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 5月12日(日) 施餓鬼法要

2013年05月12日コメントをどうぞ

*『施餓鬼法要』を市内の本浄寺さんと長栄寺さんにお手伝いいただきお勤めした。

餓鬼に施すで『施餓鬼』。『施餓鬼法要』は餓鬼道に堕ちて苦しむ人を施しをする事によって救い、人間界にいる我々も、施しをするという善行によって餓鬼道に落ちることなく救われましょうという趣旨を持つ。餓鬼道に堕ちる原因は、自己中心な自分さえよければという勝手な考えや行い。私も多い当たるふしが沢山・・・。

財が有るのに、さらに物を欲しがり留まるところを知らない欲望渦巻く状態を『有財餓鬼』(うざいがき)という。『うざい』という言葉と関係があるかどうか定かではないが、なんとなく関係がありそうな気もがする。

法要後、境内でお戒名を書いた用紙をお焚き上げ供養し『施餓鬼法要』を無事終えた。

昔は、お戒名を書いた用紙を張り付けたお神輿を担いで行列を組んで千代川へ行き、川に戒名用紙を流し精霊送りのような事をしていたので、この法要を『川施餓鬼』と呼んでいた。だがしかし、川に物を流せなくなったのと、一度檀家さんのおばあちゃんが川にはまり、精霊送り!?なりかけた・・・のをきっかけに境内でお焚き上げをするようになった。が、そのお焚き上げも環境問題でこの先どうなるか・・・。

法要中

 

法要中

 

お焚き上げ

5月11日(土) コレデハヨクナイノダ 

2013年05月11日2件のコメント

*や、やってしまった・・・。10時からの法事の方が来られないので、おかしいなぁと思っていたら、電話がなり、「おしょ~さん、家が分かられんでしょ~かな」と。家でお勤めされる法事をお寺でされると勘違いしていたようだった。慌てて、「すみません。これからすぐ出ますので、ちょっと待ってやって下さい」と、寿司屋の出前のようにお寺を飛び出したが、すぐに奥さんから電話が鳴り、「お塔婆が玄関に置いてありますがぁ」と。急いでお寺に戻り再び家に向かったが、聞いていた目印のスーパーを勘違いし、家の近くまで行って右往左往・・・。結局30数分遅れで法事をお勤めさせて頂いた。

えらそうな事は言われないなぁと思いながらも、「今日の満中陰忌の法要は、御命日から49日までを中陰といい、その中陰の日にちが満ちましたという事で満中陰というんです」とか、『今月の言葉』に書いている「コレデイイノダ」の話などさせて頂き、法要を終えた。が、「コレデイイノダ」どころではなく、もうしわけない事だった。「コレデハヨクナイノダ」だった・・・。

帰ってから、認知症扱いされ、ますます立場が悪くなったのは言うまでもない・・・。

*午後は、明日の『施餓鬼法要』で使うお神輿さんを出すなどして法要の準備をした。このお神輿さんにお戒名を書いた用紙を張り付けて供養を勤める。昔は本堂での法要後行列を組んでこのお神輿さんを担いで千代川まで行き、お経を唱えながらお戒名を書いた用紙を川に流していたものだ。それで、元々は『川施餓鬼法要』とよんでいた。明日は忘れ物というか落ち度がないようにお勤めしたい・・・。

お神輿さんを出す

5月10日(金) ランチ

2013年05月10日2件のコメント

*12日の『施餓鬼法要』の時にお参りの方々に出すお弁当を二階町のコミニティー食堂『ビーンズ』さんにお願いする事になり、お店に行きついでにランチを食べた。私は「エビマヨランチ」奥さんは「鳥南蛮ランチ」。だいたいこういう時は、ほかの人が食べている物の方が美味しく見え・・・。どちらも美味しかった。

ランチ

 5月 9日(木) スギナ

2013年05月09日コメントをどうぞ

*いつの間にか本堂の前にスギナが山ほど・・・。母が何処からか取って来て干したようだ。

スギナを影干しにして乾燥させ煎じて飲むと利尿作用があり、体の毒素を出すという事を何かの本で読んで以来、ずっと母はスギナのお茶を飲んでいるようだが。効果のほどは定かではない・・・。体の毒素は元より、心の毒素をもっと排出してもらいたい・・・。

*そもそも人間の持っている心の毒は、『怒る』 『ねたむ』 『愚痴る』 の三つでこれを『三毒』という。怒ったり、ねたんだり、愚痴ってもなんの得にもならず余計に気分が悪くなるだけなのに、やめられない・・・。

日蓮宗のふつうのお坊さんは、「お題目をお唱えし三毒を取り払いましょう」などというが、現実味がない・・・。

ある本に、怒らない、ねたまない、愚痴らない。これがなかなかできないけど、出来ない出来ないと言っていたんでは何も変わらない。怒りそうになった時に「何をやっているんだぁ」を飲みこんで、「御苦労さまです」に置き換えて口に出し、そしてその後しかるべき事を伝えようと。これを繰り返しているうちに三毒の占める割合が少し減って来るはずです。と書いてあったが、こちらは現実味がある。

まずはとりあえず、奥様に「御苦労さまですぅ~」と・・・。

本堂前のスギナの大群・・・

 5月 8日(水) 法事の事  

2013年05月08日コメントをどうぞ

*先日ある檀家さんから、「おじ~さんの13年(13回忌)ですけ~。取りに行きますけ~塔婆ぁ~書いとってやってつかんせ~な」という電話があったが、今日は、「法事の案内をもらっとりましたけど、なかなか皆の都合が合わんので法事は結構ですわ」という電話が・・・。

結局、両方とも法事はしませんという事だ。我々もいつかは、供養を受ける(法事をしてもらう)立場になる。自分がその立場になった時、子供や孫にそんな事言われたら寂しいと思うけど。

「法事は普段考えない事を考えたり、普段気付かない事に気付かせてもらう素晴らしい機会です」といつも言っているが、まずはお会い出来ない方には何も伝えれないのでどうする事も出来ない・・・。

何事もそうだけど、自分がその立場になった事を前提に考えると一番良い答えが出るはずなのに、自分はそうならないと思っているからおかしな事になる。気を付けたい・・・。

 5月 7日(火) 『リ』

2013年05月07日2件のコメント

*五月晴れとはこの事だ!

学成寺本堂上空の青い空

お天気に恵まれた ゴールデンウイークが終わった。大勢の人が、リクリエイションのひと時を過ごした事だろう。

リクリエイションには、気晴らし・娯楽・余暇などに用いられるが、リクリエイション(re-creation )には、 再創造・再構築という意味もある。

五月晴れの元、リフレッシュし、日々の生活もリクリエイション(re-creation  再創造・再構築)で頑張りたい(*^。^*)

そもそも、『リ』は再びという意味があるようだ。リサイクル・リハビリ・リバイバルなどなど、『リ』で始まる言葉が沢山ある。人間にも『リ』を付けるか・・・。

 5月 6日(月)お墓参り

2013年05月06日コメントをどうぞ

*連休最終日、福山で奥さんの実家の墓参り。墓参りを終え手を洗っている奥さんに、「心も洗ったほう がええぞ~」と・・・(^o^)!
お墓の義弟に、宜しくお守りくださいと手を合わせた。

 5月 5日(日) 子供の日 

2013年05月05日2件のコメント

*今日は『こどもの日』。何気に伊武雅刀さんの歌!?『子供達をせめないで』を思い出した。

♪私は子供が嫌いです 子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で 前向きな姿勢と 無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている 甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする♪

などと、歌い(喋り)あげるが、これは子供ではなく大人の事かと・・・。

傑作なのは、♪私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています ♪・・・。

*『こどもの日』は元こどもだった我々大人が、『昔はみんな子供だった』事を思い出す日なのかもしれないなぁと・・・。

 5月 4日(日) 法事とお葬儀

2013年05月04日コメントをどうぞ

*重なる時は重なるもので・・・。午前10時から法事を勤め、その後商栄町の葬仙ホールさんでお葬儀を勤め、出棺を待って頂き、その間にお寺に戻って13時から法事を勤めお墓参りも勤めたあと、再び葬仙ホールへ戻り出棺に立ちあい八坂の斎場へ行き荼毘供養を勤め、お寺へ帰りお骨あげを待って、お葬儀の締めくくりとなるお寺参り法要と初七日の供養をお勤めした。

お葬儀の連絡を受けた時、今日は珍しく法事を2軒受けていたのでどうなる事かと思い慌てたが、喪家の方がいろいろ無理を聞いて下さりなんとか無事にお勤めさせて頂く事が出来た。

10時の法事は13回忌で、婦人会でのお寺の大掃除の時などに明るくお手伝い頂いていた時の故人の姿が思い出された。行年51歳。私もその歳をすでに超えてしまった事を思うと何とも・・・。孫さん達が賑やかだったのが、何よりの供養だったと思う。

お葬儀は、山陰放送のアナウンサーとして『中四国ライブネット』とか、『歌のない歌謡曲』など沢山の番組て活躍しておられた女性の61歳(数え歳)での旅立ちだった。出棺前のお別れの時、故人のラジオ放送での声が流されていて、なんとも穏やかで聞きやすい声がなんとも優しい雰囲気を醸し出していた。私も結構ラジオを聞いているので、幾度となくお耳にかかった事があるんだろうなぁと思いながら、お勤めさせて頂いた。アナウンサーとして声のプロの方のお葬儀を勤めさせて頂いたわけだが、私のお経の声は故人にはどう聞こえたかなぁ、どう思われたかなぁと思った・・・。NGが多々あったかも・・・。

お葬儀

 5月 3日(金) 心コロコロ

2013年05月03日2件のコメント

*今朝の読売新聞の『こどもの詩』はなるほど~と。でも心は一体何処に?

この子の言うように仮に胸にあるとしても、怒りがこみ上げると心が上がり、頭のてっぺんに来る。この状態を『頭にきた(-_-;)』・・・。これではいけないと、心を下げてようやく腹のあたりまで下がった。それでもまだ『腹がたつ(-_-;)』・・・。やはり心は、腰のあたりに、『腰を落ち着けて』いたいものだ・・・。が、心はコロコロ、なかなか定まらない・・・。

読売新聞