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 2月16日(土) 宇宙船地球号

2013年02月16日コメントをどうぞ

*今日は日蓮聖人のバースデーお誕生日。もし生きておられたら791歳という事になる・・・。考えてみたらもし日蓮聖人がおられなかったら、今の私の命の御縁は無い事になる。いろんな意味でお祝いしたい!

*「地球は秒速約30キロのスピードで移動しており、隕石も高速で移動する。両者が衝突するとものすごいエネルギーが生じる」などと書かれているロシア中部での隕石落下を伝える新聞記事を読みながら、以前聞いた宇宙船地球号の話を思い出した。

宇宙船地球号は1300キロで自転しながら、約10万キロの速さで太陽の回りを回り、さらに地球がある太陽系も同じくらいの速度で移動しているという話だ。これは現実には違いないが、なんか実感がわかない。

その事を知った子供が母親に「地球ってもの凄いスピードで回りながら動いているんだよ~」というと、母親が、「そんな危ない乗物に乗って遊んではいけませんよ~」。こちらは妙に現実味がある話だ。今回の隕石落下は遊びの度合いが過ぎている人間への警告のようなきがしてきた・・・。

*午前中、月回向に大祥忌の法事、午後は13回忌の法事をお勤めした。午前中の法事では、小学校1年生の女の子と幼稚園児の男の子さんの兄弟の笑顔がなんとも可愛く。この笑顔がおばあちゃんへの何よりの供養のような気がした。そんな子供さんの姿を見ながら、『昔はみんな 子供だった』と・・・。

 2月15日(金) キター

2013年02月15日コメントをどうぞ

*今日はお釈迦さまが亡くなられた日で鳥取市仏教会会長さんのお寺『一行寺』(浄土宗)さんで『涅槃会』という法要が営まれ参列した。

『涅槃』(ニルバーナ)とはロウソクの火がふっと消されたような状態で、何事にも執着せず、とらわれず、穏やかな”無”の状態の事、そういう状態になれれば、何事も正しい判断が下せるという事。出来れば生きている時にそういう状態になりたいが・・・。そう言えば全然関係ないけどニルバーナというロックバンドがあった。

本堂にはお釈迦様の亡くなられた時の様子が書かれた大きな涅槃図が飾られていた。涅槃図にはお釈迦さまが北を頭にして横たわり、回りに人間や動物やなんだかわけのわからないようなものまでも描かれ、すべてのものがお釈迦様の亡くなられたのを悲しんでいる様子が描かれている。

お釈迦様は、命の根源の水をはぐくむ”シバ神”がまします山の方へ敬意を表し頭を向けられて亡くなられた。その方角が北だった。

北枕は嫌われるが、ただ単にお釈迦さまが亡くなられた時、つまり死をむかえられた時に北を向いておられたので、死イコール北という事で嫌われるが、なぜ北を向かれたかが分かると全く問題ない事が分かる。それに磁場的にも北を向いて眠るとよく眠れ、体にも良いらしい。

そう言えば以前、コーラのCMに登場する織田裕二さんがCMの中で「キター」と叫んでいたような・・・。キタ違いで、これまた全然関係ない・・・。

本堂の御本尊阿弥陀如来様の両脇に祀られる観音・勢至菩薩様が前に傾いておられるので、「なんで傾いておられるんですかね~」と尋ねたら、「ほんとうですね~、あまり考えた事もありませんわ~」と・・・。私もあまり考えない事にした・・・。

涅槃会法要中

 

涅槃図に群がる・・・

 2月14日(木) 石川鷹彦

2013年02月14日コメントをどうぞ

*夕べ、市内のライブハウス『アフターアワーズ』で石川鷹彦さんのアコ-スティックライブを観た。

石川鷹彦さんはアコースティックギターの神様的な存在で、吉田拓郎・かぐや姫・風・イルカ・アリス・さだまさしさんなどのバックでギターを弾き、ギタリスト、アレンジャーとしてフォークシーンを語るには欠かせない存在のギタリストだ。

「僕は結構短音のギターが好きなんです。メロディーに気持が乗るんですよ~」と言いながら、『22歳の別れ』 などフォークの名曲や、心がとろけるような優しいメロディーのオリジナル曲が演奏され、インストメンタルなのにほんとにギターが歌っているかのように聞こえ、温かくてきらびやかな美しいギターの音色が心に沁みた。ゲストボーカル多田周子さんとのコラボの『旅の宿』には、思わずボぉ~と口を開けたまま聞き入ってしまった・・・。

意外だったのは、石川さんの軽妙なお喋り。『リンゴ』(吉田拓郎)の演奏の時には、「あんまり激しい演奏をすると皆さんも血圧があがり危ないですからぁ」と。すると私の隣にいた方が、「お坊さんがいてはりますから大丈夫です~」と・・・。

フラットマンドリンも演奏されていて、「段々いい音が出るよになりましてね~、まぁ弾く人もいいですけど~」と。新品のように綺麗だったけど、なんとギブソン製の101年ものとの事だった。

人間も負けずに、歳を積み重ね良い音を奏でたいものだと思った。が・・・私の場合どうも不協和音が多くて・・・。

あんまり飲めないビールを調子に乗って飲んでいたら、おしっこが近くなり曲の合間に休憩時間に何度も・・・。休憩時間にトイレに入っていて、ノックされたので、「入ってますぅよ~お~」と言って、出てみたら外には石川鷹彦さんが・・・。おもわず、「あっ、ど・ど・どうも」と。にわかに親近感を覚えた(*^。^*)

軽妙なお喋りも

 

101歳のフラットマンドリンを奏でる

 

嬉しいツーショット!

 2月13日(水) 奈落・・・

2013年02月13日コメントをどうぞ

*ちょうど今日が四十九日になる方の満中陰忌法要をお勤めした。昔は法事などの供養は御命日や節目のその日に勤めていたという事だが、最近は仏様の都合よりも人間様の都合やお坊さんの都合優先しで撮り越して勤める場合が多くなった。しかし今日は仏様と人間様そしてお坊さんの都合がピッタリということになった。行年96歳のおばあちゃんも喜んでおられる事だろう。

満中陰忌ではいつも六道や十界の話をするが、今日も、「六道や十界は亡くなってから行く所ではなく、生きている今の心の動きを表したものです。刹那という言葉がありますが、刹那とはインドの時間の単位でなんと75分の1秒を1刹那というんです。私達の心は1秒間に75回もコロコロコロコロ怒ってみたり笑ってみたり、泣いてみたりするってことなんです。という事は、いつまでも悪い事ばかりではないけど、いつも良い事ばかりでもないってことですよね。---中略---天上界の一番上を有頂天と言います。一番上まで来たと喜んで調子に乗っていると、一気に奈落(ならく)の底へ。地獄の事を奈落って言うんです」などと・・・。他人事ではない、心したい。が・・・調子に乗り過ぎコロコロと・・・。

 2月12日(火) お葬儀

2013年02月12日コメントをどうぞ

*82歳で旅立たれた男性のお葬儀をお勤めした。2度にわたる大きな病(やまい)を乗り越えられ、頑張ってこられたおじいちゃんだった。先月の穏やかな日、袋川土手を狭い歩幅でゆっくりゆっくり散歩しておられた姿やお盆のお経に伺った時の優しい笑顔を思い浮かべながらお勤めさせて頂いた。お通夜の時、「追善供養の追善とは良い事を思いだしてあげるという思いが込められています。どうか皆様の心の中にある故人の一番良いお顔一番良いお姿を思い浮かべてあげて下さい」などとお話しさせて頂いた。私の時は一体どんな顔を思い浮かべてもらうんだろう・・・。

鳥取消防局での長年の功労により、瑞宝双光章を叙勲されており、お戒名に瑞法という字をさずけさせて頂いた。

一昨日お会いした時、喪主を勤める息子さの頭髪は長かったのに、お通夜に行くと綺麗に丸刈りにしておられた。「すみません。私がこの頭で・・・どちらがお坊さんだか・・・」と・・・。

お葬儀

 2月11日(月) 一杯の砂糖湯

2013年02月11日コメントをどうぞ

*昨日、昨年の11月1日から千葉県市川市にある法華経寺で行われていた100日間一日七回の水行を行う『日蓮宗大荒行』が終わった。私が修行したのは昭和57年度だったのであれから早数十年・・・。

その時、年配の修行僧さんが、「ここの修行場にいれば、寒さと空腹と足の痛さを我慢していればいい、世間にいると様々なしがらみが・・・。ここほど楽な所はない」と言っておられたのを思い出す。その時はそんな事はないと思っていたが、年々その言葉が重くなり・・・。今や毎日が家庭内荒行で・・・。

修行中御本尊様に、朝一番のお茶をお供えする当番になった時、普段は入れない炊事場に入り、回りに人がいないのを確認し、こそっと茶碗に砂糖を一つまみ入れてお湯を注いで飲んだ時、暖かくて甘い砂糖湯に、世の中にこんな旨いものがあったかと思った。ほんとにそう思った。

そんな事を思いだして、台所で砂糖湯を飲んでみたが、美味しくない。これは幸せな事なのだろうか・・・。

*先日テレビ番組で吉田拓郎さんと沢田研二さんの対談番組があった。吉田拓郎66才、沢田研二64歳・・・。拓郎さんは自分が若い頃にそうとう年寄りだと思っていた年代になってみて、あらためて自分の軽さに愕然としていると言うような事を喋っていた。大人は嫌いだ、おれは大人にはなりたくないってな事を言っていた頃の拓郎さんがなつかしい。沢田研二さんは、一瞬小室等さんかと・・・。でも、ふたりとも今尚若い!

私も、自分の軽さに・・・。

吉田拓郎&沢田研二

 2月10日(日) チョコケーキ

2013年02月10日コメントをどうぞ

*バレンタインデーの手作りのチョコケーキを小学校6年と1年生の可愛い女の子さんから頂いた。玄関で、ふたりが声をそろえて「いつも、あそんでもらってありがとうございます。これからもよろしくおねがいします~」と。ふたりが一生懸命作ったというまだ暖かさの残るチョコレートケーキはフワフワでとても美味しかった。遊んでもらっているのは、たぶん私の方だと思う・・・(*^。^*)

ふたりの作ったチョコケーキ

 

美女に囲まれ!

*今日も午前午後と法事をお勤めした。

午後の法事では、おばあちゃんが孫さん達に分かる話をしてやって下さいと言われていたので、お父さんとお母さんにもそれぞれ、お父さんとお母さん(おじいちゃんとおばあちゃん)がいるんだよね。そのお父さんとお母さんにそれぞれお父さんとお母さんが、そのまた・・・。沢山の大切な命があって、今の私の命が繋がっているんでだよね。もしその中の一人でもいなかったら、今の私の命はないんだよね。などと命の繋がりの話をさせて頂いた。けど通じただろうか・・・ていうか、大人にも・・・。

 2月 9日(土) 遊んでいる

2013年02月09日コメントをどうぞ

*午前中、学成寺で法事をお勤めし、午後は八頭町中地区の蓮教寺の檀家さん宅にて法事をお勤めした。

学成寺での法事は、大祥忌(3回忌)の法事で、後席で息子さんの供養を勤められた施主さんが、「法事は故人を思いだしてあげるものなのでしょうが、思い出すと心苦しいです・・・」と正直な胸の内を語られ、いろんな話をさせて頂いた。

「一生懸命真面目にしている人よりも、楽しみながらやっている人の方がいい仕事が出来て、さらに良いのは、遊び心を持っている人が一番いい仕事が出来るんです」と言われるのを聞きながら、なるほどぉ~と。

そこで、「遊ぶってのは、心を自在に操る事を言うんですよ。私達に救いの手を差し伸べて下さる観音様は遊んでおられるってお経に書いてあるんですよね」などと言っていると、「じゃあ悟るって事は、遊ぶて事を言うんですよね」と。これもある意味その通りだ。

お戒名が『蓮華院』だったので、「蓮は汚い泥の中から清らかな花を咲かせるので、世の中を泥に譬え私達も清らかに生きましょうなんてよくお坊さんは言いますけど、そうはうまくいかないですよね。ある意味泥まみれでもいい泥の中で堂々とイキイキと生きたいですよね」と言っていると、お施主さんが最後の挨拶で、「泥の中でもがいている皆さん。これから一生懸命生きましょう。では最後に和尚さん一言」といきなりふられたので、「私達は、不幸には敏感ですけど、幸せには鈍感なんですよね。供養をお勤めした蓮華院様を通して幸せにも敏感になりましょう」とお話しさせて頂き、後席が終わった。

その後、八頭町へ向かい檀家さん宅で供養をお勤めした。八頭町中地区は、雪が沢山あった。

八頭町中地区

 2月 8日(金) 外は白い・・・

2013年02月08日コメントをどうぞ

*夕べ窓を開けて外を見たら、外は白い雪の夜にだった。当然のように吉田拓郎さんの名曲『外は白い雪の夜』を思い浮かべながらしばし外を眺めていると、奥さんのわめき声が聞こえてきた。「重大な事を教えてあげましょうかぁ~、ハッハッハァ~。ブログに、最近は便利になったものだって書いたつもりでしょうけどぉ、最近は便器になったものだって書いてありますがぁ~、ハハハ~」・・・。さっそく確認すると、いつも見て下さっている某E・Kさんからもコメントを頂いており・・・。最近落し物に忘れ物に・・・絶好調だ(-_-;) 『外は白い雪の夜』の景色は何処かへすっ飛んでしまい頭の中が白くなった・・・。

しかし、『外は白い雪の夜』はいい曲だ! 詩を書いたのは拓郎ではなく松本隆さんだが、男の身でよくぞこんな詩が書けたものだと・・・。逆に男だから書けたのだろうか・・・。

♪あなたが~電話で この店の名を ~教えた時からわかっていたの~今夜で別れと知っていながら シャワーを浴びたの哀しいでしょう~

サヨナラの文字を作るのに ~煙草何本並べればいい~せめて~最後の一本を ~あなた喫うまで  居させてね ~

ぼくたち~知らない人から見れば ~仲のいい恋人みたいじゃないか~女はいつでもふた通りさ~  男を縛る強い女と~男にすがる弱虫と ~君は両方だったよね~

あなたの瞳にわたしが映る ~涙で汚れて~ひどい顔でしょう~最後の最後の化粧をするから 私を 綺麗な思い出にして~席を立つのはあなたから ~後姿を見たいから~いつもあなたの影を踏み  歩いた癖が直らない~

だけど Bye-bye Love 外は白い雪の夜
Bye-bye Love 外は白い雪の夜 ♪

別れのシーンがそのまま目に浮かぶような切ない詩で、そのまま映画になりそうな曲だ。去年の秋娘と行った首都圏ライブ東京国際フォーラムのライブ、最後のアンコールはこの曲だった。朗々と歌い上げた拓郎の姿が思い出される。

 2月 7日(木) 高いところと・・・

2013年02月07日2件のコメント

*お寺の上空でゴォ~っと大きな音がするので、二階の窓からのぞいてみたら飛行機がお寺の屋根の上を低空飛行していた。もっと低く窓が見えるくらいの時があるけど、とにかくお寺の上空を飛ぶ時は気象条件が悪い時で、おそらく結構揺れていると思う。

そんな時には絶対乗りたくないっていうか、高いところと奥さ苦は手なんで・・・随分長い事飛行機に乗っていない。

東京に出向する時も必ずJR。「スーパーはくと」と新幹線を乗り継いで5時間ほど。便利になったものだ。京都まで山陰線の特急「あさしお」で4時間半かかっていた時代がなつかしい。いまより時間がゆっくり流れていたような気がする。