*某週刊誌に『あの世でも幸せになれる 自分で付ける戒名』という記事が載っていた。
「自分の好みを反映できて、つけた後の人生を好転させ、あの世に逝った後は残された家族が幸せに暮らせる。そんな戒名を自分でつける事ができるんです! 最近は、葬式は家族だけ、お墓もいらないという人が増えています。だからこそ、戒名だってお仕着せでなく、自分好みにカスタマイズ」
この記事に反論するお坊さんは多い事だろう。だがしかし、こうなったのも、我々坊さんが説明責任を怠って来た事が原因。言ってみれば自業自得のようなもの。
落語家の立川談志さんが、本人が気に入って決めた戒名『立川雲黒斎家元勝手居士』によって菩提寺から「うんこくさい」とは何事かと納骨を断られ、菩提寺以外のお寺でも断られたそうだ。学成寺なら受けていたのにと思ったが・・・。
今さら、戒律を守る為の戒めの名前だとか、本来生きている時に、これから心を入れ替えて頑張ろうと決心した時に、先に戒名を授かり戒律を守っている者から授かるものだとか、生きている時はなかなか守る事が難しいので、亡くなった時に授かるようななっただとか、クリスチャンネームの方が戒名の本来のイメージに近いのではないのか、などなど言ってみても、聞きいれてもらう事は難しいだろう。この落とし前を我々お坊さんはどうつけるのだろう・・・。
ちなみに私が師匠から授かった戒名は、『端行院日涵』(極の字がちょっと違うがパソコンになかったのでこの字。本当はチョンチョンとなったところが右は口左はヌとなる)。
端行とは、正しい行いの事で、日は宗祖日蓮聖人の日、涵とは水が回りを潤していくという事。なので、意味を通すと、正しい行いがあたかも水が回りを潤していくが如く人の心を潤していく様子を表すと聞いたような覚えがある。そのような坊さんになるように、いや、そのような坊さんが理想だと師匠(父)が授けた戒名のようだ。私にピッタシの名前だ・・・・・・。アレッ・・・
戒名は授かっているものの、戒律を守っているかと言われると・・・。けして偉そうな事は言えない。けど、毎日一生懸命に生きているつもりではいるが・・・。だがしかし、家では、「自分勝手なだけです」と言われるのでやはり、偉そうな事は言えない。
某週刊誌に