ブログ

11月29日(火) ユーチュ~ブ

2011年11月29日コメントをどうぞ

冬至のお札書きがひと段落したので、パソコンの前に座り、You Tube(ユーチューブ)を見ていたら出るわ出るわ、吉田拓郎の秘蔵映像の数々。

1972年あの神田共立行動でのライブ映像『旅の宿』、1979年のライブ映像での『準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響』などなど、なんとも懐かしく・・・懐かしすぎる。歌詞を忘れた超貴重な、”伝説のTVショー”のメドレー映像も出てきた。(*^_^*)

ライブでしか歌われなかった曲の映像もあり、誰かがコメントに「”子供達は大人になつきすぎ 大人たちは子供にやさしすぎ”という歌詞がいいですね」と書いていたが、30年以上前の歌詞だが、考えさせられる・・・。

♪僕が~ 高校2年の夏~ 準ちゃん君はテニス部にいた~ 僕は毎日が楽しかった~ 君に合えるだけで幸せだった~ ♪ と、延々と朗々と歌いあげられる名曲、『準ちゃんが今日の吉田拓郎に・・・』の原曲はボブディランの『ハッティキャロルの寂しい死』という曲で、これは街の権力者だったウイリアムザンシンガーという人が、レストランで働いていたハッティキャロルさんという黒人のウエイトレスに飲み物をこぼされた事に腹を立て殴り、それが原因でハッティキャロルさんは亡くなってしまったという悲しい歌で、人種差別を取り上げた歌。このメロディーが気に行った拓郎さんが、全く違った歌にしてしまったわけだが、なんとも哀愁をさそうメロディーが歌詞と重なり、聴く人それぞれが自分の思い出を重ね、心にしみる歌だ。ところで、拓郎さんは元気なんだろうか?

引き語りの旅の宿 の映像

準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響  の映像

伝説のTVショウーの映像   の映像

 

11月28日(月) 酒井 俊 ライブ

2011年11月28日コメントをどうぞ

夕べ、市内の『モッブスフェローズ』さんで、《酒井俊×今堀恒雄Utautau Duo LIVE》を聴いた。パンフレットに”ゆさぶるうた うたうたううた”と書かれていたが、揺さぶられるというか、何と言うか、なんとも筆舌に尽くしがたい酒井俊さんのボーカルと今堀恒雄さんのギターだった。

酒井俊さんのボーカルは歌に人生(どのような人生を送られてこられたか知る由もないが)がにじみ出るというかなんというか・・・。そんなボーカルを今堀さんの優しいギターがサポートする演奏は静かな中にもハットするような凄い迫力があった。

酒井さんが「目をつぶって下さい。何処までも続く白い砂浜を思い浮かべて下さい。そして砂浜を見ると人が横になっているんです。マリリンモンローなんです。側でトランジスタラジオから大好きな曲が流れてるんです・・・」と言って、いつの間にかトランジスタラジオの雰囲気を醸し出す為に小さなハンドマイクを握り、♪ラブミ~テンダ~ ラブミー テンダ~ ♪・・・。 しっとりと歌い上げられた。だがしかし、ふと隣を見ると誰とは言わないが居眠りしている方が・・・。せっかくの名曲が・・・、なにやっテンダ~ なにねテンダ~・・・。

開演を待つ

 

なにやっテンダ~

11月27日(日) 百歳

2011年11月27日2件のコメント

*午前中、若桜町の蓮教寺で法事を勤め、家とお墓に行った後、学成寺に帰り法事をお勤めした。

蓮教寺の法事では、百歳のおばあちゃんと、曾曾孫さんが一緒におられ、家でのお経を終えて、「なんさいでちゅか~」と聞くと、恥ずかしそうに指を一本立てる姿が可愛かった。「可愛いですね~、おりこうさんで、みんながこんな時があったんですよね~。私もこんな時はおりこうさんだったんですけどね~」と。もちろん今もおりこうさんだが・・・。

帰る時に百歳のおばあちゃんに、「さむ~なりますから、気をつけて下さいね」というと、「さ~あ、さむ~なりますだけ~な~。おしょ~にんさんも気いつけなんせ~え」と逆に励まされた。

学成寺での法事は、行年100歳(数え歳)のおばあちゃんの三回忌だった。「人間80年生きると、日数にして約3万日。100歳だと36500日、そのうち3分の1は寝ているので80歳生きたとしても1万日は寝ている事に、100歳だと・・・」と話をしていたが段々計算が危うくなり・・・。100歳のお祝いの時の親族一同で写された写真を飾らせて頂いたが、写真のおばあちゃんが、「おしょ~さん、しっかりしなんせ~」と言っておられるように見えた・・・。

1歳も100歳もどちらもあやからせて頂きたい事が沢山ある。

蓮教寺の裏にゆずが沢山成っていた。ゆずが多い年は雪が多いと昔は聞いたものだが。今年はどうだろう。

ゆず

*立川談志さんのお戒名は、『立川雲黒斎家元勝手居士』。生前自分でつけられていたそうだ。いろいろ意見はあろうかと思うが、立川談志さんが生前意見を求められた時に、「だいたいね~、何を基準に物事を判断するかなんだよね」てな事をよく言っておられた事を思い出す。基準自体があやふやだと判断もあやふやで信用ならないという事だ。そう思うと、このお戒名に関して、万人が納得するコメントをのべる事は難しい・・・。

11月26日(土) おこげ

2011年11月26日コメントをどうぞ

午前中、満中陰忌法要をお勤めした。群馬から車で帰って来られたお施主さんが、「昨日、墓掃除に来た時はアラレが降って、どうなる事かと思いましたけど、今日はいい天気になって」と喜んでおられた。

法要後、「7が命のサイクルで、その7が7回で49日。御命日から49日までを中陰といい、今日の法要は中陰の日にちが49日満ちましたという事で『満中陰』というんです」などと話をさせて頂いた。

「しいたけ会館」での後席で、釜飯を食べておられた方が、「お~、底の方が焦げて~、おこげ御飯だ~」と言われ、最近は炊飯器の性能がいいので、おこげの御飯ってなかなか食べれませんよね~という話になった。話をしながら、香ばしくて美味しかったなぁと、子供の頃よく食べた、おこげ御飯のおにぎりを思い出した。帰りの車の中で、話をしているうちに結局おこげご飯は食べずじまいだった事を思い出した・・・。

家庭内の、おこげ、こげつきには気を付けたい・・・。

 

11月25日(金) ブルートレイン

2011年11月25日2件のコメント

今朝の読売新聞の13面『ニュースが気になる!』に「消えゆくブルートレイン」という記事が載っていた。JRの来春のダイヤ改正で寝台特急「日本海」が廃止され、関西発着のブルートレイン(以後ブルトレと)が姿を消すそうだ。走るホテルと呼ばれ全盛期は20種類以上のブルトレが疾走していたのに、時代の流れにのまれ・・・。寂しい事だけど仕方がない。

中学を卒業し、日蓮宗の総本山である身延山久遠寺で小僧をしながら「身延山高校」に通う事になった時、両親に連れられ、山陰本線で大阪まで出て、大阪から東京行きの寝台急行「銀河」に乗ったのが私がブルトレに乗った最初だった。まだ暗い早朝富士駅で眠れぬ夜を過ごした「銀河」を見送り、そこから身延線の各駅停車で1時間半、よやく身延駅に到着し、「こりゃ~えらい所に来てしまったわ~」と、超~心細かった事を思い出す。

その後、身延高校を卒業して東京に出たが、以来幾度となくブルトレのお世話になった。当時東京と山陰を結ぶ『出雲号』は時期によっては切符がなかなか取れず、ある時中央線の高円寺駅で「出雲号の鳥取までですけど、キャンセルはありませんか」と尋ねたら、駅員のおじさんが「おにいちゃんは鳥取か~。わしも鳥取だ~。みどり町ちゅ~ところだ。しかたがないけ~、今キャンセルになった切符を回してあげるわ~」と切符を回してもらった事を昨日の事のように思い出す。あのおじさんは今頃どうしているだろう・・・。

平成18年2月岩美駅での出雲号

しかし、昨日の事は忘れるのに、昔の事はよく覚えているものだと我ながら感心!?する。ブルトレの通路側の折りたたみ式のイスに座り、ボ~と景色を眺めるのが好きな好青年!?だった私だが、それが今や・・・。

チューリップの名曲『悲しきレイン・トレイン』が思い浮かんだ。♪it’s rain train 雨降る中を~ it’s rain train ただ汽車は走る~ it’s rain train 今この僕に it’s rain train 恋は~できな~い~♪

悲しきレイン・トレイン

 

 

 

11月24日(木) お大事に・・・

2011年11月24日コメントをどうぞ

宮長にある『こばやし内科』さんへインフルエンザの予防接種に連れて行かれた。問診票を書いて熱を計ったら何故か37、2度。夕べ遅くまで冬至祭のお札をしていて肩がこって少し頭痛がするなぁと思っていたが・・・。でも、たいした事は無く37、5度以下は大丈夫ですという事で接種を受けた。

奥さんの番になったので先生に、「性格が、やわらしくなる薬がありましたら処方してもらいたいです」というと先生が、「そんな薬がありましたら、うちのにも・・・」と言われるので、「いえいえ、そんな~先生のとこは~」と一応言っておいた・・・。

診察室を出る時に、先生と看護師さんから、「お大事にして下さい」と優しく言われたので、奥さんの方を向いて、「どうぞ、お大事にして下さいね」というと、先生と看護師さんが「プッツ~」と吹きだしていた。後が怖い・・・。

予防接種を受けたのでひと安心。今年の冬も元気に乗り切りたい! ギックリ腰と忘れ物の予防注射も受けたい気分だ・・・。

注射の跡

11月23日(水)  今日の忘れ物・・

2011年11月23日コメントをどうぞ

*午前中、法事をお勤めし、午後は若桜町蓮教寺の『お会式』法要(日蓮聖人御命日法要)をお勤めした。

午前中法事をお勤めしながら、お戒名と御命日の字が見えにくいなぁ~と思いながらお経を読んでいたら、メガネをかけるのを忘れている事に気づいた・・・。その後若桜に行く道中、八頭町徳丸付近からかすかに見える若桜氷ノ山スキー場が白くなっていたので、デジカメで撮ろうとしたら、無い。デジカメを忘れていた。

『お会式』法要の後、お参りの方々とお茶を飲んでいると、「50年忌の法要はなかなかしてもらえませんでな~」という話になったので、「実は彼岸前に、御先祖を尋ねて来られた方がありまして、156年前の・・・」と話しを始めたら、「おしょにんさん~。その話、お彼岸法要の時に聞きましたで~」と。どうやら話をした事を忘れていた・・・。

帰ろうとすると、ある檀家さんが「おしょうにんさん~。都合のいい時に、うちげにちょっと来てもらうようにお願いしとったですけど・・・」。これも・・・。

これからは、『今日のつぶやき』ならぬ、『今日の忘れ物』のコーナーを作るかぁ・・・。昨日某EKさんから、「そのうち帰るところも忘れるように・・・」とコメントを頂いたので、「帰るところは、忘れたくなる時があります」と返事をさせて頂いた。

下の写真は、スマホで写したのをデジカメで撮った。

遠くに氷ノ山が見える

*夕べ、お経の試験を受ける為に帰省していた愚息と二人で『天香』(湖山街道にある美味しい中華料理屋さん)で晩御飯を食べた帰り道、シダックスの前を通ったのが間違いで、二人でシダックスへなだれ込んだ。だが、3時間はあまりにも短かった・・・。

息子の歌の音程しょっちゅう外れるので、「おいっ、歌がお経になっとるぞ~」というと、息子が、「大丈夫だ、と~さん。お経が歌みたいになっとるけ~」と・・・。ひとつも大丈夫じゃない。親の顔が見てみたい・・・。

粉~雪~~ ダメだこりゃ・・・

11月22日(火)  腰が・・・

2011年11月22日2件のコメント

昨日、米子方面へ出向していたところ、気温が下った寒さの効果てきめん!?で腰が・・・。腰の張りに気を取られ・・・、なんと大事な手帳とかデジカメとかが入ったカバンを置き忘れていた事が判明し、今日慌てて取りに行ってきた。すると忘れ物がほかにもあった・・・。

お陰でというか何というか、綺麗な大山を見る事が出来た。

見事な大山と・・・

美しい大山を見ていると、普段空がきれいだとか花が綺麗だとか慌ただしさに追われて感じる事などほとんど無いが・・・、久しぶりに自然の美しさを感じ、素直な気持ちになったよ~な気がして、ほっと心癒される思いがした。こういう気持ちは忘れたくないが、なにせ忘れ物が多く・・・。

帰ってから、たしか『大山賛歌』という歌があったと思い、歌詞を調べてみた。

♪あなたがもしも ひとりになって 静かに心を見つめてみたい その時は 大山に行こう きゃらぼくの みどり葉が あなたのさびしさを つつんでくれる そう、大山はみどりが いっぱいだから♪

なるほど~。いい歌だ!

帰りの山道は紅葉は終わっていたが、それでも綺麗だった。

山道

帰ってから、片原通りにある、『癒し朋楽』さんへ行き腰のマッサージ治療を受けた。韓先生が、「都さん~。今日はまだ腰が柔らかいですから大丈夫です~」と。どうやら、まだ大丈夫のようだ。

韓先生、吉岡先生、&私・・・

やれやれ、今日は綺麗な景色も満たし、腰も大丈夫のようだし~と、安どの思いで家へ帰ったが、、認知症扱いを受けたのは言うまでも無い・・・。

 

 

11月21日(月) 男泣き

2011年11月21日4件のコメント

*ソフトバンクホークスが、あの2003年阪神との内弁慶シリーズ以来8年ぶりの日本一になった。実は、ひそかにソフトバンクを応援していた。

優勝を決め、抱き合い男泣きする選手や監督さらに球団関係者。さらには秋山監督が涙をためながら、「3月11日の震災以来、福岡から元気を届けたいと思い今日まで頑張ってきました」という言葉や姿に感動した。一生懸命頑張った人の姿はイキイキと美しい!。イキイキと美しい人間になりたい。男泣きする姿はなんとも感動する。

感動の胴上げ

試合後、熱烈なソフトバンクファンの知人からメールが来た。「いま福岡に来てます~・・・」云々。この行動力にも感動した!。来年の秋は、「今、甲子園に来てます~」とメールを打ちたい・・・。(*^。^*)

11月20日(日)  300年忌

2011年11月20日コメントをどうぞ

午前中、若桜町の蓮教寺で法事をお勤めし、鳥取市内へ戻って有隣荘での後席を終え、その後再び蓮教寺へもどり法事をお勤めした。有隣荘の庭園は見事だった。家での供養の時、お仏壇の前に、おばあちゃんの肩におじいちゃんが手をかけた仲睦まじい写真が飾ってあり、在りし日の姿が偲ばれた。後席の時、「ほんとに仲が宜しかったですよね~」というと施主さんが、「父と母は、ず~と一緒で農作業してましたからね~結構ケンカしてましたよ~」と。ケンカするのも仲の良い証拠ですねという事に。うちの場合はケンカにならない。一方的なので・・・。

紅葉の綺麗な有隣荘庭園

午後の法事では、「父の17回忌の年回法要の今年が、調べてみたら初代の300年忌になります」という事で、重ねて供養をお勤めした。名前すらあったかどうだかわからない時代に、ちゃんとお戒名が残っているという事は凄い事だ。家の仏壇での供養の後、「人間は2度死ぬんだそうです。1度目は命が尽きた時。2度目は自分という人間がこの世にいたという事を知っている人がひとりもいなくなった時で・・・」などと話していると、お施主さんが、「という事は、この300年忌の方は、まだ2度目は死んでおられないってことですね」と。そう言う事になる。私の300年後は・・・。しっかり覚えて置いてもらうには、よっぽど良い事をして名を残すか、あるいは・・・。

若桜町は肌寒く今年初めてストーブをつけた。

国道29号線を移動中、路肩に止めてメールを見ていたら、反対車線にパトカーが止まり、一瞬私かぁ~とビックリした。が、恐る恐る見ているとパトカーの後ろをついてきていた軽自動車のおばあちゃんが捕まっていた。なんで捕まったのか分からなかったが、おばあちゃんは開き直ってか笑っていた・・・。気が付くと、それを見ながら私も笑っていた・・・。