鳥取県内日蓮宗寺院のお坊さんの会「布教師会」の研修会が学成寺で開催された。講師先生は、グローカルコーチ・トレーナー・カウンセラー機能再生医科学修士の岸本郁夫先生で『仏教におけるコーチングの可能性について』という演題で講義を受けた。
途中休憩時間には、岸本郁夫先生のお母様がしておられる料理・ケーキ教室『ボンヌ・ノノ』さんで作って頂いた特製の美味しいケーキがふるまわれ、心もおなかも満たされた。
諸般の都合で、今日のコーチングのコメントは明日に・・・。
2011年10月19日コメントをどうぞ
鳥取県内日蓮宗寺院のお坊さんの会「布教師会」の研修会が学成寺で開催された。講師先生は、グローカルコーチ・トレーナー・カウンセラー機能再生医科学修士の岸本郁夫先生で『仏教におけるコーチングの可能性について』という演題で講義を受けた。
途中休憩時間には、岸本郁夫先生のお母様がしておられる料理・ケーキ教室『ボンヌ・ノノ』さんで作って頂いた特製の美味しいケーキがふるまわれ、心もおなかも満たされた。
諸般の都合で、今日のコーチングのコメントは明日に・・・。
2011年10月18日コメントをどうぞ
午前中、月回向(その月の命日に家に伺い供養を勤める)に伺い、午後は1時から7回忌の法事をお勤めし、その後3時過ぎ、再び月回向に出かけた。
午後は1時からの法事だったが、「おしょ~さん、2時2分の汽車で米子に帰る人がおりますけ~、30分で法事を終えてつかんせ~な」と。え~30分で~と思ったが、時間を気にしながらお勤めし墓参りを終えた時点で1時40分。何とか間に合った。
法事に来られた方が玄関で私に、「この花は~・・・、野ボタンですよね、綺麗ですよね~。水を沢山やらないといけないんですよね~」と。「すみません、お花の事はサッパリわかりませんで、みんな母の仕事で~。花の事”も”ですが~」と。
「この花は~・・・」と聞かれた時、思わず「この花は私です。やっと綺麗に咲いたのです」と言いそうになった・・・。たしか桜田淳子さんの歌のセリフだった。題名は忘れたが・・・。桜田淳子さんはどうしているやら。
甥っ子が、なめていると色が変わるアメを買ってきた。なめているとほんとに色が変わっていたので、「面白いアメだな~。だけどな~、おばちゃん(うちの奥さん)のな~顔の色も変わるだで~気いつけ~や」と言っていると、私の一言で奥さんの顔色が変っていった・・・。代弁すると、「なめんなよ~・・・」。私こそ気を付けたい・・・。
2011年10月17日2件のコメント
夕べ、岡山市民会館で、スターダスト・レビューのコンサートを観た。デビュー30周年で30曲を演奏するコンサートツアーを堪能した。
やっぱりスタレビは素晴らしい!
「この歌は、大切な人との別れを綴った歌です。日々の暮らしの中には、つらい事や悲しい事がありますが、それでも歩んで行かなければいけない。3月11日以降とくにそんな想いが強くなりました。そんな想いが伝わればいいと思います」。♪会いたくて~会~いたくて~♪と歌い上げられた『木蘭の涙』。感動した。
「気持ちは、変っていくものです。今までなんとも思ってなかった歌にジ~ンときたり」というMCを聞きながら、歌って素晴らしいなぁと、根本要さんの想いにジーンときた。
「普通30年もやっていれば、大ヒット曲の一つもあったり、間違って紅白にでたり、スキャンダルの一つがあったりするものですが、僕たちには何にもありません。そんな僕らが30年もやってこれたのは、皆さんのおかげです」と、深々と頭を下げお礼をのべ、「家に無事帰るまでが、コンサートです。気をつけて帰って下さい」。と締めくくり、笑いあり感動ありで大盛り上がりのコンサートは、幕を閉じた。
ホントに素晴らしかった。感動した!
帰りの岡山道でサイドミラーに映る夕陽が綺麗だった。
2011年10月16日2件のコメント
午前中小祥忌(昔は、一年経った時を大きな節目として、まずは小さなさいわいに変えていこうという願いを込めて一周忌の事を小祥忌といった。祥にはさいわいに変えていくという思いが重ねられている)の法事をお勤めした。91歳で天寿を全うされた奥さんの供養を、93歳(数え歳)で、矍鑠(かくしゃく)と自転車に乗りお墓参りをされる御主人が施主となり勤められた。供養を受けられた奥さんは、御主人のお元気な姿が、なにより嬉しかった事だろう。
今朝の読売新聞20面の『子供の詩』は面白く考えさせられた。題名は『消しゴム』 「私は学校へ行く ついてから けしゴムがないのに気づいた 一日中けしゴムがなくて ふべんだった 私はけしゴムの大切さに気づいた」小学校4年生の女の子の作品だった。長田弘さんのコメントが、「しっぱいはわすれていいんだ。わすれてはいけないのは、しっぱいをきちんと消せるよいけしゴム」。と書かれていた。なるほど~。と考えさせられた。消したい事は沢山あるが、消さずにしっかり受け止めなければいけない事も沢山あるような・・・。
今日10月16日は聖なる日、記念日。今から26年前の今日、阪神タイガースが21年ぶりの優勝を決めた日だ。その時千葉県市川市のお寺にいた私は当然の如く神宮球場に駆け付け歓喜の優勝をこの目で確認した。神宮球場は5万人の観客で黄色に染まり異様な雰囲気だった事を昨日の事のように覚えている。
この試合は、優 勝マジック1で向かえ勝つか引き分けで優勝が決まる試合だった。先発は阪神がゲイル、ヤクルトが荒木大輔(なつかしい~)。先制点を許したものの4回に真弓(現 監督)が33号同点ホームラン。さらに6回には神様仏様バース様が52号ツーランで3-1。これで決まりかと思いきや、ゲイルが撃ち込まれ3-5と逆転を 許してしまう。
だがしかし、9回に掛布がレフトポール直撃のソロアーチで1点差。その後、岡田が3塁打を放ちそれを代打の佐野(これまた、なつかし~)がセンター犠牲フライで返し 土壇場で同点。そして守護神中西が9回10回を抑え引分けとなり、21年ぶりに成仏し、歓喜の胴上げとあった・・・。昨日の事はすぐ忘れるが、26年前の事は昨日の事のように、よく覚えてい る・・・我ながら大したものだと呆れる・・・。
という事だが、阪神ファン以外の人には、何でもない普通の日・・・。「今日は何の日かしっとるかぁ~」と一人で盛り上がっていたら奥さん鼻で笑われた・・・。
”昨日の事のようによく覚えている”と書いたが、”昨日の事はすぐ忘れる”はずなので、つじつまが合わない事になるのでは・・・と、ふと気がついた・・・。
あれから、早26年・・・。
2011年10月15日コメントをどうぞ
フェンダー・ストラットキャスター(ギター)を操り、和製エリッククラプトンを呼ばれ数々の名曲を残したロック歌手柳ジョージさんが亡くなられた。63歳だった。「雨に泣いている」とか「微笑みの法則」などがあげられているが、私は朗々と歌い上げる、「フォー・ユア・ラブ」が好きだった。♪ベイビィ~ 泣かないで~ こんな俺の為に~ ベイビィ~ 泣かないで~ 笑顔をみせてくれ~ ・・・ ベイビィ~淋しさが 俺に教えてくれた~ ベイビィ~ お前だけが~ 俺のすべてさ~ ♪ 笑顔の優しい柳さんだった。冥福を祈りたい。
午前中、月回向(月命日に檀家さんにお経に伺う)を二軒勤めた後、『お会式』ウイーク最後となる、町内の長栄寺さんの『お会式』法要をお勤めした。
その後、13:30より葬仙吉方ホールでお葬儀をお勤めした。米寿88歳の旅立ちだった。今年の2月『節分祭』で祈願した米寿のお祝い札を持って家に伺った時、腰が痛いとベッドで休んでおられ、私が、「大事にして下さいね」というと、「おしょ~にんさも、き~つけなんせ~え~」とギックリ腰の私を気遣って下さった優しい笑顔を思い出しながらお経を読ませて頂いた。ホールには写経や写真の作品が飾られ、書家で趣味多彩で知識豊富なおじいちゃんだった故人が偲ばれた。
2011年10月14日コメントをどうぞ
今日は学成寺の『お会式』法要。私を含め7人のお坊さんでお勤めした。日蓮聖人が入滅(亡くなる)された時、時ならぬ桜の花が咲いたという言い伝えから、本堂に桜の花(造花)を飾られるお寺が多いが、学成寺にはそれがないので、せめてもと思い差状(法要のプログラム)を書く用紙を、薄ピンクで桜の花びらが印刷されている可愛らしいものを使っている。だがしかし、法要前に差状(プログラム)の間違いを指摘され、「学成寺さん去年も同じ事を言ったような気がしますよ~」と。「そう言えばそんな気がすますね~」と答えたが、来年もまた同じことを言われそうな気がする・・・。
法要後、「皆さんもいずれは命尽きて私のところに来られるわけですが、その時日蓮の教えを聞いたものだと名乗って三途の川を渡って下さい。私が必ず導きますから安心して下さい。大丈夫ですからね」という、日蓮聖人が遺言として残された文章の話をした。この文章の大事な所はこの後の部分で、「ただし、各々の信心に寄るべく候・・・」と続くところ。いくら日蓮の教えを聞いたものだと言っても、あなたの普段の行いが悪ければ、救う事が来ませんよという事だ。上っ面だけでの話じゃなくて現実味のあるドキッとする厳しい言葉だ。心したい・・・。が、毎年法要の差状(プログラム)を間違えるようでは・・・。
法要前、日蓮聖人が着ておられたという”墨染め”の衣に質素な七条袈裟を着用しながら、「映画、ビルマの竪琴(たてごと)の水島上等兵みたいですよね~」という所を、間違えて、「ビルマのかけごと」と・・・。エライ違いだった。まあでも、いつも、「人生に練習日はない、毎日が勝負」だと言ってはいるが、でもそれにしても・・・。
毎年参詣者が少なく、お坊さんの方がかったらどうしようかと思っていたが、若干参詣者の方が多かった・・・。
2011年10月13日コメントをどうぞ
今日13日が日蓮聖人の御命日。730年前の10月13日朝8時ごろ61歳の御生涯を閉じられた。
日蓮聖人の波乱万丈の生涯は『蓮生桜滅』と表現される。「蓮の如くイキイキと、さくらの花のように美しく生きて、散る時もいさぎよく美しく」という事で、どんな困難な状況の時でも、気持は蓮や桜の如くありたいという事だと私は受け取っている。が・・・。
今日は馬場町にある、日蓮聖人の御真骨が納められている古刹芳心寺さんの『お会式』法要をお勤めした。芳心寺さんはで本堂一杯の参詣者さんがお参りされ、御住職を含め8人のお坊さんで法要が営まれた。本堂は暑いくらいで、導師の御住職さんのところにある扇風機が心地よさそうだった・・・。
帰りに見た芳心寺さんの隣の本慈院さんの山門掲示板に、『俺は昨日までの俺ではない お前も頑張れ』と書かれていた。看板を見ながら、俺はおれで頑張っているのは良いのだけれど、俺はお前の事をどれだけ理解しているのか・・・などと考えた・・・。うちの奥さんにそんな事を言うと、「十分頑張っています。これ以上何をがんばるんですかぁ~」と間違いなく怒られるだろう・・・。くわばらくわばら・・・余計な事は考えずに、とにかく私も頑張ろう・・・。
昨日、完龍院さんの『お会式』の後、帰省していた娘と久しぶりにシダックスへいった。歌いも歌ったり数十曲・・・。そんな中、井上陽水さんの『傘がない』 を歌った。♪都会では~ 自殺する~ 若者が~ ふえている~ ・・・ テレビでは~ 我が国の~将来の~問題を~ 誰かが~ 深刻な~ 顔をして~しゃ べっている~ だけども~ 問題は~ 今日の雨~ 傘がない~ ♪ 1972年のヒット曲で30年も前の歌だ。冒頭の歌詞は当時過激だなぁと思ったが、 30年だった今も世のなかの状況はなんら変っていないような・・・。どんな事が起っていようとも、結局目先の”傘がない”という現実にしか目が向かない という事。凄いメッセージソングだったなぁと思う。だがしかし、その後井上陽水さんは「リバーサイドホテル」など、意味不明で解釈が難しい歌が多かった・・・。
2011年10月12日コメントをどうぞ
『お会式』ウイーク二日目、馬場町の完龍院さんの『お会式』法要をお勤めした。御住職含め5名のお坊さんでお勤めしたが、途中想定外のお経が始りちょっと慌てた・・・。ほかにも多少のハプニングがあったが、そこはプロのお坊さん!?、なんとか無事に取り繕い法要を終えた。
毎年、完龍院さんではお昼にマツタケご飯が出るので楽しみにしていたら、奥様が、「今年は天候のせいか、ずいぶん探したんですけどマツタケが不作で手に入らなかったんです~。今日は普通の炊き込みご飯なんです」と。マツタケは残念だったけど、炊き込みご飯がとても美味しかった。日蓮聖人はこんな御馳走は食べておられなかったろうになぁと思いながら謹んで食べさせて頂いた。
法要で日蓮聖人の言葉、「春は花咲き、秋はこの実なる。夏はあたたかに冬はつめたし、時のしからしむるにあらずや」という自然の道理を表した一節を読むが、近年は自然の道理がおかしくなり、マツタケも・・・。でも、おかしくしたのは人間様・・・。どうりで人間のどうりも・・・。
2011年10月11日コメントをどうぞ
夕べテレビで『コンビーフ』の事を取り上げているのを見た。60年の歴史をもつ『ノザキのコンビーフ』は60年の間味が変わらず今尚売れ続けている。真空なので20年は持つそうだが、缶の腐敗を考え賞味期限は3年に設定されているとの事だった。
『コンビーフ』というと、昔ショーケン(萩原健一)が「傷だらけの天使」でヘッドフォンをつけ、牛乳を片手にコンビーフをほおばっていたシーンを思い出す。とても美味しそうに見えたが、食べてみると・・・当時は・・・。普通のコンビーフは100g缶だが、ショーケンが食べていたのは少し大きい190g缶だったらしい。久しぶりにコンビーフが食べてみたくなった!
今日から、『お会式法要』ウイークが始まった。『お会式』とは宗祖日蓮聖人の御命日法要で、市内近隣のお寺さん同士が行き来してお勤めするので15日まで毎日続く。今年は日蓮聖人入滅(亡くなられて)730年目なので、730回忌の法要という事になる。730年の歳月を経て今日は日蓮上人にお会いする嬉しい日という事で、お会いする式と書いて、『お会式』という。
午前中は馬場町の本慈院さんで営まれた『お会式』法要をお勤めした。どうも御住職が法要中の参詣者のお焼香案内を忘れておられたようで・・・、気がついた参詣の方々が法要の終わりごろ自主的にお焼香を始められていた。私も忘れないように気をつけたい・・・。
本慈院さんの『お会式法要』を終え、鳥取葬祭会館に向かいお葬儀をお勤めした。お孫さんからの手紙や、ご自分が趣味で作られたちぎり絵の作品などがお棺に納められての旅立ちに、おばあちゃんの人柄が偲ばれ、和服姿の遺影が幸せそうに見えた。79歳の旅立ちだった。
2011年10月10日コメントをどうぞ
今日は昭和39年に東京オリンピックが開催された日。この日が選ばれた理由は一年でこの日が一番晴れの確立が高い日だったらしい。という事で、本日も見事に爽やかな秋晴れとなった。昭和39年は阪神タイガースが優勝した年でもある。が、オリンピックの影に隠れて・・・。今日が誕生日で、「”とつきとうか”です~」と言っていた友人の事も思い出した。今頃どうしているやら。
朝10時ごろ「こんにちわ~」と喪服姿の方が入って来られ、え~今日は法事は無いはずだけど、私が忘れていたのかとビックリしたら、入って来られた方が、「玄忠寺さんですよね~」と・・・。
その後も、「すみません~。遅くなりまして~」と喪服姿で玄関から上がろうとする方があり、「すみません、玄忠寺さんの間違いじゃないでしょうか。ここは隣の学成寺ですが」というと、慌てて出ていかれた。お寺を間違えるようでは・・・と思ったが、私も自分が法事を忘れていたのかと動揺するようでは・・・。
奥さんが、「てっきり、御住職さんが、法事を受けたのを忘れられておられたのだと思いましたわ~。ハハハ~」と。天気は爽やかな秋晴れだったが、気分はちっとも爽やかでは無くなった・・・。
だがしかし、夕方ブログを更新していると甥っ子と出かけていた奥さんから電話で、「今夜は天香(中華料理屋さん)さんへ行きませんかぁ」と。すかさず「はぁ~、すみませんが、今夜はお通夜なんですけど」と。お通夜を忘れるなどけしからん・・・。人の事を笑っていると、自分の行いはめぐりめぐって帰って来るものだ。心したい・・・。