、まぬけなカエルと果たして笑えるでしょうか。このまぬけなカエルなにか今の私達の姿にダブっているようでドキッとしました。

そこそこに安息な日々を送っていると、楽なほうへ楽なほうへ気持ちが傾いて、気付いたときには大変なことになってしまう。今の私達人間も人事ではないと思います。
カエルがゆであがった原因は「気付かない」ということにあります。

私達が救われていく道は「気付くこと」それも「気付かない愚かな人間であることに気付くこと」ではないでしょうか。

秋分の日は、昼と夜との長さが同じで、どちらにも片寄らない日です。この事を、シャカの「片寄らない考えをしよう」という[中道思想]に重ね、しかもこの時期は、気候が爽やかで、人間の頭が一番冴える時期だそうです。このすばらしい時に、中日をはさんで、前後3日間、全部で1週間。片寄った物の見方をしないよう心がけ、今の自分の姿に「気付き」どうすれば、いきいきと生きられるかを考え実行しようとしたのが、お彼岸です。

さわやかな秋の風の中、「ぬるま湯に気付かない愚かな人間」とならぬよう、昔は御馳走だったおはぎでも食べながら、ちょっと、考えてみたいものです。

今、このホームページ開いたあなた。きっと「熱くてすぐに飛び出す」人だと思います。

ウランボン

2004年08月01日コメントをどうぞ

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平成16年8月1日「ウランボン」

『お盆』とはインドの古い言葉『ウランボン』を音写したもので、『ウランボン』が『盂蘭盆』となり略して『お盆』となりました。『ウランボン』とは、自分の都合しか考えない勝手な行動ばかりしていると、やがて「逆さまに吊り下げられたような大変な苦しみを受けることになりますよ」という戒めの言葉です。

今年の夏は異常な暑さですが、この異常気象を考えてみるに、私達人間の自分の都合しか考えない勝手な行動も原因の一つと言えると思います。まさに『ウランボン』といえます。

牛乳は毎日多くの人に飲まれていますが、乳牛はたくさんの乳を出すために、常におなかに子牛を宿っている状態にさせられているのだそうです。その為に多量のカルシウム摂取が必要となり、本来草食動物であるはずの牛に、カルシウム不足を補う為肉骨粉を与えるようになり、それが狂牛病を引き起こしました。鶏にしても哀れなもので、狭いところに押し込められ明かりをつけて無理やり卵を産み続けさせられています。狂牛病も鳥インフルエンザも鯉ヘルペスも私達人間が都合のいいように自然や動物までを巻き込んだ結果、こんどは牛や鯉や鶏たちが、一斉に人間に復習を始めたのではないかとも思ってしまいます。

『お盆』はただお墓に参るだけではなく、命を繋いでくださった御先祖様に感謝し、自らの行動を反省し、逆さまに吊るされたような苦しみを受ける『ウランボン』> にならないように、皆がお互いの立場や役割を尊重して、仲良く生きる生き方を考える大切なときです。

先人は、気持ちを込めて具体的に行動する為に御先祖様を迎えたり送ったり、いろいろな舞台設定をこしらえて『お盆』行事としてきました。お盆の13日には、迎え火を焚き、家に飾った精霊棚にご先祖さまをお迎えし思い出話しに花を咲かせます。

迎える時は、早く帰ってきてほしいので、馬に見たてたキュウリに乗って帰っていただき、15日に送るときは、送り火を焚き、牛に見たてたナスにのってゆっくり帰っていただきます。ということは、お盆の間、お墓は留守になるわけです。お盆にお墓に参るのは、留守のお墓は、私達が、あかりを燈して、お掃除もして守りますから安心して、家に、いてください。つまり留守番をする為に、お墓に参るのです。

留守番をしながら、社会の中、家庭の中『ウランボン』にならない生き方考えま しょう。

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