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 9月12日(月) 吉田拓郎

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*一昨日、NHKテレビの『SONGUS』を見た。今回の出演はこの秋2年ぶりのライブを行う吉田拓郎さんだった。なんと拓郎さんも、おん歳70歳。

初めてTVに出たとき、1番で終わる事を知らされてなく、普通に歌っていたら、凄い勢いで怒られそれ以来TVには出なといきがった拓郎さん。以来歳を重ね50歳のとき、「拓郎さん、もうあなた一人では取れない(視聴率)んですよ」といわれ、キンキキッズと共演。自分は50歳、相手は17歳と18歳。「初めて東京に出てきた時以来2度目のカルチャーショックでしたね~。段々と17・18歳と疎遠になる50代にこの2人と共演できたのが嬉しくて、ふけた事をいってるオヤジ達に説教してやりましたよ~。2人には今でも感謝してますよ」と語る拓郎さん。

そんな拓郎さんが発表する新曲はラブソング。「70歳、80歳になってもラブソングを歌いたいしラブソングの側にいたい。音楽をやっていると幸せ、音楽ってなんて素晴らしいんだろう」と語る拓郎さんの顔はとってもイキイキしていた。秋のライブが楽しみだ♪

リハーサルの様子

命がけでライブをするんです。

70歳の拓郎さん

 9月11日(日) フラメンコ

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*夕べ、保護者同伴(大ババ・チイババさん)で『アフターアワーズ』さんでの『FURAMENNKO LIVE』に行った。
近所にアトリエがあり、お寺によくよってくださる画家のニシオトミジさんの娘さん西尾佳よさんと磯貝葉子さんの舞踏に、ボーカル(Cante)嶽北慎二さん、そしてギター松井高嗣さんによるユニットでのfuramennkoは素晴らしかった! 様子が分からないので、ネットで調べたら、furamennkoはリズムが複雑なので手拍子は不可で、掛け声は大いに結構とのことだった。はじめてみるfuramennkoに感動した。やはりプロは凄い!

チラシ

ステージ

*今日は、大祥忌(3回忌)の法事をお勤めした。法要後、夏休み科学事も相談室での小学4年制の女の子の質問、「家で3匹飼っているカブトムシのうち1匹が逃げてしまいました・・・・・まだ家にいるカブトムシと逃げていったカブトムシとどちらが幸せなんでしょう」の話しをして、本当の幸せ考えてみましょうというような話しをさせて頂き法要を終えた。
帰られるとき、親戚の方が「4年後には、今回法事をした祖母さんが7回忌と祖父さんの33回忌が重なります。さらに親類であと3軒法事がかさねるんですよ」と言われるので、「それも、ご縁ですよね」と。孫さんもこられ賑やかな供養となった。

 9月10日(土) 満中陰忌

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*満中陰忌忌明け法要をお勤めした。「命のサイクルが七でめぐり、その七が七回で49日を大きな節目と考えます。ご命日から49日までの間を『中陰』といい、中陰が満ちるという事で『満中陰』といいます」。さらに、「故人へのいろいろな思いが満ちて、それが明日へと繋がっていくという思いが『満』という字にはあるんです」などなど、お話させて頂き法要を終えた。故人のひ孫さんもおまいりされ賑やかな供養となった。

*朝境内に出た奥さんが「あ~たいへん~」と。何事かと思って出てみると、なんとメダカの水槽が動かされて水が減っていた。よく見るとメダカの種類を分けていたのに、数匹が移動していた。誰がこんな事を。メダカの数は減っていないようだったが、明らかに水槽が動かされ、水が減っていた。気味が悪い事だ。お寺の境内でこのような事をするなんて罰当たりなことだ。お天道様は見ておられたはずだ。

めだかちゃんが・・・

 9月 9日(金) 帰途

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*2日間にわたる『中央教化研究会議』を無事終え帰途の車中。

今年も分科会では、自分事を棚にあげて言いたい放題。 「この場で今私達が議論してる話は、ここを1歩出たら世の中には全くi/v/しません。もっと何も伝えることが出来ていないという現実に気付くべきです」と言おうと思ったが踏みとどまった。でも、にたような事は言ってしまったけど・・・。

やっぱり坊さんの集まりは、僕には場違いだなぁ。(^o^)

東京駅

*新幹線に乗ったら、やっぱりスジャータのアイスクリームを食べなくっちゃ。苦行では、悟れないと悟ったお釈迦様が弱った体を菩提樹の木の下で癒していたとき、乳粥(乳製品)を差し出した村娘の名前がスジャータ!

アイスクリームに気を取られて、富士山を見逃してしまった。

スジャータ

浜名湖

 9月 8日(木) 会議2日目

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*夕べ、東京にいる中学校の同級生と合流し、店員さんが焼いてくれる焼肉屋さんで賑やかに夕食。美味しかった!

焼肉ふたごや

*『教化研究会議』2日めは、午前中は昨日の続きの分科会で、午後は各分科会の報告を聞く全体会議。最後は記念講演として、神仁(じん・ひとし 公益財団法人全国青少年教化協議会主幹・常任理事・臨床仏教研究所上席研究員)さんの『現代社会における臨床仏教の可能性』を拝聴。その後閉会式があり2日間の研修会は修了となった。

分科会でのキーワードは、気付いていない事に気付くこと!心したい。が・・・。

分科会

全体会議

 9月 7日(水) 中央教化研究会議

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*宗務院での『中央教化研究会議』始まった!全国から各県1名あるいは2名が参集し総勢120名くらいだろうか。これだけ坊さんが集まると、なんか・・・・異様な・・・。いつも私だけ場違いなゆおな存在だ。

今年のテーマは『みつけよう、語りあおう、法華経の魅力 法華経の教化学』 なんか難しそうな題名だ。

開式の後、基調報告と題して 三原正資(日蓮宗現代宗教研究所所長)さんの『法華経は現代の私たちの物語』を拝聴。

その後、『基調講演』として、鈴木泰隆(日蓮宗現代宗教研究所嘱託、山口県立大学教授)さんの『法華経を現代に読む インド学・仏教学の視点から』 いずれも難しいお話・・・。

さらにその後は、基調報告。基調講演を問題提起として、四つの分科会にわかれ意見を述べる。また、いつものように、言いたい放題になるかも・・・いや、おとなしくしていよう。

この看板はもらった!

会議

 9月 6日(火) 東京出向

2016年09月06日コメントをどうぞ

*東京都大田区池上にある日蓮宗総本部の日蓮宗宗務院での『中央教化研究会議』に参加する為上京。飛行機は苦手なので今回ももちろんJR。朝イチのスーパーはくと号に乗れば姫路でのぞみ号に乗り換え12時前には東京に到着する。5時間弱の列車の旅だ。昔は山陰本線の特急で京都まで4時間半かかっていた事が信じられない・・・。

たまにはゆっくり汽車(電車)の移動もいいものだ。

かろうじて富士山が見えた!

富士山が見えた

のぞみ号車中

*先ずは久しぶりに、学生の時、小僧生活をした杉並区堀之内にある妙法寺へやって来た!

厄除けのお祖師様の御開帳をして頂き、お祖師様に御礼と反省の気持ちで頭を垂れさせて頂いた。

久しぶりの妙法寺はとっても懐かしかった。学生の頃の怪しい小僧生活が昨日の事のように甦る!

思いであふれる境内

祖師堂

この廊下の拭き掃除はしんどかった

*その後、中野駅前にある『六曜舎』 というお檀家さんの親戚がしておられる喫茶店へ。賑やかなひとときとなった。

六曜舎さんで

 9月 5日(月) 線香

2016年09月05日1件のコメント

*今朝、テレビを見ていたら、静岡県で病院の前に葬儀場作る計画が進められている事を取り上げていた。確かになんともいえないことだが、そんな中でちょっと気になったのは、反対の理由に「線香などの匂い」があった事だ。

線香には、お香の香りに意味があるのだがどうも誤解されている。

香を楽しむ『香道』があるように、お香の良い香りには癒し効果がある。お経には「栴檀香風悦可衆心」(せんだんこうふう、えっかしゅうしん)とあり、栴檀(良い香り)は人の心を悦ばせしめると書かれている。お香の良い香りによって心癒され、落ち着いて物事を考えましょうという事だ。

お葬儀や法事でのお焼香は、仏様に良い香をお供えし、故人にも香をたむけ、自らもその香によって心癒され、故人を通して普段あまり考えないような事を考えたり、普段気が付かない事に気が付くきっかけとなる素晴らしい行為。

それが、お葬儀イコールお焼香というイメージから、マイナスのイメージに繋がっている。とても残念な事だ。

お香にもピンからキリまであり、お葬儀のお焼香で使われるお香は値段の比較的安いあまり質の良いものでが使われるのが現実。当然香りも宜しくない。学成寺では、少々高くつくがお線香も焼香のお香も『白檀』を使っている。白檀は香りが柔らかくてとても良い香りがする。本堂だけではなく、家庭内でもドンドン焚きたい・・・。

線香の匂い

 9月 4日(日) 福山へ

2016年09月04日コメントをどうぞ

*遅ればせながら、福山へ行きようやくお墓参り、お盆なのか、お彼岸なのか・・・。

お墓参り

*お墓参りを終えて、福山駅のサンステ内にある『セマンチックデザイン』さんへ。いつもの行動!

店長さんと!

 9月 3日(土) 蓮教寺

2016年09月03日コメントをどうぞ

*若桜町の蓮教寺へ行った。標高200メートルほどの若桜は爽やかな天気だったが、結構暑かった。境内の松は樹齢どのくらいか分からないけど、立派な松だ。大事にしたいと思う。

蓮教寺の初代円教院日意上人は、師である身延山代111世法主の行学院日朝上人の命を受け西国布教の旅に出られ、その折しばし若桜宿に留まり法華経の教えを説かれた。その教えに感化された時の若桜城城主矢部若桜の守が、教えを広める場所として蓮教寺を建立されたとの事。その後布教の旅を終えられた円教院日意上人は本山に戻られ第12世の法主となられた。550年の歴史を重ねる蓮教寺は当初七堂伽藍(お堂が七つ)兼ね備わっていたと伝え聞く。今は一堂がらんとたたずむが・・・。

34代の住職の中で、私が一番怪しい住職であることは、間違いない・・・。

蓮教寺

怪しい・・・