*連休最終日、福山で奥さんの実家の墓参り。墓参りを終え手を洗っている奥さんに、「心も洗ったほう がええぞ~」と・・・(^o^)!
お墓の義弟に、宜しくお守りくださいと手を合わせた。
5月 6日(月)お墓参り
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5月 5日(日) 子供の日
2013年05月05日2件のコメント
*今日は『こどもの日』。何気に伊武雅刀さんの歌!?『子供達をせめないで』を思い出した。
♪私は子供が嫌いです 子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で 前向きな姿勢と 無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている 甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする♪
などと、歌い(喋り)あげるが、これは子供ではなく大人の事かと・・・。
傑作なのは、♪私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています ♪・・・。
*『こどもの日』は元こどもだった我々大人が、『昔はみんな子供だった』事を思い出す日なのかもしれないなぁと・・・。
5月 4日(日) 法事とお葬儀
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*重なる時は重なるもので・・・。午前10時から法事を勤め、その後商栄町の葬仙ホールさんでお葬儀を勤め、出棺を待って頂き、その間にお寺に戻って13時から法事を勤めお墓参りも勤めたあと、再び葬仙ホールへ戻り出棺に立ちあい八坂の斎場へ行き荼毘供養を勤め、お寺へ帰りお骨あげを待って、お葬儀の締めくくりとなるお寺参り法要と初七日の供養をお勤めした。
お葬儀の連絡を受けた時、今日は珍しく法事を2軒受けていたのでどうなる事かと思い慌てたが、喪家の方がいろいろ無理を聞いて下さりなんとか無事にお勤めさせて頂く事が出来た。
10時の法事は13回忌で、婦人会でのお寺の大掃除の時などに明るくお手伝い頂いていた時の故人の姿が思い出された。行年51歳。私もその歳をすでに超えてしまった事を思うと何とも・・・。孫さん達が賑やかだったのが、何よりの供養だったと思う。
お葬儀は、山陰放送のアナウンサーとして『中四国ライブネット』とか、『歌のない歌謡曲』など沢山の番組て活躍しておられた女性の61歳(数え歳)での旅立ちだった。出棺前のお別れの時、故人のラジオ放送での声が流されていて、なんとも穏やかで聞きやすい声がなんとも優しい雰囲気を醸し出していた。私も結構ラジオを聞いているので、幾度となくお耳にかかった事があるんだろうなぁと思いながら、お勤めさせて頂いた。アナウンサーとして声のプロの方のお葬儀を勤めさせて頂いたわけだが、私のお経の声は故人にはどう聞こえたかなぁ、どう思われたかなぁと思った・・・。NGが多々あったかも・・・。
5月 3日(金) 心コロコロ
2013年05月03日2件のコメント
*今朝の読売新聞の『こどもの詩』はなるほど~と。でも心は一体何処に?
この子の言うように仮に胸にあるとしても、怒りがこみ上げると心が上がり、頭のてっぺんに来る。この状態を『頭にきた(-_-;)』・・・。これではいけないと、心を下げてようやく腹のあたりまで下がった。それでもまだ『腹がたつ(-_-;)』・・・。やはり心は、腰のあたりに、『腰を落ち着けて』いたいものだ・・・。が、心はコロコロ、なかなか定まらない・・・。
5月 2日(木) ホワイトスネイク
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*夕べ、高松市の『サンポート高松大ホール』でホワイトスネイクのライブを観た。
大迫力の演奏にデイヴィッド・カヴァデールのなんとも渋く味わいのあるボーカルがさく裂し、これぞ元祖ヘビーメタルロック!凄かった。久しぶりに目が覚めるような衝撃だった。
5月 1日(水) レンゲ草(僧)
2013年05月01日1件のコメント
*田んぼにレンゲ草を見かける季節だ。
レンゲ草を見るたびに、我が師僧『僧多聞』様の大本山池上本門寺晋山式での挨拶を思い出す。
「私は夕べ久しぶりに母の夢を見ました。それは、私が子供の頃母親が、お前は頭が悪い癖に勉強嫌い。これでは世間の皆様と肩を並べて生きていく事は容易なことじゃない。お前はレンゲ草におなり。レンゲ草は田んぼの肥し・家畜の餌だ。お前のような人間でも、世間様の肥しとなって人様のお役に立てるよう努力すればこの世に生まれてきた甲斐を見つけるい事が出来るってものだ。お前はレンゲ草におなりなさい。と語ってくれた姿でした。私はこれからもこの気持を忘れず、妙法レンゲ草(僧)でまいります。宜しくおねがいします」という挨拶だった。
なんという、いさぎよい心に沁みる挨拶かと感動した事が思い出される。そんなレンゲ草の花言葉は『実り多い幸せ』。人様の役に立つよう努力する事が実り多い幸せにつながるという事か・・・。私もレンゲ草(僧)になりたい。が・・・。
4月30日(火) 祥月命日
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*今日は、師父の祥月命日(平成10年4月30日)という事で。母と奥さんと三人で墓前でお経を読んだ。お経を終えた時、後ろにいた母が、「なんだぁ~、衣の裾がほころびとるが、嫁さんもらわなにゃ~いけんがぁ~」と。「そうだそうだ~」という事で、珍しく三人の意見が合った・・・。
毎月の命日は1年に12回。そして一年に一回めぐって来るほんとうの命日を祥月命日という。亡くなられた日を”命の日”と書いて命日というが、以前「命の日と書くんですから、むしろ誕生日を命日といった方がいいんじゃないですかね」と言われた方があった。
確かにそれもそうだなぁと思ったが、昔の人は、命を締めくくった一番厳しい日をあえて命の日と書いて命日と呼び、その日をむかえるたびに尊い”命”の事考え、いろんな事を祥(さいわい)に変えていくんだって事で、祥月命日とよんだとの事。なるほど~と思う。祥(さいわい)に変えていきたいと思うが、衣の裾がほころびているようでは・・・。
4月29日(月) 花のまつり
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*『花のまつり』が行われる若桜街道の歩行者天国の中に便乗させてもらい、鳥取市仏教会でお釈迦様のお誕生を祝う『花まつり』の甘茶のサービスを行った。
今年も暑いくらいの好天に恵まれ、大勢の家族連れなどで賑わっていた。そんな中、ヨチヨチ歩きの可愛い双子ちゃんを連れた若いお母さんが、お釈迦様に甘茶をかけていた時、あるお寺さんが、「可愛いですね~。今日はお父さんは~」と声をかけられたら、「お父さんはいません」という返事だったとの事・・・。最近は迂闊な言葉かけは出来ないですねって話に・・・。
設置された看板には、「お釈迦さまは生まれられた後、七歩あるかれ『天上天下唯我独尊』と言われた云々・・・」と書かれていたが、生まれてすぐに七歩あるけるわけもなく・・・。それは、お釈迦さまが生まれられて七日後にお母様が亡くなられた事を表す事や、ほかにも伝えたい事がいっぱいあったが・・・。何も伝えられないもどかしさを感じながら、結局はずうずうしく学成寺の『花まつりライブ』のチラシも配らせてもらった。
4月28日(日) 大黒さま
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*午前中法事をお勤めし、午後は『大黒天神祭』をお勤めした。
法事では、「追善供養の追善とは善を追うと読んで、今日は故人の善い思い出を語り合いましょうという意味があります。供養とは”共に養う”なので、故人は仏様のふところで身を養って私達をお守りください、私達も頑張って身を養っていきますからねという事で”共に養う”。皆さんがお元気でおられる事が、一番の供養です」などとお話しさせて頂いた。親戚の方が昭和40年代に写された故人を囲んでの写真を持ってこられ、賑やかに昔話に花が咲いていた。花の季節でお寺の境内にも花が咲いていた(*^。^*)
午後の『大黒天神祭』はお参りが少なく・・・。お勤め後お参りの方々とお茶を飲んでいると、長寿の祝いの話になり、「88歳は米寿で、90歳は傘寿、百歳は白寿でしたかいな~」てな話になったので、「白寿は99歳で、百歳は百賀とか、一世紀になるんで紀寿とも言いますよ」と話していると、ちょっと耳の遠いおばあちゃんが、百歳が”はくさい”と聞こえたらしく、「はくさい(白菜)がどうしたですかいなぁ~」と。みんなで大笑い(*^。^*)お参りは少なかったが、賑やかだった。
4月27日(土) いい運動
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*日蓮宗鳥取県宗務所(琴浦町の法輪寺さん)へ鳥取県教化センターという会への助成金申請書類を書いてポストに投函し帰ってきた。だがしかし、事務所の机の上には、出したはずの申請書類が・・・。
申請書にそえる活動報告書などは封筒に入れたが、どうやら肝心な申請書を入れ忘れていたらしい。やむなく、申請書類を封筒に入れ、カクカクジカジカで・・といい訳を書いた添え状も入れて再びポストに投函。
お陰で、二度も近くの郵便局に通い、いい運動になった・・・。奥さんから、「何度でも通われたらいいですが」と言われそうな・・・。
このブログを書き終えようとした時、電話がなったので受話器を取ると、「すみません学成寺さんでしょうか。明日の○○さんの法事は、何時からだったでしょう」という電話。同じような人がいるもんだとちょっと気が楽になった。が、受話器を置いた後、私もひそかに時間を確認した・・・。