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11月20日(日)  300年忌

2011年11月20日コメントをどうぞ

午前中、若桜町の蓮教寺で法事をお勤めし、鳥取市内へ戻って有隣荘での後席を終え、その後再び蓮教寺へもどり法事をお勤めした。有隣荘の庭園は見事だった。家での供養の時、お仏壇の前に、おばあちゃんの肩におじいちゃんが手をかけた仲睦まじい写真が飾ってあり、在りし日の姿が偲ばれた。後席の時、「ほんとに仲が宜しかったですよね~」というと施主さんが、「父と母は、ず~と一緒で農作業してましたからね~結構ケンカしてましたよ~」と。ケンカするのも仲の良い証拠ですねという事に。うちの場合はケンカにならない。一方的なので・・・。

紅葉の綺麗な有隣荘庭園

午後の法事では、「父の17回忌の年回法要の今年が、調べてみたら初代の300年忌になります」という事で、重ねて供養をお勤めした。名前すらあったかどうだかわからない時代に、ちゃんとお戒名が残っているという事は凄い事だ。家の仏壇での供養の後、「人間は2度死ぬんだそうです。1度目は命が尽きた時。2度目は自分という人間がこの世にいたという事を知っている人がひとりもいなくなった時で・・・」などと話していると、お施主さんが、「という事は、この300年忌の方は、まだ2度目は死んでおられないってことですね」と。そう言う事になる。私の300年後は・・・。しっかり覚えて置いてもらうには、よっぽど良い事をして名を残すか、あるいは・・・。

若桜町は肌寒く今年初めてストーブをつけた。

国道29号線を移動中、路肩に止めてメールを見ていたら、反対車線にパトカーが止まり、一瞬私かぁ~とビックリした。が、恐る恐る見ているとパトカーの後ろをついてきていた軽自動車のおばあちゃんが捕まっていた。なんで捕まったのか分からなかったが、おばあちゃんは開き直ってか笑っていた・・・。気が付くと、それを見ながら私も笑っていた・・・。

11月19日(土) 十の世界

2011年11月19日2件のコメント

*夕べ晩御飯の時、日本VSアメリカのバレーボールを見ながら隣でモクモクと御飯を食べている愚息に、「おい~アメリカのブロックは凄いな~。おと~さんはな~、おか~さんにいっつもブロックされとるだけ~」と言っていると、横から御本人が、「まだ、アタックされんだけ、え~とおもいんさい」と。愚息が「ブフッ~ッ」と吹きだしていた。父親の威厳はいずこへ・・・。

*午前中、満中陰忌の法事をお勤めした。法要後、「六道輪廻って言いますけど、本当は全部で十の世界がありまして、十界(じゅっかい)て言うんです。これは死んでから行く所ではなく、生きている私達の心の在り方を10の段階に表したもので・・・。片寄ったものの考え方をしている時は天上界から下。片寄らないものの考え方や行動が出来ている時は天上界から上。穏やかでいる時、喜んでいる時、怒っている時、争っている時などを十の世界に当てはめると実感がわくと思います」。

さらに、「天上界の一番上を”有頂天”って言うんです。ここまで来たぞ~と調子に乗って油断していると、一気に一番下の地獄の底へ逆戻り・・・。地獄の事を”奈落”(ならく)って言うんですよ。奈落の底ってのはこの事で・・・」などと話していたが、段々他人事ではないと思えてきて・・・。

さらに、「刹那の如くの、刹那はインドの時間の単位で、なんと75分の1秒を1刹那というんです。刹那の如くとは、我々の心は1秒間に75回もコロコロコロコロ十の世界を行ったり来たりするという事を表した言葉なんですよ」と。

悪い時ばかりでは無いという事だが、良い所に留まっている事も出来ないという事。”せつない”話だ・・・。

人間界!?の私!?

 

 

11月18日(金)  初心は何処へ・・

2011年11月18日コメントをどうぞ

愚息がお坊さんの資格を取るための修行に行く為に必要なお経の試験があり、岡山市内の太然寺さんに連れていった。私達の時にはなかったけど、あったら合格していただろ~か・・・。

もっとも、私達の頃はどっかのお寺で小僧生活をしながら学校へ通う事が多く、実践の場に立っていたので、試験などしなくても大丈夫な事が多かった。私が大丈夫だったかは、定かではないけど・・・。

14名の沙弥(しゃみ。お坊さんを志す人)の初々しい姿を見ながら、”初心忘るべからず”だと思った。

この『初心忘るべからず』という言葉には、世阿弥が晩年に『花鏡』という書物の中に書いた言葉で、初めての時を気持ちを忘れるなという事だけではなく、初めの頃にかいた恥を忘れるな、どうやって試練を乗り越えていったかを忘れるな。という思いが込められているとの 事。心したい。だがしかし、”忘れるな”どころか、都合の悪いことは、すぐに忘れて・・・。

無事到着!

 

緊張の趣き

 

太然寺さんの本堂

真ん中の人以外は無事合格!

『初心忘れるべからず』どころか、かえってブログを更新しようとパソコンの前に座ると、なんとスイッチが入りっぱなしになっていた。何時からだったろうか・・・。

11月17日(木) まにあうだろうか

2011年11月17日コメントをどうぞ

久しぶりに吉田拓郎さんの名曲、『まにあうかもしれない』を聞いた。

♪僕は僕なりに自由に振舞ってきたし 僕なりに生きてきたんだと思う だけど だけど 理由も無くめいった気分になるのは何故だろう

思ってる事とやってる事の~違う事へのいら立ちだったのか だから僕は自由さを取り戻そうと自分を軽蔑して 自分を追い込んで

なんだか自由になったように 意気がっていたのかもしれないんだ まにあうかもしれない今なら 今の自分を捨てるのはいまなんだ♪

♪まにあわせなくては今すぐ 陽気になれるだろう今なら 大切なのは思いきること 大切なのは捨て去ること

そうすりゃ自由になれるなんて 思っているほど甘くはないけれど だけど今は捨て去る事で 少しくらいは良くなると思えるんだ まにあうかもしれない今なら まにあうかもしれない今すぐ

なんだか自由になったように 意気がっていたのかもしれないんだ まにあうかもしれないいまなら 今の自分を捨てるのはいまなんだ♪

30年以上聞いているので今更ではあるが、すごい歌詞だ!よくぞ20歳(はたち)前後でこのような歌詞が書けたものだと感動する。当時の二十歳は”おせ”(大人)だったんだ・・・。

「大切なのは思いきる事 大切なのは捨て去る事」なるほど~と思う。「自由ってなんだろう」とも考えさせられる。ヘタなお坊さんの法話よりよっぽどありがたい・・・。

私は、まだ、まにあうだろうか・・・。いや、『まにあうかもしれない』・・・。

 

11月16日(水) お葬儀 

2011年11月16日コメントをどうぞ

イナバ葬祭さんのセレモニホールで、88歳で旅立たれたおばあちゃんのお葬儀をお勤めした。平成元年に御主人が亡くなられたのち、自らを奮い立たせるかのように、俳句を詠み水墨画を描かれ、多くの趣味を楽しまれていたおばあちゃんで、枕経に伺った時部屋の壁におばあちゃんが読まれた、『城山の 紅葉の映る(はゆる) 今が好き』という句が飾られていた。まさに山々紅葉に染まる今、感慨深いものがあった。

朝昼晩とお経を読まれる信仰熱心なおばあちゃんだった。見習いたい・・・。

読経

 

おばあちゃんの作品の数々

準備万端今日は忘れ物は無いと思っていたが、スタッフの方にデジカメを渡し証拠写真をお願いしたところ、デジカメに「SDカードが挿入されていません」の表示が。やはり忘れ物があった・・・。結局イナバさんでSDカードをお借りする事に・・・。

11月15日(火) 水風呂 

2011年11月15日コメントをどうぞ

月回向(毎月の御命日の供養)に伺った檀家さんで、置いてあったライターでロウソクに火をともそうとしたら火がつかず、側に置いてあったマッチで火をつけた。マッチを使うのは久しぶりだなぁと思いながらつけていると。後ろから、「おしょ~にんさん。うちげのお嫁さんが、最初マッチをこわいって言って、よ~使わなんだですだが~」と。最近の子供達はマッチの使いを知らないと聞いた事があるが、「お母さんが使えないんだから、無理もないですわな~」という話に。

お経が終わり、昨日受講した若年性認知症に関する研修会の話をしていて、「私も気をつけんといけませんわ~」と言っていると、おばあちゃんが、「ねんで~な。おしょ~にんさん私こそですがな。夕べお風呂の準備をしてお父さんに、はよ~はいんなんせ~っていっとったら、お父さんが来て、おいちょっと来てみ~な。わしを水風呂に入れるだかいや~。ちゅうですだが、行ってみたらお湯と水の蛇口を間違え取りましてな~」と大笑い・・・。

「だいじょ~ぶですよ、うちでもおんなじ事がありましたし、水風呂どころか、毎日冷や水を飲まされて~」と言っているとまたまた大笑い。

便利で楽な暮らしをしていると、それこそ認知症になりやすいかも・・・。でも一度便利を味わうと・・・。笑いごとですむうちはまだいいが・・・。

いざ月回向

11月14日(月) 他人事ではない 

2011年11月14日コメントをどうぞ

鳥取市人権教育協議会の宗教関係団体人権問題研修会が鳥取市人権交流プラザで開かれ出席した。今回は、『若年性認知症問題について』という演題で、講師先生は自らも若年性アルツハイマー病と診断されながら、若年性認知症問題に取り組む会「グローバ」代表として認知症問題に取り組んでおられる藤田和子先生だった。

「65歳以下が若年性認知症なんです」と話しだされた先生の体験に基づくお話は、切実なものがあり考えさせられる事ばかりだった。

「最初ひどい頭痛がし、そのうち朝食べた物が記憶に無くなるようになり、友達と約束した時間が分からなくなったり、本を読んでいても前のページの内容が分からなくなったり、買い物をしててレジでこんな物も買っていたんだぁと・・・、そんな状況で半年過ごしていましたが、看護師である娘の勧めで診察を受けたら若年性認知症である事が分かりました・・・」などと話される先生の講演を聞きながら、ありゃ~これは他人事じゃ~ないぞ、思い当たる事が沢山あるぞ~と・・・。

最初はまづ自分が困るのが症状だが、段々と回りに影響が及ぶようになり、病気から発生するいろいろな問題に家族や周りの人間がいかに対応するかが問われる事になる。どれだけ早い時点で発見し治療出来るかが大切だが、偏見などの無理解が治療を遅らせてしまう事が多いとの事だった。

回りの人間の穏やかなサポートが症状を進むのを遅らせるが、発症を知る事により無知による偏見から相手の態度が変わってしまったという現実も多くあり。発症後の新たな人生のプランニングを地域社会が如何にサポート出来るかが問われているという事だったが、ほんとに身に切羽詰まる想いがする研修会だった。

研修を終えて帰る時、某H慈院さんが、「私も気をつけな~いけませんわ~」と。すると私をはじめ一同が、「H慈院さんは、全然だいじょう~ぶですよ。だって若年じゃありませんもん・・・」と。何とも・・・。何が大丈夫なのか・・・。ますます他人事ではない。

 

11月13日(日) 晋山式

2011年11月13日コメントをどうぞ

*米子市岩倉町の本教寺さんで営まれた新しい住職を向かえるお披露目の式、『晋山式』が厳かに営まれ出席した。

そ~言えば、先月から三度も(日蓮宗2ヶ寺曹洞宗さん1ヶ寺)お目出度い『晋山式』に出席させて頂いた。数十年に一度あるかないかの慶事に、こんなに続けて参列させていただけるのは珍しいし、有難い事でもある。

考えてみると、このようにちゃんと新しい住職を向かえる事の出来るお寺は幸せだと思う。後継ぎの住職がいなくて困っているお寺さんが沢山あるし無住(住職のいない)のお寺も多い。私が代務住職を勤めさせて頂いている若桜町の蓮教寺もその一つだ。そう思うと学成寺はとりあえずちゃんと代替わりしたわけで・・・もうちょっと大事にしてもらってもいいと思う。だがしかし、昨日はあやうく車庫のゴミといっしょに・・・。

スタンバイOK!衣の色の違いは!?

 

祝辞を受ける新住職、中央右

 

お坊さんが一杯

 

記念写真準備中

11月12日(土)  ゴミの山   

2011年11月12日コメントをどうぞ

*午前中車庫を大掃除したところゴミが出るわ出るわ。知り合いの業者さんに取りに来てもらいスッキリサッパリ。「このさいだけ~、処分してもらういらないものはもうないかいな~」と言っていると、奥さんの視線が私の方へ・・・。

ゴミの山

*午後、弥生町にある本浄寺さんの『お会式』法要に出仕(法要に出ること)した。法要後の後席で当然の如く、昨日の正倉院展の事をベラベラと・・・。

昨日の正倉院展はほんとに素晴らしかった。

平日だった昨日でも正倉院展の入り口には、ディズニーランドのように「30分まち」の案内があり、土日は大変な混雑との事。そんな大勢な人で賑わう正倉院展を見て、最近我々坊さんが、「三離れ」(宗教離れ・寺離れ・坊さん離れ)てな事を言っているのが如何に間違った認識であるかを実感した。”離れているのは坊さんだけ”(葬式仏教だけにあけくれている坊さん)という事だ。仏教はむしろブームだ。お会式法要をお勤めしながら、ちょっと反省した・・・。

すたんばいOK

11月11日(金) 正倉院展の続き

2011年11月11日コメントをどうぞ

途中、志戸坂での事故で少し鳥取道へ入る粟倉ちょうで通行止めにあったが、予定より早く午後7時過ぎには鳥取駅南口へ帰って来た。という事で、本日2度目の更新!

奥さんと母に連れられて無理やり!?参加させられた(させて頂いた)今回の読売旅行の『「第61回正倉院展」見学と興福寺「阿修羅像」見物』日帰りバスツアーは素晴らしかった。

22人の中型バスツアーで朝8時20分に鳥取駅南口を出発し、中国道から第2阪奈道を通り3時間半ほどで興福寺へ到着。天平時代を代表する国宝阿修羅像などの仏像を拝観した。外敵を威嚇するかのように怒りの形相をしているのが普通の阿修羅だが、興福寺の阿修羅像は我々を優しく諭してくださるように穏やかなお顔をしておられ、反省を促され心癒されるようだった。今回はガラスケース無しのオープン展示で至近距離から伝わる迫力は感動的だった。

なんとも心癒される穏やかな仏像のお顔を拝見しながら、世のなかの人々が皆このような穏やかな顔になれたら・・・と思いながら、恐る恐る側にいた我が家の阿修羅さんを見ると、今日は穏やかに・・・。

正倉院展では、天平文化を彩どった太刀や献上箱など、見応えのある名品を鑑賞した。その中でも、足利義政や織田信長そして明治天皇など歴代の天下人を魅了した香木『蘭奢待』には圧倒されるような迫力があった。沈丁花科の木に特殊な樹脂が付着して出来たこの香木は室町時代から『蘭奢待』として知られ、1000年の歳月を経た今尚、香りの成分をとどめているとの事だ。

明治天皇が、『蘭奢待』の香りを薫じられた時、その場が香りに満ち、「くんえんほうふんとして、あんぐうりみつ」と表現されたそうだ。ちょっと難解だけど・・・。

聖武天皇が出家された後に着用されたという袈裟にも感動した。音声ガイドでは、「袈裟は、濁った色という意味のサンスクリット語カーサーヤが語源で、本来ボロ布を縫い合わせたものです。そう言う事も意識してこの袈裟は作られています」などという説明があった。聞きながら、「本来ボロ布で質素なものだった袈裟を、近年お坊さんが金襴のきらびやかな袈裟を着用するようになり、それを称して”大袈裟”というようになりました・・・」などという話が加われば、面白かったろうに・・・と思いながら、”大袈裟”をまとっている自らの反省も込めて想いをめぐらせた。

総勢23名のツアーだったが、御年輩の方が多く、後ろの席のおばちゃんグループは、バスに乗った途端、喋りっぱなし・・・。「うちげの孫がな~・・・」。「そげか~、さ~さ~、うちげもだが~・・・がっははは~」と・・・。バスのエンジン音より賑やかだった。

興福寺五重の塔

 

  • 五重の塔と・・・
  • 掲示板に耳の痛い言葉が・・

 

正倉院展到着

 

奈良公園のバンビちゃん