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4月 9日(土)

2011年04月09日コメントをどうぞ

*桜が咲き誇る袋川の桜土手沿いにある浄宗寺さんの掲示板に、『水は命を与え 命を奪う しかし 残された種は必ず新しい芽を生みだす』と書かれてい た。なるほどと感銘を受けた。これこそが自然の摂理という事なのだろう。被災地に一日も早く新しい芽が出ることを願いたいと思った。

4月 8日(金)

2011年04月08日コメントをどうぞ

*このところの暖かさで袋川土手の桜が一気に開花した。しかし、今年の桜は悲喜こもごもだ。花見でお酒を飲んで騒ぐだけが花見ではないと思うので、今年の桜は太陽の下、月明かりの下で大自然の成り行きをしんみりと楽しみたいものだと思う。

満開だが曇り空

桜の花を見ていると、森山直太郎さんの名曲『さくら』が思い浮かんだ。♪さくら~ さくら~ ただ咲きほこる~ ”刹那”に散りゆくさだめとしって~ ♪
”刹那”とはインドの時間を表す単位で諸説あるが、なんと75分の1秒を一刹那というとの事。なので「刹那の如く」「刹那的」とは、私達人間の心は一秒 間に75回もコロコロコロコロと変わってしまうという事を表す言葉になる。とくに不安定な私は75回ではすまないかも・・・思い当たるふしが沢山・・・。

いつまでも悪い状態は続かないという事になるが、当然良い事も続かないという事にもなる。”せつない”話だ・・・。

きょう4月8日はお釈迦様のお誕生日。
鳥取市仏教会では4月29日の「昭和の日」に行われる「花のまつり」若桜街道歩行者天国内で、「花まつり」として甘茶のサービスなどを行う事になってい る。学成寺ではふた月遅れで6月19日(日)午後2時から本堂で『花まつりライブ』を行うが、なんとも・・・。

いつも「クリスマスに負けるな~」と言っているが、負けっぱなしで引分けにも持ち込めず・・・。

4月 7日(木)

2011年04月07日コメントをどうぞ

*13回忌の法事を勤めた。施主さんが、「兄弟が相次いで亡くなりまして、うちの墓に一緒に納まればって思っていましたけど、それぞれが別々に・・・」 という事だった。お墓は入られる方とまつられる方が良いですよという事になれば誰が納まってもいいと思うがなかなか・・・。

沖縄のお墓は家族親戚一族みんなが納まれるようにと立って入れるほど大きいそうだ。お正月やお盆など折に触れ親族一同がお墓の前で酒盛りをして踊り、お 墓におられる方々のお陰で今日があるという感謝の気持ちを表すとの事。ある意味お墓の理想のように思う。だがしかし、夫婦でも一緒にお墓に入りたくありま せんという方もあるのも現状。それはそれで結構だが、じゃあ後を誰がまつって行くんですかと言いたくなる。ところで私は大丈夫だろうか・・・。

*午後、鳥取市仏教会の本年度総会が会長寺院である弥生町本浄寺さんで開催され出席した。当初31名の出席予定だった、この業界ではよくある事で直前の キャンセルなどがあり、25名の出席だった。我々日蓮宗の当番はあと一年あるのでなんとか無事に勤めあげたい。

4月 6日(水)

2011年04月06日コメントをどうぞ

*今年の正月の山陰地方の大雪も”想定外”の降り方だったが、大震災以降”想定外”という言葉を何度聞いた事か。
考えてみると、地球(大自然)にとって一番”想定外”な事をしてきたのは我々人間かもしれない。

私もよく奥様から「”想定外”な事をする」と言われるが・・・。それは私の中では想定内の事で・・・。

4月 5日(火)

2011年04月05日コメントをどうぞ

*鳥取葬儀社『まごごろ庵』さんからの御縁で89歳で旅立たれた御婦人のお葬儀をお勤めさせて頂いた。御主人を昭和27年に亡くしておられ、優しいお顔 の遺影に積み重ねられた89年の御生涯の重みを偲びながらお勤めさせて頂いた。霊柩の車が、住んでおられた行徳の町並みを通り斎場へと向かったが、後をつ いて車を走らせながら、遺影のお顔が浮かび感慨深いものがあった。

いつも葬祭業の方々の姿には学ぶべき所が多々あると思っているが、今回も丁寧に対応される姿に接しながら、頭が下がる思いがした。我々お坊さんも頑張りたい。

4月 4日(月)

2011年04月04日コメントをどうぞ

*昨日の日付が5月3日となっていたのを指摘して下さった方がありすぐに4月に訂正した。どうも気の早い事というか・・・。情けない。今まで書いた文章にもおそらく誤字脱字が・・・。さらに誤事脱事・・・誤寺脱寺・・・。

*鳥取市仏教会の役員会が会長寺院である弥生町本浄寺さんで開催され出席した。7日に開かれる総会や4月29日に若桜街道歩行者天国で設ける仏教会の花まつりブースの事、さらには今年度の予定などが話し合われた。

全国的に見て鳥取市仏教会のようにまとまって活動が行われている仏教会は珍しいとの事。それこそ、誤寺脱寺・・・にならないように・・・。これからも仲良く頑張りたい。

4月 3日(日)

2011年04月03日コメントをどうぞ

*満中陰忌法要をお勤めした。ちょうど今日が49日のお逮夜の日だった。最近は人間様の都合が優先し取り越して勤めることが多いが、このたびは日曜日だった事もあり仏様の都合と人間様の都合がピッタリと重なった。
法要後、「御命日から49日までを中陰といい、今日の法要は中陰の日にちが49日全部満ちましたよという事で、満中陰となるんです」などとホワイトボー ドに書きながら話をさせた頂いたが、話し終わった後で、お施主さんが携帯電話でカシャッとホワイトボードを写しておられた。もっ綺麗に丁寧に書いておけば よかった~と思ったが、”あとの祭り”・・・。だった。

ホワイトボード

家での後席の終わりに施主さんが、「今日の49日で、ひとつ大きな節目をむかえましたが、今後とも時々は息子の事を思い出してやって下さい」と挨拶された。心に残る言葉だった。

4月 2日(土)

2011年04月02日コメントをどうぞ

*若桜町の蓮教寺へ行きお寺の近所の方と「ようやく雪が消えましたね~」と挨拶をかわしていたが、蓮教寺の裏手へ行ってみるとまだ少し雪が残っていた。雪を見ながら、冬を惜しむ(べつに惜しまなくてもいいけど・・・)”なごり雪”かと。
元旦の大雪で始まった今年もようやく春を迎えようとしている。が、春まだ遠い被災地の事を思うと・・・。

降る雪ではなく、地面に残るなごり雪

*自粛の影響が様々な所で出始めている。自粛も必要だけど、経済が滞るのは何とも。被災していない私達に何が出来るかという事だが、とにかく自分の与えられた役割を今まで通りにこなしていく事が大前提ではないかと思う。
とりあえず、自分の事は自分でしたい。なるべく・・・。

4月 1日(金)

2011年04月01日コメントをどうぞ

*春休みで、我が家にやってきた甥っ子を連れて久しぶりに浦富海岸の遊覧船に乗った。ジオパーク山陰海岸は素晴らしく綺麗で、あらためて鳥取は良い所だと再認識した。青く透き通る海を見ながら、「私の心のようだ~」と言ってみたが、相手にされなかった・・・

天日干しのイカ

網代漁港でイカが干してあり、買って帰ったが、天日干しのイカを見ながら、吉田拓郎さんの歌、『都万の秋』が思い浮かんだ。都万とは隠岐の島の漁師町の事だ。

♪イカ釣り舟が帰ると ちいさなおかみさんたちが エプロン姿で防波堤をかけてくるよ 都万の朝は 眠ったまま 向こうの浜じゃ大きなイカが手ですくえるんだよ ♪

♪海の機嫌を取って来た都万のおかみさんたち ひと荒れすりゃひと歳も老けてきた 明日の朝は去ってしまおう だって僕は怠け者の渡り鳥だから ♪

島根県出身の作詞家岡本おさみさんらしい、漁師町都万の情景が思い浮かぶような素晴らしい歌詞だ。

果てしない水平線を眺めながら、海が穏やかである事がとても有難く思えた。

平成23年3月

2011年03月30日コメントをどうぞ

3月30日(水)
*ギックリ腰になっていた時に注文していたお風呂用のイスが今頃届いた。早速組立たが、船頭が多く作業している私のそばから、ああでもないこうでもないと・・・。余計に時間がかかった。
うるさい船頭さん

なかなかの優れもののようだが、なるべくならお世話になりたくないイスだ。「今頃届いて~」と言っていると、「まあ、ええだが~。お父さんが要介護になった時に使えるだけ~」と・・・。

*白内障の手術をした母が、「さっきまで台所においとったのに」と言いながら行方不明になった飲み薬を探していた。「ゴミと一緒に、捨てとりゃ~せんだか~」と言っていると、ゴミ箱を探し、勢い余って!?か隣の電子レンジの扉まで開けていた・・・。
電子レンジの中にあったら、面白かったろうな~と思ったが、結局発見できないままに、もう片方の治療の為に奥さんの付き添いで眼科へ出かけて行った。こういう患者を見るお医者さんも大変だ。

しかし、それこそみんなが”行く道”。気を付けたいが・・・。

3月29日(火)
**芸能人やスポーツ選手など様々な人たちが義援金活動を行っているけど、政治家の先生が義援金をおくったなどと言う話は全く聞かない。表立った所での動きも伝わって来ないし、伝わるのは責任のなすり合い。

そんな中、亀井静香さんが担当大臣の人数を増やした管総理に、「人数を増やした所で、バカ+バカは、バカです」との発言。それならば、バカはバカらしくバカを自覚してしっかりとやってもらいたい。と思った。

*日蓮宗管長(一番エライ人)さんから全国の日蓮宗寺院あてに一枚のメッセージが届いた。いかにもお坊さんらしい文章で、最後に、「立正安国の御精神を 体して安穏な社会を再生し、仏国土顕現を目指します」と書かれていた。私達がする事なので御精神の御はいらないのでは思ったし、仏国土顕現という言葉も全 国檀信徒あてのメッセージでもあるにしては何とも・・・意味不明・・・。お叱りを受けそうだが、なんとも現実味のないメッセージだと私は思った。

お坊さんも、「バカ+バカはバカにならないように・・・。

3月28日(月)
*お昼にNHKの連続ドラマ『てっぱん』を見ていたら、出産の場面が演じられていた。それを見ながら、「なんで、赤ちゃんはオギャ~オギャ~って泣きな がら生まれてくると思う。この大変な娑婆(耐えて忍んでいる所)に生まれてきて、こりゃ~えらい所に生まれてきたわと言う事で、泣きながら生まれてくるだ で~。笑って生まれてきた人は、だ~れもおらんと思うで」と言っていると、看護師を目指す娘が、「肺呼吸に変わるけ~だが」と・・・。

さらに「この赤ちゃんは顔元がしっかりしとるでな~」と偉そうに言うので、「赤ちゃんの時はしっかりしとってもな~大きくなったらしっかりせん人がおる だが~。大きくなったら偉そうな事ばっかり言う人もおるし」と言っていると、「お父さん!、自分の事だが~」と。

どうも娘が帰ってきて以来、連日私の部が悪い・・・。

3月27日(日)
*頭髪の白髪が目立ち始めたので家で染めた。娘に染めてもらいながら、「この白髪が増えた原因は誰かわかっとるだろうな~」と言うと、娘があっさり、「自分だが~。こ~いうのを自業自得ちゅ~だで~」と。なんとも・・・オヤジの威厳は何処へ・・・。
ビフォー  アフター 

何だかんだ言いながら無事に染め終えた。

染めてもらいながら、「お経にはな~、不染世間法 如蓮華在水、世間の法に染まざる事、蓮華の水にあるが如しって書いてあるだけ~。これはな~、蓮の華 が濁った泥水の中にあっても、泥に染まらず綺麗な華を咲かせるみたいに、僕たちも世間の汚れに染まらず正しくいきましょうというメッセージなんだけ~」と 言ってみたが、またもや、「どっぷりとつかっとるが~」と。
髪は染めたし、世間の汚濁にも染まったままでも良いから生き生きと生きたい・・・。

先日ある檀家さんが、「私は泥の中でドロドロになりながら生きてレンコンになりたい」と言われたのを受け、奥さんが、「じゃ~、お父さんはレンコン、私は蓮の華ですね」と言われた事を思い出した。

3月26日(土)
*夕べ、春休みで帰省中の娘とシダックス(カラオケ)へ。歌いも歌ったりひとり35曲づつ。御本人ライブ映像というジャンルがあって、そこを検索してい ると1972年絶頂期のデープパープルのライブ映像が出てきて感動した。とうぜんその映像をバックに熱唱(絶叫!?)と相成った。が、「中学生の頃を思い 出すわ、懐かしいな~」と喜んでいると娘が、「39年前だで~」と・・・。

二人中1位・・・

最後を締めくくったのは、先日ラジオで震災の被災者にとリクエストされていたKANさんの『愛は勝つ』。
♪心配無いからね 君の想いが誰かに届く明日がきっとある どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ~♪ 思いは届くかもしれないが、思いやりの形(支援物資)も届けたい。

3月25日(金)
*ようやくプロ野球セントラルリーグの開幕延期が決まり、選手会長の新井貴宏会長(阪神)が男泣きした。それにしても、今だ球界や政界にも影響力甚大なナベツネさんや巨人の清武球団代表の言動には怒りを通り越して情けない思いがした。
そんな折、読売新聞の販売員さんが来られて半年間の契約をする事に・・・。来られるのが檀家さんなので、断ることも出来ず・・・。

何とか開催した高校野球の溌剌としたプレーは感動を呼ぶが、プロ野球選手も元は高校球児。開幕した暁には高校生に負けない溌剌としたプレーを見せてくれる事だろう。

我々も、見習って毎日を溌剌と生きたいものだ。

3月24日(木)   お彼岸最後の日
*『節分過ぎて、ななゆき』と言うが、”ななゆき”は”七雪”でなく”七行き”。一行きは一週間なので”七行き”は49日。節分過ぎて”七行き”めが今日の日。そこで”暑さ寒さも彼岸まで”と言う事になるわけだ。昔の人はうまい事言ったもんだ。
と言う事で、車のタイヤをスタッドレスからノーマルタイヤに替えた。この冬は大雪で例年以上にお世話になった。たまには自分で替えてみようかと一瞬思ったが、またギックリ腰が再発してはと思い、タイヤ館へ直行した。
お世話になったスノータイヤ

スキー場はまだ雪が沢山あるのにわかさ氷ノ山スキー場を残して営業終了。雪がたっぷりあったシーズンなのに1月に発症したギックリ腰のお陰で、スキー学校の講師もキャンセルしシーズンを棒に振ってしまった。よる歳波にも負けず来シーズンは頑張りたい。

「タイヤ館」には、6月からタイヤの値段が上がると言う事で、早くも来シーズンのスノータイヤの予約を受け付けますと書かれていた。私も最近は気がせれるようになっているらしいが、ちょっといやかなり気の早い話だ・・・。

3月23日(水)
*夕べ、テレビの番組で、スーパードクターが難しい症例を手術する場面が生々しく映し出されていた。素人にとってはちょっと衝撃的な映像だったが、我が 家の二人の看護師(奥さんと娘)は何食わぬ顔で、ああだこうだと盛り上がっていた。その姿を見ながら、こういう看護師にはお世話になりたくないと思ってい たら、気持は通じたらしく、私の方をみてニヤニヤ笑っていた。クワバラ・・クワバラ・・・。しかし、今の医療技術は凄いと感動した。

*今日は馬場の町にある本慈院さんで営まれた『彼岸施餓鬼法要』に3人のお坊さんと出仕した。1時間半に及ぶ法要だったので、足が・・・。 法要後境内で戒名を記したお札のお焚き上げ供養も行われた。
境内のお焚き上げ供養

以前、法事の前に「おしょ~にんさん、お経は有難いところちょっとでええですけ~」と言われた方があった事を思い出した。あまり短いのもどうかと思うが、あまり長いのも・・・。何事もほどほどという事だ。

3月22日(火)
*心配していた南相馬市のお寺さんと連絡が取れた。自らも被災者の身でありながら、ボランティア活動をし、毎日遺体安置場にて読経回向をしておられるそ うだ。悲しいなんて言っている暇はありません大変な事になりましたが、とにかく出来ることを頑張りますありがとうとの事。励ます言葉も見当たらないがとに かく無事で良かった。
直接は何もする事が出来ないが、私も自分の出来ることを頑張りたい・・・。

避難所でボランティアの人が被災者の方々に、「体(健康)を維持する為なるべく体を動かし、自分の出来る事は自分でしましょう」と声をかけておられるの を見ながら、私も家で同じような事を言われていると・・・反省。いろんな事を反省し物事の考え方を変なければいけないと思う。

3月21日(月) 彼岸中日
*お彼岸の中日で『彼岸法要』をお勤めしたが、ちょっと寒い中日となったせいかお参りもちょっと少なかった。しかし、被災地の寒さの事を思うと・・・。
可愛いお参り

お母さんとおばあちゃんに手をひかれ可愛いお嬢さんが来られていた。こうして子供の頃からお寺になじんでいると、大きくなっても気楽にお寺にこられる。とてもうれしい事だ。だがしかし、大人でもお寺になじんでいない人が・・・。
「お医者さんと、お寺さんはかかりつけをもちましょう~」といつも言っているが・・・。まずは、なじんで頂けるようなお寺であるよう心がけたい。

彼岸法要では、東北関東大震災で亡くなられた方の御回向もさせて頂いた。

3月20日(日)
*お彼岸のお経を3軒勤め、午後7回忌の法要を勤め、夜は五七日の逮夜供養をお勤めし、お寺に帰ると夜八時半だった。法事の後席では、和やかなひとときとなり、供養を受けれたおばあちゃんも喜んでおられた事だろう。

彼岸回向での檀家さんの家で、法事の後席で、逮夜供養で、一日中しゃべりっぱなしで、お経を読んでいる時間よりも喋っている時間の方が長いお彼岸の一日だった・・・。

帰ってくると、奥さんが、「ボンヌ・ノノさんからお菓子を頂きましたよ~」と。早速蓋をあけると、美味しそうなケーキが。「今日はもう遅いですからね、 明日食べるんですよ」とたしなめられ、蓋が閉じられた。お預けをされた幼稚園児のような気分になった・・・。もちろん、ちゃんと元気よく、「はいっ」とお 返事をした。

3月19日(土)
*今日は3軒ほどお彼岸のお経に伺った。伺った檀家さんの母と同い年の御婦人が、「お寺のお母さんは元気でええですな~。血圧とか頭が痛いとかないです か~」と言われるので、「ええ、お陰さまで元気過ぎて、こちらの方が頭が痛いですわ~」と言うと噴き出して笑っておられた。まあ有難い事には間違いない が・・・。

その檀家さんの東京におられる息子さんが地震の時、仙台市へ出張だったそうで、4日後にようやく東京の家に帰れ、新宿にいた奥さんと子供さんは、三鷹まで5時間歩いて帰られたとの事だった。とにかく無事で何よりだった。

「テレビの報道を見ていいるとしんどくなって・・・」と言われるので、「そ~ですね。ほんとに、しんどくなります」と話をしながら、何事も無い私達がしんどくなっていたら、被災者の方々に失礼かもしれないとも思った。

帰りの道中カーラジオから、誰かが被災者の方々に送りたいとリクエストしたKANさんのデビュー曲で91年のレコード大賞を獲得した名曲『愛は勝つ』が流れてきた。

♪ し~んぱい無いからね~ 君の思いが~ 誰かにとどく~明日がきっとある~ ど~んなに困難でくじけそうでも~ 信じることを~決してやめないで♪   ♪信じることさ~ 必ず最後に愛は勝つ~♪

恋愛を歌った歌だが、被災者の方々に届くてほしいと思いジ~ンときた。

3月18日(金)   彼岸の入り
*早いもので彼岸の入りをむかえた。今日は午前11時から葬仙さんの商栄町ホールで91歳で旅立たれたおばあちゃんのお葬儀を勤め、八坂の火葬場から、 車の中でおにぎりをほおばりながら、若桜町の蓮教寺へ直行し『彼岸法要』を勤めた後、学成寺に帰ってきて、お葬儀の寺参り法要をお勤めした。

91歳のおばあちゃんは1月にお経に伺った時には家におられ私が「気を付けて下さいよ」というと、「おしょ~人さんこそ気をつけなんせ~え。まんだ替わ りがおられんですけ~」と逆に励まして下さっていた。8人の曾孫さんに恵まれ、歳を重ねても矍鑠とした方だった。書道をたしなまれ、葬仙さんの会場には、 作品が飾られ、曾孫さんとの写真も飾られていた。字の(も)ヘタクソな私は、あやからせて頂きたい事が沢山あるなぁと思いながらお勤めさせて頂いた。

若桜町の蓮教寺につくと、有難い事にお参りされた数人の方が車を置けるようにと境内の雪かきをして下さっていた。
法要後、「地層の断層のバランスが崩れると地震になるんだと思います。何事もバランスを崩すとなかなか元に戻りません。そこで昔の人は、昼と夜の長さが 同じで片寄らないバランスの良い日である彼岸の中日を、お釈迦様の教え中道主義(真ん中の道)に重ね、バランスの取れた生きやすい生き方を考えようとした わけです。ですから、お墓の前で手を合わせ、命を繋いで下さった御先祖様に感謝し、日々の生活の事を考えるのがお彼岸の意味です。お彼岸が来てお墓にお参 りしてお彼岸が終わりましたなどとのんきな事を言っている場合じゃないですよね」などと話をしてお彼岸法要を終えた。
雪が残る蓮教寺・・・。

3月17日(木)
*若桜町の蓮教寺へ行った。鳥取市内が20センチの積雪だったので、恐る恐る若桜に行くと・・・案の定50センチの積雪。まずは車を止める為にまず雪か きと相成った。車を境内に入れ今度は雪が降りしきる中で参道の雪かき。彼岸前に50センチの積雪は若桜でも珍しいかもしれない。私も記憶が無いが、あいま いな記憶なので・・・。しかし被災地の事を思うと・・・。この程度の雪など。

本堂を掃除しているとトイレの方からジャ水の流れる音がするので見てみると水道管が水もれし洗面台の下は水浸しとなっていた。すぐに業者さんにお願いし 修理してもらった。ちょうど良いタイミングでお寺に来ていて本当によかった。明日は彼岸法要なのでお寺には来ているが、一日遅れてたら水もれでエライ事に なっていた。
ちょっとの水漏れでも大騒動なのに、放射能漏れの事を思うと・・・。

蓮教寺の歴代住職のお墓に花を入れようとしたがあまりの積雪で・・・。ようやく雪が融けていたのに、お彼岸の墓参りに支障がでそうだ。が、被災地の生活の支障の事を思うと・・・。

昨日の夕方、鳥取市仏教会の有志が大震災の義援金募金に立ったが、私は法要等で経つ事が出来ずじまい。何をする事も出来ないが、頭の中は被災地の事が渦巻いている。

3月16日(水)
*東京にいる愚息が電話してきて、「コンビニを数軒回ったけど、ようやくパンが二つしか手に入らんかった」と言っていた。「お米と水があればしばらくは生きられるぞ」と言っておいた・・・が。
一昨日は、東京から法事で帰って来られていた檀家さんの親戚の方が、「東京に魚を送ったですけどな~。帰ってきましたわ」と言っておられた。
東北地方の被害が甚大であまり報道されないけど、流通が悪く東京も大変なようだ。

*81歳で旅立たれたおばあちゃんのお葬儀を勤めた。7人兄妹の長女さんで、嫁がれてからは二男一女のお母さん。孫さんもおられ賑やかなお葬儀となった。お別れの時、涙と笑顔で「さよなら~」と言って手を振られて送られる姿に人柄が偲ばれた。
お棺にかけられた布には、イナバ葬祭さんのスタッフさんが読まれた川柳、『晩酌と おしゃれ楽しむ母の背中 笑顔は今も バスに揺られて』が記され、 ビールと大丸の写真が印刷されていた。オシャレで、御兄妹とよくバスに乗り、大丸に行っておられた姿が見事に読み込まれていた。
お寺行事にも、よくお参りされており、そんな折の姿を思いうかべながらお勤めさせて頂いた。

御命日となった14日が春の陽の差す穏やかな日だったので、春光院と授けたが、今日は一転雪が舞い冬に逆戻りの一日となった。被災地の寒さが心配だ・・・。

3月15日(火)
*月回向に伺った檀家さんで、二人の孫さん(幼稚園の男の子さんと、小学校3年生の女の子さん)が風邪で休んで家にいた。お経を終えてお茶を頂いていると、2人がやってきて、富桑(ふそう)小学校の開校120年記念でとった写真を見せてくれた。
140人の写真を見て一学年の写真かと思ったら、全校児童だと聞いて驚いた。

「おしょ~さんが小学生だった時の醇風(じゅんぷう)小学校はひとクラス40人もいたんよ~。だから一学年でも160人だったんだよ」というと驚いてい た。女の子さんが、「昔は校庭に桑の木が沢山あったから、富桑小学校って名ずけられたんだって」と教えてくれた。「おしょ~さんは今日は良い勉強になった わ~」というと、おばあちゃんが嬉しそうに笑っておられた。

下の孫さんは、「おしょ~さんにあげる~」と言って紙で作ったものをくれた。「これ何かな~」と聞くと、「リボン!」と。「おしょ~さんは、このリボンどこに付けようかな~」というと、おばあちゃんが噴き出していた。
リボン!

ちょっと、ほっとするひと時だった。

3月14日(月)
*被災者の方が、「これは現実なのか、映画のシーンなのか分からなくなって・・・」と語られている姿に、2006年に見た小松左京原作の草なぎ剛と柴咲コウがダブル主演した映画『日本沈没』のシーンが思い浮かんだ。
なにもしてあげる事が出来ない現実ももどかしいが、とにかく何事も無い毎日の有難さを肝に銘じる事と、節電に勤めたい。

国会で管総理の献金がどうのこうのと言っている時に大地震が起きたわけだが、揺れるのは、何をやっているんだと政治家の先生方の目を覚まさせる為に、国会議事堂だけでよかった・・・。政治家の先生方には日本を沈没させないで頂きたい。

3月13日(日)
*13回忌の法事を勤めた。当時3歳だった娘さんも早高校生、「みんなが13歳を取ったんですね」と言う事に。
「今日は”あたりまえ”という気持を取り除いて沢山の幸せを見つける日です。津波が日常の”あたりまえ”を全部流してしまいました。そうなる前に・・・」などとお話をさせて頂いた。

墓経を終えると娘さん達が、「木魚って魚なんですか~」と。「そ~だよ~。魚が二匹書かれているんだよ。魚は寝る時も目を開けているので、私達も寝る間 を惜しんで、勉強・・・」というと、「え~勉強~」と。そこで、「楽しい事も、なんでも頑張りましょうという事だよ」というとニコニコと笑顔になった。

施主さんの奥さんが、「娘達がお寺の境内にある大きな看板の言葉を覚えてるんです」と言われ嬉しかった。             

『人間だから 人間を愛し 人間を大切にしよう 人間だから人間を磨き 人間を鍛えよう』 いい言葉だ!と自画自賛・・・。

3月12日(土)
*新聞に「管内閣に激震」の見出しがのった翌日、そんな激震など問題にならない大変な大地震が起ってしまった。地震による倒壊、津波、火災、放射能汚 染、被災地の事を思うと胸が痛み言葉もでない。被害にあわれた方には心からお悔やみを申し上げたい。一日も早い復興をと願うが、被害の全容はまだ到底分る はずもなく、まだ復興など口に出せる状況ではない・・・。

私達人間は大自然の恵みによって命を支えられているが、同時に大自然の脅威にもさらされ、甚大な影響を受ける。大自然の脅威は調子に乗り過ぎた人間への警告と受け取るべきなのかもしれないが、あまりにも厳しすぎる。他人事でではない心したい。

東京にいる息子とは連絡がとれたが、夕べは近くの大きなビルで一夜を明かしたとの事。ガスが止まってるし部屋がグチャグチャだと言っていたが、部屋が散らかっているのは地震の前からだろうと言っておいた・・・。

3月11日(金)
*政治家の先生方は重箱の隅をつつく名人。荒さがしの名人。よくもまあ細かい事を調べ上げるものだと感心する。そのエネルギーをもっと違う所につかってほしいと思うが・・・。国会中継は子供に見せたくない番組第一位だとつくづく思う。なさけない話だ。

*見舞った欽ちゃんに「飛べません」とギャグを返していた坂上二郎さんが亡くなられた。二郎さんの最後のCDとなったのが、「必殺!人生送りバント」という作品との事。

♪俺が望んだ事ではないが 頼まれたなら拒まない 俺を殺してお前を生かす・・・ 送りバントだぜ 人生は♪

政治家の先生方に是非とも聞かせてあげたい歌だ。

3月10日(木)
*甲子(きのえね)の御縁日で『大黒天神祭』をお勤めした。来られた方から「三面六臂の大黒さんちゅ~のがあるそうですけどどんなんですかな~」と尋ねられた。

三面は三つの顔で正面が大黒天、右が弁財天、左が毘沙門天。六臂とは六つのひじの事なので手が六本という事になる。三人の神様が沢山の手で多くの人を救って下さるという大変有難い大黒さんだ。だが私は三面六臂の大黒さんはお目にかかった事がない。
一面ニ臂・一面四臂・一面六臂・三面ニ臂・三面四臂・三面六臂などなど様々な大黒さんがおられるそうだが、学成寺の大黒さんは一面二臂という事になる。

お寺の奥さんの事を”大黒さん”ともいうが、こちらの大黒さんも様々な顔を見せて下さる。触らぬ神にたたりなしという事もある・・・。
ここで大黒さんを湯せん(お湯で洗い清める)

3月 9日(水)
*今日は3月9日だが、レミオロメンの曲に『3月9日』というのがあった。
♪3月の風に想いをのせて~ 桜のつぼみは春へと続きます~♪ 春待ち遠しいこの頃だ。

*ギックリ腰後の腰をサポートするミズノ製の「バイオギアサポートタイツ」を買って置いていたら、「せっかくのタイツがのびるから止めてくれ~」という私の叫びにも関わらず、奥さんと帰省した娘が変わり番こにはいて喜んでいた。

優れもののサポートタイツが・・・はちきれんばかりに・・・。サポートタイツの悲鳴が聞こえてきた・・・。
”筋肉を一枚はいたような”と書かれているがまったくその通りで、はくと腰が安定しサイボーグになったような感じがする優れものだ。

家庭内の安定とサポートもだ・・・。

3月 8日(火)
*77歳で旅立たれた学成寺の檀家総代さんのお葬儀をお勤めした。遺影の写真を前に、時折々の姿が思い出されたが、そんな中、可愛いくて仕方が無い孫さんの事を話される時の、何とも優しいおじいちゃんの笑顔が思いうかんだ。
いつもお寺の事を親身になって心配して下さり、「お上人さんの言いにくい事ややりにくい事があった時は、わしら(檀家総代)のせいにしてもらってらええ ですけ~」ともったいない事を言って下さっていた。どうぞこれからもお寺を見守って下さい宜しくお願いしますと思いながら、お勤めさせて頂いた。
イナバセレモニーホール

*イナバセレモニー(イナバ葬祭さん)の一階ギャラリーには、こころ舞さんのポストカードがおかれ、ほっとする空間となっていた。

3月 7日(月)
*若桜町の蓮教寺で総代さんと各地区の役員さんが集い役員会が開かれ、昨年の護持会費の使途報告やお寺の現状などを報告させて頂いた。都合が悪い方が多く少ない出席だった。
先日のNHKのお寺事情を取り上げた番組を見ておられた方があり、お寺行事のあり方も検討するべきだとの意見もでた。しかし、人口4千人を切りこんだ過疎の町の小さな寺院の現状は厳しく・・・。

帰り道国道と並走する第3セクター若桜鉄道の列車と遭遇した。もちろん1両編成。乗客の影もなく・・・。そう言えば若桜駅で働いている人が、「私も車で 通勤なので、若桜鉄道は利用していません」と苦笑いいていたのを思い出した。かく言う私もJRから第3セクターになって数十年経つが、実は一度も乗った事 がない・・・。 乗った事が無いのは、車のせいにしておこう。

町も鉄道もお寺も行く末が案じられる事ばかり。日本の国も・・・。

3月 6日(日)
*昨日お寺に来られた檀家さん家族から大変よい物を頂いた。

なんとも有難いハッピを二着頂いた。今年総本山甲子園球場あるいは他宗の総本山広島球場などへお参りする時に着させていただこう。

*今日は満中陰忌の法要をお勤めした。法要後、満中陰忌の意味などお話ししていたら、後席でいろいろと質問を頂いた。そんな中、なにより良かったのは、 「おしょ~さんの話を聞いていると、お釈迦様の教えは、生きている私達人間の為の教えなんですね」と言って頂いた事だった。

いろいろとお寺のあり方の話も出たが、我が振り直せだと思う話が多かった。仏教離れではなく、やはり進んでいるのは寺離れ、坊さん離れ・・・。心したい事だ。

3月 5日(土)
*33回忌の法事を勤めた。御主人の33回忌を息子さんの家族と賑やかに勤められるおばあちゃんの姿に33年の重みを感じながら感慨深くお勤めさせて頂いた。
可愛い孫さんに本堂にある大太鼓を打ってもいいよ~」というと兄妹で面白そうに遊んでいた。その姿が微笑ましく、「おじいちゃんに太鼓の音が届いてますよね」と言うとおばあちゃんも嬉しそうだった。
お戒名に日霄と「霄」(ショウ)という字が使ってあったので、「この霄という字はソラとも読むんです。今日の青空は、おじいちゃんに繋がる青空ですね」などとお話をさせた頂いた。

昨日の雪とうって青空の広がる穏やかな日となった。

境内の浄行菩薩様も穏やかに・・・ 

3月 4日(金)
*若桜町の蓮教寺へ行った。若桜はまだ雪国だった。

本堂の掃除を終えて公共料金などの支払いに行ったが、財布を車に忘れている事に気づき、「また、後できますから」と言って苦笑いしながらお寺に帰った。 本堂で他の事をしていたら、財布の事を忘れ、そのままお昼を食べにいつもの「大入り食堂」へ。ここで再び財布を忘れている事を思い出した・・・。こうこう こうで~と経緯を話していると店の奥さんが笑いながら、「おしょ~さん、とぼけるのは、ち~と早すぎますで~」と・・・。

今日は忘れ物の多い日だと反省しながら、帰ってきたが、学成寺に帰った時点で水道の元栓を閉めるのを忘れたのを思い出し、檀家さんに電話して閉めて頂いた。

なんとも忘れ物の多い、春まだ遠い若桜での一日だった。

隣の隣の西方寺さんの本堂前には雪が山盛りになっていた。

3月 3日(木)
*先日NHKのテレビ番組で昨今のお寺事情の事を取り上げていた。
仏教には良いイメージを持っているが、お寺やお坊さんには良いイメージを持っている人は少ないというデータを元にいろんな事が論じられていた。ようするに、お寺やお坊さんは仏教をやっていないという印象を持たれているとの事だった。

お坊さんは、お寺の経営・運営の事を心配しているが、一般の人の考えはお寺がつぶれるとかそういう事ではなく、お寺やお坊さんが人々の苦しみをどれだけ 取り除き、そしてどれだけ心を支えてくれるのかという所にある。なので、お坊さんがお寺がつぶれると思っている以前にすでに一般の人から見ればお寺はつぶ れている(機能していない)と思われているという言うような発言もあった。

最近ようやくお坊さんの間でも”三離れ”(宗教離れ・寺離れ・坊さん離れ)という事が取り立たされるが、仏教離れではなく、むしろ仏教はブームで、離れているのはお寺とお坊さんというのが現実という意見ものべられていた。残念ながら、全くその通りだ・・・。

ある浄土真宗のお坊さんが、「昔のお坊さんは、民衆の声に耳を傾けた。先行きの不透明な今の時代こそ仏教は底力を発揮する」などと言っていたが、その通りだし、そうありたいと思う。まずは我々お坊さんの意識改革が必要だが・・・。

イーグルスの名曲、「デスぺラード」の最後の部分の歌詞 ♪手遅れにならないうちに♪ が身にしみる。

3月 2日(水)
*夕べ、京セラドームでロックバンド『イーグルス』の来日公演を観た。大感激だった。
京セラドーム前   

お馴染みのナンバーが続き、早くも3曲目にステージのバックにアルバムジャケットになっているホテル風景が映し出され、「ホテルカリフォルニア」が演奏 され、会場は大盛り上がり。エンディングへといざなう、うなりを上げるツインリードギターに血管が切れそうになった。おそらく血圧が上がった人がたくさん いた事だろう・・・。
これはパンフレットの写真

アンコールで登場し、「テイク ・イット・イージー」で盛り上がり、最後に、名曲「デスペラード」を ♪デスペラー(ならず者よ)いいかげんにしたらど うなんだ ・・・・手遅れにならないうちに♪ と、しっとりと歌いあげ感動のステージは幕を閉じた。ほんとうに素晴らしかった。ひと息ついてイスに腰を下 ろし時計を見ると丁度夜10時だった。
そう言えば甲子園も京セラドームも10時以降は鳴り物の応援が禁止されていた事を思い出した・・・。

演奏は言うに及ばず、全員がリードボーカルをとれるメンバーだけ透き通ったコーラスも見事だった。夢のようなひと時だった。

今回も行き帰りは日交さんの高速バス。快適だった。帰り道峠を帰るまでは青空だったのに、鳥取はみぞれが降っていた。コンサートで熱くなった頭を冷やすには丁度良かったかも・・・。
バスの最前列から

*今月の山門掲示板は、もちろん 『take it easy』!

3月 1日(火)
*1月は行く2月は逃げると言う事で、ギックリ腰であたふたしているうちにあっという間に3月になった。3月になったので玄関にお雛様を飾った。
・・・

*冗談で「ギックリ腰は人に移したら直りますよ~」などと言っていたら、知り合いのお寺さんやらが知人が相次いで3人ほどギックリ腰に・・・。原因はそれぞれ、仕事中の人もいれば・・・。春まだ遠し・・・。

*京大などの入試問題がネットの質問サイトに投稿された事件(!?)のニュースを見ながら、この文明の利器を操る能力と努力をそのまま試験問題を説く方へ向ければと思った。
でもそんな事って結構ありそうな事で、私は能力があるわけではないが、子供の頃余計なことばかりして父から似たような小言を何度も言われたような・・・。

不正で受験に合格しても、春は来そうにない。こちらも春まだ遠し。