*若桜町の蓮教寺へ掃除に行った帰り国道29号線沿いの田んぼのれんげ草が綺麗だった。
れんげ草を見るたびいつも師匠の僧多門(そ∼だもん)様の話を思い出す。
『私の母は目に一丁字も無いお針子だった。だけど物の見通しのしっかりした人で、その点、自分の子供といえども容赦はなかった。私が小学生を卒業した日、私の成績表を前にして、「お前は頭が悪いくせに勉強嫌いでは、世間の皆さんと肩を並べて生きていくことは容易なことじゃない。だけど、お前に一つだけいいところがある。それはお前の面倒のみのいいところだ。お前はレンゲ草におなり。れんげ草は田んぼの肥やしになるし家畜の餌になる。お前も世間様の肥やしとなり餌となって人様のお役に立つよう努力すれば、お前のような人間でも、この世に生まれてきた甲斐を見つける事が出来る」といった。・・・中略・・・
以来私は心してれんげ草の人生を歩んできた。これは最近の事だが、おそらく孫娘が買ってきたものだろう。私の机の上に「花ことば」という小冊子が置いてあった。
私は何気なくそれを手に取ってペラペラとめくっていたとき、れんげ草という文字が目にとまった。ホ∼、レンゲ草の花言葉はなんだ?と興味深く見た。すると”実り多い幸せ”とあるではないか。えーっ。正直、私は仰天した。
田んぼの肥やしであり、家畜の飼料である野の花が、”実り多い幸せ”とは!
途端に、40年前に亡くなった母の顔がポッと浮かんだ。「母さん!」私は40年ぶりで母をよんだ』
のちに、僧多門様が大本山池上本門寺の貫首になられた時の御挨拶で、このことを述べられ、「これからも、妙法れんげ僧でまいります。よろしくお願いいたします」と述べられるのを聞いて感動した事を思い出す。
私も、れんげ僧になりたい(^o^)
れんげ僧になりたい