*広島の大竹投手が巨人入り表明。移籍の理由は在京球団だから?!横浜もヤクルトも関東でしょ。なんでみんな巨人に入りたいの!? 僕は絶対に入らん・・・。
*先日研修会で伺った日蓮宗鳥取県宗務所のある琴浦町の法輪寺さんの山門の掲示板に、『目標は 人生後半を 輝かせる』と書かれていた。私の人生はいかに・・・目標は・・・人生何処からが後半か・・・。
大竹投手の目標は・・・

2013年11月25日コメントをどうぞ
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*若桜町の蓮教寺で大祥忌(3回忌)の法事をお勤めした。
故人が亡くなられる1か月ほど前に生まれた曾孫さんが本堂を動き回られ、愛嬌をふりまく可愛い姿が何よりの供養だったと思う。
*蓮教寺は536年の歴史がある由緒あるお寺で私は第34世住職(代務住職)になる。34人の住職の中には総本山身延山久遠寺の住職が3人も蓮教寺の歴代住職に名を連ねていて、私がなれば4人目・・・だが・・・そのような事はまったくありえないので、昔はいかに栄えたお寺だったかが伺われる。
蓮教寺での寺子屋が若桜小学校の前身との事で、近年にあっても地域の中で様々な役割を担っていた事も伺われる。だがしかし、お檀家数が少なくお寺の維持管理が困難を極め、先々代住職が遷化(亡くなる)されて以来50年になるが、その間学成寺の住職が代務住職としてお勤めさせて頂いている。
開創当初は、七堂伽藍(しちどうがらん・お堂が七つ)が備わっていたそうだが今や、一堂伽藍。がらんとしている・・・。
そもそも伽藍(がらん)とはお坊さんが集まり修行する場所の意味で、お寺の建物などを伽藍堂と言うようになったが、お寺のお堂は広くて人があまりいない事から、建物の中に人や物が入っていない事を『がらんどう』というようになった。
頭の中も『がらんどう』にならないように気を付けたい・・・。
2013年11月23日1件のコメント
*若桜町の蓮教寺でひと月遅れの日蓮聖人御命日法要『お会式』(日蓮上人にお会いするという事で、お会式)をお勤めした。好天に恵まれ道中山々の紅葉が綺麗だった。
法要後、「晩年の9ヵ年間を身延山(日蓮宗総本山)で過ごされた日蓮聖人は、弘安5年9月中頃自ら”やせやまい”とおっしゃったお腹の病気を癒す為、弟子たちに付き添われ栗鹿毛色の馬にのり、身延山を降りられました。目的は御両親のお墓参り清澄(千葉県)と病を癒す湯治の為、常陸の湯(今の茨城県)に行く事でした。ところが関東にはいり多摩川をわたり御信者の池上宗仲公の屋敷に到着された時いよいよ容態が悪くなられ、自らこの地は自分の臨終の地にふさわしいと心に決められました。
その理由は、かってお釈迦様は鷲霊山で8年間法華経の教えを説かれたのち東北の方角へ山を降りられ、バツダイ川という川を渡ったチュンダという大工さんの家で供養を受け豚肉の入った乳がゆを食べお腹の病が元で亡くなられた。今自分も9カ年間法華経の教えを説いた身延山を東北の方角に降り、多摩川を渡った幕府の建築方面の役職だった池上宗仲公の屋敷にお腹の病に伏せっている。釈迦さまの最後と同じ状況だという事から、仮にもお釈迦様の教えを広めようとした私にとってここはふさわしい地だと覚悟を定められました。
そして、最後の力を振り絞って弟子たちに教えを説かれ、”たとえ、いずくにて死にそうろうとも、心やすく法華経を読みし山なれば、墓をば身延山に建てさせたまえ。日蓮が魂は未来歳(いつまでも)身延の山に住むべくそうろう。日蓮を元とする者はこの山を元として参るべし”と御遺言を残され、10月13日午前8時、波乱万丈の61歳の御生涯を閉じられました」。
などと日蓮聖人の御一代記の一端をお話しして『お会式』法要を終えた。法要中ストーブで暖かくなった本堂にはもちろん招かざる客カメムシさんが・・・。
2013年11月22日2件のコメント
2013年11月21日コメントをどうぞ
*鳥取県日蓮宗布教師会の研修会があり、東伯町の『家畜改良センター 鳥取牧場』の中にある畜魂碑の前でお経を読み畜魂供養をお勤めし、その後八橋の法輪寺さんに移動し昼食をとった後、国府町で酪農を営まれる野田千恵子さんのお話しを聞かせて頂いた。
畜魂碑の前でお経を読みながら、私達は沢山の命を頂いている事を実感した。
法輪寺さんに席を移しての研修はとても勉強になった。
「牛は可愛いだけでは飼育出来ません。ある程度習慣づければそれなりに動いてくれる」という話を聞きながら、人間も同じかもと・・・。
「朝5時の乳搾りにはじまり、牛の生活のサイクルに合わせて私たち酪農家は生活していますが、人間の都合で常に乳が出るように牛を飼育していることを思うと何とも言えません」と言われる言葉にほんとに、何とも言えない思いがした。
「乳牛にツノありません」と言われるので、なぜですかと聞くと、「人間があぶないからです。稀に大きくなってしまったツノを切る事がありますが大変です」と言われるので、「うちの奥さんのツノを切るのは大変って事ですね」と余計な事を・・・。
「酪農はほんとに大変な仕事ですが、主人は酪農を楽農にして楽しみたいと言って頑張っています」などとお話しされる姿に、これから牛乳を飲む時はしっかりと味わって飲ませて頂きたいと思った。とても有意義な研修だった。
2013年11月20日2件のコメント
2013年11月19日コメントをどうぞ
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*冬型が強まり、12月中旬の気温になり寒い日となった。
今、太陽に異変が起きているそうだ。今年は太陽の活動が11年周期の中でピークになる年で、太陽の北極と南極の磁場が入れ替わる「極域磁場転換」ってのが起きるはずなのに、いまだ起きてなかったり、太陽の元気のバロメーターでもある黒点が以上に少ないそうだ。今後、太陽は活動の低調期に入り、合わせて地球も寒冷化すると指摘する専門家もいるとの事。
なんだかよくわからないけど、カメムシも多いし、今年は寒い冬になりそうな予感がする。せめて家庭内は暖かくありたい・・・。
そう言えば、昔タイガースに、藤田太陽って投手がいたけどタイガースで陽の目を見る事はなかったなぁ・・・。
2013年11月17日4件のコメント
*鳥取藩の幕末を再現した歴史映画 『維新の魁 天誅! 堀庄次郎』の撮影終了の打ち上げ会が開かれ出席した。今回にさらに今までの映画撮影にかかわった方など約30名が集まり賑やかなひと時を過ごした。
配役と簡単な自己紹介をという事で順番が回って来たので、「え~っと、配役は・・・」と言っていると、監督さんが、「都さん~、新撰組の武田観柳斎ですよ~」・・・。相変わらずの自覚の無さ・・・。さらに、「仕事は、新品治町に学成寺というお寺がありまして、そこの怪しい住職で~」というと、一同「どう見ても、お坊さんには見えません~」と(*^。^*)
今回の映画造りは本当に楽しかった。まだこのシリーズは続きますという事だったので、またかかわらせて頂きたいと思う。
12月1日(日)の10:00から12:00まで、鳥取県立博物館の2階講堂で、完成試写会がある(私は仕事で行けないが)
後は、12月に入ると、『さざんか会館』2階のアクティブとっとり研修室で連日上映される。早く作品が見てみたい!
2013年11月16日コメントをどうぞ
*日本海新聞社本社で行われた『鳥取塾 リヤカー引いて地球一周4万キロを歩いた吉田さん講演会』に行った。
リヤカー引いて4年8ヶ月かけて世界1周を達成し8月に帰国された鳥取出身の吉田正仁さんのお話しは実に面白かった。
歩こうと思ったきっかけは、10年前にヨーロッパへ向かう飛行機から見える町を見ていて、自分の知らない所で暮らす人々の生活を意識し、そんな人々とのふれ合いを求めたいと思ったからとの事。
リヤカーを選んだ理由は、自転車でも良かったんだけど、自転車は下り坂などペダルを漕がなくても進める時があるが、リヤカーは一歩一歩動かないと前に進めないからと言われていた。あえて厳しい手段を選ぶチャレンジャーだなぁと。
常に楽な方へ楽な方へとたなびく私には耳が痛い話だ・・・。
「苦労も沢山ありましたが、人と人との出会いが楽しかった。4年8ヶ月4万キロの道のりも、ひとつひとつの積み重ね。歩くことだけでなく、日々の生活も同じ事です。1日を大事にして下さい」と言われ、講演会は幕を閉じた。