今月の言葉

れんげ草(僧)

2016年05月01日コメントをどうぞ

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田植えを前に、田畑に『れんげ草』が綺麗に咲いています。れんげ草を見るたび、師匠僧多聞さまの話を思い出します。

「私が子供の頃母が“お前はれんげ草におなり。れんげ草は田んぼの肥やし、家畜の餌です。お前も、世間様の肥やしとなり餌となって人様のお役に立つように努力すれば、お前のような人間でも、この世に生まれてきた甲斐を見つける事が出来るというものです」と。それで、僧侶の『僧』とれんげ草の『草』をかけて「以来私は心して『れんげ草』の人生を歩んできました」と語っておられたました。

そんな『れんげ草』の花言葉は、『実り多い幸せ』。田んぼの肥やし、家畜の餌である『れんげ草』が『実り多い幸せ』・・・。なるほどと思います。

私達も『れんげ草』のような人間になりたいものです。

桜の木

2016年04月01日コメントをどうぞ

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桜の花が咲きいよいよ春をむかえました。

この綺麗な桜の花をフィリピンの人達にも楽しんでもらいたいと、フィリピンに桜の木を持ち込んだ方がおられたそうです。最初の年は花が咲いたそうですが、次の年から花が咲かなくなり、それ以降花が咲く事はなかったそうです。

気候の良いフィリピンで何故咲かなかったというと、フィリピンには冬がないからです。桜の木は寒い冬をじっと耐える事によって、綺麗な花を咲かせる事が出来るのだそうです。

人間も同じ事がいえるような気がします。私達も桜に負けないように綺麗な花を咲かせましょう。

バランス

2016年03月01日コメントをどうぞ

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交通安全週間があるように、昔の人が「生き方を考える心の週間」としたのが、『お彼岸』です。

お彼岸の中日は昼と夜の長さが同じで片寄らないバランスの良い日です。この事をお釈迦様の教え、片寄らないバランスの取れた考え方や行動は生き易く生きる為の一番の方法ですという『中道』に重ねたのが『お彼岸』です。

先日車を運転していたら、左のウインカーが故障して付かなくなってしまいました。しばらく窓から右手を出して折り曲げて左折の合図を出していましたが、段々怖くなってきたので、右折のみでお寺へ帰ろうと覚悟を決めて車を走らせました。その時に、「右往左往しているうちは、まだ良い。右往だけになったら大変だ」と思いました。真ん中にいるからこそ、左右が見渡せて正しい判断が下せるというわけです。これこそ『中道』の教えだと感じました。

気候のバランスも良くなり、人間の頭も冴えるといわれるお彼岸の頃、日々の生活や心のバランスを修正し生き易く生き方考えたいものです。

ななゆき

2016年02月01日コメントをどうぞ

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立春を迎え、季節は春に向かって動きはじめました。

「節分過ぎて ななゆき」と言う言葉があります。この言葉は、節分が過ぎてもまだ7回雪が降らないと、まだまだ温かくなりませんよ。と思われています。

ところが、『ななゆき』の『ゆき』とは降る雪の事ではなくて、何処何処へゆくの『行き』と書きます。『1行』は1週間の事ですから、『なな行』とは、1週間が7回行くということで49日間の事になります。

なので、本来の意味は、節分が過ぎても1週間が7回行かないとまだまだ温かくなりませんよ。という事です。

降る雪を7回数えていても、いったい何時になったら温かくなるのか分かりませんが、節分から『ななゆき』49日経つとちょうどお彼岸があけ、そこで『暑さ寒さも彼岸まで』となるわけです。昔の人はうまいこと言ったものだと思います。

ということで、まだまだ寒い日が続くと思いますが、寒さに負けないように元気に過ごしましょう。

毎年が生まれて初めての歳

2015年12月31日コメントをどうぞ

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新年あけましておめでとうございます。毎年が生まれて初めての歳。今年もイキイキと生きましょう。

平成28年は、丙(ひのえ)・申(さる)歳です。

丙(ひのえ)は、物事の本質が明らかになり、積極的、活発に活動していく事。という意味があります。

申(さる)は、万物が出来上がり、新しい勢力が出てきて伸びてくる。という意味があります。

これらの事から平成28年は、いろんな事が活発になり、伸びていく歳という歳まわりになります。

このことを踏まえ、良い事が活発に伸びていくように、今年も元気に一日一日をイキイキと積み重ねていきたいものです。

今年も宜しくお願いいたします。

あわてない あわてない

2015年12月01日コメントをどうぞ

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俳優の川島なお美さんは多くのメッセージを残して54歳の若さで旅立たれました。

川島なおみさんのブログには、「人は幸せだから笑顔になるんじゃなくて、笑顔だから幸せになるんだという言葉が好き」

自分が出演するミュージカルの台詞の中から、「洗濯物が風に身をまかすように人生だってまかせよう 時が流れ洗濯物が乾くように 涙だって乾いて行く さあ元気だせ」 これが今一番自分に染み入る歌詞です。

と綴られていました。

限りある命を、しっかりと前を見据え全うされた川島さんの言葉は、私達の心に染み入る言葉です。

何かと慌しい歳の瀬をむかえますが、あわてることなく笑顔をもって過ごし今年一年を締めくくりましょう。

覚悟

2015年11月01日コメントをどうぞ

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松山千春さんのコンサートを見に行きました。歌はもとより、松山千春さんの語る言葉の数々に感動しました。

松山さんいわく、「今、私達に一番足りないものは覚悟です。こんな理不尽な事が多い世の中、覚悟無しでは生きていけない。仕事上での覚悟、男は男としての覚悟、女は女としての覚悟。覚悟して生きていってください」

「我々は、若い者達に間違ったメッセージを送ってきてしまいました。腫れ物にさわるように、それもあり、それもいいと。これからはっきりと伝えていくべき事は、それは無し、それはダメ」

「千日回峰行を二度達成した酒井阿闍梨に、会った時、酒井阿闍梨が、私は山の中で滝に打たれたりして修行をしてるだけです。松山千春さんあなたは、俗世間にドップリと使って生きておられる。あなた方が凄い修行ですよと、言われましてね〰」

聞きながら日蓮聖人の「極楽百年の修行は、穢土1日の功に及ばず」という、極楽でいくら修行してもこの世での修行には及ばないという言葉を思い出しました。

さらに、「見返りを求めず、人を愛する人間になりましょう」などなど、相変わらず、ヘタなお坊さんよりよっぽど心に残る言葉の数々でした。

アンコールで名曲『大空と大地の中で』を観客と大合唱し感動の中、コンサートは幕を閉じましたが、毎回、今回は最高だったなぁと思わせるコンサートを続ける松山千春さんは、まさにプロフェッショナル。ほんとに凄いと思いました。

今年もあと2ヶ月となりましたが、覚悟を決めてイキイキと過ごしましょう。

実るほど頭をたれる稲穂かな

2015年10月01日コメントをどうぞ

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稲刈り前の黄金色に染まった稲穂を見ながら、『実るほど 頭をたれる 稲穂かな』という言葉が思い浮かびました。これはご存知のとおり、謙虚さの大切さをわかりやすく表した言葉です。

ですが、稲穂は最初から頭をたれているわけではありません。

苗の状態から育っていく時は上へ向かって、わき目も振らずまっすぐに伸びています。

人間も、若い時は一生懸命に少々無茶をしてもまっすぐ伸びていったほうが、歳を重ねた時に大きな実りを得ることが出来るということだと思います。

一生懸命にまっすぐに生きて、時には失敗を積み重ね事もあるかもしれませんが、そんな経験を積みながら歳を重ねてこそ、謙虚になれるのだと思います。

そう思うと『実るほど 頭をたれる 稲穂かな』また違ったイメージがわいてきます。謙虚な気持で私たち人間も『実りの秋』を向かえましょう。

バランス

2015年09月01日コメントをどうぞ

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お盆のお経回りの時、ある檀家さんが、「ヒグラシは名前の通りで日暮れの頃に鳴くセミですのに、最近は朝方に鳴くんですよね~」と言われていました。

 

さらに、「ヒグラシが鳴くのは求愛行動で、夕方に涼しくなってきた頃に鳴いて活動していたのが、最近は気候のバランスがおかしくなって、夕方になっても涼しくならないので、涼しい朝方に鳴くようになったんじゃないですかね~」といわれていました、

 

セミは近年の気候の変化に対応して、子孫を残す為のすべをちゃんと実行しているという事になります。

 

お彼岸の中日は昼と夜の長さが同じで、バランスの良い日で、気候も良くなり過ごしやすい爽やかな時期でもあります。

 

この事を、お釈迦様の片寄らないバランスの良い考えや行動は、生きやすい生き方の第1歩ですという『中道』という教えに重ね、このすばらしい日を真ん中に挟んで1週間に普段の生活のバランスの乱れを修正しましょうというのが『お彼岸』です。

 

気候も世の中も、バランスが崩れてしまったと思える事の多い昨今です。こういう時こそ、普段のバランスの乱れを修正しましょうという『お彼岸』の本来の意味を考え、気候のバランスの乱れに対応する事を考え実行する時だと思います。

 

留守番

2015年08月04日コメントをどうぞ

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ある方から「お盆って、御先祖様はお墓から家に帰っておられるんですから、お墓に行っても留守じゃないんですか」と尋ねられました。お盆行事は御先祖様を家にお迎えする行事ですから、そのとおりでお墓は留守という事になります。

昔の人は、留守のお墓は私達が掃除をして明かりを灯して様子を見に行っておきますから、安心して家に帰っていてくださいね。という気持ちでお墓に行っていました。ですからお盆のお墓参りには『留守番』の思いがこめられていたという事です。

家には誰もいない事を、“留まって守る”と書いて『留守』と言います。私達は出かけていて誰もいないように見えますが、家には姿こそ見えませんが、ちゃんと“留まって守ってくださる”御先祖様がおられるんですよ。という意味です。普段留守番してもらってますから、お盆の間くらいは私達がお墓を留守番しますから、安心して家に帰っていてくださいね。という思いがこめられていたという事です。

『盂蘭盆』とは、インドの言葉『ウランボン』が語源で、自分勝手な行動は、めぐりめぐって自分に戻って来て大変な事になりますよという戒めの言葉です。温暖化など環境の変化に戸惑う我々人間はまさに『ウランボン』の状態にあるといえます。御先祖様に感謝し、普段の生活を見直し改めるとき。それが、お盆です。